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一章:二話:1

 伯爵が用意した馬車に乗り、アメリアから下げ渡された衣装を纏うエリンは平民出の聖騎士ダニエル・スネルの屋敷へと向かっていた。


(厄介(やっかい)払(ばら)いもいいところね……)

 慶事の門出であるにもかかわらず、物憂(ものう)げな表情でため息をこぼす。


 貴族の娘の嫁入りとあれば契約を伴うもの。家同士の繋がりを強化する意味も含み、持参金の交渉に始まり婚約式を開くなど、丁寧(ていねい)な段取りを要する……、ものだという。

 少なくともアメリアはそう鼻高々に語っていた。

 にもかかわず、相手が相手であるからか、当然のようにそれらを端折(はしょ)ったあげく、最低限の教育が終わった途端、追い出すように出立(しゅったつ)の日が決められた。


 私物を詰めた鞄二つを馬車に乗せ伯爵邸を出る時も見送りさえなしだった。

 国からの要請を受け、伯爵家の名を冠(かん)して嫁ぐというのにだ。


 限られた使用人しか事情を知らず、退職扱いで出ていくにしても、伯爵から労(ねぎら)いの言葉一つないとは思ってもみなかった。


(きれいな衣装を着せられたって、扱いは奴隷の頃となんら変わらないのね)


 渋い顔の伯爵が命じれば従うしかない。

 長年働くなかで、そのように躾(しつけ)けられてきていた。


 根っこまで染みついた卑屈(ひくつ)さにエリンは嫌気がさす。自嘲(じちょう)の笑みが零れた。


 ガタゴトと車内が揺れる。

 車窓から望む街並みは、庭付きの邸宅が並ぶ貴族街を抜け、平民街との境にある豪商の屋敷が並ぶ住宅街へと移り変わっていた。


(あの家から出られたこと。それだけが救いかもしれないわ)


 血の繋がりがあると知っているからこそ、彼らの顔色を窺って生きる未来など虚しいだけだ。

 母と過ごした思い出だけは恋しいものの、その母はもういない。


 伯爵は母を助けなかった。

 その時点で、エリンは見捨てられていたのだ。


 エリンを下働きとして働かせ続けていたことを振り返れば、伯爵に情の欠片もないことは明白だ。

 現にアメリアから厳しい教育を受けている時だって、気にするそぶり一つみせなかった。


 手ほどきのため呼びつけるアメリアは、エリンの都合など一切考慮(こうりょ)しない。立場上、応じるしかないエリンは仕事を途中で放り出さざざるを得なく、見かねた古参(こさん)の執事が、仕事の仲立ちと調整をしてくれなければ、いよいよもって立ち行かなくなり、途方に暮れていたことだろう。


 挨拶の仕方や言葉遣い。読み書き、簡単なダンスのステップ、刺繍に食事のマナー。学ぶことは多岐(たき)にわたった。


 手本を見せられても慣れない立ち振る舞いである。そう簡単に模倣(もほう)できるものではない。ダンスのステップ一つとっても、足さばきに気を取られれば、どうしても姿勢が悪くなる。音楽に合わせて優雅にと言われても、それどころではない。裁縫(さいほう)は慣れているので刺繍は無難(ぶなん)にこなせたが、貴族的な読み書きには悪戦苦闘した。食事のマナーを学ぶ目的でアメリアと一緒に豪華な料理を食べた際は、一つ一つの所作に注意を受けることとなり、途中から砂利(じゃり)を食(は)んでいるかのようであった。

 

 一度で覚えきれないとすぐに頭ごなしになじってくる癇(かん)が強いアメリアに、なにを言われようとも言い訳が許されないエリンは耐え忍ぶしかなかった。

 アメリアによる威圧的な教育も、伯爵の事務的で用件だけを一方的に伝える物言いも、出生を理由に見下す夫人の双眸も、思い返せば震えるほどに腹立たしい。


(伯爵邸にはなにもない。空っぽだった。お母さんが亡くなった時点で、すでに、もう、なにもなかったんだ)


 エリンのなかに僅(わず)かに残っていた縋(すが)りつく子ども心は、宣言してからの日々によって粉々に砕かれた。今更ながら置かれていた立場を自覚したとも言える。


(お母さんはもういない。もう帰る家なんてないんだ)


 狭く小さなベッドで抱き合って眠った母。夜を怖がるエリンを抱きしめてくれた母。寒ければ手を包んでさすり、息を吹きかけ、温めてくれた母。同じ寝物語を嫌な顔せずに繰り返し語り聞かせてくれた母。少ない食事を分け合って食べ、時にはエリンの椀に自分の分さえ分けてくれた母。


(お母さんの懐こそ私の故郷。思い出こそが私の宝。お母さんと過ごした日々は、私のなかにちゃんと残っている)


 守ってくれた恋しい人がいない場所に未練はない。

 過去に見切りをつけたエリンは顔をあげた。

 空を見やる。

 立ち上る茜(あかね)色(いろ)が青空とぶつかり縁を金で染めていた。暗(あん)灰色(かいしょく)に塗りつぶされ雲が、風に流されてゆく。太陽が沈む。日暮れ時が近づいてきていた。


 車体を揺らし馬車は聖騎士ダニエル・スネルの屋敷を目指す。


(どうか、向かう先に希望がありますように……)


 祈るエリンが過去を振り切るように、車内の天井に視線を向けた。

 顔も知らない英雄へと思いをはせる。


(ダニエル様とは、一体どんな人なのかしら……。騎士と呼ばれるからには、やっぱり身体は鍛えているわよね。北部出身だし、魔(ま)獣(じゅう)相手に戦っていたとなると、やっぱり強面? 大きくて、いかつい人なのかな)


 眉間に皺を寄せエリンは考え込む。腕を組み、瞼を閉じた。


(聖騎士という称号を与えられるほどなんだから、見た目もそれなりに整っていたりして……)


 伯爵邸に飾られた数多の美術品のなかには、荒々しい魔獣と戦う騎士を描いた絵画もあれば、騎士職に就いていた先祖の勇ましい全姿(ぜんし)を描いた絵画もあった。描かれる騎士たちは総じて長身であり筋骨(きんこつ)隆々(りゅうりゅう)。均整(きんせい)の取れた体躯(たいく)は騎士服でも隠しきれず、おしなべて短髪であり、厳格さと清潔感をあわせ持っていた。


 それらを踏(ふ)まえれば、端正(たんせい)な顔立ちで性格は厳格、少なくとも誠実さに溢(あふ)れ、騎士服を着ていても隠しきれないほど逞(たくま)しく、こざっぱりとした短髪の男性になる……、だろう。いかに奴隷出と言えど、聖騎士と呼ばれるのだから、それなりの容姿(ようし)が伴っている可能性すらある……、かもしれない。


 ふっとエリンは笑ってしまう。

 平民出の聖騎士に、期待し過ぎだと。


(馬鹿みたい、そんな絵空事あるわけないじゃない。所詮(しょせん)、平民出のものすごーく強い人よ。絵画から飛び出してきたみたいな人物というわけにはいかないでしょう)


 口元を綻(ほころ)ばせるエリンが腕組みを解き、瞼(まぶた)を開く。


(何にせよ、ダニエル様がすごい人であることは変わらないわ。なにせ、奴隷出身でありながら、国の在り方さえ変えてしまった人なのだから。見てくれは二の次! 性格がそこそこなら十分よ)


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