四章:二十八話:2
ぎりぎりと奥歯を擦りあわせて唸るアメリアをエリンは静かに見つめる。
(今朝までの私だったら、これ幸いとアメリア様に立場を譲っていたかも……)
たった半日で一変した心境をまざまざと自覚するエリンは自身の変わり様に心底驚く。
使用人としてダニエルの元で働いていたい。
素晴らしい主人に仕えるのは使用人冥利につきる。
尊敬するダニエルの元で働けるのなら、それだけで十分。
今朝、屋敷を出る時まで、エリンはそう硬く信じていた。
使用人であり続けるとはどういうことか。
王族に復帰したダニエルの元には数多の縁談が持ち込まれることだろう。
アメリア以上の、それこそソフィーだって候補にあがるかもしれない。
働き続ける未来を見通せば、いずれダニエルの夫人に仕えることになる。
ダニエルの隣にエリンの知らない花嫁が立つのだ。
そのハレの姿を想像するや否や、エリンの身体に悪寒が走った。
見ず知らずの女主人に傅く未来に、芯から冷え込む。
言い知れない怒りが身体を焼いた。
(ダニエル様の傍にいるのは私! アメリア様にも、誰にも譲らない!)
顔も知らない夫人に傅く未来像。
それをエリンは心中にて叩き割った。
美しい虚像は飛散し、驚愕するアメリアの顔をありありと浮かび上がらせる。
「ダニエル様の隣は譲りません」
きっぱりと言い切ったエリンがアメリアの折れ曲がった指を払った。
目の色を変えたアメリアの、宙に浮いた手が指先を揃えて静止するなり、跳ね返る。
エリンの頬、顎近くをアメリアの平手が打つ。
軽い打音は音楽に紛れて消えた。
カッとなり、弾みで手が出てしまったアメリアが胸元に手を引く。
騎士たちがエリンを見守っている状況下を自覚し表情を強張らせた。
掠るだけの平手の痛みなんて、たかが知れている。
怯まずエリンはアメリアを睨み返した。
無言で威圧すれば、アメリアもまた睨み返してきた。
沈黙した二人が火花を散らす。
じりじりと焼けるような空気が漂う。
無言のまま時が流れる。
奏楽が終曲を迎えた。
厳かにエリンが口火を切る。
「華々しい上辺にしか目を向けられない人に、ダニエル様の隣に立つ資格なんてありません。
見た目や肩書きばかりに目を奪われる。
そんなアメリア様に、ダニエル様を支えることなど、できるわけがないんです」
「なによ、なによ。
自分なら、それができるとでも言いたいの。資格があるとでも言うつもり。たかが奴隷上がりが!」
「そんな図々しいことまで思っていません。
ダニエル様の背景を知り、首都に戻ってきたお心を慮れば、綺麗な表面ばかりに目を眩ませてはいけないんです。
身分や立場、見た目ばかりに囚われる人には、ダニエル様の婚約者は務まらないと言いたいだけです」
アメリアが立ち上がった。
両の拳を強く握りしめ、エリンを上から威圧する。
エリンはアメリアの眼光を真正面から受け止めた。
アメリア相手であっても譲る気は一切ないと誓った。
「あなた、誰にものを言っていると思っているの、そんなことを言って……」
「言って、なんなんだ」
被さってきた声にアメリアが口を噤む。
「俺の婚約者に何用かな、ご令嬢」
アメリアの肩越しにエリンはダニエルを見た。平静を装っているが、頬に微かな赤みがさしている。急いできたと見て取れる程度に肩も上下に動いていた。
来てくれたとほっとするエリンの目の前でアメリアの表情が豹変する。
彼女は愛らしい笑顔を浮かべ、ひらりと翻った。
「ダニエル様、お初にお目にかかります。私、ミドルトン伯爵家が長女アメリアでございます」
「……。エリンの姉妹か」
淀みなく膝を折り挨拶したアメリアが、挨拶のキスをしようと身を乗り出す。
エリンが息を飲む。
無表情のダニエルはアメリアを押しとどめた。
「失礼。婚約者の前なので、お控え願いたい」
「ただの挨拶ですわ。この程度のこと、気にするような者はおりません」
「ああ、かもな。俺も奴隷あがりなもので、こういう過剰なスキンシップは好まないだけだ」
感情乏しい軽い声音で答えるダニエルがアメリアを無視して進み出る。
エリンに向け、手を差し出した。
「一人で待たせて、すまない」
穏やかな眼差しに包まれ、肩の力が抜けたエリンの顔に自然と笑みがこぼれた。
「ダンスを見ていました。とても華やかで。時間を忘れるぐらい、とても楽しかったです」
エリンがダニエルへ手を伸ばそうとした、その時、横から出てきたアメリアがダニエルの腕を引いた。
エリンが手を止め、ダニエルは口内で舌打ちした。
「ダニエル様。エリンは不慣れなのです。
彼女は生粋の奴隷であり、このような場にはどうやっても不相応なのですわ。
ですが、ダニエル様は幼少期を城内で過ごし、不運にも北へと追いやられた御身。
今は慣れなくとも、生まれ持った高貴な血筋により、きっとすぐに慣れていきます。
そうなれば、生まれながらの奴隷の娘が、あなた様の隣にいては足手まとい。私のような……」
言い終わらぬうちに、ダニエルが勢いよく腕を振り上げた。
絡みついていたアメリアの腕が跳ね飛ばされる。
小さな悲鳴を上げ、よろめくアメリアが数歩後退した。
ダニエルは何事もなかったかのように腕を降ろし、再度エリンに手を差し伸べる。
「足の具合はどうか。立てるか」
「はい」
ためらうことなくエリンはダニエルの手を取る。その手を支えに立ち上がった。
「俺もエリンと一緒だ。こういう場は慣れない。ベイジルの許可は得てきた。帰ろう」
やっと帰れるとエリンはほっとした。今日一日動き回り、へとへとだった。
「歩けるか」
心配そうに問うダニエルにエリンは微笑んで見せた。
大丈夫と答える余裕さえすでになくなっていた。
ダニエルが来てくれた。帰ることができる。知らせがもたらす安堵感に、心がいっぱいとなるエリンの視界に、もうアメリアは映ってはいなかった。
ダニエルのためにこの場を粗相なく去る。
これこそ今日最後の大仕事だとエリンは胸に使命の火を灯した。
にもかかわらず、身を乗り出してきたアメリアがダニエルの腕に手をかける。
「殿下。エリンは生粋の貴族令嬢ではございません。
半分しか血が繋がっていない上に、付け焼刃で教育を施しただけのまがいものです。
元奴隷という張りぼての出来損ないが殿下に相応しいわけがありません」
ダニエルが気のない目をアメリアに向ける。
「アメリア嬢。もしミドルトン伯爵が婚約者にアメリア嬢を推してきたとしたら、貴家から婚約者が選ばれることはなかった。俺の伴侶は、打診された時点で、もう決まっていたのだ」
『決まっていた』
その一言に、エリンとアメリア、二人同時にぽかんとする。
姉妹というだけあり、虚を突かれた表情は実によく似ていたのだった。




