四章:二十七話:5
「父は言っていたよ。第二妃がダニエルを産んでくれて良かったと。
子を産めなくても王妃は母だけだと決めていた父にとって、第一王子誕生は母の荷を軽くする朗報だった。公爵家の目が母に冷たくなっていっても、父は母を守り、受け入れる心積りだった。
跡継ぎ問題に押しつぶされていた母からしても、ダニエルが産まれてからの期間は、父と寄り添うことができていた短い期間だったことだろう。
第二妃が静かな方であったのも、波風を立てず、良かった。父もまた、そういう方だったから、第二妃にと選ばれたんだ。
しかし、ひと時の幸福は長くは続ない。私が産まれ、壊れたんだ」
陛下は表情変えずに、訥々と語り続ける。
「母にとって、公爵家は呪いだった。
生家からもたらされる母への影響は、逃れられないほどに強かった。ねばりつき、精神や魂といった根幹を腐らせた。第二妃に毒を盛った母にはもう後戻りはできなかったんだ」
「……」
「父の望みは母を公爵家から切り離すこと。
生家との癒着が著しい母を、どのように決別させるか。
私は悩んだよ。
ただ捕らえるだけでは、公爵家からは切り離せない。父による慰めさえ効果がなかったんだ。
優しさが仇となるなら、何を選ぶ?
私は絶望を選ぶしかなかった。共倒れも覚悟するような、綱渡りのね。
掻きむしるような絶望からもたらされる打撃。今まで味方だった者たちからの見放し。簡単に裏切られる様を見て、誰も初めから味方ではなかったと気づく。思い知る時には、もう遅い。這い上がることさえ不可能な真っ暗闇に、叩き落す。
それしかないと私は思った。心を鬼にするとはこういうことかと今更ながら思うよ」
陛下が絵画に目を向ける。
「この絵画が描かれてから、母は坂を転げるように転落していく。
私が産まれ、より一層立場を悪くした。
私が産まれたのが、きっかけだと思うとさ。
やるせないところはあるんだ。
ああ、でも、思わないよ。産まれなければ良かったとかさ。
私さえ産まれなかったら、なんて卑下する気はない。
栓無いことを、ねちねちいう気はないんだ」
「……」
首都から離れたダニエルに言えることは何もなかった。公爵家を残すことも、国政から離れている以上、異を唱えることはできない。ベイジルが孤軍奮闘し、今日を迎えたであろうことが容易に想像つく以上。よく一人でここまでと思うところだが……、協力者はいた。
「あの神父……」
ぽつりとダニエルが零す。
「あれは誰だ。ベイジルの代わりに、俺と接触していた人物だ。てっきり、俺は……」
王直属の何者かだとダニエルは思っていた。伝言役を務めるほどに詳しい事情を知り、城内に入れる者。ダニエルが首都から離れている間にエリンとも接触していると聞き及んでいたこともあり、エリンが城に持ち込んだ品を受け取る相手だと思い込んでいた。
「個人的な協力者だよ。彼は非常に顔が広いんだ。長らく孤児院を運営されていてね。人とのつながりがとても深い」
「孤児か……」
「彼の協力がなければ、私の望みは達成できなかっただろう。そうそう、エリンさんを見いだせたのも彼のおかげなんだよ」
「エリンを?」
「貴族の屋敷で働いている使用人にも伝手が数多あってね。各家それなりに事情というものがあると自然と耳に入ってくるそうだ。その中で、表に出せない娘がいる家。と、言えばいいかな。そういう家をピックアップし、婚約者を選んだ。拒否する家もあれば、ご令嬢の釣書を送ってくる家もあったが、数件、エリンさんのような子を出してくる家があり、そのなかから選んでいる。これがエリンさんを選んだ背景だよ」
「それで、あんな風変わりなのが来たのか……」
「小奇麗な貴族令嬢じゃ、ダニエルの眼鏡にはかなわないだろう。ちゃんと性格諸々鑑みて選んでるんだ。実際、良い子だったろう。よく働くし、機転も効く」
うんうんと満足げに陛下が頷く。
鉄壁の笑顔は拒絶を意味する。
はぐらかされたなとダニエルは思ったものの、神父について追求する気は起きなかった。そもそも追及したとしても、話を逸らし煙に巻いてくるだけだろう。
街中を歩き回っていたうちにでも出会った。そう解釈しておくのが無難である。
(城暮らしのなかでも味方はいたということか)
断罪劇も実行するには複数の協力者がいたはずだ。分かっていて動いている者もいれば、エリンのように知らずに役回りを押し付けられ、立ち回っていた者もいたことだろう。すべてを知らされていなかったダニエルもまた然り。
首都に戻って程なく、王の代理人として接触してきた者がいた。神父姿で地下聖堂に現れた男である。政変に協力を仰がれ、応じた。せめてもの罪滅ぼしのつもりであった。
それも終わった。
十分すぎるほど、残してきた弟への義理を果たした。そう思うダニエルに、これ以上首を突っ込む気は更々ない。
「エリンが気になる。朝から今まで動きっぱなしの上に、慣れない夜会だ。限界だろう。できるだけ早く帰らせ、休ませたい」
「最後まで居てほしいけど。無理強いをする気はないよ。ホールに戻り次第、エリンさんを連れて帰るといい」
「恩に着る」
「私の方こそ」
朗らかに笑う陛下にダニエルが頭を垂れる。
遠慮がちに遊び相手を求めて話しかけてきた幼少の陛下が瞼にかすむ。子どもがいない城内では貴重な遊び相手であった。まさか忍び遊んでいた弟に頭を垂れる日が来るとは、幼い頃には想像もつかなかった。
ダニエルが頭をあげる。
力なく笑む陛下が、二の腕を摩る。表情には陰りが見えた。
「父と母は、どこで間違ったのだろう。そう時々考えるんだ。
気持ちが足りなかったのか、言葉が足りなかったのか。両方か。どちらにしろ、閉じてしまった心には、どんな言葉も沁みることはない。
誰かを想う。想う心が通じ合う。
父は母を想う心は持っていた。
母だって、父の心は分かっていたはずだ。
だけど、まったく同じタイミングで、互いに互いを思いやる。それができなかった。人と人が心を通わす。そんな一瞬は、人生でも珍しい、奇跡のようなものなのかもしれないよね」
言外にやるせなさを滲ませる陛下が、苦悩を振り払うように朗らかに笑う。
「長い話に付き合わせてすまない、ダニエル。エリンさんも心配だ。迎えに行ってくれ。今日は本当にありがとう。首都に戻ってきてくれて、とても心強いよ」
ダニエルは無言のまま一礼し、陛下の御前を辞したのだった。




