四章:二十七話:4
後ろ手で扉を閉めた陛下が、錫杖も持たない身軽な姿でソフィーとダニエルに近づいてゆく。
いち早く入室に気づいたソフィーが振り向きざまに笑顔を向けた。
「ごきげん麗しゅうございます、陛下。この度は、ご考慮痛み入りますわ」
「世情に救われただけだよね」
「父にも良い報告ができますこと、心より御礼申し上げます」
「よろしく伝えてくれ。しばし謹慎となるが、それほど長い期間にはならないだろう。国政が滞るほどの休暇は与えられないと思っているよ。東も予断を許さないから、内々でのもめ事を外に晒したくはない。私が言うまでもなく、公爵もお判りのことだろう」
「重々承知しております。私どもボネヴィル公爵家は、首の皮一枚でつながっているも同然。陛下の御代に貢献し、信頼を取り戻せるよう、一層精進いたしますわ」
「先代公爵が存命であれば、目溢しはなかっただろう」
笑みを絶やさずソフィーが頭を垂れる。
陛下がダニエルへ目を向けた。
「ダニエル」
思索にふけっていたダニエルが我に返る。口元から手を浮かし、いつ現れたとばかりに驚く目を陛下に向けた。
「エリンさんは、一緒じゃないの?」
「ああ……。足を痛めたので、ホールで休ませている」
「まあまあ。エリンさんをお一人でホールに!」
ソフィーが大きな目をより一層まん丸くする。
「歩かせるには少々辛いだろうと思ってホールの隅で待たせてあるが、なにか」
「あらあら、いけませんわ。それは心配。先ほどの仲睦まじいダンス。大体の方はほほえましく見ていたようなんですけど、少々気になる目を向ける方もいまして……。考えすぎかもしれませんけど。気にかかりますわね」
ソフィーが足踏みし始める。
「駄目だよ、ソフィー。君がホールに出るのは」
「分かっていますわ、陛下。当然、私は隠れています。様子見に行くのなら、公爵家の騎士の誰かに向かわせますわ」
「ダニエルとの話は済んだのかな?」
「ええ、時間はたっぷりありましたもの。それより、私。お友達の方が気になりますわ。殿下、陛下。申し訳ないのですが、この場は失礼させていただきますわね。
エリンさん、大丈夫かしら。お一人でなんて、心配だわ」
言い終わる前に踵を返したソフィーが、ばたばたと慌ただしく部屋を出て行った。
閉じられた扉を眺めるダニエルがぽつりとつぶやく。
「……、友達? 誰と誰がだ」
「城内でふらっとしている時に、エリンさんと鉢合わせしたらしいよ」
「それで友達か? 使用人とご令嬢が」
「そこは、ソフィーだからね」
解せないという表情のダニエルを横目に、陛下が絵画の前に進み出る。
「この絵画も明日には宝物庫の奥にしまう。人目につくところに飾る機会は、私たちが生きているうちはないだろうね」
見納めとばかりに陛下が絵画を見上げる。
ダニエルも絵画に目を向けた。どれだけ輝かしい未来が待っているのかと期待と嫉妬を抱かせる筆致で描かれた若かりし太合。後にこの女性が、数々の罪を犯し追放の運命をたどることになるなどとは、画家さえも想像しえなかったに違いない。
それほど見事に、この絵画は、当時の太合を完璧に描き表していた。
「いいのか」
ダニエルがぽつりと問う。
「なにが?」
「あれだけの罪を犯しておいて、処刑さえせずに。太合ただ一人を追放というのも、手ぬるいと言えば手ぬるいはずだ。そもそも、ボネヴィル公爵家を存続させて良かったのか。証拠を伏したとはいえ、太合に手を貸しているのは明白だろうに……」
「有力貴族を丸ごと取り潰すとなれば、内外に不安が走る。東のこともあるし、内輪もめは最小限にしたい。それだけだよ。ダニエルにしてみたら不本意だろうが」
「俺は。俺の目の前に、太合が二度と現れなければ、それでいい」
「隔離した母は明朝、南方に移送する」
一呼吸置き、陛下が告げる。
「これは父の遺言でもある」
「父の、か……」
「そう。父はね。母と公爵家を切り離すことを望んでいたんだ」
寝耳に水とばかりにダニエルは眉を潜めた。
「己を死に至らしめた太合を弾劾することではなかったのか」
「弾劾は手段さ」
「どういうことだ。理解が及ばないんだが。地下聖堂で語った話含め……」
渋い顔でダニエルは眉間を揉み始める。
「元より父はすべてを知っていたんだろう。俺が生きていることも、俺の母が太合に殺されたことも。太合の協力者が公爵家であることも。知っていて。いや、知ったうえで、か。言うなれば、恨みをもって失意のうちに亡くなり、その恨みつらみの遺志を継いだベイジルが、今回、太合を弾劾したと……」
眉間から手を離し、ダニエルが顔をあげた。
してやったりと陛下はほくそ笑む。
その笑みを見た瞬間、自分もまた騙される側だったのかとダニエルは自覚した。
「父が毒を盛られた第二妃を隠したのも、ダニエルを生かそうとしたことも、母に罪を犯させないためだ」
「俺と母は太合のために隠されたというのか。いや、最初から言葉は文字通りその通りなのだが、目的が違うと。俺と母を殺されないためではなく、太合に殺させないためにと。そういうことか」
「言うなれば、そういうことだよ。屋敷が襲撃され第二妃が殺された時。父はね、第二妃が亡くなったことより、母が罪を犯したことにショックを受けていたんだよ」
「気を病み亡くなった父の本意は、そこなのか……」
「ダニエルが生きているのも知っていたけど、公爵家が幅をきかせる首都には呼び戻せないと判断した。
父がいつまでも私を立太子しなかった理由もわかるだろう。
父には、できなかったんだ。第一王子が生きているのを知っていながら、第二王子を立太子することが。それはそれで、この国の在り方にかかわるものだから。
私の立太子を拒み続ける父。当然のように母との亀裂は深くなる一方だった。夫婦の対話はなくなり、当然のごとく関係は冷え切った。
そして、とうとう母は父の暗殺を謀る。
母のこと、第二妃のこと。ダニエルのこと。重なりに重なり、父も弱っていた。
母に毒を盛られていることを知りながら、見過ごすことを選んだ父が、私を呼び出し話してくれた。
父は言った。私を立太子しないと。ただし、死んで後はその限りではない、と……。
悔い重なり、弱り、病んでいた部分もあったと思う。
何もかも知りながら、父は母に殺される道を選んだんだ」




