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四章:二十七話:3

 ダニエルは口を平手で覆った。


 頭に浮かぶのは、屋敷でドレスを選んだ際の戸惑うエリンの顔だ。

 婚約者と扱われる居心地の悪さが彼女の表情には溢れていた。


 無理もない。

 出会った時には追い出そうとし、長旅から戻ってきては喧嘩腰の再会を果たしている。

 第一印象は最悪そのものであり、彼女から愛想をつかして出ていっても当然という状況だった。


 それでもエリンがダニエルの屋敷に居続けたのは、聖騎士に仕えたいという一心によるところが大きい。

 つまるところ、エリンがダニエルに向けるのは、感謝と尊敬に根差された羨望(せんぼう)の眼差しに他ならない。


 今朝方、見送ったエリンはまさに、ダニエルを主とし、自らを仕える者として一線を引く、いつも通りの彼女であった。


(そんなエリンが、ダンスをしながら安堵の表情を。まさか、そんなはずは……)


 にわかに信じがたいダニエルであったが、寄り添った時のぬくもりを思い出し、期待感がじわじわ頭をもたげてきた。


(エリンはいつ変わった? 本当に、変わったのか……)


 ホールで踊った際、ソフィーが見て取れるほどにエリンが安堵していたというのなら、一体どこで彼女の気持ちが変化したのか。





 地下聖堂で再会した際、彼女の瞳はぶれることなくダニエルを捕えていた。

 安心してほしくて、そこで待っていろと願った。

 唇が言葉を刻めば、彼女の潤む瞳から恐れや怯えが剥がれ落ちていった。


 太合と対峙し、邪魔立てする騎士たちを払いのけ、中腰のエリンを見た。

 怪我のない姿にほっとした。

 エリンが無事ならそれでいいと思うと、自然と笑みがこぼれた。


 争うために地下聖堂に来たわけではなかったし、太合を貶(おとし)めるために城に戻ると決意をしたわけでもなかった。だからだろう。無事を確認したエリンの元に駆け寄る時、どうでもよくなり、剣を投げ捨てた。


 前提として、騎士たちも本気ではなかった。

 すべては太合を追い詰めるための見せかけの演武だったのだ。

 仕掛けた黒幕がベイジルであるのは明白だった。


 茶番を茶番と知らず、怖い思いをしたであろうエリンに申し訳がなかった。

 信じていると物語る眼差しを目の当たりにしたら、否応なく胸が酷く傷んだ。


 答えを見いだせないままに駆け寄った。

 こんなことになるならば屋敷で待たせておけばよかったという後悔に、無事でよかったという安堵感がが重なるなか、五体満足のエリンを前にして、いてもたっていられず抱きすくめていた。


 本音が口からこぼれ、はっとした。

 正気に返り、反発するように身体を引き離した。


 主従関係に硬い彼女がどう思うか。不安に駆られて、エリンを見た。


 呆けた顔で見上げるエリンが、なにをどう思っているのか、分からなかった。

 あどけなく丸くした双眸に見つめられ、肝が冷えた。


 エリンの視線に耐えられなくなり、目を逸らす。

 感情ばかりが先行した行動にため息が漏れた。

 額から流れゆく一筋の汗がくすぐったかった。


 恐る恐るエリンを見る。

 きまり悪く、笑うしかなかった。

 エリンの瞳に、驚きは見て取れても、嫌悪はなく、内心ひどくほっとした。





 記憶を振り返るダニエルは、地下聖堂で再会するまでの間に、なにがあったのかともう一度頭をひねる。


(頑なだったエリンが半日で変わるのか。変わるものなのだろうか)






 しかし、地下聖堂にて『討ち果たせ』と太合が檄を飛ばすや否や、エリンはダニエルの頭部を抱き込んだではないか。


 まだ茶番が続くのかと嫌気がさした直後だっただけに、エリンの胸が額に触れ、天地がひっくり返るかと思うほど驚いた。


 後頭部に彼女の頬が密着して、息苦しくなった。

 けっして圧迫感だけで苦しくなったわけではないと、心拍の上昇により自覚できた。


 故に不覚ながら、挙動に惑い、動き損ねた。

 懸命なエリンを前に、しばし虚脱した。

 背中を取られてもおかしくない隙を与えたことは油断であったと今更ながら思うものの、あの時は童のような感覚に包まれ、身動きが取れなかった。


 何事も起きない空白の時間が過り、剣を弾く高音が響き渡った。

 意識も弾かれ、エリンが震えていることに気づいた。

 力む彼女の腕に手を添え、下ろすように促した。


 剣が降りてこないのは、終局した証。

 これは茶番だと伝えたくて、安心しろと笑みを向けた。

 成り行きを静かに見守ればいいと伝えたくて、口元に人差し指を立てたのだ。





 地下聖堂の一幕を振り返ったダニエルが、落ち着きなくそわそわし始める。


(確かに……。エリンは、変わったのかもしれない)


 じわじわと歓喜がこみ上げてきた。

 守るべき相手に守られた情けなさよりも、彼女に対するいじらしさが勝った。


 改めて思い起こせば、息苦しくなるほどの愛おしさが溢れてくる。


 望んでいた変化であったが、いつどこで、なにをきっかけに変わったのか。

 

 ダニエルにはさっぱり分からなかった。

 嬉しいはずなのに、戸惑いの方が大きく、くすぐったくなる腹を捩りたくなった。


(そうだ。さっき、迎えに行った時からして違ったじゃないか)


 屋敷にてドレスを選んだ際は、似合っていると告げても口を尖らせて不満をあらわにしたエリンが、嬉しいと答えていた。


「あっ、ああぁ……、どうする。どうしたらいい」


 視線を左右上下に動かし、ダニエルが呟く。

 外聞関係なく悶え始める。


 その時、扉が開く微かな音がした。


「長らく待たせて、申し訳なかったね」


 王冠とマントを外し、着替えを済ませた陛下が現れた。


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