四章:二十六話:3
「ゆっくりした曲だというし、気楽にいこう」
「はい」
物憂げに答えるエリンがダニエルに促され、進む。
階段の手すりを頼りに螺旋階段を下り始めた。
急な角度なうえに、ステップも狭い。かつ、身体を捻って下ることになる螺旋階段は、下から見るには見栄えは良いが、ヒールのある靴を履いて下るには少々辛い。
笑顔を忘れないようにと心がけていても、怖くて頬が引きつりそうになる。
さらに周囲から向けられる視線も、刺すように痛い。
針の筵と思いながら、一歩ごと確かめ確かめエリンは螺旋階段を降り切った。
ホールに立つ。
タイミングよく終曲し、ホール中央で踊っていた男女が退いていくなか、エリンはダニエルに導かれホールの真ん中に向かう。中央に立ち、ダニエルと向き合った。
(ここ、太合様が膝をついていたところよね……)
会場全体を包む和やかな歓迎ムードとは裏腹に、足底に悪寒がぴたりと張り付いた。
ダニエルの腕に手をかけたエリンが顔をあげた。
楽団の演奏が始まる。
滑るように踏み出したダニエルに合わせて、ステップを踏む。
周囲の男女もゆったりと動き出す。
寄り添えば、互いの心音が重なり合う。
ぬくもりが交わる。
音楽の拍子より早い鼓動に耳を澄ました。
滑らかな音楽が場の陰鬱さを雪ぎ落とす。
周囲の雰囲気は何事もなかったかのように第一王子の生還を喜んでいる風にすり替わっていた。
ダニエルも終始口元に微笑を浮かべ、貴族たちと同様に繕っていた。
さすが元第一王子と褒めるべきかとエリンは漫ろに思う。
笑うべきだと頭では分かっているには分かっていたが、気を抜くと心が遠きそうであった。
自分事ではないというのに、なぜこんなにも落ち込むのか、分からないまま躍る。
まるで笑顔を貼り付けた木偶人形がステップを踏んでいるかのように感じた。
添える手も、添えられる手も温かく、寄り添えば優しい気持ちに包まれる、そんな場面であるはずなのに、黒い怨念が足先に絡みつき、沼地に沈むような感覚にとらわれた。
ダニエルのリードでくるりと回る。
目に見える世界が鮮やかで華やかであればあるほど、足裏が重くなる。
(ダニエル様が選んでくれた奇麗なドレスを着て、三拍子の曲に合わせて踊るなんて、本当は夢のようなことなのに……)
夢ならば冷めないでほしいと願うような場面にあるにもかかわらず、重苦しさがまとわりつく。
母親を断罪してなお、飄々としている陛下や、何事もなかったかのように談笑を交わす貴族たちを、生粋の貴族ではないエリンはどこか受け入れ切れずにいた。
(ダニエル様が太合様の弾劾を望むなら理解できるとしても、なんで陛下が。実の母を……)
ダニエルに合わせて、滑るように足を動かす。
一歩踏むごとに、足首に怨嗟が巻きついてくる錯覚に囚われ、エリンは視線を落とした。
優雅な調べを白々しく感じながら、後味の悪さばかりが尾を引く。
囚われるあまり、ステップがワンテンポ遅くなる。
足がもつれた。
よろめきそうになり、足先でたんたんと足踏みする。
なんとか踏ん張ったものの、転びそうになり、ひやっとしたところでダニエルの手がエリンの腰を支えた。
寄り添うダニエルが一層近くなり、肩に頬が振れる。
変な声が出かかり、奥歯を噛んだ。
猫のように飛び退きそうになる。
耐え忍べば、肌が粟立つ。
ダニエルの脈打つ心音が耳に痛い。
互いの鼓動が重なり合う。
三拍子の曲調にシンバルのような心音が重なって、エリンは眩暈を覚えた。
音楽は続き、ダンスも続く。
流れるままに身を任せる。
太合の件も、陛下の件も、なにもかも。
エリンからしてみれば他人事だ。
腑に落ちないとしても、良いや悪いを断じる立場にはない。
(ダニエル様がなにも言わないのに、私が口を出すのも変なのよね)
温もりに寄り添う。
落ち着けば、互いの鼓動が太鼓のように打ち鳴って、優しい音楽をかき消さんばかりであった。
(私だけじゃないのね……)
おかしみを覚え、エリンは口元を綻ばせる。
(ダニエル様の方が思うところはあるはずなのよね。こんなところでは訊けないけど、機会があれば……)
訊いてみようとエリンは思った。
終曲する。ダニエルから一歩離れ一礼する。翻る。ダニエルとともにエリンはホール中央を辞した。
カップルが入れ替わり、新たなダンスが始まろうとしていた。
やっと終わったとエリンが胸をなでおろす。
その途端、踵に痛みが走った。
目元を歪め、視線を落とす。
片方の踵がひりひりじんじんと疼き始めた。
ヒールの高い靴を履き、ぶつけ本番のダンスもこなしたためだろう。
片足の違和感により、先を歩くダニエルから半歩遅れてしまった。
一歩分距離が開いたところで、ダニエルが振り向いた。
「どうした」
「すいません。足が……」
呟くと、察したダニエルが周囲を見わたす。
壁際の長椅子では夫人たちが談笑していた。
幾つかある椅子のうち一か所空きがあった。
「座ろう」
貴族たちがホール中央に目を向けるなかで、二人は壁際の長椅子に向かって歩き始めた。
エリンの歩調で進み、空いた長椅子にたどり着く。
「疲れたか」
「それなりに……」
大丈夫と言いたいところだが、座るなりどっと疲れが噴出してきた。
座っていたいという本音が、我慢して笑うエリンの顔にありありと現れる。
「ここで待てるか。早々に屋敷に帰りたいとベイジルと話してこよう」
「座るとだめですね、動くのが億劫になります」
「今日一日を思えば当然だ。忍びないが、ここで待っていてくれ。決して動かないように」
「子どもではないですから。一人で待つぐらいなんてこともありませんよ」
「早めに戻る」
背を向けたダニエルが、太合が連れ出されていった扉から速足で出ていく。
見送ったエリンは、ひっそりとため息をついた。
(すごすぎて、頭が痛いわ……)
振り返ってみても、眩暈を覚えるばかりである。
痛む踵を靴から浮かした。前かがみになり、スカート内に手を伸ばす。ふくらはぎを摩った。
(色々ありすぎよ……)
擦り切れるほど使った頭も、半日動き回った体も重たい。朝から今まで、何をしてきたのか。分からなくなるほど、長い一日だった。
ダニエルの屋敷を出た朝が、まるで数日、いや数か月、それ以上もっと昔の事のように感じてくる。
(私、なにを思って、ダニエル様の屋敷を出たんだっけ……)
使用人としてあり続けようと気張っていた記憶がやけに遠く感じられた。




