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四章:二十六話:2

 太合と騎士がホールから退場し扉が閉まる。ホール中央を空けるように等間隔で立っていた騎士たちもいつの間にか消えていた。


「皆の者」


 錫杖をおろした陛下が穏やかな一声を放つ。

 ホールに集う貴族たちが顔をあげた。


「貴君らはすでに分かっているだろう。ここにボネヴィル公爵がいないことを」


 瞼を失ったかのように目を丸くする貴族たちの視線が、太合を弾劾した陛下に注がれる。値踏みしているのか、恐れているのか、まるで群れで泳ぐ魚のような瞳が並ぶ。


「母の暴挙を見過ごした咎を真摯に受け止めた公爵により、しばし公務の自粛をとの申し出を受け、私はこれを受諾(じゅだく)した」


 ざわりと貴族、とりわけ当主たちがざわめきだす。


「公爵家といえども、元は一貴族。我が王政において、貴君らとなんら変わることはない。今後、不義不正あれば、家格に寄らず、公明正大に対処していく所存である」


 宣誓した陛下が一歩引き、錫杖をもってダニエルを指し示す。

 貴族たちの視線がダニエルに向く。貴族のなかには、伯爵もいれば、夫人もアメリアもいる。咄嗟にエリンはダニエルの腕に隠れた。


「我が兄たる聖騎士ダニエルが北に東に残した功績を称え、勲章を授与するとともに、王族としての復権をここに宣言する」


 冷え切ったホールに向け、陛下が錫杖をふるう。

 楽団が音楽を奏で始めれば、場の空気が和んでいく。

 柔らかな音楽に乗せて、どこからともなく拍手が湧き始めた。

 貴族たちは笑みを浮かべ、ダニエルを称えている。

 まるで太合の弾劾などなかったかのような雰囲気だ。


 公爵家の影響力が削がれた安心感からか、新たな施政者にすり寄るためか。

 エリンに判別はできなかった。


 溢れんばかりの拍手が続く。


(この賛辞だって表面的なものよ。彼らには先祖伝来の領地や、地位があって。そういうものを守ることが大事なことなんだから)


 どんな賛辞も真に受けることはできない。本心だってどこにあるか分からない。


(怖いな……)


 足がすくむ。膝が微かに震えてきた。深呼吸を一つ。


(ダニエル様は言っていたわ。笑顔は鉄壁の盾になる、と……)


 もう一度、深く息を吸う。


(鏡の前で誓ったでしょ。せめてダニエル様の隣に立った時には小奇麗な花でありたい、って)


 ダニエルの隣に立つのだ。その正体は行方不明と言われた第一王子。家格の高い貴族の殿方に見初められたいと望んでいたアメリアなら、喉から手が出るほど欲しがりそうな立場である。


(でも、ここに立つことは、夢みるほど楽なことじゃない)


 母を殺され。父を殺され。二人を殺した者を母とする弟の隣に立つのだ。ダニエルが悩まなかったとは思えない。

 エリンはダニエルの腕をつかむ力を緩める。


(頼るだけではダメよ。この人の隣に立つなら、立ちたいなら……)


 伏目し、長く息を吐く。

 顔をあげる。

 階下に望む貴族たち。そこには伯爵家の面々もいる。


(鏡の前に立った時を思い出して)


 エリンは精一杯微笑んだ。

 エリンが添える手の甲をダニエルの指先が撫でた。武骨な節々が印象的な手は、いくつもの傷痕が刻まれている。


(ダニエル様も決して楽な道程を歩んできた方ではない)


 功績の裏には、苦難もあれば、努力もあっただろう。

 当たり前と言えば当たり前のことであるが、改めてエリンは噛みしめる。


 顔をあげたエリンとダニエルが視線を交える。


 深い緑の瞳がもたらす慈悲にふれて、エリンは笑みを深めた。

 ダニエルもまた愛おしむように口元を綻ばせる。


 二人同時に、前を向く。


 会場中の注目がエリンとダニエルに注がれていた。

 貴族たちの視線に晒されても、笑顔を絶やすことなくエリンは胸を張った。


 本来の進行に戻った会場は、つつがなくダニエルへの祝辞、勲章授与、王族としての復権の宣言、婚約の発表まで淡々粛々と行われた。表面的には、貴族一同、第一王子の帰還を喜んでいる風であり、歓喜と喝采の花吹雪が見えるかのようであった。


 立っているだけがやっとのエリンからすれば、進行に耳を傾けるどころではなかったが、なんとか踏ん張って、その場を乗り切ったのだった。


 和やかな空気のなか式事は終了し、歓談の声がちらほらと上り始める。

 ダンスの始まりが告げられ、楽団が軽やかな曲を奏で始めた。


 エリンたち三人は階下から見えない位置にそっと後退した。

 陛下とダニエルが向き合い、話し出す。


「私は一度奥に引っ込んで着替えてくるよ」

「なら、俺たちもそろそろ……」


 言いかけたダニエルに、平手を向けて陛下が制する。


「まだ駄目だよ。ダニエルは主賓なんだから。一度はホールに出てダンスや挨拶をしないとね。エリンさんも一緒に」


 思いもよらない提案にエリンはぎょっとした。


「陛下。私、踊れません」

「まったく?」

「いえ……。たぶん……、ゆっくりなら。なんとか」


 アメリアから一通り教わったとはいえ、初歩も初歩、一番簡単なステップしかエリンは覚えていなかった。


「俺もながらくご無沙汰だしな……」


 ダニエルも懸念を示す。

 陛下が近くに侍る者に声をかけた。「次の曲は、もっとゆっくりとした、短めの曲に切り替えるように」と指示を出す。踊れないという意図を汲み取ってくれるかと思いきや、そうは都合よくいかないようだ。


 ダニエルがエリンに目配せし、肩を竦めた。

 仕方ないとエリンも腹をくくる。


「少し場を離れる。ダニエル、また後程」


 陛下が奥へと歩き始めた。

 カーテンの向こう側へ王冠を外しながら消えていく姿を、エリンは目で追う。

 陛下の背は、母親を断じた後とは思えないほど落ち着いていた。


 見送るエリンの胸に侘しい風が吹き抜ける。


 母を裁く。

 身に置き換えれば、これほど悲しいことはないような気がした。



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