幸せになれる薬(お題:薬/著者:ゆりいか)
ある国で『フェリキタス』という、幸せになれる薬が発明されました。ギリシャ語で『幸福』を意味します。
その薬は従来の麻薬などに使われる覚醒作用もなく、依存性も身体への害もない、完成されたお薬でした。
一定の量を飲めば、すぐに多幸感で溢れ、バッドトリップのような副作用もない。
「この薬は人類への救済のためにあります」
フェリキタスを開発した製薬会社はそう断言しました。
完成当初の法律では、その薬は危険なものが使用されておらず、麻薬とは言えません。
それなのに、従来の麻薬以上の真なる幸福感を味わえるフェリキタスは非常に革命的で、世界中で愛飲者が増えました。
「みんな、こんな薬を飲んでちゃだめだ! 幸せになれるわけがない!」
薬さえ飲めば幸せを得られるようになってしまった世界で、人は幸福とはなにかという問題に当てはまりました。
例えば、人と付き合うとか、美味しいものを食べるとか、欲しいものを手に入れるとか。従来の幸せは、何らかの対価や不幸があってこそ、幸せを得られるものだったのでしょう。
しかし、フェリキタスさえ飲めば、簡単に多幸感で溢れ、世の中の苦痛から解放されるのです。
「幸せでいればそれでいいや……」
ただ、幸せを求めるがあまり、人は苦痛から逃げるようになってしまいました。
みんな働くことをやめてしまい、社会はまったく機能しなくなり。でも、フェリキタスさえ飲んでいれば幸せです。
そうなると、残っているのはフェリキタスを飲まない不幸な人たちでした。
『苦しみのない世界を目指して、1日1錠! フェリキタス!』
ありとあらゆるところで立て掛けられたフェリキタスの看板は民衆にそう訴えかけます。
けど、ある人はこう唱えるのです。
「苦しいことが人生だ。幸せは自分で作ることが一番いいんだよ」
この言葉は確かに正しいのかもしれません。そういう人たちが、今の世の中を回しているのですから。
ですが、どんどん幸せを求めてフェリキタスを愛飲する人たちは増えていきました。生きていることが辛いからです。
辛い辛いといいながらも生きているのが偉いのか、幸福を噛み締められながら生きられるのが偉いのか。
フェリキタスは今もなお増産され、この世の中に幸せを与え続けていきます。




