シュレディンガーの世界と時間論(お題:シュレディンガーの猫/著者:小鳥遊賢斗)
『シュレディンガーの猫』という思考実験をご存じだろうか。
「1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子」があるとする。
それに加えて、「猫」と「原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置」を一緒に用意し、箱の中に入れる。
放射性原子が崩壊し、猫が死んだかどうかは、箱を開けてみるまで分からない。
原子というものは非常に小さいもので、量子力学という、ミクロな世界の物質の振る舞いを研究する学問の範疇である。
量子力学では、「重なり合った状態」というものがあり、50%の確率で存在し、残りの50%の確率で存在していないということが起こりうる。
つまり、量子力学的に考えると、「猫が死んでいる状態」と「猫が生きている状態」が50%で重なり合うことになる。
これに対する納得のいく説明は、未だ発見されていない。
しかし、これに対する回答として、「多世界解釈」というものが存在する。
これは、「量子の運動を観測する度に、確率が収束し、世界が分岐する」というものであり、様々なSFに取り上げられている。
その中でも有名なものが、”Stens;Gate”であろう。
この作品の世界では、「世界線」というものが存在する。
これは時間が未来へと流れていき、世界が分岐する際に、通りうる「世界が歩むルート」のようなものだと考えていい。
主人公は「幼馴染が死んでしまう」という運命に逆らう為に何度もタイムリープを繰り返すが、「世界線の収束」というものに巻き込まれ、何度も幼馴染の死を体験する。
もしこのようなものが実際にあったとしたら、それは運命という、神の作り出した法則の証明だと本気で考えると思う。
また、時間の話になると僕が考えるのが、「人によって流れる時間の速さが違うとはどういうことか」という問題である。
ここから僕の稚拙な持論である。時間について扱う最重要理論、相対性理論については触れない。
どうやら、「新しく入る情報」が多ければ多いほど、人は時間を長く感じるものらしい。
普通時間を考える時、一次元的な直線を点が進んでいる図で表すことが多いが、これが二次元的なものだとしたらどうだろう。
つまり、上から見たら直線であるものが、横から見たらジグザグの曲線になっているというものである。
我々は、その曲線を上からしか認識していない。なので、「時間は直線である」と認識している。
しかし、横から見たらどうだろう。上から見ると同じ速さでしか流れていないのに、横から見ると曲線の曲がり具合でスピードが違ってくる。ジグザグであればあるほど、上から見た時間に比べて、横から見た時間は通る距離が長い。つまり、より多くの時間を経験していることになる。
これは、時間が川の流れのようだと考えると、説明がつかない。
ちなみに、これに世界線を書き加えると、時間は3次元化する。
時間は、少なくとも一次元的なものではないのかもしれない。
ここまで色々と考えてみたが、多世界や時間についての話については、まだまだ専門家による議論の余地が数多く残されているような気がしてならない。




