月下の夜(お題:シュレディンガーの猫/著者:髭虎)
「こんにちは、殺人鬼さん?」
「はて、何のことでしょう」
笑い合う男が二人。
それを見守る月が二つ。
穏やかに偽装した緊張のなか、挨拶をした小柄な男が言う。
「今日の月は、綺麗ですね」
「そうですかね? 強いて言うなら不気味な夜だと思いますよ」
夜の帳が落ちきった都に彼ら以外の人影はない。まぁ、それも当然だろう。最近は残虐な無差別連続殺人事件が世間を騒がせているのだから。
だからきっと、助けを呼ぶ悲鳴は誰の耳にも聞き届けられない。
殺人鬼と呼ばれた長身の男は、両腕を抱え込んで肩を震わせる。
「私なんて怖くて怖くて、早く家に帰りたいと思うくらいに」
「ははは、何かと物騒ですからね最近は。私も――」
そこで言葉を区切り、小柄な方の男は月を見上げた。
口元を三日月のように歪ませて。
「妻が殺されて無ければ、そうしていたかもしれません」
「……」
「待ってましたよ。貴方に会える日を。心の底から、狂おしいほどに。ね?」
憎悪と義憤が燃える瞳は、どういうわけか闇の中でギラギラと輝いて見える。
歪みきったそんな表情のまま、至極穏やかな声で小柄な男がまた言葉を続けた。
「私は確実に貴方が犯人だと考えてるのですが、やはり観測しなければ結果は分からない。シュレディンガーの猫ってやつです」
「……シュレディンガーの猫の本論はそこではないですけどね」
「ははは、浅学を晒したようでお恥ずかしい。まぁ。どうでもいいじゃないですか、伝われば」
小柄な男が右手を持ち上げた。
その手の指。指と指の間に握られる小さな木の棒。それぞれに細い糸が巻き付いている。
驚きを顕にする長身の男。
月明かりを受けて銀色の輝きを放つそれは、その先が視線で辿れないほどに細く、鋭い。
「私は、殺人鬼では無いですよ?」
「そうですか。ところでどうして――」
長身の男が動く。
いつものように。いつもどおり。何回も繰り返した動作で、隠し持ったナイフを引き抜き。
「私の妻の匂いがするんですか?」
放つ前に、糸が巻き取られ、男の足が地を離れる。
両手を上げて、磔のように宙吊りになった男。
手のひらを握りしめ、狂ったように笑い声を上げる男。
そんな彼らを月だけが眺めていた。
「さぁ、さぁ――妻に詫ながら死んでくれよ?」
夜が明けて、日が昇り、新聞にはまたこう書かれる。
『新たな被害者。宙吊りにされた男。連続殺人は続く』




