第六話「幼馴染の記憶」
第六話「幼馴染の記憶」
クロード=エルヴィンが、アメリアのことを初めて意識したのは、八歳の春だった。
王宮の庭で、父である国王の主催する茶会があった。貴族の子女が何人か招かれていて、クロードはその端の方でひとり、つまらなそうに座っていた。王太子という立場が、子供心にも居心地悪かった。誰もが過剰に気を遣うか、あるいは媚びを売るかのどちらかで、対等に話せる相手がいなかった。
そこへ、ひとりの少女が近づいてきた。
淡い金色の髪を二つに結んで、灰青の瞳をまっすぐこちらに向けていた。同い年くらいだった。
「退屈そうですね」
少女は開口一番、そう言った。王太子に向かって、敬語もなく。
クロードは少し驚いて、それから思わず笑った。
「そんなにわかるか」
「わかります。私も退屈なので」
少女はそう言って、クロードの隣に座った。許可も求めずに。
それがアメリア=ヴァルロワだった。
それからふたりは、茶会が終わるまでずっと話し続けた。王都の話、好きな本の話、嫌いな食べ物の話。アメリアはクロードが王太子であることを知っていたが、それを理由に態度を変えなかった。ただの同い年の子供として話してくれた。
帰り際、アメリアは立ち上がってドレスの裾を払いながら言った。
「また話しましょう、殿下」
「クロードでいい」
「……クロード」
アメリアが初めて名前を呼んだ瞬間、クロードは妙な感覚を覚えた。今思えば、あれが始まりだったのだと思う。
それから十年、ふたりは幼馴染として育った。
茶会があれば顔を合わせ、王宮の図書室で同じ本を読み、庭を歩きながら他愛もない話をした。アメリアはいつも率直で、クロードに媚びることも、必要以上に気を遣うこともなかった。それが心地よかった。王太子ではなく、ただのクロードとして接してくれる人が、この世界にはほとんどいなかったから。
気づいたのは、いつからだろう。
アメリアの笑顔を見るたびに、胸が締まる感覚があった。彼女が別の誰かと楽しそうに話しているのを見ると、なぜか落ち着かなかった。名前を呼ばれるだけで、一日が違う色になった気がした。
十六歳の頃には、もうはっきりわかっていた。
自分はアメリアのことが好きだ、と。
だが、言えなかった。
王太子妃の選定は、政治的な問題だった。クロード自身の意思だけで決められるものではない。隣国との外交関係、各家の勢力均衡、宮廷内の思惑——そういったものが複雑に絡み合って、王太子妃の候補は既に絞られていた。ヴァルロワ公爵家は格としては申し分ないが、当時の外交上の理由から、候補には挙がっていなかった。
だから黙っていた。
いつか状況が変わるかもしれない。そう思いながら、言葉を飲み込み続けた。
そしてアメリアが十八歳になった春、ベルナール=モンテとの婚約の話が来た。
知らせを聞いた夜、クロードは一人で執務室に籠もった。何もする気になれなかった。ただ、窓の外の夜空を眺めて、どうすべきか考え続けた。
止めることはできた。王太子という立場を使えば、横やりを入れることは不可能ではなかった。
でもそれは、アメリアの人生を自分の都合で動かすことになる。彼女が自分を選んでいないのに、力で引き留めることは——できなかった。
だから、会いに行った。
婚約発表の三日前、供も連れずにヴァルロワ邸を訪ねた。アメリアと二人で庭に出て、ただ一つだけ確かめた。
「婚約の話、本当か」
「本当です」
その答えを聞いて、クロードは全部を飲み込んだ。
幸せになれよ、とだけ言った。それ以上は言えなかった。声が掠れていたのが、自分でもわかった。アメリアは「はい」と答えた。顔を上げようとしたが、できなかった。彼女の表情が、笑っていたのか泣いていたのか、クロードには最後まで見えなかった。
それからの五年間は、遠くから見守るだけだった。
会いに行けなかった。既婚者に踏み込むことは、王太子として許されなかった。手紙も出せなかった。アメリアに余計な噂を立てたくなかった。
だから側近を通じて、モンテ侯爵家の様子だけを定期的に確認した。アメリアが元気でいるか。無理をしていないか。笑えているか。
報告はいつも、似たような内容だった。
奥方様は変わらず完璧に侯爵夫人を務めておられます、と。
その言葉が、クロードには痛かった。完璧に、という言葉が。アメリアらしくない、と思っていたから。子供の頃の彼女は、完璧な令嬢などではなく、もっと自由で、率直で、笑うときは声を上げて笑う子だったから。
そしてある朝、側近から知らせが来た。
奥方様が、夜明け前に屋敷を出られました、と。
クロードはその知らせを聞いた瞬間、五年間で初めて、迷わなかった。
白薔薇を用意して、手紙を書いた。たった一行だけ書いた。
待っていました、アメリア、と。
五年間、ずっと待っていた。アメリアが自分のために歩き出す日を。
その日が、ようやく来た。
第六話 了




