第2部・3話「マリアンヌの観察日記」
第2部・3話「マリアンヌの観察日記」
マリアンヌ=ドレイクは、自他ともに認める情報通だった。
社交界で何かが起きれば三日以内に把握し、誰かが何かを隠せば一週間以内に暴き、王宮で友人が溺愛されていれば即日目撃する。
最後のひとつは、本日初めて加わった項目だった。
王宮の庭園に呼ばれたのは、昼過ぎのことだった。
アメリアから「少し話したい」と文が来た。久しぶりにふたりでお茶でも、という話だったはずだ。
庭園の入り口でマリアンヌが見たのは、白薔薇の前に並んで立つアメリアとクロードだった。
クロードが何かを言い、アメリアが俯いた。
アメリアが何かを言い、クロードが笑った。
それを、マリアンヌは庭園の入り口で三十秒ほど眺めた。
「…………」
踵を返した。
侍女が慌てて追いかけてきた。
「マリアンヌ様、どちらへ」
「目にゴミが入った」
「え」
「王宮はゴミが多い」
結局、マリアンヌが庭園に足を踏み入れたのは、それから十分後だった。
その頃にはクロードの姿はなく、アメリアがひとりでティーカップを持って待っていた。
「遅かったわね」とアメリアが言った。
マリアンヌは一瞬、固まった。
声が、柔らかかった。侯爵夫人だった頃のアメリアの声ではなかった。もっと力の抜けた、昔に近い声。それがあまりにも自然だったから、マリアンヌは一拍遅れた。
「……ずいぶん、くつろいでいるのね」
「あなたが遅いから」
「十分よ、十分」
「三十分待ったわ」
「……庭園の外で色々あったの」
「ゴミ?」
「そう」
アメリアが小さく笑った。マリアンヌは椅子を引いて、勢いよく座った。
お茶を一口飲んでから、マリアンヌは観察を始めた。
アメリアは変わっていた。
変わった、というより、戻ってきた、の方が正確かもしれない。侯爵夫人として完璧に取り繕っていた頃のアメリアではなく、もっと昔の、十代の頃の、力の抜けたアメリアに少し近かった。
でも完全に同じでもなかった。
あの頃より、柔らかかった。何かを経て、もどってきた柔らかさ。
「何をじろじろ見ているの」
「観察」
「やめてほしいのだけれど」
「無理ね」とマリアンヌは言った。「親友の特権よ」
アメリアが小さく笑った。
そこだった。マリアンヌが一番変わったと思ったのは。笑い方が変わっていた。以前より少しだけ、早かった。笑うまでの間が、短くなっていた。
「殿下と、うまくいっているのね」
アメリアの手が、ティーカップの上で一瞬止まった。
「……うまくいっている、とは」
「朝食持ってきたり、廊下をうろうろしたり、庭園で並んで立ってたり」
「見ていたの」
「入り口から三十秒ほど」
「……それでゴミが」
「そう」
アメリアは俯いた。耳が少し赤かった。
マリアンヌは紅茶をすすった。勝利の味がした。
「笑えばいいじゃない」
マリアンヌは言った。
「笑っていないわけでは」
「もっと」
アメリアが顔を上げた。
「五年間、あなたが笑うところ、私ほとんど見ていないのよ」とマリアンヌは続けた。毒舌家にしては、珍しく静かな声だった。「社交界で微笑むのは見た。でもあれは笑顔じゃなかった」
「マリアンヌ」
「殿下の前では笑えるんでしょう」
アメリアは少し間を置いた。
「……笑えます」
「じゃあ私の前でも笑いなさい。親友なんだから」
アメリアがまた笑った。今度は少し困ったような、でも温かい笑い方で。
「……マリアンヌは、昔から変わらないわね」
「褒めてる?」
「褒めています」
「敬語が戻ってる」
「あなたといると安心するから」
マリアンヌは黙った。
三秒ほど黙ってから、勢いよくカップを置いた。
「目にゴミが入った」
「また?」
「王宮にはゴミが多いの」
アメリアが声を出して笑った。
マリアンヌはそっぽを向いたまま、口元が緩むのを必死に抑えた。
抑えきれなかった。
お茶の終わり頃、マリアンヌはふと思い出したように言った。
「そういえば、モンテ侯爵家の話、聞いた?」
「聞いていないわ」
「最近、主要取引先が三件、契約を打ち切ったらしいわよ。理由は公表されていないけれど」
アメリアは静かに紅茶を飲んだ。
「そう」
「それだけ?」
「それだけ」
マリアンヌはアメリアを見た。動揺も、憐れみも、怒りもなかった。ただ静かだった。
それが答えだと、マリアンヌには分かった。
アメリアはもう、あちらを向いていない。
「……ま、当然の報いね」
「そうね」
「ざまあ」
「マリアンヌ」
「言いたかっただけ」
アメリアが苦笑した。マリアンヌは満足した。
帰り際、庭園の出口でまたクロードとすれ違った。
クロードはアメリアを見つけた瞬間、表情がほどけた。アメリアも、少しだけ口元が緩んだ。
ふたりは何か短い言葉を交わした。マリアンヌには聞こえなかった。
「…………」
マリアンヌは前を向いて歩いた。
侍女がそっと声をかけてきた。
「マリアンヌ様、目が」
「ゴミよ」
「でも今日だけで何回も」
「王宮にはゴミが多いの」とマリアンヌは言った。「それだけよ」
それだけ言って、足早に歩いた。
アメリアが幸せそうだった。
それだけで、十分だった。




