第二十二話「ベルナールの懇願」
第二十二話「ベルナールの懇願」
十月になった。
秋が深まる中、モンテ侯爵家への招待はさらに減り続けていた。財政の綻びも、もう隠しようがなかった。ベルナールは毎日、執務室で書類の山と向き合いながら、出口の見えない状況を抱えていた。
そんなある日、ベルナールはヴァルロワ公爵邸に使者を送った。
アメリアに、会いたいと。
返事は翌日来た。簡潔だった。
「一度だけ、お会いします。——アメリア」
場所はヴァルロワ公爵邸の応接室だった。ベルナールが指定できる立場ではなかった。
当日、ベルナールは時間より少し早く着いた。応接室に通されて、待った。
扉が開いて、アメリアが入ってきた。クロードには事前に話してあった。止めはしなかった。ただ「終わったら教えてくれ」とだけ言っていた。
深い緑のドレスを纏っていた。髪は緩くまとめて、表情は穏やかだった。侯爵夫人だった頃の、隙のない完璧な雰囲気とは違った。柔らかく、でも芯のある佇まいだった。
ベルナールは思わず、立ち上がった。
「アメリア」
アメリアは軽く頷いた。向かいのソファに腰を下ろした。ベルナールも座った。
侍女がお茶を持ってきて、下がった。
しばらく、沈黙が続いた。
ベルナールは言葉を探していた。何度も考えてきたはずなのに、いざアメリアを目の前にすると、言葉が出てこなかった。
「……来てくれてありがとう」
「一度だけと申しました。用件をどうぞ」
アメリアの声は穏やかだったが、はっきりしていた。遠回しな話を聞くつもりはない、という意志が、静かに伝わってきた。
ベルナールは少し息を吐いた。
「謝りたかった」
「……」
「五年間、お前に何もしてやれなかった。何も見ていなかった。それを——謝りたかった」
アメリアはしばらく黙っていた。
ベルナールを見ていた。その目は、怒ってもなく、悲しんでもなく、ただ静かだった。
「他には」
アメリアが静かに聞いた。
ベルナールは少し間を置いた。
「……戻ってきてほしい、とは言わない。もうそんな権利はないとわかっている」
「そうですね」
「ただ——侯爵家が、今、厳しい状況にある。お前が築いてくれた縁が、お前がいなくなってから、一つ一つ消えていった。今更だとわかっている。でも——」
「ベルナール様」
アメリアが、静かに遮った。
ベルナールは口を閉じた。
「侯爵家のことは、私には関係のないことです」
「……そうだな」
「離縁して、もう他人です。侯爵家の縁がどうなろうと、私にはどうにもできません。できたとしても、する理由がありません」
ベルナールは何も言えなかった。わかっていた。そうだと、最初からわかっていた。
「謝罪については——聞きました」
アメリアは続けた。
「受け取るかどうかは、私が決めることです。今日すぐに答えを出すつもりはありません」
「……わかった」
「ただ——一つだけ、聞いてもいいですか」
「何でも」
アメリアは、まっすぐにベルナールを見た。
「五年間で、私のことを考えたことは——ありましたか」
ベルナールは、すぐには答えられなかった。
考えたことがあったか。
正直に言えば——なかった。アメリアが何を思っているか、何を感じているか、何が嫌だったか、何が欲しかったか。一度も、考えたことがなかった。あって当然の存在だと思っていたから。
「……なかった」
ベルナールは正直に答えた。
アメリアは少し目を伏せた。それから、静かに頷いた。
「そうですか。正直に言ってくださって、ありがとうございます」
「……それだけか」
「それだけです」
アメリアは立ち上がった。
「お時間をいただきありがとうございました。どうぞお気をつけて」
扉に向かうアメリアの背中を、ベルナールは黙って見ていた。
扉が開く直前、アメリアが少しだけ振り返った。
「ベルナール様」
「何だ」
「侯爵家のことは、ご自身でどうにかなさってください。あなたにはその力があるはずです」
それだけ言って、アメリアは扉を閉めた。
応接室に一人残されたベルナールは、しばらく動けなかった。
怒鳴られるかと思っていた。泣かれるかと思っていた。でもアメリアはどちらでもなかった。ただ静かに、全てを受け取って、全てを返した。
最後まで、あの人はあの人だった。
ベルナールは、長い息を吐いた。
胸の中に、重いものと軽いものが、同時にあった。
謝れた。それだけは、できた。
それ以上を望む権利は、もう自分にはなかった。
第二十二話 了




