表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/19

第十八話「イザベルの誤算」

第十八話「イザベルの誤算」


 イザベル=モンテは、侯爵夫人になってから三ヶ月が経った今も、何かが違うと感じていた。



 思い描いていた生活と、現実が、どこかずれていた。



 侯爵夫人になれば、華やかな毎日が待っていると思っていた。夜会に招かれ、茶会に呼ばれ、社交界の中心に立てると思っていた。ベルナールの隣で笑っていれば、全部うまくいくと思っていた。



 だが現実は、違った。



 まず、屋敷の管理が想像以上に大変だった。



 使用人への指示、献立の調整、来客の対応、季節ごとの行事の準備——何もかもが、イザベルには初めてのことだった。男爵令嬢として育った実家とは、規模が全く違った。何をどうすればいいかわからなくて、侍女頭のエレナに聞いても、エレナはいつも困ったような顔をしていた。



 エレナが何かにつけ「奥様は——」と言いかけて止まるのも、イザベルには気になっていた。



 奥様、というのは、アメリアのことだ。



 アメリアがどれほど完璧に屋敷を管理していたか、来てみて初めてわかった。庭の手入れの指示書が細かく残っていた。季節ごとの献立の記録があった。来客ごとの好みや注意事項が、きちんとまとめられていた。



 それを見たとき、イザベルは少し、胸が苦しくなった。



 社交も、思うようにいかなかった。



 茶会に出れば、誰もがアメリアの話をした。直接的には言わないが、「前の奥方様は」という空気が漂っていた。イザベルが何かをすると、無言のうちに比べられている気がした。



 そして先週の夜会で、やってしまった。



 ベルトラン侯爵夫人に、うっかり年齢のことを口にしてしまった。悪意はなかった。ただ、場の雰囲気を和ませようと思って言った言葉が、まずかった。夫人の顔が一瞬で凍りついて、その場が静まり返ったとき、イザベルは自分が何をしてしまったかを悟った。



 帰りの馬車の中で、ベルナールは何も言わなかった。



 黙っていた。その沈黙が、何より怖かった。



 屋敷に戻ってからも、ベルナールは執務室に入ったまま出てこなかった。イザベルは自室で一人、天井を見つめていた。



 ベルナールが、最近おかしかった。



 イザベルのそばにいるときも、どこか上の空だった。話しかけても、短い返事しか返ってこない。あの夜会でアメリアと王太子殿下が踊るのを見てから、ベルナールはずっとこうだった。



 イザベルは布団を抱えて、考えた。



 私は、何が欲しかったんだろう。



 侯爵夫人の肩書きが欲しかった。ベルナールが好きだった。でもその二つを手に入れたら——なぜか、どちらも思っていたものと違った。



 肩書きは重くて、ベルナールは遠かった。



 翌朝、イザベルは思い切ってベルナールの執務室を訪ねた。



「ベルナール様、少しよろしいですか」



「何だ」



 ベルナールは書類から顔を上げた。疲れているように見えた。



「昨夜のことは、申し訳ありませんでした。ベルトラン夫人へのご挨拶、改めてさせていただこうと思っています」



「……そうしてくれ」



「それから——最近、ベルナール様のご様子が、少し気になっていて」



 ベルナールは少し眉を動かした。



「何でもない」



「でも——」



「何でもないと言っている」



 イザベルは口を閉じた。



 ベルナールはすぐに書類に視線を戻した。イザベルはしばらく立っていたが、それ以上何も言えなくて、執務室を出た。



 廊下を歩きながら、イザベルは思った。



 アメリアは、この廊下を毎日歩いていたのだろう。この執務室の扉を、何度もノックしたのだろう。そしてきっと、同じように——扉が閉まったまま、廊下に一人で立っていたことが、あったのだろう。



 初めて、そう思った。



 アメリアの五年間が、どんなものだったか。



 イザベルは廊下の窓から、庭を見た。



 春に咲いていた薔薇は、夏の陽射しの中でまだ咲いていたが、手入れが行き届いていなかった。アメリアがいた頃の庭とは、明らかに違っていた。



 私には、あの庭を守れない。



 そう思ったとき、イザベルは初めて理解した。



 自分が手に入れたのは、侯爵夫人という肩書きだけだった。その中身は——アメリアが五年間かけて積み上げたもので、イザベルには到底埋められないものだった。



第十八話 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ