第十七話「マリアンヌの暗躍」
第十七話「マリアンヌの暗躍」
クロードがヴァルロワ公爵に正式な挨拶をしに来たのは、アメリアが答えを出した三日後のことだった。
父は深く頭を下げて、「娘をよろしくお願いします」と言った。エドワードは腕を組んで難しい顔をしていたが、最後には「アメリアが選んだなら」と頷いた。それがエドワードなりの、精一杯の祝福だとアメリアにはわかった。
王太子妃の正式な発表は、宮廷の手続きを経てからになる。それまでの間は、表向きはまだ何も決まっていない、という形だった。
だが社交界は、敏感だった。
クロードがアメリアの隣に立ち続け、父に挨拶に来たという話は、瞬く間に広まった。誰も口にはしなかったが、誰もが察していた。次の王太子妃が誰になるか、を。
そんなある日、マリアンヌからアメリアに手紙が届いた。
「今日の午後、うちに来られる?少し話があるの。——マリアンヌ」
アメリアはその手紙を読んで、首を傾けた。マリアンヌが「話がある」と言うときは、大抵、何か重要な情報を仕入れてきたときだ。
午後、ドレイク伯爵邸を訪ねると、マリアンヌは自室でアメリアを待っていた。扉が閉まるなり、扇をぱちんと閉じて言った。
「聞いて。モンテ侯爵家のこと」
「何があったんですか」
「色々と、動きがあってね。まずランベール公爵家が、正式に取引の規模を縮小したわ。それからシャルロワ伯爵家も」
「知っています。ベルナール様が困っているとは聞いていました」
「それだけじゃないの」
マリアンヌは少し声を落とした。
「モンテ侯爵家の財政、実はずっと前から厳しかったらしいのよ。あなたも薄々気づいていなかった?屋敷の規模の割に、使用人の数が少なかったでしょう」
アメリアは少し驚いた。
「……言われてみれば」
「あなたが嫁いできたときに持参した持参金で、かなり補填していたって話よ。ヴァルロワ公爵家の持参金は、相当な額だったでしょう。それがなくなった上に、あなたが繋いでいた人脈も消えて、今のモンテ侯爵家は四方八方から綻びが出ているらしいわ」
アメリアはしばらく黙った。
持参金のことは、知らなかった。自分が補填していたとは思っていなかった。でも——驚きはあったが、怒りはなかった。ただ、そうか、と思った。
「マリアンヌ、それをどこで」
「ふふ。私にはルートがあるの」
「怖いですよ、あなたは」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
マリアンヌは扇を開いて、口元を隠した。それから少し真顔になった。
「それでね、アメリア。もう一つある」
「何ですか」
「イザベル嬢——今のイザベル夫人か。彼女、最近また社交でやらかしたらしいの」
「やらかした、というのは」
「先週のフォンテーヌ伯爵夫人の夜会で、ベルトラン侯爵夫人に向かって、年齢のことを口にしてしまったらしくて」
アメリアは思わず、顔を顰めた。
「ベルトラン夫人に……」
「そう。社交界の重鎮に向かって。しかも悪意なく、本当に無自覚に言ってしまったみたいで——それが余計に質が悪いって、みんな言ってるわ」
「それは……」
「フォンテーヌ夫人も困り顔だったって。モンテ侯爵家への招待を今後どうするか、考えているらしいわ」
アメリアはしばらく黙っていた。
イザベルのことは、憎んでいなかった。でも——社交とは、長年かけて積み上げるものだ。一朝一夕で身につくものではない。アメリアも、公爵令嬢として幼い頃から叩き込まれてきた。それを知らずに侯爵夫人の座に座ることの難しさを、イザベルはまだわかっていないのだろう。
「マリアンヌ」
「何?」
「あなたは、これを私に何のために話しているんですか」
マリアンヌは少し目を細めた。
「別に。ただの情報共有よ」
「本当に?」
「……あなたが知っておいた方がいいと思っただけ。これからあなたは王太子妃になるんでしょう。社交界の動向は、把握しておいた方がいいじゃない」
アメリアは少し考えて、頷いた。
「そうですね。ありがとう、マリアンヌ」
「どういたしまして」
マリアンヌは扇を閉じて、少し笑った。
「それより——殿下に答えを出したって、本当?」
「……誰から聞いたんですか」
「エドワード様から」
「お兄様っ」
アメリアは思わず声を上げた。マリアンヌは楽しそうに笑った。
「おめでとう、アメリア。本当に、おめでとう」
その声は、いつもの毒舌とは違った。真っ直ぐな、心からの言葉だった。
アメリアは少し目が熱くなった。
「……ありがとう、マリアンヌ」
「泣かないでよ、もう」
「泣いていませんよ」
「目が赤いじゃない」
ふたりは顔を見合わせて、また笑った。
窓の外に、夏の午後の光が溢れていた。
社交界が動いている。モンテ侯爵家が綻び始めている。でも今この瞬間、アメリアにとって一番大切なのは——この部屋で、親友と笑っていることだった。
第十七話 了




