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第十三話「ベルナールの焦り」

第十三話「ベルナールの焦り」


 夜会の翌朝、ベルナールは執務室で一人、頭を抱えていた。



 昨夜見たものが、頭から離れなかった。



 アメリアが、クロード=エルヴィン王太子殿下の隣に立っていた。深い青のドレスを纏って、本物の笑顔で、王太子と踊っていた。五年間、一度も見たことのない顔で。



 侯爵夫人だった頃のアメリアは、いつも完璧だった。隙がなく、感情が見えず、まるで磨き上げられた宝石のようだった。美しいが、近寄りがたかった。



 昨夜のアメリアは、違った。



 笑顔が、柔らかかった。目が、生きていた。王太子と何かを話すたびに、表情が動いていた。あんな顔を、自分は一度も見たことがなかった。



 なぜだろう、とベルナールは思った。



 五年間、同じ屋敷に住んでいた。なのになぜ、あんな顔を一度も見られなかったのだろう。



 答えは、薄々わかっていた。でも認めたくなかった。



 扉がノックされた。



「旦那様、ドミニクでございます」



「入れ」



 ドミニクが入ってきた。手に書簡を持っていた。その顔が、いつもより険しかった。



「先ほど、ランベール公爵家より書簡が届きました」



「ランベール公爵家から?」



 ベルナールは眉を寄せた。ランベール公爵家は、モンテ侯爵家が長年取引をしてきた相手だ。アメリアが嫁いできた当初から、公爵夫人と親しくしていた。



「内容は」



「今後のお取引につきまして、改めてご相談したいとのことで……詳細はこちらに」



 ドミニクが書簡を差し出した。ベルナールは受け取って、目を通した。



 丁寧な文面だった。しかしその内容は、事実上の取引縮小の申し入れだった。これまで年間を通じて行っていた取引を、来季からは規模を半減させたい、というものだった。



 理由は書いていなかった。



「……他には」



「はい。シャルロワ伯爵家からも、同様の書簡が届いております」



「シャルロワ家まで」



 ベルナールは書簡を机に置いた。



 ランベール公爵家もシャルロワ伯爵家も、アメリアが侯爵夫人だった頃に築いた縁だった。アメリアがいなくなってから、じわじわと関係が冷えていくのを感じていたが、こうして書簡という形で突きつけられると、現実の重さが違った。



「昨夜の夜会で、殿下がアメリア様と踊られたことは……既に広まっているようでございます」



 ドミニクが、静かに付け加えた。



 ベルナールは何も言わなかった。



「各家が、今後の動向を見極めようとしているのかと存じます。ヴァルロワ公爵家と王家が、より深く繋がることになれば——モンテ侯爵家との関係を、見直す家が増えるかもしれません」



「わかっている」



 ベルナールは短く答えた。



 わかっていた。頭では、全部わかっていた。アメリアを失ったことで、モンテ侯爵家がどれほどの後ろ盾を失ったか。王家との縁が切れることが、どれほどの打撃になるか。



 全部わかっていた。



 それでも——昨夜頭から離れないのは、そういう打算的なことではなかった。



 アメリアの顔だった。



 王太子と踊るとき、あんなに楽しそうだった。あんなに自然に笑っていた。五年間、自分の隣では一度もしなかった顔で。



「ドミニク」



「はい」



「アメリアは……幸せそうだったか。昨夜」



 ドミニクは少し間を置いた。



「……はい。大変お幸せそうでございました」



 その答えが、ベルナールには刃のように刺さった。



 幸せそうだった。



 自分の隣を離れて、たった数週間で、あんなに幸せそうになった。五年間、自分はあの人に何も与えられなかったのだと——今更ながら、痛いほどわかった。



「下がっていい」



「はい。失礼いたします」



 ドミニクが出ていった。



 ベルナールは窓の外を見た。庭の薔薇が、風に揺れていた。



 手入れが、少し荒れていた。



 アメリアがいなくなってから、誰も細かく指示を出さなくなったのだろう。春の薔薇は咲いていたが、アメリアが管理していた頃の美しさには、遠く及ばなかった。



 ベルナールはしばらく、その庭を眺めていた。



 取り戻せるだろうか。



 アメリアを。失った縁を。壊してしまったものを。



 ——遅すぎる、という言葉が、頭の中で静かに響いた。



第十三話 了

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