第十一話「イザベルの挑発」
第十一話「イザベルの挑発」
王都に春が深まる頃、アメリアは少しずつ社交界への復帰を重ねていた。
茶会、小さな夜会、昼食会。最初は緊張していたが、回を重ねるうちに、仮面なしで立っていることへの怖さが薄れていった。完璧でなくてもいい。少しくらい笑顔が崩れても、言葉に詰まっても、それがアメリアだった。
そしてその日、アメリアはフォンテーヌ伯爵夫人主催の昼食会に出席した。
十五人ほどが集まる、こぢんまりとした会だった。マリアンヌも一緒だった。会場に入ったとき、アメリアはすぐに気づいた。
部屋の奥に、栗色の巻き毛の女がいた。離縁が成立してすぐに入籍したと、マリアンヌから聞いていた。
イザベル=モンテ。
かつてのアメリアの場所に、今は座っている女。
隣のマリアンヌが、扇で口元を隠しながら小声で囁いた。
「来るって聞いてなかったわ。どうする?」
「どうもしません。出席者のひとりですから」
アメリアは静かに答えて、そのまま会場を進んだ。
イザベルはアメリアに気づいた瞬間、一瞬だけ顔を強張らせた。それからすぐに、人懐っこい笑顔を作った。
昼食会が始まってしばらくは、特に何もなかった。アメリアは近くの夫人たちと穏やかに話し、食事を楽しんだ。イザベルは反対側のテーブルにいた。
事が起きたのは、食後のお茶の時間だった。
イザベルがアメリアの近くに移動してきた。自然な動きを装っていたが、明らかに意図的だった。周囲の会話が、わずかに静まった。
「アメリア様、お久しぶりですわ」
イザベルが、甘い声で言った。
「ええ、お久しぶりです」
アメリアは微笑んで答えた。侯爵夫人の微笑みではなく、ただ穏やかに。
「最近はよくお顔を見かけますわね。社交界にお戻りになったんですか」
「ええ、少しずつ」
「まあ。でも……離縁された後って、色々と大変でしょう?気持ちの整理とか、世間の目とか」
周囲がさらに静まった。
イザベルの言葉は、表面上は心配しているように聞こえた。だが、その目は違った。アメリアがどう反応するかを、品定めするように見ていた。
アメリアは一拍だけ間を置いた。
「おかげさまで、気持ちの整理はとうにできております。世間の目も——思ったより温かくて、ありがたいことです」
「まあ、それは良かった」
イザベルは少し眉を動かした。思った反応が返ってこなかったのだろう。それでも、続けた。
「でも、やはり寂しくはないですか。侯爵夫人という立場を失って。あの屋敷も、あの社交の場も、もう関係ないわけですから」
また周囲が息を呑んだ。
アメリアはイザベルを静かに見た。
五年前の自分なら、この言葉を飲み込んでいた。笑って受け流していた。でも今は違った。飲み込む必要がなかった。
「寂しくはないですよ」
アメリアは穏やかに、でもはっきりと答えた。
「侯爵夫人という立場は、確かに失いました。でも——私が本当に大切にしていたものは、ちゃんと手元にあります」
「それは……どういう意味ですか」
「人との縁、というものは、肩書きではなく人柄で繋がるものだと、今は思っています。そういう縁は、立場が変わっても切れないものですから」
イザベルは少し黙った。
アメリアはそれ以上何も言わなかった。ただ、静かに微笑んで、持っていたカップを口元に運んだ。
周囲がわずかにざわめいた。アメリアの答えが、イザベルへの静かな一撃だと、誰もが理解したから。
イザベルは「そうですわね」と短く言って、別の方向へ移動していった。その背中が、わずかに強張っていた。
マリアンヌが、扇の陰でそっとアメリアの腕を突いた。
「見事だったわ」
「何がですか」
「とぼけないの。あれで完璧に返したじゃない」
アメリアは小さく首を振った。
「返したつもりはないんです。ただ、本当のことを言っただけで」
「それが一番強いのよ」
マリアンヌはそう言って、満足そうにお茶を飲んだ。
アメリアは窓の外に目を向けた。
春の陽射しが、庭の花々を明るく照らしていた。
イザベルのことは、怖くなかった。憎くもなかった。ただ——あの女が手に入れたものの中身が、今どれほど空っぽになっているか、アメリアにはなんとなくわかった。
肩書きだけを手に入れて、中身を知らない人の末路を。
第十一話 了




