第十話「社交界への復帰」
第十話「社交界への復帰」
離縁が正式に成立したのは、アメリアが実家に戻って三週間後のことだった。
父から知らせを受けたとき、アメリアは不思議なほど穏やかだった。悲しくもなく、嬉しくもなく、ただ静かに、終わったのだと思った。五年間という時間が、きちんと区切られた感覚があった。
その翌週、マリアンヌから手紙が届いた。
内容は短かった。
「そろそろ顔を出しなさい。社交界があなたを待ち侘びているわよ。私も待ち侘びているわ。——マリアンヌ」
アメリアは手紙を読んで、小さく笑った。マリアンヌらしかった。心配していると一言も書かずに、ただ待っていると書く。それがこの親友の優しさだった。
社交界への復帰は、父とエドワードも勧めていた。いつまでも実家に籠もっているより、公爵令嬢として堂々と社交界に戻る方が、アメリアのためになると。
アメリアも、そう思っていた。
怖くないといえば嘘になった。五年間侯爵夫人として社交界に立っていたが、今度は違う立場で戻ることになる。離縁した女として、好奇の目にさらされることは目に見えていた。噂も立つだろう。陰口も聞こえるかもしれない。
それでも、逃げたくなかった。
復帰の場として選んだのは、ドレイク伯爵家主催の小さな茶会だった。マリアンヌの実家だ。大きな夜会ではなく、気心の知れた顔が集まる茶会から始めることにした。
当日、アメリアは淡い桜色のドレスを選んだ。
侯爵夫人の頃は、華やかすぎず地味すぎず、場に合った完璧な装いをいつも心がけていた。でも今日は、自分が好きな色を選んだ。桜色は、子供の頃から好きだった色だ。ベルナールに「地味だ」と言われてから、五年間一度も着なかった色だった。
鏡の前に立って、アメリアは少し驚いた。
悪くなかった。
いや——自分で言うのもおかしいが、よく似合っていた。侯爵夫人の仮面を外した顔で、好きな色のドレスを着た自分が、鏡の中にいた。
ドレイク伯爵邸に着くと、マリアンヌが玄関まで迎えに出てきた。
「遅い。もっと早く顔を見せなさいよ」
「三週間しか経っていませんよ」
「私には三ヶ月に感じたわ」
マリアンヌはそう言って、アメリアをぎゅっと抱きしめた。
アメリアは少し驚いて、それから静かに抱き返した。マリアンヌの肩が、わずかに震えていた。
「マリアンヌ」
「泣いてないわよ」
「泣いていますよ」
「泣いてない。目にゴミが入っただけ」
アメリアは笑った。マリアンヌも笑った。ふたりで笑いながら、少しだけ泣いた。
茶会の会場に入ると、十数人の視線がアメリアに集まった。
予想していたことだった。アメリアは微笑んで、静かに会場を見渡した。侯爵夫人の微笑みではなく、ただのアメリアの微笑みで。
最初に声をかけてきたのは、ベルトラン侯爵夫人だった。六十代の、社交界の重鎮と呼ばれる女性だ。
「アメリア様、お久しぶりですわ。お元気そうで何よりです」
「ありがとうございます、ベルトラン夫人。おかげさまで」
「色々と大変でございましたでしょう。でもあなたはよくやりましたわ。五年間、本当に立派でした」
アメリアは少し目を瞬かせた。慰めでも、同情でもなかった。ただ真っ直ぐな、労いの言葉だった。
「……ありがとうございます」
今度は、少し声が揺れた。
その後も、何人かが声をかけてきた。中には好奇心丸出しの探るような目をしている人もいたが、思ったより多くの人が、温かく迎えてくれた。
茶会の中盤、マリアンヌがアメリアの隣に滑り込んできた。扇で口元を隠しながら、小声で囁く。
「ねえ、知ってる?今日来ていない人たちの噂」
「何ですか」
「モンテ侯爵家、最近色々と大変らしいわよ。王宮の園遊会に呼ばれなかったとか、何件か会合が流れたとか」
アメリアは静かに聞いていた。
「それから——イザベル嬢、侯爵夫人になったのはいいけれど、社交がまるでできないらしくて。先日のお茶会で失言して、出席者を半分怒らせたって話よ」
「……そうですか」
「あなた、何か感じない?」
アメリアは少し考えた。
「感じますよ。でも——それより、今日ここに来られてよかったと思っています」
マリアンヌは少し目を細めた。
「変わったわね、あなた」
「そうですか」
「前のあなたは、そういうこと言わなかった。何を考えているかわからない人だったもの」
アメリアは少し考えて、答えた。
「……少しだけ、自分に戻れてきた気がします」
マリアンヌはそれを聞いて、扇をぱちんと閉じた。
「よかった。それが聞きたかったの」
窓の外に、夕暮れが近づいていた。
橙色に染まる空の下で、アメリアは思った。
社交界は、怖くなかった。
侯爵夫人の仮面がなくても、ただのアメリアとして、ここに立っていられた。それがわかっただけで、今日来た意味があった。
帰りの馬車の中で、アメリアは窓の外を眺めながら、小さく呟いた。
——次は、もう少し大きな場所でも大丈夫かもしれない。
第十話 了




