表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/12

第十話「社交界への復帰」

第十話「社交界への復帰」


 離縁が正式に成立したのは、アメリアが実家に戻って三週間後のことだった。



 父から知らせを受けたとき、アメリアは不思議なほど穏やかだった。悲しくもなく、嬉しくもなく、ただ静かに、終わったのだと思った。五年間という時間が、きちんと区切られた感覚があった。



 その翌週、マリアンヌから手紙が届いた。



 内容は短かった。



「そろそろ顔を出しなさい。社交界があなたを待ち侘びているわよ。私も待ち侘びているわ。——マリアンヌ」



 アメリアは手紙を読んで、小さく笑った。マリアンヌらしかった。心配していると一言も書かずに、ただ待っていると書く。それがこの親友の優しさだった。



 社交界への復帰は、父とエドワードも勧めていた。いつまでも実家に籠もっているより、公爵令嬢として堂々と社交界に戻る方が、アメリアのためになると。



 アメリアも、そう思っていた。



 怖くないといえば嘘になった。五年間侯爵夫人として社交界に立っていたが、今度は違う立場で戻ることになる。離縁した女として、好奇の目にさらされることは目に見えていた。噂も立つだろう。陰口も聞こえるかもしれない。



 それでも、逃げたくなかった。



 復帰の場として選んだのは、ドレイク伯爵家主催の小さな茶会だった。マリアンヌの実家だ。大きな夜会ではなく、気心の知れた顔が集まる茶会から始めることにした。



 当日、アメリアは淡い桜色のドレスを選んだ。



 侯爵夫人の頃は、華やかすぎず地味すぎず、場に合った完璧な装いをいつも心がけていた。でも今日は、自分が好きな色を選んだ。桜色は、子供の頃から好きだった色だ。ベルナールに「地味だ」と言われてから、五年間一度も着なかった色だった。



 鏡の前に立って、アメリアは少し驚いた。



 悪くなかった。



 いや——自分で言うのもおかしいが、よく似合っていた。侯爵夫人の仮面を外した顔で、好きな色のドレスを着た自分が、鏡の中にいた。



 ドレイク伯爵邸に着くと、マリアンヌが玄関まで迎えに出てきた。



「遅い。もっと早く顔を見せなさいよ」



「三週間しか経っていませんよ」



「私には三ヶ月に感じたわ」



 マリアンヌはそう言って、アメリアをぎゅっと抱きしめた。



 アメリアは少し驚いて、それから静かに抱き返した。マリアンヌの肩が、わずかに震えていた。



「マリアンヌ」



「泣いてないわよ」



「泣いていますよ」



「泣いてない。目にゴミが入っただけ」



 アメリアは笑った。マリアンヌも笑った。ふたりで笑いながら、少しだけ泣いた。



 茶会の会場に入ると、十数人の視線がアメリアに集まった。



 予想していたことだった。アメリアは微笑んで、静かに会場を見渡した。侯爵夫人の微笑みではなく、ただのアメリアの微笑みで。



 最初に声をかけてきたのは、ベルトラン侯爵夫人だった。六十代の、社交界の重鎮と呼ばれる女性だ。



「アメリア様、お久しぶりですわ。お元気そうで何よりです」



「ありがとうございます、ベルトラン夫人。おかげさまで」



「色々と大変でございましたでしょう。でもあなたはよくやりましたわ。五年間、本当に立派でした」



 アメリアは少し目を瞬かせた。慰めでも、同情でもなかった。ただ真っ直ぐな、労いの言葉だった。



「……ありがとうございます」



 今度は、少し声が揺れた。



 その後も、何人かが声をかけてきた。中には好奇心丸出しの探るような目をしている人もいたが、思ったより多くの人が、温かく迎えてくれた。



 茶会の中盤、マリアンヌがアメリアの隣に滑り込んできた。扇で口元を隠しながら、小声で囁く。



「ねえ、知ってる?今日来ていない人たちの噂」



「何ですか」



「モンテ侯爵家、最近色々と大変らしいわよ。王宮の園遊会に呼ばれなかったとか、何件か会合が流れたとか」



 アメリアは静かに聞いていた。



「それから——イザベル嬢、侯爵夫人になったのはいいけれど、社交がまるでできないらしくて。先日のお茶会で失言して、出席者を半分怒らせたって話よ」



「……そうですか」



「あなた、何か感じない?」



 アメリアは少し考えた。



「感じますよ。でも——それより、今日ここに来られてよかったと思っています」



 マリアンヌは少し目を細めた。



「変わったわね、あなた」



「そうですか」



「前のあなたは、そういうこと言わなかった。何を考えているかわからない人だったもの」



 アメリアは少し考えて、答えた。



「……少しだけ、自分に戻れてきた気がします」



 マリアンヌはそれを聞いて、扇をぱちんと閉じた。



「よかった。それが聞きたかったの」



 窓の外に、夕暮れが近づいていた。



 橙色に染まる空の下で、アメリアは思った。



 社交界は、怖くなかった。



 侯爵夫人の仮面がなくても、ただのアメリアとして、ここに立っていられた。それがわかっただけで、今日来た意味があった。



 帰りの馬車の中で、アメリアは窓の外を眺めながら、小さく呟いた。



 ——次は、もう少し大きな場所でも大丈夫かもしれない。



第十話 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ