10話 侍従武官と侍女、めでたしめでたし
セオドアとレイチェルの婚約式がとどこおりなく終了したその日。
深夜になるのを待って、レオはワインとグラスをふたつ持ち、王城の西側に向かった。
そこは古い遺構や工材が積まれている場所で、王城に勤める者なら一度は密会に使ったことのある場所だ。
マリーとの約束の時間よりまだ少し余裕がある。
レオは崩れたのか、それとも作りかけで放置されたのかわからない塀の上に腰かける。ワイン瓶とグラスも隣に置き、空を見上げた。
満天の星空だ。
王城の灯がほとんど落ちているのもいいのだろう。地上からの光源がないぶん、天の川まではっきりと見えた。
「レオ」
名を呼ばれ、顔を向ける。
王城へと続く小道に、ぽわりとした橙色の明かりが見えた。マリーだ。
部屋着の上にガウンをまとった彼女は、髪もひとつに束ねて左肩に垂らすというルーズなもの。
レオの視線に気づいたのだろう。あどけなく笑って軽く手を振る。
そんな姿、誰かに見られたらどうするんだ、とレオがハラハラする。
というのも、最近、マリーのことを狙う男どもが増えたのだ。
レイチェルのお出ましが増えるとともに、その侍女であるマリーも有象無象どもの目にふれるようになった。
『レイチェル姫の侍女、かわいいな』『彼女、独身か?』
レオ自身、何度もそんな男どもの声を聞いた。
隣国からきたレイチェルは、生来のおだやかな気性や、愛くるしい仕草で、この国でも話題の人となっていた。もちろん、婚約者のセオドアだけではなく、王家も彼女をねこっ可愛がりしている。
その侍女ともなれば、人気取りや王族とのコネづくりのために近づく男が現れても当然だ。
いまのところマリーがどこかの男に好意を示したなどという話を聞いてはいないが、レオは毎日ハラハラして仕方ない。
「遅れた?」
「いや、俺もいま来たところだ」
「いつもはすぐにお休みになられるのに……。やっぱり婚約式で昂っておられたのでしょうね。いま、姫君はおねむに」
マリーは言うと、足元にカンテラを置いてレオの隣に座る。
「あ、これキッシュなの」
そう言って、かかげて見せたのは小さなバスケット。布巾をずらすと、カットされたキッシュがふたきれ入っていた。
「うまそうだな」
「でしょ?」
マリーが笑う。
そのとき、ふわり、と風が吹いた。
夜気が彼女の香りを乗せてレオの鼻先をくすぐる。
たぶん母国のものなのだろう。珍しい香りだ。最初は甘く、それなのに余韻が残るのはスパイシー。彼女にとてもよく似合っている。
意味もないのに。
彼女のことを抱きしめ、首元に顔をうずめてその香りに包まれたいと思った。
「なにはともあれ、婚約式、お疲れ様」
レオは邪念を振り払って、マリーにワイングラスを手渡した。
「本当ね。やれやれって感じだわ」
屈託なく笑うマリーに、ワインを注ぐ。自分もワインを満たし、グラスをかちあわせた。
互いにワインを口に含み、同時に顔を見合わせた。
「うまいな」
「おいしい」
適当に見繕って持ってきたのだが、あたりだったようだ。
例の酔いつぶれ事件以来、マリーと何度かプライベートで会い、食事をしたり飲みに行ったりして気づいたが、彼女とは食の好みが同じだった。
「これでしばらくはゆっくりできるのか?」
「私? まさか」
マリーはワイングラスを傾けて苦笑いした。
塀に腰かけ、子どものように足をぶらぶら揺する。レオよりだいぶん背の低い彼女は、そんなことをしたらつま先すら地面に届かない。
「いまからは結婚式本番に向けて衣装合わせや挨拶まわりが待ってるわよ」
男側のセオドアはそこまで忙しくないが、隣国から嫁いできた姫君にはまだまだせわしない日々が続くらしい。
「それでも、一度は母国に戻るんじゃないのか?」
「ん? ……まあ、姫君がお望みなら」
「その時、俺も一緒に行こうかな。休暇を取って」
「え? なんで」
きょとんと見つめられ、レオはがっかりすると同時にちょっと胸に痛みを感じる。
「マリーのご両親にあいさつしたい。むこうだって、どこの馬の骨ともわからん男に娘を嫁がせたくないだろう?」
一応俺、プロポーズしたんだよな、と思い返す。まあ、パンツ一枚ではあったが。
レオとしては簡単でもいいから、さっさと婚約式をして、マリーとの仲を公表したいところではあるのだ。
「ああ、そういうこと」
マリーは肩を竦めた。
「だったら大丈夫。うち、両親はもう他界してるから」
「え、ふたりとも?」
がぶりとワインを口に含んだものの、慌てて飲み干してレオは尋ねた。マリーはうなずく。
「そう。そんなこともあって、私が姫君に同行することになったの。ほら、他の子は家族を残していかないといけないでしょう?」
「そう……なのか」
ただ武芸ができる彼女が選ばれたわけではなかったらしい。
「まあ、了承を得るとしたら姫君になるだろうけど……。姫君と殿下からはお墨付きをいただいているしね」
マリーが言い、レオは気まずくて口をへの字に曲げる。
なにしろ酔いつぶれるという失態の末のプロポーズだ。
ただ、レイチェルとセオドアは、『往来で男たちに絡まれているところをレオが助けて以来、マリーは好意を抱いていて、あの日、レオは介抱されてマリーに恋心をいだいた』と勝手に思い込んでいてくれるから助かっている。箱入り息子と箱入り娘は、とてもロマンチックだ。
「食べる?」
マリーがバスケットからキッシュを取り出し、レオに差し出した。うなずき、もらう。
やっぱり気づけばマリーと同時にかじりついた。
ざくっとしたタルト生地の歯ざわり。だけど口に含むと、ほろほろと崩れる。少し甘味を感じる生地とは別に、具は塩気の強いチーズとベーコン。酒のつまみにもぴったりだ。
「うまい」
「おいしい」
そしてやっぱり同じ感想を口にした。
目を見合わせ、互いに笑いあう。
「レオの家族にも紹介してね」
「もちろんだ。多少まあ……。くせの強い姉がいるが、両親はまともだから安心してくれ」
「私も癖が強いから」
「……」
「そこは否定しなさいよ」
「というか、さっさと婚約式を進めたいのだが、マリーもそれでいいか?」
「婚約式? まあ……うん」
どこか不思議そうにマリーはレオを見つめたが、特に気にするわけでもなく、二口目を口にした。
やれやれとレオは思う。これでマリーにちょっかいをだす男は減るだろう。
「出会った当初は、まさかこんなことになるなんてねぇ」
何気なくマリーが言う。レオも同じ意見だ。
「とんでもなく強い女だという印象だった」
「私は顔だけの男だと思ってた」
言い合い、二人同時に「ひどい」となじる。
「最初にケンカを売ってきたのは君だろう」
「その前に、セオドア殿下のことでもう少し気を回してほしかったんですー。悪いのはそちらですー」
こういうとき、○○ですー、と語尾を伸ばすのは彼女の癖だ。
ついレオは頬が緩む。最初は「なんて子どもっぽい女だ」と思っていたが、いまでは「かわいいな」と思ってしまう。
「……なによ」
「別に。あ、口元にタルトのかけら」
むすっとした彼女にそう教えてやる。
目を丸くし、慌てて口元に指を這わすマリー。
「とってやる」
レオはその彼女の手を握って降ろさせると、素早く唇を重ねた。ぴたりと動きが止まった。
本当はこれ以上のことがしたいのだけど、と思いつつも、あまりにもマリーが動き出さないし、息まで止まっていることに罪悪感を覚え、仕方なく引き下がることにする。
「……………レオ」
「なに」
「嘘だったの?」
「いや、唇についてた」
「もう、なによ! パンツ一枚男のくせに!」
「いまは違うだろ」
「でもパンイチでプロポーズした!」
「それについてはいずれやり直す」
ぎゃんぎゃんと喚くマリーの言葉を聞き流し、ワインを飲んでいたのだが。
「子どもが生まれたら言ってやる! お父さんは、パンツ一枚でお母さんにプロポーズしたって!」
「それはやめろ!」
仰天してワインを吹きかけた。
「俺が悪かった! 謝る! 今度からキスするときは……なんだ、なんかこう、宣言してからする!」
自分は何を言っているんだと思ったが、マリーの溜飲は下がったらしい。
「まあ、それなら」
と言ってみたものの、そのあとなんだかマリー自身も「ん? それでいいの?」という顔をしていた。
「と、とりあえず。では、速やかに婚約式に向けて準備をしよう」
「わかった。だけど、そのどこかでちゃんとしたプロポーズをして」
「もちろん。期待しててくれ」
そう言うと、ようやくマリーはまた笑った。
そうして。
ふたりは肩を並べてワインを飲んだのだった。
その半年後。
セオドアとレイチェルはめでたく結婚式を終えた。
正式にレイチェルはこの国に住むこととなり、第二王子妃としてこの国に尽くすことになる。
そしてレオとマリーだが。
「ちゃんとしたプロポーズを!」「もちろんだ!」と言い合ったものの。
お互い激務ですれ違いの日々を過ごす。
時に、主のことで互いに主張を譲らず大げんか。それが発展して王城中を駆け回る大立ち回りを演じたり、立場の違いから内務大臣と外務大臣を交えての激論まで巻き起こしたりもした。
だが、レオは会えばいつもマリーに飴を与え、時間ができれば(たとえ断られようとも)マリーをデートに誘うことを忘れなかった。
マリーはマリーで筆まめで。
三日に一度はレオ宛に手紙を書いた。どんなに忙しくても、そしてどんなにケンカをしても。
そしていつの間にかプロポーズも済ませたらしい。
セオドアとレイチェルの結婚式が終わったあと、ふたりは小さな結婚式を挙げ、正式な夫婦となった。
マリーは息を引き取るその日までレオに見守られ、レオはマリーが結婚後も書き続けた手紙の束を棺にいれてもらって永遠の眠りについた。
これは。
そんなふたりが出会った直後の物語。
マリーがまだレオに手紙を綴れなかった日々のことである。
了




