1話 侍従武官と侍女、出会う
第二王子つきの侍従武官をしているレオ・アドルフが足を止めたのは、王城の回廊だった。
引継ぎを終え、休憩のために騎士待機所に向かおうとしていたのだが、「レオ・アドルフ卿」と名を呼ばれた。
振り返る。
小走りに回廊を駆けてきたのは、小柄な女性だ。
濃紺のドレス裾を蹴散らすように走る様は淑女と言い難いが、黒の髪はきっちりと結い上げられ、白皙の顔には汗一つかいていない。化粧も崩れておらず、外見だけ見れば、非の打ちどころのない淑女だ。
「これはこれは、マリー・フレイズ嬢」
レオは礼儀上、うやうやしく頭を下げてみせた。
なにしろ彼女は、レイチェル姫の侍女。
レオが敬愛するセオドア第二王子の婚約者であるレイチェル姫が、もっとも心許している臣下だ。レディにあるまじき速度で駆け寄ってきたことについては〝見なかった〟ことにした。
「どうかなさいましたか?」
「ちょっとお時間いただけます?」
いきなり硬い言葉を投げつけられる。
伏せていた目をレオは上げた。
上げて、少し下げる。微調整した。
というのも、目標よりも低い位置に彼女の顔があったからだ。
彼女とは都合三度、顔を合わせていたが、こんなに背が低かっただろうか。
「お伺いしたいことがあるのですけど」
棘のある声に、ああ、そうかとレオは気づく。どこか尊大なこの態度。そのために身体まで大きく見えていたらしい。
「なんでしょうか?」
レオはそれでも優しく。自分でもできるだけ穏やかに尋ねて見せた。
なにしろ相手は隣国の姫君が連れてきた侍女。
言葉に不自由はないようだが、主君に従ってたったひとり異国に来たうら若き女性だ。
「セオドア殿下のことです」
「セオドア殿下?」
相変わらず語気強く言われ、レオはわずかに眉を寄せた。自分の名をいらだち紛れに呼ばれるのは構わないが、主君のことをこの口調で言われるのは我慢ならない。
だが我慢。我慢だ。なぜなら、相手はか弱き女性。
レオは口端をわずかにひくつかせながら、笑みを作った。
「殿下がいかがなさいましたか」
「いかがなさいましたもなにもありません。殿下はどのような心持でこの婚約を受けられたのでしょうか」
マリーは決して怒鳴っているわけでも、地団太を踏んでいるわけでもない。
だが、その声には明らかに怒りが混じっているし、無表情なのは一周回ってそうなっただけで、激怒と憤怒を通過した結果そうなったことは明らかだ。
「どのような……と、おっしゃいましても。殿下は非常に聡明なお方。隣国との関係性や、またこの婚姻がもたらす多様な経済効果や未来性を考えてお受けなさったと思いますが」
レオは若干、鼻で嗤ったのは否めない。
普段は温厚で穏やかなレオだが、こと、セオドア殿下のこととなると人が変わる。
セオドア殿下の侍従武官として仕えて以来、殿下の命を脅かす事態が三度あった。
そのたびにレオは賊を捕縛し、そのあと、書記官も記すのを控えたほどの尋問が行われ、主犯は苛烈な処罰を受けた。
それだけではない。酒席でうっかり「セオドア殿下って、かわいい顔してるよな」と口にした近衛兵は、翌日、ボコボコにされて発見。「なにがあったのか」と尋ねられると、「セオドア殿下、万歳!」しか言わなくなってしまったという。
以降、「レオの前でセオドア殿下のことは口にするな」というのが武官たちの間には広まっている。
「でしたら、あの非礼な態度は何です」
「非礼⁉」
つい素っ頓狂な声が口から漏れた。
セオドア殿下は、優しすぎていかがなものかと苦言を呈されたことはあっても、非礼などと呼ばれたことはない。にらみつけた視線の先で、マリーもこちらをにらみ返してくる。
「さきほどのお茶会だってそうではありませんか!」
「は⁉ なにごともなく終わったではないですか!」
セオドアとレイチェルの婚約が持ち上がったのは、半年前のことだ。
両王家の総意がまとまり、婚約式のためにレイチェルがこの国にやってきたのが10日前。
この国の王家はレイチェルに対して屋敷をひとつ与え、王城内の出入りを許した。
彼女がやって来た時、セオドアは王城前で出迎え、未来の婚約者を歓待した。
だが、長旅でいろいろと疲れているであろうから、とそれ以来は訪問は控え、5日後に花束を持って来訪。少しだけ歓談をし、そして本日、三度目の顔合わせとしてお茶会に招待したのだ。
レオは1時間前に終了したお茶会を思い返す。
セオドアがレイチェルを招き、王城の一室で開催したお茶会。
招待客はなく、あくまでセオドアとレイチェルの仲を深めようと実施したものだったが……。
「殿下は非常に慎み深く、紳士的にふるまっておられましたが?」
つい、牙を剥きそうになり、いかんいかんと自重する。相手はレディ。相手はレディ。隣国のレディ。
「紳士的? この国では腰抜けのことを紳士と呼ぶのですか」
「なんだと⁉」
反射的にレオは抜刀した。
マリーも濃紺のドレスをたくしあげる。
ふくらはぎのホルダーから彼女が引き抜いたのは、警棒。腰を低く落とし、にらみつけてくる。
レオは肩幅から、もう少し足を開く。じり、と軍靴が回廊の大理石を噛む。
あの構え、ただの侍女ではない! こいつ、できる……!
独特の中腰の構えで、じりじりと間 合いを計りつつあるマリーを見、レオは警戒を緩めない。柄を握る手の内を整えた。
「あのお茶会のあと、姫君はずっと泣いておられるのですよ⁉」
「はあ⁉ なにを泣くことがあるのです! 殿下にお招きされ、光栄で涙でも溢れましたか⁉」
語尾は金属同士がかち合う音に紛れる。
というのも、マリーが警棒を打ち込んできたからだ。レオは素早く上からたたき落とす。
思い切り打ち付けたと思ったのに、手ごたえがない。ということは、マリーがうまい具合に力を抜き、間合いから離れたのだ。
現に彼女はなんのダメージを追うこともなく、例の低い姿勢を保ったまま、虎の尾のように警棒の先を揺すっている。
「殿下が姫君になさった所業を思い返しなさい」
「なにを誤解されているのか! 殿下はレイチェル姫をエスコートし、お茶をサーブし、完璧なるホストを務めたではないですか!」
「その間、無言だったではないですか!」
「そんなことあるわけが! ……ん?」
つい眉根が寄ってしまった。
思い返したこの記憶。
そういえばどうして音声が入っていないのだろう?




