第三話
「あ? なんだって?」
「僕」の兄と、僕の知っているアキト君はあまりに似すぎていて、つい、口をついて出てしまったが、少し距離が離れていたこともあり、トキには伝わっていなかった。
「あ、いえ。なんでもないです」
そう言って、僕が目を伏せると、トキはふん、と鼻を鳴らして訓練場の中央まで進んだ。
「まったく父上の気まぐれには困ったもんだぜ。たかだか、魔物に占拠された辺境の砦奪還なんぞ騎士団だけで行かせりゃいいんだよ。そうは思わないか、レン」
トキは木剣片手に肩をすくめた。
「あ、いや。でも、父上がお決めになられたことだから……」
「なんだよ、お前。俺が間違ったことを言ってるとでも言いたいのかよ」
僕は黙って俯いた。
この話の続きは知ってる、『まぁ、いいや。戦場で足手まといにならないように、俺がレンに稽古つけてやるよ』だ。そして、ミゲルは何も言わず、ただ目を細めて薄く笑っているだけだ。
「まぁ、いいや。戦場で足手まといにならないように、俺がレンに稽古つけてやるよ」
トキは少し口端を吊り上げながら、正面で木剣を構える。
ミゲルが壁際まで下がり、目を細めて笑う。
そして、トキは、お前も構えろと言わんばかりに、顎で僕の木剣を差す。
僕は否応なしに構えるしかなくなる。
そして、トキは自分の顔の傍に木剣を構えなおす。
知っている。すべて見た記憶がある。
僕は正直、少しだけ期待していた。見たことがあるなら対応できるんじゃないかと。
しかし、現実は違った。そんな甘いものではなかった。
来ると分かっている右側からの攻撃。半歩下がると知っている、当たらない僕の薙ぎ。
それは一度観た映画を、もう一回観ているような感覚だった。
僕は今、過去に抗っているのか、未来を作っているのかは分からない。
それでも、僕は「僕」の記憶を思い出しながら、何とか一撃だけでも入れたいと必死に剣を振った。しかし、その一撃は果てしなく遠かった。
「おら! どうした、レン! こんな打たれてばっかじゃ――」
――戦場じゃ生き残れないぞ。だろ。
そう思った矢先、予想通りの言葉と、トキの木剣が僕の左肩に落ちた。
痛みと疲れで僕はその場に崩れ落ちる。そして、倒れ込んだ僕の脇腹にトキの右足の蹴りが入った。
「――ガッ」
激しくせき込んだ。
押し出されてしまった空気を必死に肺に戻そうとしても、体がそれを許してはくれず、無様に床に転がるしかできなかった。
「おいおい、もう、へばってんのかよ。まだ始まったばかりだぞ」
うずくまる僕を見下ろしながら、トキは肩をすくめて溜息を吐いた。
「レン。俺に一撃でも入れられたら稽古は終わりだ。それができなきゃ、お前が死ぬまで稽古は続くぞ」
言われなくても、さっきからそうしようとしてるさ。
でも、トキの動きは速すぎて、考えている間に、次の攻撃が飛んでくる。
隙を狙っても、全て躱され続けた。
きっとタイミングだ。タイミングさえ合えば……。
頭では分かっていても実行するのは難しかった。それができるだけの能力が、どちらの僕にもないことだけは、はっきりと突きつけられた。
そんな時、マルクの言葉を思い出した。
『辛いと思った時には、どうぞ降参なさってください』
辛い。今とても辛い。もう降参してしまいたい。いや、むしろするべきだと思った。
今、大事なことは、ここで兄に一撃入れることじゃないと思う。
三日後に砦に行くこと、そして、砦で死なないこと。これが大事なんだと思う。
「……兄さん」
むせ込み過ぎて、僕の声は掠れていた。
もう降参です。そう言おうと思って、トキの顔を見あげた時に、その考えは完全に頭から吹き飛んでしまった。
僕を見捨てたアキト君がそこにいるような気がしたからだ。
剣技に長けた兄に負けるというより、アキト君に負けるような気持ちになってしまった。
僕は喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ゆっくりと立ち上がった。
「まだ、まだいけます。兄さん」
僕は剣を構えた。
負けることよりも、この人に「降参」と言うことの方が嫌だ。
僕にあるのは、ただそれだけだった。
「ふーん。じゃ、終わらせてやるよ。レン」
この言葉も僕は覚えていた。
この後に続く攻撃は三回だ。
まず、僕の左肩狙いで、トキの剣が振り下ろされる。
これは一歩後退することで、僕は躱すことができていた。
次に、僕との距離を詰めながら、正面から突きを出す。
左右に身を翻せば避けられるはずだけど、あまりに動きが速すぎて、僕の右わき腹を掠める。
僕はトキの首元めがけて、横に薙ぐが、これをトキは見切る。
そして、トキの最後の攻撃は、身を捩じり、僕の真横に立ち位置をずらしながら、その回転運動に力を乗せた一撃が僕の後頭部に叩きこまれ、そこで僕は失神する。
そう、ここまで分かってる。
分かってるけど……。
その瞬間、僕はトキが体を捩じった方向に合わせて、木剣を振り抜いていた。
手応えはあった。
木剣越しに、硬いものを打った鈍い感覚が掌に返ってくる。
次の瞬間、トキの顔が歪み、彼の木剣が床に落ちた。
手元に視線を移すと、僕の木剣がトキよりも早く、彼の脇腹を捕らえていた。
トキは脇腹を押さえながら、よろめいて膝をつきかける。
無表情のまま、見届けていたミゲルの目が一瞬、見開かれる。
正直、僕は何をしたか覚えていない。それくらいに無我夢中で木剣を振った。
その結果、失神させられるはずの未来から、トキに一撃を入れる未来へと変わった。
未来は変えられる。僕はこの時、そう確信した。
「いってぇ……。マジいてぇ」
トキは脇腹を押さえて、僕を睨みながら、ゆっくりと立ち上がった。
その向こう、壁際でミゲルは小さく微笑みながら、こちらを見ていた。
「に、兄さん、ごめん! 大丈夫!? 骨折れて――」
そう言いかけて、一歩近づいた瞬間、僕の顔面にトキの拳が飛んできた。
「――フグッ!?」
強烈な痛みに、僕は前かがみになりながら、両手で鼻を押さえた。
無造作に手放した木剣は床に落ち、乾いた音が訓練場に響く。
「あー、クソッ。もうやめだ!」
トキは僕に目もくれず、自分の木剣を拾うと出口の方へと歩き出した。
「……いくぞ、ミゲルッ!! いつまでもボサッとしてんじゃねぇよ!」
その声にミゲルは肩をすくめると、トキの横へと小走りで近づいて行く。
「レンに一撃入れられちゃったね」
ミゲルが茶化すように言うと、「たまたまだ。アイツに狙ってできるわけないだろ」と、トキは捨て台詞を吐きながら、二人は出ていった。
押さえた両手の隙間から滴り落ちる血と、鼻の痛みを堪えながら、僕も木剣を拾い上げ、痛む体を引きずりながら、訓練場をあとにした。
◇
すぐに館へと戻り、止血をしたかったけれど、こんな姿を見たら、たぶんマルクは悲しそうな顔をする。そう思うと足が進まなかった。
とりあえず、鼻血が止まるまでと、僕は王城の庭園にある噴水の縁に座って、体を休めていた。
本当なら、訓練場で僕は失神するはずだった。そして、心配したマルクが駆け付けてくれて、彼が館まで僕を運んでくれる。そして、僕は自分の部屋の天井を見て、失神したことに気づく。
僕の知ってる「僕」の記憶ではそうなるはずだった。
でも、実際には変化が起きた。
僕の一撃が、トキの脇腹に通った。そして、怒ったトキが僕の顔面を殴って、帰っていった。
些細な変化なのかもしれないけど、未来は確定していない可能性の証明にはなった。
簡単ではないけれど、条件とかタイミングが合えば、未来は変えられるのかもしれない。
記憶は地図だ。
けれど、地図通りに歩けば、またレンは、いや、僕は三日後に死ぬ。
回避はたぶん可能。あとはどうすれば、それが出来るのかを考えるしかない。
そんなことを一人考えていると、近づいてきた人影に声を掛けられた。
「レ、レン様! どうしたのですか!? お召し物に血が!」
驚く声に顔を上げると、口元に手を当て、青い目を大きく見開く少女が立っていた。
その声を僕は知っている。
聖女ユリシア。
この世界で、僕を失敗作と呼ばなかった、たった一人の女の子だった。




