第1章 ⑤
「いつもの配置に戻ってください。そして、二度と私の仕事に口を挟まないで」
ピシャリと突き放すような温度のない言葉に、大きな身体を誇る男がスゴスゴと壁の方へと戻っていくのをむず痒いような、失敗して大人に叱られる同級生を見るような子供に戻った気持ちで見ていたヤトノは気づかれないように止めていた息を小さく吐き出した。
新しいシッターが来ることは親戚であるクエレから前もって知らされてはいたが、まさかあんなか弱い少女だとは思ってもいなかった。人間だということは知っていたが、ヤトノが今まで見た人間たちは屈強な男女か、もしくは喰えないあの男──隼人だけなので、人間の少女を見るのはこれが初めてだった。
第一印象は王子に前髪を焦がされて困ったように笑う優しい少女。しかも小柄で驚くほど華奢だ。人間の子供は皆あんなにか弱いのかと驚いたものだ。しかしその身体で子供たちを軽々と抱き上げるものだから、一番初めはギョッとしたし、ハラハラした。
年齢も一七とつい最近生まれたような年で子供が幼児の世話など大丈夫かなと、何か起きたら助けに入ろうとは考えていた。勿論種族差で彼女の年齢は人間でいえば生まれたばかりと表現するのは間違いだと理解はしているが、どうしても平均寿命が八百から千年生きる龍族やドラゴンとしては心配さが勝ってしまう。
魔族はどれだけ短命な種族でも三百は悠に生きるので、百年も生きられるかわからない人間はあまりにか弱く未知の生物だった。
だから、人狼であるロウに声を荒げられても、淡々と言葉を重ね、理論的に詰め寄る少女の姿に衝撃を受けた。
怒りの感情をあそこまで抑えて対応される方がよほど恐ろしいなんて初めて知った。
ひんやりとした空気と柔らかな拒絶に、隠している尾がゾワゾワする。鱗が総毛立つ感覚など子供の頃以来である。
(ひぃ、おっかねぇ~……)
しゅんとしている男の尻尾が力なく垂れ下がっているのを横目で見ながら、少しだけ彼が可哀想に思えた。既視感のある感覚、畏れとも恐怖とも違う、しかし確かな不安と冷や汗に漸く気づいた。
この感覚は、母親に叱られた時の感情である。
何にんかの騎士も似たような表情を浮かべているので、皆同じような居心地の悪さに襲われているのが見てとれて何やら可笑しい気持ちになってくる。
自分よりもよほど大きな男に向かっていく胆力も度胸も、ただのか弱い見た目の少女だと侮った自分が愚かだった。どおりであの堅物な親戚が彼女を気に入っている訳だ。
食事を与えながら、ラウルが食べ渋る様子を見て何か考えている様子の彼女に声をかける。
自分もこの少女に興味が湧いた。少しくらいの手助けならいいだろう。
「どうした? 何か悩んでる?」
「え、あ、ヤトノさん、でしたっけ」
「ヤトノでいいぜ。んで難しい顔してどうした?」
ラウルの皿には少しだけ火を通した肉が並んでいる。基本的に人狼は肉ばかりを食べ、その焼き加減はレアか生である。穂南は嫌そうな顔で小さな一口を口の中でもて余しているラウルを見ていた。
そういえばこの王子は人狼にしては珍しく食が細いという話を聞いたことがあった。今も皿の肉は一向に減っていない。
「人狼が肉食なのは知っているんですが、お肉ってもう少し火を通したり味付けを変えたりしたらダメですかね」
「味付けを変える?」
「はい。もしかしたらラウルくんレアステーキや生のお肉が得意じゃないのかと思って。昔、私の大切な子も子供の頃食が細かったんですが、薄めの味付けにしたら色々食べれるようになったんです。だし巻き玉子が特に好きだったみたいで、よく食べてくれました」
懐かしそうにしている彼女の目には、優しい慈愛が浮かんでいる。幼馴染みか恋人のことでも思い出しているのだろうかと微笑ましく思いながら、だし巻き玉子という単語に興味をそそられた。
「だし巻き玉子か、そっちの世界の料理だな。どんな料理だ?」
「あ、こっちにないんですね。玉子を出汁で溶いて……」
出汁の説明から丁寧にしてくれるものだから想像だけが膨らんで、思わず腹が鳴ってしまった。
「あはは、俺も腹が減ったな」
後少しで王子たちはお各部屋でお昼寝タイムである。そうなれば後は部屋の近くに他の騎士が護衛に就くので、二時間ほど休憩タイムがとれる。それは穂南も同じだったようで、だったら後で作るので食べますかと誘ってくれた。
「え、いいの!?」
「はい。本当は毎食ご飯は出るんですが、豪華すぎて夜だけにしてもらってるんです。なのでお昼はキッチンの隅っこを貸してもらって、自分で作って食べます」
異世界の料理などそうそう食べられるものではない。地球に仕事で行ける者は限られているのだ。幼馴染みが一人地球にいるのだが、エンジョイしすぎて滅多にこちらには帰ってはこない。彼の母親が三十年帰ってこない上、連絡も最初だけしか寄越さないと酷く怒っていたのを思い出す。
「え~ぼくもほなちゃんのご飯食べたいなぁ」
いつの間にかピトッとくっついていた淫魔の子であるノワールが、ニコニコ愛想を振りまいていた。幼児なので分かりにくいが、今日は男性体の気分のようで男児の姿をしている。淫魔には決まった性別がなく基本的に雌雄同体なのだが、その時の気分で男性体や女性体の姿をとる者も多い。
「んーでも、私の作るご飯にはノワールくんの栄養になるものがないからなぁ」
それに勝手に皇族の子に与えるわけにもいかないし、と小さく呟くのを聞き逃さなかったのか、途端にノワールは目を潤ませて穂南の細い腹部にグリグリと額を押し付けた。
「え~やだやだ、そいつはよくて何でぼくはダメなの?
精力なんていつもご飯にかけてるだけでしょ? それをかければいいだけだよぉ」
食物は基本的におやつ程度で栄養にならない淫魔は、他者の精力を主栄養にしている。しかし子供のうちは上手く精力をとれないので、魔法で結晶にした精力を粉にして食べて栄養を採るのだ。
「こおら、そいつなんて言い方はダメだよ。ノワールくんたちは偉い立場だけど、だからこそ他のひとのことを粗末に扱っちゃいけないの。皆それぞれ名前があるのに、呼ばないのは失礼だよ。ノワールくんだって自分の名前を呼ばないひとのこと大切にしたいと思う?」
薄茶色のフワフワとした髪を撫でながらそう言った彼女に、ノワールは返事だけをして唇を尖らせた。他国の皇族に強制するのはヤトノも避けたいので、大丈夫だと首を振る。穂南も立場をわかっているのでそれ以上は何も言わなかった。
「まあ、でもちょっと相談してみるね」
「ほんと!?」
途端にぱあっと破顔するノワールを見て、穂南もニッコリと笑った。
「う~ん、でも誰に相談すればいいのか。叔父さんか、できればクエレさんに言うのがいいんだろうけど……」
「あ、だったら俺から言っとこうか?」
「え?」
「実はクエレとは親戚なんだよね、俺」
耳元で囁くと、穂南は目を真ん丸にして驚いた顔をした。同期や同族はふたりが親戚なのを知っている者も多いし、特に隠してはいないのだが、何となく悪戯心が働いてこっそり伝えた。見たかった反応が見れて満足したので、自分の定位置に戻る。
ありがとうごさいますと素直に笑う少女が可愛らしくて、何となくクエレが気に入っている理由がわかる気がした。




