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先生、叶えてくれませんか?!  作者: 雨宮雨霧


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第五話 居なくなっても

 目が覚める。

 部屋はまだ真っ暗だ。カーテンの向こうもまだ暗い。

 気持ちよさそうに寝息を立てる綾音様。

 私のせいで寝不足になるとかあり得ない。ちゃんと寝られているようでなにより。

 息は上がったまま落ち着こうともしてくれない。

 昔の夢を見てからずっとこの調子だ。大昔と言っていいほどなのに、忘れる努力だってしているのに。

 目を閉じても寝られない。寝返りを打っても寝られない。胸が痛い。

 恋の痛みだったら大歓迎なのにな、この年にもなってなにを考えてんだか。

 秋は夜長だ。随分と日が昇るのも遅くなった。

 毎日五時起きの生活をしていた私と綾音様の起床時刻は随分と変わった。目覚ましもかけずに寝る日が多い。

 起きたら昼前とかのときもある。まあそれは夜中に体調が悪化したとかが多いんだけども。

 それにしてもうちの綾音様はなにも変わらない。私よりも年は上だとはいえ、若い。顔が若い。美魔女にでもなるつもりか。

 暗い部屋にも目が慣れてきてしまった頃。

 スマホの明るさを最小限まで暗くしていじる。

 暗さに慣れたせいで最小限にした明かりすらも眩しく感じる。綾音様を起こさないように気をつけないと。

 時間は夜中の三時。寝付けたのも遅かった。綾音様のほうが先に寝ちゃった。

 いつもお疲れなのにね、ごめんね。先生。

 雪里先生とのトーク画面を開き、見返す。

 あと一ヶ月だとか言われたらさすがの私ものんびりしている暇はない。

 いつでも死ねるようにするのが鉄則。今までもそうだった、でもレベルが違う。

 学生の頃であればな、責任なんてないからぴょんと逝けたんだけど。

 大人になるとそうもいかなくなる。私には綾音様が居るし余計に。

 一ヶ月生きられるか分からない、というのは私から言う前に綾音様が先に連絡していたようで。

 大丈夫か、と心配の連絡が入っていたついこの間の出来事。

 このままだと私は散々迷惑をかけてきた先生二人に看取られることになる。なにそれどういう状況?怖いんですけど。

 綾音様を生かしてくれと頼み続けて半年。どっちもどっちなのでね、ええ。今瀬綾音という固有名詞には即座に反応してしまう私たちですから。

 まとめ上げた料理のレシピ。急ピッチで作り上げたまるで綾音様の取扱説明書のような冊子。手紙もどこかに隠しておいた。

「んう……かなえ、なにしてるの」

 寝ていないのがバレて綾音様が起きてしまった。

 若かりし頃ならこうなる前に抜け出してどこかに放浪していたものだ。

 見晴らしのいい場所に行ったり屋上に行ったり。公園に行ったりして。自由気ままに動きすぎてよく怒られた。

「すみません、起こしましたね。寝れなくて」

「最近ずっと寝られないね、君は。昼寝ですら飛び起きてきちゃうし」

 スマホを引き出しの上に乗せて、綾音様にしがみつく。

 あたたかい。心臓の音が聞こえる。生きている、生きている。

 寝るのも一種の課題になってしまった。寝ていたほうが痛みからも遠ざかることができる。でも寝られない。寝たくもない。

「大丈夫だよ。私がずっと居るから」

 そう言ってまた眠りに落ちた綾音様。日頃の疲れを取るには寝るのが一番だ。

 たくさん寝てください、あなたは。

 私は動き回っても家の中だけ。疲れていないことはなくても、仕事をしていた頃より疲れることがない。

 あの疲れは疲れでよく眠れたな。夢を見ることもなく気付けば朝になっていたくらい。

 今やどうだ、夢を見ることもなく眠ることもない。いくら永遠の眠りにつくからといってこれは酷くないか、神様。

 再び文明の利器を手に取り、眩しさに目を潰される。

 写真が詰まりすぎているフォルダを見返す。

 アルバムにも保存しているしクラウド上にも保存してあるものたち。

 懐かしい思い出がたくさん詰まっている。

 最初の頃、まだ高校生の頃。つまり恋人未満だった頃の写真はレベルが違う。写真の多さが。

 ブレていようが変な顔をしていようが、後ろ姿だろうが。異世界に飛ばされる過程ですか?というほどに時空が歪んでいたりする。

 それが思い出だった。私の青春は綾音様そのものだった。

 思い返してみると……。あかりをつけましょぼんぼりに、と思っていたら突然電気が消えたり。電球が切れただけだったけど。

 替え歌を披露してみたらバチクソに叱られたこともあった。どこでそんなの学んでくるんだ、って。全部ネットでした。生粋の引きこもり族。

 雨の夜に飛び出して二人びしょ濡れになったり。ネオン街に迷い込んだこともあった。そのときは完全に知らない行き先を表示している電車に乗ろうと思っていたが失敗した。

 綾音様に見つけてもらってしまったから。

 永遠に続いていきそうなあぜ道に迷い込んだり。大学の見学に行こうとしただけで迷子になって半泣きになったり。

 迷惑しかかけてないな、ほんと。なのにこの人は叱ってくれて、抱きしめてくれた。

 もう一度だけ寝る努力をしよう。無理だったらまた考えよう。


「叶ちゃん?どこに行こうとしているのかな」

 一瞬心臓が止まりかけた。

 この人がちゃん付けで呼んでくるときは大抵怒っている。はちゃめちゃに怒っている。

 恐る恐る振り返ってみると仁王立ちをして目元をピクつかせた鬼の形相の人が居た。

「寝れないから、いや、公園にでも行こうかと思って」

 午前六時。外も朝の恵みを浴びだした頃。

 ついに寝る努力をやめて外にでも行こうとベッドを降りて着替えて、としていたら見つかった。

 この身体でどこへ行こうとしているのか。自分でも思う。

 今日は行けそうだった。一人でも歩いてふらふらと彷徨えるかなと。それだけ、そうだよ。それだけなんだよ。多分。

 深くため息を吐いて、お説教タイムの始まり。

「一人でこの時間に、どこでなにをしようとしてたって?もう一人だけで動き回れる身体じゃないんだよ。私も追いかける体力までないし。駄目だよ、駄目だ。そのクセは直せ」

 返す言葉もありません。ごもっともです。

 なにも変わってないようで年を重ね続けている。老体にムチを打たせ続けるのも可哀想な話だ。いや綾音様が老体とか言いたいわけじゃなく。

 平然と立っているし歩いている今。そういうときだけ元気なのは何なんだ、と彼女も思っている。

「だって寝れないんですもん。気晴らしにでも行こうかと」

「そんなに寝られないか。前は副作用でキツそうだったのに」

 薬のせいで一生眠りこけていた最近までの自分。

 今も眠くないわけじゃない、身体は岩のように重たい。眠たいは眠たい。

 言い訳を巡らせながらこの時間が早く終わってくれるのをただ願う。息苦しい空気、今にも逃げ出したくなるような重たい空気。

 自分の話を持ち出されると逃げるに逃げられない。答えるのにも思考が止まって答えられない。

「責めてるわけじゃないよ、決して」

 パジャマ姿の綾音様を目に焼き付ける。そんな暇があるならさっさと謝るべきなんだろう。謝りたくないとは言わない、言うべきだとは思う。今まで散々抜け出してきたのも全部。

 寝るたびに本当に殴られているような痛みに恐怖を感じるのも、背中を灰皿代わりにされる熱さを思い出すのもどうかしている。自分で荒療治でもするべきか。

 すずめにカラスが鳴き出す時間。朝とは思えないほどの重たい空気。立ち尽くしているのも流石に疲れてきた。

「ごめんなさい、もう楽になりたかった」

 楽。

 その単語になにが含まれているのか自分でも分からない。

 記憶から逃れたいのか、痛みから逃れたいのか。それとも死にたいのか。どうせ死ぬのにそれはありえない。

 あの日々から逃れることは死んでもできない。孤独と痛みはずっとそばに居てくれた。

 恋心も同じように孤独で痛くて、それ以上の感情を知らしめた。叶わない恋をした、あの日から。

 距離を縮めて、抱きしめられる。拍子に膝から崩れ落ちてしまった。

「逃げたくなったら言ってくれていい。しんどいときは言っていいんだよ。どれだけ痛くても隠そうとする人だってことは分かってるけど」

 一緒に暮らし始めてからなにも変わらない。

 体の不調も隠して、バレて。しんどいときは教えろと何度も言われてきた。

 玄関先で倒れ込んだり、床にくたばったり。ペットカメラとかいう変なものが置かれていたせいで隠し通せなかった。

 隠せば隠すほど不調は続くしストレスも溜まる。

 綾音様だってしんどいのを隠そうとするのに、人のことなんて言えないはずなのに。

 恋人になれたら私がこの人を支えるんだと思っていたのに、大して実行できなかった。

「だってそんなの、いやだもん。認めたくない。弱くなんてない、でも、でも」

 脳裏を駆け巡っていくのは幸せか不幸か。

 崩れ落ちたときに打った膝が痛い。骨が痛む。視界が滲む。

 泣くのも好きじゃない、下を向いてひたすら涙をこらえる。できるだけ瞬きもせずに、ひたすら。

 それでも限界が来て目を閉じてしまう。幾重にも連なる塩水が溢れ出していく。

 いっそ孤独に溺れてしまえれば、こんなときも笑えてしまうのだろうか。

「そうだ、叶は弱くない。人に寄り添う強さを持ってる。大丈夫。ちゃんと見てきたよ、ずっと」

 どんな言葉をかけてもらっても負のループは止まらない。

 死への渇望があらわになってくる。死にたいはずなんてない、それも思い込み。

 本当の自分はどこに居るんだろう。本当の姿をしている自分は死んでしまったのか。そんなはずもない、綾音様の前に居る私が本当の自分だ。

「して……離して!もういいんです、もういいから」

 どこから湧いて出たのか分からない力が綾音様の優しさを振り切りる。

 ああ、絶対に傷つけた。顔も見たくない、傷つけてしまった人の表情を見るなんてできない。

 なにを考えるでもなく裸足のまま玄関に飛び出し、階段を駆け下りる。息を切らせながら、上手く空気を吸えやしないのもお構い無しに。

 冷たい秋の朝が頬に伝っていく。このままどこに行こうというのか。また手ぶらで。

 大人になっても、動けなくなっても同じだった。成長どころか退化している。

 思考が止まる。肺は焼け付くように苦しい。

 死ねる。

 死ぬための準備は、やってきた。


 目が覚める。

 部屋はまた真っ暗だ。カーテンの向こうも暗く、夜の始まりのような静けさが広がる。

「おはよう、叶。気がついたか。駄目だよ、急に飛び出して行ったら。死んじゃうよ」

 眉をハの字にさせているのが見える。頭を撫で続けてくれていた感触もまだ残ったままだ。

 また涙が伝っていく。

 生きている喜びといったほうが合っている。まだ息をして、この人を愛せている。

「ごめんなさい、綾音様。傷つけたの分かってる、だから逃げた。最低だから」

 身体を起き上がらせ、綾音様の袖を握る。

 こうなるのも予測はできていた。なのにまた同じことの繰り返し。過ちをぐるぐると繰り返すのが私。

「おー、早瀬。私も居るんだぞ」

 聞き覚えのある声のする方に顔を向ける。

「雪里先生。お久しぶりですね」

「会うのはな」

 いつもうるさいほどに連絡をしているせいで久しぶりもなにもなくなっている。

 会うのは久しぶり、でもない。今年に入ってよく見かける人物。連絡を最後にしていたのはつい一昨日くらいの話。

 雪里先生が意味ありげな言い方をしたせいで綾音様が眉をひそめている。「なんだ、会うのはって」とでも言いたそうな顔。

 中学を卒業して三十年は経つのになんで知っている先生二人に囲まれているんだろう。

 おかしな話だ、全く。でも知っている人が居るというのはありがたいこと。

 雪里先生と連絡先を交換したときは今すぐ消してやろうかと思った。できなかった。綾音様を好いていることは分かりきっていたから。

「先生たちに囲まれてたらなんか、生徒指導でもされてるみたいですね」

「確かにな。駄目だぞ、早瀬。死ぬ順番を間違えたら」

「そうだよ叶。雪里に勝手に会うとか駄目だからな」

 どうでもいい会話が結局楽しい。

 このお二方が駄目と言っているものが同じなようで違っていて、そこがなんとも愛しい。

 雪里先生が言っているのは綾音様を置いていくのは駄目だということ。勝手な予想だが間違ってはいないはずだ。

 後が面倒だから、という不安混じりのもの。

 綾音様を独り占めできるのは本望だろうけど、それを上回る困難さが待ち受けている。

 でもこのお方ならなんとかやってくれるはずだ。だから頼みに頼みすぎている。

 綾音様が言っているのは雪里先生と同じく死ぬ順番を間違えるな、ということ。あと追加されているのが勝手に会うなという忠告。

 私が雪里先生に会うイコール犯罪!と思っていそうなくらいの勢い。そんな悪いことしてないしあなたのためなんですけどね。

「忙しいのに大丈夫なんですか、先生は」

「出勤する前に寄ったらお前が倒れてたんだけど。覚えてないのか」

 綾音様と顔を見合わせながらこいつは、と会話を交わし始める人たち。

 なんか責められてる。責められる理由も分かってますよ分かってるけどさ。

「綾音と一緒に介抱してやったんだ。やっぱ気になるしさ、また来た」

 雪里先生に名前で呼ばれるのがたいそう嫌いな様子の私の彼女様と感謝しろと言われて固まる自分。

 感謝してます。心のなかでは一応。一通りは。

 それにしてもなんでうちに寄ろうとしたんだろう、この先生は。暇な時間なんてないはずなのに。

「あー、お酒飲みたいなー。なあ綾音。買いに行ってよ」

「なんでだよ。お前が買いに行け」

 バチバチのバトルが開幕してしまいそうだ。

 そういうときは!

「私が行きます」

 二人同時に四つの目がこちらに冷たいなにかを浴びせる。

「仕方ないな、行ってきてやる。叶を頼んだぞ」

 頬に口をつけて颯爽とコンビニに走っていった恋人。

 そんなに私を行かせたくないのか。いやまあ行けないんだけど。

 一気に顔が熱くなるのを感じながら布団を手繰り寄せる。あの人は悪魔だ、あちこちに感触を残していく。

 それで、この先生はなにか話したいことがあって綾音様を外に行かせた。一体何のご用事だ。

「早瀬。私はあいつのことが好きだよ」

「そうですね、知ってます。生徒相手に惚気ですか」

 今瀬先生というのは特別な人だ。

 生徒に好かれて同僚にも好かれてしまうなんて、罪な人。それも女性に大人気とは。

 かっこよくてかわいくて。どこか抜けているけど真面目で。の割には色々しでかすけれど。

「死ぬ前に会っておかないとな。まだ生きられそうか?」

「なんですかその質問。骨の間すら痛いですけどね、生きますよ」

 茶化されながら笑う。笑うのも骨の節々が痛むが、そんなのはもう気にしない。

 感情があるからこそ生きられる。それを痛感するのは過去があったからでもある。軌跡は奇跡だ。

「早瀬が居てくれたから、私は今も綾音に近付けてるんだ。取られたのは許さないけどさ。今の関係が続いているのは、お前のおかげだ。私だったらあいつをこんなに長く生かすことはできなかった」

 肩に手を置かれ、何度もぽんぽんと叩かれる。細くなったな、と聞えよがしに呟かれた。

 近付けてるって。そんな近付くもなにも、好きな人に近付きたいのは当たり前のことじゃないのか。

 この先生もかなり不器用だ。綾音様には負けるけど。

 今の関係、元同僚というだけの関係。それは安寧ではあろうが、きっと雪里先生が望んでいる形ではない。

 私が橋繋ぎをすることで会えているまでもある。うちのツンデレさんは絶対に自分から会おうとはしない。

 だからたまに迷惑人が登場してしまう。困った人たちだな、全く。

 リスペクトされているんだか妬まれているんだか分からないが、それでいい。これから綾音様を生かしてくれるのは紛れもなく雪里凪、この人だ。

「先生も先生ですよ。あの人に遠回りした言葉は伝わりません」

「好きだって言っても、名前で呼んでも嫌がられるだけなんだよ。早瀬しか眼中にないんだあいつは」

 確かに!と思ってしまって申し訳ない。ごめんねなんか。

 体育の授業でさえ私と組めるように操作するような人だからな。自分の思考回路まで操作している可能性がある。

 叶が一番だとか好きだとか。刷り込みすぎて馬鹿になっている。

 それにしても雪里先生とゆっくり話す時間なんて初めてに等しい。

 わざと間に挟まってくるせいで、二人で話すということがまずない。いつも懲りずに友人同士としての戦いを繰り広げてくれる。

 お互いに好きじゃないか。綾音様だって、満更でもない。

「今朝、ここらへんに着いたときお前が飛び出してきてそのまま倒れて。綾音も顔面蒼白だったぞ。もう泣かすな」

 ベッドの横に置かれた椅子に腰を掛けて静かに話し始める先生。

 忙しい朝にここまで来る余裕があるようにも見えない。今もきっと時間に余裕があるわけではない。多分このまま泊まっていくつもりなんだろうが。

 死ねるとさえ思った朝。死ねずに生きている今。

 やっぱり傷つけたよな、当たり前だよね。

 そうだ、だからこそ死にたい。

「ずっと苦しんでるって、泣きながら言ってた。お前の人生を私は知らない。言える立場ではない。でもな、早瀬。死が救いなんて思うな。綾音にとってそれは救いじゃない」

 ひとつひとつの言葉が重い。

 同僚としての信頼の厚み。恋という形にもならないもの。私より長く教師人生を過ごしている人。

 こんな自分が本当に最近まで教職に就いていたというのが信じられない。いつまでも人の感情も知らない、無知な人間。

 顔面蒼白な綾音様の表情は想像も容易い。それだけ彼女が私のことを思って考えていてくれて。苦しみまで分かち合ってくれてしまうということ。

 人は一人では生きられない。

「生きろ、早瀬。生きるんだ。あいつにはお前が必要だ。お前じゃないと駄目なこともあるんだよ」

 震える声で力強く。誰の心であっても揺らがせてしまうような言葉をかけられたとき、玄関のドアが開く音がした。

 コンビニと言ってもそんなに近いわけじゃない。超特急で私の、雪里先生の愛す人が帰ってきた。

「酒買ってきた。叶にはゼリーね、食べられそうなら」

「いいなお酒」

 羨ましそうに見つめても駄目だった。また四つの目に冷たいなにかを浴びせられた。

 お酒は好きだ。大好きだ。と言ったらアル中みたいだな。

 お酒はよく飲んでいた。二十代くらいまでは綾音様が見ている前でしか飲めなかった。死なれたら困るから、と。どこまでも管理されていたような気がする。

 気付けば勝手に飲んでいてもまた飲んでるくらいにしか思われなくなった。多分約束を破りすぎた。

 約束は破っているうちに自然となくなるものだ。そんな最低が思いつくようなことは教えていない。生徒に悪影響すぎる。

 なんで寝室でお酒を飲んでいるんだろう、この人たちは。

 お酒といっても綾音様のはからいでノンアルコール。それなら私も飲めるのでは?と思ったけど駄目だった。

 なんでもかんでも駄目だと言われていたら欲しくなるのが人間というもの。

 制限が多すぎてつまらない。死ぬ前くらい好きにさせろ!と思ったが生きろと言われたばかりだった。仕方がない、我慢は体に毒でも今は酒のほうが猛毒だ。

「大きくなったな、早瀬。出会った頃はミジンコ並みだったのに」

「なんですかそれ」

「やめろ雪里。叶は子犬だ」

 好き勝手に私をなにかに例え始めるどうしようもない人たち。ノンアルでも酔っ払ってしまったのか。

 子犬だの子猫だの、狼だの。一体私を何だと思っているんだか。

 本当にこんなに素敵な人二名と過ごせて、でもいつかは必ず遺してしまう。

 未練はないようにしたつもりでも、綾音様を一人にするというのは未練というか気がかりすぎて死ぬに死ねない。

 四百年漂うことになるのはごめんだ、成仏させてくれと思う。

 あと私が居ない世界で、この二人が仲良くしているのを見るのもちょっと嫌だ。多分妬んで呪ってしまう。

 そうなる前に成仏できたらいいな。

 手紙の隠し場所も雪里先生には伝えたし。きっと大丈夫、明日死んでも。

 贈り物はどうするんだという問題も浮上してくるな。それは。

 今までもらってきた手紙の中に埋め込んだ最期の手紙。

 綾音様からもらった手紙は特にないけれど、置き手紙だとかメモ用紙だとかは今も残している。

 数ある思い出とともに死ねるなら。幸せすぎて地獄に落ちそう。

「長い間お世話になりすぎました」

「なに言ってんだ。綾音の世話してきてご苦労さんだよ」

「なんだよ私の世話って」

 予想通り泊まっていた雪里先生は綾音様と楽しそうにひたすら喋っていた。

 よかった。

 綾音様は一人じゃない。私が居なくなっても、誰かが居てくれる。

 ああ、本当によかった。

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