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先生、叶えてくれませんか?!  作者: 雨宮雨霧


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第十一話 最後の思い出

 穏やかに過ごしたお正月から一転、また体調を崩してもう駄目かと思いましたが。

 無事に綾音様の誕生日を迎えることができました。

 おめでとうです綾音様。

 昨日まで高熱にうなされてまた手にミトンがつけられる羽目になっていましたが。

 今日は変に調子がいい。これぞ死ぬ前の最後のハイ。

 なんて冗談はよしといて。

 自分でも怖いくらいに元気がある。今までで一番と言ってもいいかもしれない。

 平熱に戻ったし。体の震えもほとんどない。なんということだ。ハイパーウルトラ元気。

 あと普通に歩ける。息はすぐに上がるし走れもしないが。回転椅子をぶっ放す必要もない。

 この調子なら料理もできる。包丁もきっと落とさない。

「お誕生日おめでとうございます、綾音様。本日の主役はゆっくり過ごしてください」

「ありがとう。年は取りたくないし忘れてた。ていうか、そんな動いて大丈夫なの?昨日までろくに話もできないくらいだったのに」

 心配ご無用!今日の私は無敵。というわけにもいかないんだろうけど。

 今日が終わったら本当に終わりそう。そんな予感が身のうちを巻く。

 ま、私の願いは叶ったわけだ。綾音様の誕生日まで生きたいという願いは。

 薬は飲んでもこれ以上の治療はしない。それが私の出した結論。

 延命治療も望まず。怒られても望まず。

 それでもここまで生きられたのは本当に。奇跡としか言いようがない。

 だから。きっともう終わってしまう。それでいい、私が果たしたかったことはやり遂げられる。

 綾音様の誕生日にオルゴールを渡す。夏からそう決めていた。

 自室の物やら本やらを売り飛ばした分のお金と、貯めてきたプレゼント用のお金とをかけ合わせて買ったどこか寂しい音色を纏うもの。

 私のお気に入りだ。もう奪ってしまおうか。なんて。

 ネックレスの飾りも取り付けられた世界で一つの贈り物。

「晩ご飯、なにが食べたいですか。買い出しから行かないとです」

「なんでもいいよ。叶が作ってくれるんでしょ」

 なんでもいいが一番困るんですが。どうしようかな。ご飯はなにも考えていなかった。

 食に興味があるわけではない二人。どうしたものやら。

「そうだ、お願いがあるんだ。もらったロケットペンダントになにを入れるか考えてたんだけどさ」

「なににするんです?」

 頭にはてなを飛ばして訊いてみる。

 なんか変なこと言うんじゃないだろうな。私の私物を少しだけ切り取って中に入れるとか。ないか。ないよな。

「髪と爪を」

「なにを言ってるんです」

 思わず顔が引きつる。無意識に後退りして逃げている。

 遺髪とか遺骨とかを入れる人も居るらしいけど。そうだね、そうなんだけどさ。分かっていながら渡したんだ。

 もうすでに写真が入れられていた。水族園で撮った写真だ。

 そんなに時間が経ったわけでもないのに遠い昔のことのように思える。

 今を生きるのに精一杯で。今までずっと。

 言われるままに髪の毛先を切られ、爪を切られ。満足そうな人が居る。怖い。

 生きているうちに生きていた証拠を残そうとするとはな。この人らしい。

「想像を超えましたね」

「それほどでも」

 褒めてない。なにも褒めてないし讃えてないよ。

 思い出が残ればいいと思っている。ありがとうで終われたらいいと思っている。

 この人にとっては終わらないんだ。

 思い出が残っても、ありがとうで終わっても。これからも一緒に生きていたい、一緒に居たいと思ってくれている。

 もし逆の立場なら綾音様を冷凍保存でもして残すところだ。私も私だな。怖い。

「連絡先も全部消しちゃう君とは違う」

 なんかまた言われてる。

 自分が良くても相手からすれば良くないこともある。いつも自分勝手に生きているから。

 いいだろう、と勢いで消したりして。後悔はないし。今もそれでよかったと思っている。

 贖罪をしてもなにも変わらない。

 綾音様にとって私が取った行動は斜め上の予想外だった。

 想像を遥かに超えてしまったらしい。

「寂しいとか思わないの?」

「思ってどうするんですか。みんなそれぞれ幸せに、元気に過ごしてくれていればいい」

 寂しい。そうだな。

 今瀬先生を好きになって、卒業したときはそりゃ寂しかった。

 だから寂しいという感情は一応持っているし分かっているつもり。

 寂しい。でもそれ以上に傷つけるのが怖い。傷つけないためには離れるしかない。

「優しいからこそ叶は自己犠牲をする。いいんだよ、もう」

「夏にもこんな話しましたね。なにも変わりやしない」

 ソファから立ち上がり、買い出しに行く用意を始める。

 一人で行くつもりかと咎められ、冷や汗を垂らしながらそんなわけないと言っておいた。

 ゆっくりしてほしかったんだけどな。看病というか介護というか。一生疲れているはずだから。

 気が休まらなければ休んだうちには入らないか。そうか。

 死ぬ最後のときまで迷惑をかけている。恥だ。

「久しぶりのシャバだー」

「シャバ言うな。アイマスクまでしてたらなにも見えないもんね。よかった、今日は元気で」

 歩けると言い張ったが車椅子にまた居る。なんで?

 最後くらいいいじゃん、歩かせろ。

「お願いがあるんだけど」

「今度はなんですか。本日の主役には従いますよ」

 さっきのことがあったから身構えてしまう。

 次はなんだ。爪の垢を煎じて飲みたいとか。

 これっぽっちも優れたところもないよな私。変なところだけ自己肯定感が高い人みたいだ。

 変な妄想だか想像だかはやめておこう。

「フリスビーやろう」

「おお。もう手に持ってる」

 買い出しに行く前に疲れてどうするんだとも思うが。

 今日の私は元気なのでやれますやらせてください。

 これで最後になるだろうから。

 そう思うと今までたくさんやってきたのに。どこか寂しいという感情に似たなにかが胸を染め上げていく。

 公園に寄り道をしてまだ朝の空気の広がる枯野に座る。

 上着を着込んでいても車椅子に座っているとどうしても体が冷える。歩くというのはやはり大切なこと。

「長い間疑問だったんですけどなんでフリスビーを?」

「え、なんでだっけ。叶ができそうなやつを選んだんだよ。バレーとかバスケとかは無理でしょ?まず場所がないし。当たっても痛くない、楽しめる。そして動ける。叶とできる」

 なんでだっけ、って濁されるのかと思いきやちゃんと答えてくれた。

 今瀬先生は。綾音様は。本当に私のことを考えて思ってくれているんだな。

 球技は全部駄目だし。別に私を的にして投げてくれたって構わないんだけど。

 そんなことはしない人だから。そんなことを言ってはいけない。踏ん切りも大事。

 かといって走るのも無理だ。持久力がなければすぐに転ぶ。

 色々考えて選んでくれたんだね、綾音様。私のために。運動音痴でなければ色々できたんだろうけど。

「運動はさせないと、って思ってた」

「さすが体育教師」

 夏振りくらいか、最後にやったのは。あれは夏だか秋だか分からないな。

 あらぬ方向に飛ばして綾音様を走らせる早瀬です。誠に申し訳ございません。

 キャッチするのも下手で見過ごしてしまうのもこの私です。いつもなら追いかけるところですが綾音様に止められてしまう私です。不自由極まりない。

 ひたすらに動き回っているのは私ではなくもちろん綾音様。悪いな、ごめんね。

 遊べるのも、話せるのも。全部を大切にしないといけない。

 全てが大切。全てが思い出。そう思ってきた。

 忘れる日が来ることはなかった。忘れずに死ねる。思い出と一緒に死ねる。

 看取られるとは思っていなかったけどね。それは予想外。予想の斜め上のまた上の上。

「相変わらず下手だね」

「すみませんね。下手でも楽しいんですよ。困ったもので」

 いいことじゃないか、と慰めなのかなんなのか。言葉をかけられる。

 いいって言ってくれるならいいのか。じゃあいいな。

「どこに飛ばしてんだ」

 いつもは飛ばないフリスビー。今のは今までで一番飛距離が出たのではないか。

 そしてまた走っていく本日の主役。私よりも一回り年上です。やっぱ私は極悪人なのでしょうか。

 疲れ切ったところで一休み。いい運動になりました。

「ありがと、付き合ってくれて。できないかと思ってたから嬉しいよ」

 私とやりたいと思っていてくれていたことがまず衝撃。

 こんな下手くそとやりたいなんて。変わった人だな。

「アイス食べたい」

 息も白くなるほどには寒いのにこの人が欲しているものは冷たいもの。

 動きまくらせたから暑くなってしまったんだろう。可哀想だな、なにか買ってくるか。

 公園の端にあるアイスの自販機に行こうとしただけなのに付き纏われている。心配しすぎだ。

「どれがいいです?」

「一番高いやつ」

 仕方ないな。本日の主役に免じて買ってやります。

 遊園地の帰りにも食べたっけ、いつの話だってな。ほんと。

 チョコミントを食べずに人生を終えようとしている。食べる勇気が出ない。まずミントが苦手で。

「美味しい」

「それはよかったです。体冷えないようにしてくださいよ、風邪引きますから」

 いくら動いて暑くなっているとはいえど。真冬の外でアイスを食うとは。寒くならないのか、この人。大丈夫か。

 マスクをしても鼻の奥がツンと痛くなる。いや寒い。

「一口あげる」

 くれるの?いいの?後悔しても知らないからな。

 遠慮なく一口いただく。

 何も食べられないときはアイスをほんの少し食べたりしてるけど。やっぱり違うな、調子がいいときのほうが美味しく感じられる。

 いつも冷たくて甘いなにかとしか思っていない。アイスに失礼。申し訳ない。


 のんびり過ごした後、ようやく買い出しに行く。

 やっとだ。

 家を出て結構な時間が経った。

 もう何ならなにも買わずに帰りたい。そういうわけにいかないからな。なに作ろう。

 思い出全部詰め込みセットでもするか。

 直近はお寿司とか惣菜をたらふく買ったりしていたけど。今日は手作りといきたい。

「卵ってまだありますよね」

「あると思う。多分」

 多分って。なかったらオムライス作れません。落書きしまくろうと思ってるのに。

 確認しなかった自分も悪い。そうです、責任はすべてこの私にあるのです。

 ラザニアも作ろうかと思ったけど若気の至りはもうない。

 あんなに手間と時間のかかるものは。しんどいとしか。

 チーズケーキは作ろう。あとチョコプレートをカゴにぶち込んでもらって。


「大丈夫?手伝うよ」

「心配ご無用です。でも一緒に作るのも楽しいかな」

 ということで始まりました最後になるであろう綾音様とのクッキング。

 チーズケーキを作ります。

 最後だという実感がとてもするのはなぜだろう。明日死ぬと決まったわけでもあるまいに。

 それでもなにかが違う。なにもかもが違う。見える景色があまりに鮮やかで。

「クリームチーズと格闘しておいてください」

 クリーム状にするのはとても面倒で嫌いな作業。

 押し付けました極悪人なので。

 クッキーを麺棒で粉々に叩き割る。隣で混ぜに混ぜている人がびっくりした表情をしている。かわいい。

「鬱憤溜まってるのか」

「叩けば病気の元も潰れるかなって」

 自分でもなにを言っているのか分からない。相変わらずの思考回路。バカは叩いても治らない。

 バターをレンジで温めて溶かす。

 案外なかなか溶けないもので。かといってやりすぎるのも駄目だし。

 お菓子作りというのは面倒という言葉でできている。

 バターと砕かれたクッキーを混ぜ合わせて型の底に敷き詰める。

 共同作業だと一人分の工程が減るからいいな。楽できる。

「これでいい?」

「バッチリです。天才」

 つい天才なんて言ってしまった。こういうクセは直らない。先生相手になに言ってんだ。

 ふと横に目を流してみると嬉しそうな人が居た。直らなくていいものもあるらしい。

 砂糖と卵と生クリームも混ぜて型に生地となる液体を流し込む。

 ちょっと目を離した隙に生地の液を指ですくわれてしまった。

「美味」

「まだ焼いてませんよ」

 美味しいなら焼いても美味しくなってくれるかな。

 何でもつまみ食いしてくるんだからこの人は。早瀬は困っております。

 そしたら予熱しておいたオーブンに放り込んで、っと。

「一晩寝かせるといかなくても今の時間なら夜には美味しく食べられますね」

「随分早起きだったもんな。公園もスーパーも人少なかったし」

 公園は散歩をしている人、走っている人がまばらに居るくらいだった。

 おかげでフリスビーをありとあらゆるところに投げることができた。

 スーパーもほぼ開店と同時くらいだったのもあってまだ人が少なかった。どこか新鮮だったり。

 もう閉まってる、なんてことが度々あったこの人生。

 死ぬ前にいい経験ができた。

「さてと。もうお昼ですが。なにが食べたいですか」

「寿司」

 綾音様のご要望とあらば。

 お寿司か。出前でも取るかな。

 私が生物を食べられなくなったからってそれに合わせて食べるのを控えてくれていた優しい人。

 たまに食べたとしてもすごく気を使ってくれていた。食べていいと言っても譲らないのがもう本当に。神聖の愛だ。

「叶はなに食べるの?食べないとかはないから」

「食べない選択肢消された」

 朝ごはんは早起きできたこともあってしっかりと和食を作った。

 見事に完食してくれた人と端から食べる気のなかった私。

 魚の切り身半分と味噌汁を食べたんだから上出来といきたいところ。

 それでも許してくれないようなので。

「綾音様の分けてください」

「全く、今日だけだよ。特別だから」

 文末になるに連れて声を弱めていくのはなんでですか。

 この人も分かっているのか。怖いくらいに元気に振る舞っているから。最期が近付いていることを嫌でも悟っていそうだ。

 ごめんね。幸せにしたいのに。


 しばらく経ち、テーブルの上にお寿司が広げられた。

 出前なんて久しぶりに取ったし電話とかいうものから逃げてネットで完結させた。

 現代に生まれてよかった。生粋のコミュ障なので。

 教師になっても色んな人と関わってもそこは変わらなかった。

「いただきます」

 どれもこれもが輝いて見える。特に綾音様が。

 一番高そうなネタから食べていく派なんですね。観察兼ねての目の保養。たちまち元気になる。

「シャリだけあげる」

「お寿司じゃないですそれは」

 思わずツッコむ。

 いや別にいいけど。それではただのお刺身じゃないか。寿司と言ったのはどこのどいつですか。

 本当にシャリだけもらってしまった。どこか魚の味がする。これはこれで。寂しいななんか。

 そう思っているとご飯の上にガリが乗せられた。

 そういうことじゃないんだよ綾音様。

 いやいいよ楽しそうだし。めっちゃいたずらしてる顔を向けられてる。眩しいなおい。

 日本酒もとっくりに淹れておいてお猪口に少しずつ注いでいく。

 注ぐのも楽しい。綾音様相手ですから。他の人にやるときはイヤイヤやってます。

 少量分けてくれるのもこの人の優しいところ。駄目だと言ってももう遅い。

「これからは好きなものを食べていいですからね。誰に気を使うでもなく。お寿司でもなんでも」

「叶が居ないなら食べない。叶のご飯じゃないとやだ」

 そんな子どもみたいなこと言って。

 健康的な食事を作るようにはしていたけど、それに文句を言われることもなかった。

 味付けを濃くしろとか言われたことがない。

 食に興味がないのか文句をつけるのも面倒だったのかは知らないけど。結構レア物だと思う、この人。色んな意味で。

 おかわり自由で味変自由で、というのもあったかもな。制限はしてこなかった。

 誰が綾音様相手にそんなことができる。

「駄目ですよ、ちゃんと食べなきゃ。食べないと元気に過ごせません」

 一旦は置かれたお箸だったが再び手に持たれた。食ってる、と言わんばかりに見つめられる。

 えらいね、えらいよ。

 これからもそうしてくれるともっと偉い。


 ご飯を食べた後はのんびりタイム。

 久しぶりに朝からこんなに動いた。

 疲れもこれといって感じない。最期だけはなぜか感じる。

「疲れてないの、叶」

「元気いっぱいですよー、もう治ったんじゃないかな」

 こればかりは空元気。

 綾音様には嫌というほど心配をかけてきた。何十年も。

 だからこそ最後となるこの日くらいは元気に、笑っていたい。

 何度も家を飛び出したのも、今思えば危ないし下手すれば死んでしまう案件で。申し訳ないなと思う。

「ほんとに治ったならいいのにね。無理は禁物だよ」

「最後の言葉はそっくりそのままお返しします」

 無理をする人だということはよく知っている。

 雪里先生もそれは知っているから。あの人自身もそういうタイプだし。互いに支え合っていってくれたらいいけど。

「顔白いよ、大丈夫か。疲れてるんじゃないの」

「至って元気です。チークでも塗れば白さマシになりますかね」

 馬鹿言ってんじゃないと一喝された。ごもっとも。

 自分ではよく分からないけどそんな顔白いかな。言われてみればなんか寒いような。外行ったから冷えたかな。

 お酒も少しもらったのに。赤くなるんじゃないのかよ。いつも赤くなるんだけどな。

 化粧も面倒でしなくなった。元からそんなに好きなものではないし。いやいやながらやってただけ。

 クリスマスにもらった毛布に包まるついでに綾音様を巻き込む。

 手巻き寿司の完成、なんちゃって。

「もふもふー」

「好きだなあ、相変わらず。一生そこは変わらないんだから」

 笑い声の響く部屋。静寂に包まれるのもそのうちか。

 どうしても生きる方向に考えが向かない。プラス思考にするのが難しいこととはいえ。

 死が目前に見えてしまっていては逃げようがない。受け入れるしか道はない。

 もし走馬灯でも見られるなら。今までの思い出を全部見たい。

 包まっているとインターホンが鳴った。

 嫌そうな表情を浮かべながら玄関に向かう綾音様。

 二人の予感はもちろん的中した。

「よ、綾音。はいプレゼント」

「はいどうも。酒か、センス終わってんな」

 玄関先で繰り広げられる茶番。

 毛布から這い出て、私も参戦する。

「先生、明けましておめでとうございます」

「早瀬が立ってる」

 そんなびっくり仰天しなくてもよくないですか。どういうことですか。

 いくら私が寝込みに寝込んでいたからといって。

「元気ならよかった。心配してたから」

「心配ご無用ですよ。この通り元気です」

 綾音様も雪里先生もなにかを感じ取っているのが見て分かる。

 相変わらず信用ないな。そんなに日頃の行いが悪かったのか。悪かったか。

 そのまま元気で居ろ、と云って肩を掴まれた。

 こうやって会話を交わすことももうないんだな。

 数分の茶番をして帰って行かれた。

 ありがとうございました。背中にかけた言葉は聞こえただろうか。

 リビングに戻り、また毛布に包まる。

 死にたくない。なんて。


「ご飯の準備しますね」

「もうやるの?まだ寝てようよ」

 流石にそろそろ動かないと手持ちの時間がなくなってしまいそう。

 でも服の裾を引っ張って制止されている。

 準備をするかゴロゴロするか。究極の二択に迫られた。

 そう素早く完成させられるものではないし。でもゴロゴロしていたいのも事実。

 あとなんかそんな目で見つめられるとね。私のかわいいねこさん。

 包まったまま抱きついて床を転げ回る。

 骨は床に当たるし。引っ付くな、やめろと言われるしもう散々だが。

 楽しいならそれでいい。

 二人暮らしにしては賑やかな家。


 やっとこさ取り掛かります。

 綾音様には誕生日プレゼントのお菓子を先に与えておいていい子で居てもらいましょう。

「私をなんだと思ってる」

「かわいい子猫」

 呆れ顔の次は頭を抱えてどこがそんなに、と愚痴られる。

 そういうところだよ。かわいいんだよ。自覚しろよ。

 なに作るんだっけ。とりあえずハンバーグのネタでも最初にやっておこう。面倒くさいんだよな案外。

 先生と暮らし始めて知ったことは。先生はオムライスが好きでハンバーグも好き。唐揚げも好き。子どもみたいでかわいいのがうちの綾音様。

 というわけでこれ全部作ります。どれだけ食わせるつもりなんだってな。

 量は加減しないと大変なことになる。

 冷凍しておけばいいか、どうだろう。


 悶々と考えながら作った結果はもちろん破茶滅茶に出来上がってしまった。オーマイガーです。

 唐揚げの量がもう。半端ない。

 今日のお肉たちはお肉屋さんで買われた結構いいやつ。感謝しろよ、先生。

 いつもならケチるところですが。特別なのでね。

「作りすぎだろ。二人で食べるにしても多いし食べるの実質私だけじゃん」

「がんばれ」

 いくら健康体で元気だといっても歳を考えるべきだったな。作り置きをする前提でいつも多めに作っていたけど今日はそうじゃない。

 まあいいか。頑張ってくれ。

 出来上がったところで黙々と盛り付けをしていく。

 横でつまみ食いをする主役。美味しそうに食べてくれるんだよなこれが。

 だからやめられない。作らない理由がないんです。いくらでも作りたくなってしまう。

 オムライスにはだいすき、とケチャップで書いてっと。

 なんかおしゃれに見える紙に唐揚げを乗せて。

 ハンバーグの上に卵を乗せて彩りを。少しでも茶色を隠そう作戦。

 あとは健康的にサラダを。私もサラダくらいは食べるかな。

「いただきます」

「どうぞー」

 やっぱり多い、と小言を言われている気がするが気にしない。だって小言だ。大事じゃないということだ。

 静かに食べ進めていく綾音様を見つめる。

 美味しいとも言わないしもう無心で食べてくれている。

 と思えば泣き出しただと。いやなんで。泣くところではないって。

「ティッシュどうぞ」

「ああごめん。美味しくて、つい。年だね、涙腺が脆いや」

 一から十まで作ったのも久しぶりだしな。だからってそんなに泣かなくたって。また作るからさ。

 学校終わりに、仕事終わりに料理をするのはクソだるいといえばそうだったけど。

 綾音様大好きマインドが炸裂してたから苦ではなかったな。若気の至りで。

 恋人になってくれって何度懇願してきたことか。その熱量を他のところに向けることはできなかったのか。

 今瀬先生だからこそだったのは間違いないけどさ。それにしたって。

 こんなに泣いてもらえるとは思っていなかったよ。

 私の料理を食べて泣く人なんてこの人しか居ない。そうだろう、小さい頃の自分。

 パソコンとにらめっこして作ってみての繰り返しだったのも無駄ではなかったわけだ。

 よかった。最後に報われた気分だ。

「流石に全部はむり」

「分かってますよ。明日からもどうぞ。頑張って食べてくださいね」

 冷蔵庫はなんか不安。冷凍して保存しておこう。

 早めに食べてもらえる保証がないもんな。

 死ぬ気満々みたいだけども。今という瞬間を大切にしないといけない。

 最後の最後までこの人を見つめておかないとな。心残りになってしまう。

「心から感謝してます。ずっと一緒に居てくれてありがとう」

「なんだよ、藪から棒に。ついに頭おかしくなったか?」

 感謝を伝えたらアタオカと言われるなんて。まさかのまさかだ。

 ちょっとは死に際を安らかにしてやろうとか思わないのか。なんか悔しくて死ねないじゃないか。

 死ななくていいのか。そうだな。また作ってあげないとだった。

「好きだよ、叶。いつもはなんかさ、言えないけど。思ってる」

 天と地がひっくり返りましたかね。侮辱されたと思えば告白ですか。

 好きだと言われることはあまりないし新鮮ささえ感じてしまう。

 私からは永遠に言い続けてもなかなか返事が返ってこない。

 五十回くらい言って一回返ってくる、みたいな。そんな確率。

 だから綾音様から言ってもらえるなんて早々ないこと。レア過ぎる。

 先生から好きって言ってもらえたぞ、過去の自分。最高だよな。

「好きです。……大好きです」


 謎の空気は一旦置いておこう。次に進むことができない。

 冷蔵庫で冷やしていたチーズケーキはあともう少しだけ寝ていてもらって。

 いちごを取り出してヘタをちぎりとっていく。

 チョコプレートに落書きして。文字が不格好なのは気にしない。チョコペンというのは難しいんだ。

 チーズケーキの上にいちごを並べて、プレートを乗せて。

「ろうそく何本にしましょうか」

「燃え上がるから今考えてそうなことは却下で」

 年齢の数だけぶっ刺してやろうかと思ったんだけどな。

 そうなるとケーキが穴だらけになって見栄えが悪くなる。やめておこう。

 袋には六本入っているのでこの本数で。燃えても困るもんね。二度焼きは要らない。

 火をつけて、電気を消す。

 暗闇に灯るろうそくというのは美しいものだ。いつ見ても心がどこか寂しくなる。

「お誕生日おめでとうございます」

「はいありがとう」

 吹き消されたろうそくの残り香を胸にため、電気を再びつける。

 切ったケーキをお皿に移して。やっとこさ食べられます。

 年は取りたくないけどケーキは食べたい、な綾音様をのんびり眺める。

 ちゃんと焼けているはずだけどどうだろう。

 美味しいかな、どうかな。

「美味しい。流石だね、君は。毎年のように焼いてくれて。嬉しいよ」

 そんなに感謝を伝えられても好きだと言われてもなにもでませんよ。

 ああ、プレゼント。そろそろ渡しておかないと忘れそう。

 包装は自分でやった。試しにオルゴールを聞きたかったのもあって。

 番犬が居ないうちに流してみた曲は静かで。雨の日にでも流したいような感じのもの。

 私がもらってしまいたいくらい。地産地消ならぬ自産自消。

「プレゼントはいかがですかー!今ならなんと一億円で売ります」

「金取られるとは思ってなかったな。あと高くない?一億って、私も欲しいよ」

 どうでもいい冗談を挟ませておいて心の準備をする。

 温めに温めてきたものなので。情が湧いてしまって手放したくないのです。

 手渡して、開けるように誘導する。

「なにこれ。木の箱」

「ただの箱じゃないですよ」

 思わずずっこけるところだった。まさか木の箱と言われるとは。

 なんか酷い。と思ってもこの人には何の悪気もないので飲み込んでおこう。

 昔ながらの雰囲気を纏う木製のもの。

 オルゴールといえばこういうやつ、という浅はかな考えで選んだ見た目。

 まじまじと観察しながらあるものに気付いた様子。

「ネックレスの片割れか。叶にあげたのに実質私のものじゃん」

「使われないよりいいじゃないですか。生まれ変わったということで」

 ペンダントにオルゴール。カタカナ語ばっかりな最近のプレゼント。

 無事に渡したいものを渡せたということで。これといって後悔もないかな。

 頭の隅っこには残ってくれそうなものたち。願いも祈りもここにある。

 綾音様の人生はまだこれからですからね。

 忘れてくれてもいいんだよ。

 先生という立場にある人のことを好きになって。

 叶わないどころの話じゃない。モラルっていうかなんというか。なにも考えずとも駄目だと分かること。

 それをガン無視した私と綾音様なので。これはごく稀な例。変人なのです。

 この人がどう思っているのかは知らないけど、私は今でも思う。自分は一生徒に過ぎないと。

 本来であれば疾うの昔に忘れられている人であるはずだった。

 一瞬で忘れてしまえるような人間があなたを愛しています。なんていう世にも怖い物語が完成するはずだったのに。

「生まれ変わっても一緒に居ろ」

「生まれ変わりたくはないですが。あなたの隣に居られるならいくらでも転生します」

 物は生まれ変われても生きている者はそうもいかない。輪廻転生だとかよく知らないし理解ができない。

 学生時代のテストでも間違えたんだよな確か。

 死んだあとの世界なんて知らない。

 地獄に落ちるべき人間であるのは自明の理だ。

 身のうちに渦巻くものは全身を満たしている。

 それでも。もう少しだけ、と思ってしまうのは死ぬのが怖いからで。

 どことなく暗い雰囲気が漂い始める。

 それを破ってくれたのは綾音様だった。

「聴いてみてもいい?」

「もちろんです。あなたのために選んだんですから」

 音楽というのはいいものだ。記憶に結びついてくる。

 消えてしまいたい、でもどこかには残りたいというわがままな願い。音楽ならそれを叶えてくれる。

「叶らしいセレクトだ。私も好きだな、この感じ」

 お互いに好きだと思えそうなものを選んだ。悩んだ甲斐があったな。

 なにかあれば聞いてくれたらいい。回想でもしてくれたらいいよ。

 少しでも歯止めをかけることができたらとも思う。後追いなんて勘弁だ。

「今日撮ったやつ。永久保存行きな」

「ひたすら撮ってると思ったら動画だったんですね」

 朝から今の今まで動画が回されていたらしい。長尺映画にでもするつもりか。

 写真も動画も至るところに保存してあるけど。これ死んだとき困るよな一番。どうしようもない。

 遺品整理なんて私にはできない。綾音様の分は全部取っておいてしまうだろう。

 捨てることなんて絶対にできない。

 本当に困ったときはもう業者を呼ぶしかないだろうな。そのときは自分も一緒に。

 この人大丈夫かな。私のもの全部取っておくとか言わないだろうな。

 いくら物を捨てたといえど、もらった手紙やら何やらは取っておいてある。捨てるに捨てられなくて。

 しばらく経ってもスマホを見ている綾音様。

 一体なにを。

「わ、なにこれ。酷い顔」

「私の叶になんてこと言ってんだバカ」

 十年前とか、まだそんなに時間は経っていない頃の写真を見返していたようだ。

 酷い顔だしなんか寝顔まであるし。なに撮ってんのこの人。

 疲れ果ててスーツを着たまま床で伸びてしまっているときの一枚もある。なんでまたこんなもの。

「先生みたいな人になりたいなんて夢のまた夢でした。こんなに素敵な人を目指せてよかったです」

「早瀬はよくやった。誰よりも知ってる。君の頑張りも努力もね。寝ながら泣いてたのも全部」

 最後のは知らないな。私の知らないこと知ってるのやめてもらってもいいですか。

 今瀬先生に憧れ目指した夢。

 決して教師になるのがゴールではなく。

 毎日がスタート地点。

 自分から胸を張って頑張ったとも言えないし努力できたとも思わない。

 成長を見届けることはできても結局なにもできなかった。

 それなのにこんなに優しい言葉をくれてしまうのが。憎くもあってうれしくて。

 自分で自分を認めてあげられたらよかった。最後くらいは。

 些細なことの積み重ねが土台になる。周りは殻を破る手伝いはしてくれても、行動するのは自分自身。

 そう今瀬先生は言っていた。その些細なことをし続け、しっかりした土台をこの人は作っていた。

 そうすれば信頼される。自分自身を信頼できる。

 どこまで追い求めた夢であっても、追いつくことはできなかった。

 そんなことを言える人には到底なれない。

 あの日の今瀬先生の年齢を越えた今でも。

「叶は叶として、やれることをやった。よく頑張ったね。あんなに小さかった君がこんなに大きくなって嬉しいよ。誇りだ」

 思わず胸に顔を埋めて泣いてしまった。

 認めてもらえたというのが、自分の中で許しきれていない。

 そしてほんの一部を許せているということが、とめどなく涙を流させてくる。

 決して楽な道のりではなかった。この人生というのは波乱万丈そのもので。今を生きるのに精一杯の毎日で。

 今瀬先生に出会えていなかったら、とっくの昔に死んでいたはずだ。

 中学生の間に死のうと思っていた。死ねなかった。

 屋上の幽霊になっても、本物の幽霊にはなれなかった。

「会うたびに元気?って訊いてくれた。今でも訊いてくれてしまう。何気ない日常が私を繋ぎ止めてくれた」

「死にたがりさんは困ったものだ。めっちゃ生きたがってんじゃん」

 なぜか綾音様まで泣き出した。

 笑わせられたらよかった。せっかくのお誕生日なんだから。

「これからも言ってあげるから。元気になったら桜見に行こう。生きよう、一緒に」

 はい、の声が震える。

 数多く残されたアルバムもスマホの中の写真たちも。

 今までの思い出を記したものも。

 死ななくてよかった。

 生きていてよかった。

 綾音様に出会えてよかった。

 終わりというリボンがほどかれる日を迎えたとしても、最後の最期までは。

「先生、恋人になりませんか?!」

「いいよ。ずっと一緒だ」

 二人でベッドに横になる。

 イルカのクッションは布団の隅で眠らせて。

 明日を迎えることができたら。

 その先の世界を見ることができれば。


 大好きだよ、綾音様。

 お誕生日おめでとう。

 いい一年になることを、幸せな年になることを。

 心から願っています。


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