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先生、叶えてくれませんか?!  作者: 雨宮雨霧


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第十二話 先生、叶えてくれませんか?!

 気が付くと果てしなく続く道に居た。

 どこか見覚えのあるあぜ道。

 家から飛び出したときに行ったあの場所だ。

 なんでこんな場所に。それも裸足で。

 歩いても歩いてものどかな景色は変わらない。

 自分の足で歩けていることに感嘆を漏らす。

 綾音様はどこだろう。早く家に帰らないと怒られる。

 あの人は心配性だからな。今頃GPSでも見て怒りに震えていることだろう。

 どこからか声が聞こえる。

 私の名前を呼ぶ声が。聞き覚えのあるもの。それも泣いている。

 歩いているとなぜかこれまでの人生が見えてきた。

 基本綾音様との思い出しか振り返ることはない。

 辛いものを掘り返せばせっかく縫った傷口が開いてしまう。

 それなのに映写機に通したような景色が視界を包む。


 小さい頃から一人だった。

 ひとりと言っても孤独との二刀流。

 電気のつかない部屋に寝転がって。それにも飽きて外にふらふらと歩いて行って。

 食べられそうな草を食べてみたり。不味くて吐き出すことのほうが多かった。

 砂は食べるものではない。本当にお腹が空いたときだけ。

 たまに戻ってきた誰かがお金を置いていってくれた。

 無視していたらなくなってしまう。だからポケットの中に突っ込んで隠していた。

 一番安いお菓子を買って、少しずつ食べて。

 美味しいものを食べると不思議と力が出た。

 明日はなんとかなる。そう思えて。

「叶が誰かの願いを叶えてあげられるようになりな。そうすれば叶の願いも叶うから」

 秋に思い出してから脳裏に刻まれている母の言葉。

 今だからこそ母に言いたい。

 綾音様に知られたらちょっと大変なことになるけど。どこに居るか分からないからちょっとだけ。

 どれだけの願いを叶えれば私はお母さんと居られたの?

 よし、それだけ。

 綾音様が親代わりになってくれたことには感謝している。でも親というかなんというか。

 家族だって言ってくれたときは心から嬉しかったな。今も嬉しい。

 だからこんなの聞かれたくないんだ。

 綾音様を傷付けてしまう気がして。


 やっぱりどこからか声が聞こえる。

 これが夢なのか現実なのかも見当がつかない。

 今できるのは歩くことだけ。ここからどうにかして家に戻るだけだ。


 この頃はまだ家事ができなかった。

 電気が戻ったときに分からないながら色々ネットというもので調べた。

 パソコンを使っている姿は今までに見たことがあったから。触ったこともあった。

 使い方を教えてくれたのは実父。優しいときなんて滅多になかったけれど。

 機嫌のいい日だったんだろう。

 文字もまともに読めなかったからしばらく動画で覚えていた。

 子どもの記憶力ってすごいよな。

 綾音様にネットで家事を覚えたと言ったとき、「天才じゃん」と言ってもらったことがある。

 よかったね、天才だって。

 生きる術を身に着けようと必死だったこの子に教えてあげたい。

 過去の痛みが消えなかったとしても努力は消えない。どっちも消えないんかいってな、ほんと。


 場面が変わったと思えば歩いていた道が夕焼け色に変わっていく。

 空を見上げれば眩しい夕日がそこに居る。こういう色の卵あったよな。じゃなくて、早く帰らないと。


 次はなんの場面だろう。

 学校の机に突っ伏している子が居る。

 ああこれ私か。そうか。そうだった。今見えているものは過去のものだったな。

 それにしても小さい。子どもってこんなに小さかったっけ。

 中学生相手でも成長のスピードに驚愕していたのに。こんなに小さいと毎日が成長ものだろう。

 学校に行きたいわけもなかったけど家に居るよりずっとマシだった。給食もあるし。

 この頃には簡単な料理もできるようになっていた。

 ガスが止まればカセットコンロを使って。水道が止まれば夜の公園に行って蛇口を借りたり。

 毎日するわけではなかったけど。何日かは食事を抜いていた。

 クラスに馴染めた試しがなかった。

 誰かと話した記憶もほぼない。授業でグループワークをしろと言われてもだんまりを決め込んでいた。

 なのに先生になりたいなんて思うようになるとは。流石のこの子もびっくりだろう。

 学年が上がってからあるビルの屋上に足を運ぶようになった。

 空が近くて。静かで。あの場所が好きだった。

 居場所なんてなくていい。それでも息がしやすい場所が欲しい。そう思いながら探し当てた憩いの場。

 自由になれる気がした。来世はもっといいことがあるはずだって。

 今世に関しては諦めというよりも最初から希望も知らない子だったから。

 生まれ変われるなら、とよく考えていた。

 百合の花とか。食べれるからよもぎの葉っぱとかになりたかった。

 人間になるのはとてもではないけどごめんだったし。


 段々と明瞭になっていく声。

 聞き覚えどころの話ではない。綾音様の声だ。

 誰よりも聞いてきたこの声。死んだって忘れるはずがない。

 そうだ、死。

 死ぬんだっけ。なのになんでこんな藍色になっていく空の下に居るんだろう。

 頬を自分で引っ叩いてみても意味はなさそうだ。夢なのか現実なのか。夢ならなんで目が覚めないんだろう。

 綾音様はどこに居るのかな。


 中学生になって、今瀬先生に出会った。

 人生の転機。

 どうやって生き延びていたのか自分でも分からない。

 あざだらけで傷だらけ。親が帰ってくればサンドバッグになっていた。

 人間なんて嫌いだった。

 自分自身のことも嫌いだった。大人はもっと。

 お前さえ居なければ。なんで生きているんだ。

 何度言われたか。親からすれば私はお荷物だった。

 それなのになんとまあ、先生のことを好きになってしまった。

 バカバカしいけど。今でも正気か疑ってしまう。

 初めて人を好きになった。心を許せた。

 信用というものを覚えた。信頼というものを知った。

 今でも信用も信頼もできるのは綾音様だけ。

 雪里先生は。多少は、ね。うん。レベルが違うどころか次元さえ違うと言っても過言ではないし。

 学生時代に限定してしまえば信用なんてしていなかった。今は流石に少しはしている。

 思い出もここから増えていった。

 人間らしくなっていった。

 最初話しかけられたときはもう怯えきっていたけど。好きとか嫌いとかの次元ではなかった。人が怖くて。

 廊下ですれ違ったり、体育の授業の時間だったりに必ず「元気?」と訊いてくれた今瀬先生。

 普通なら訊かなくなりそうなものを、3年間続けてくれた強者。

 信頼関係を築けたのも先生の努力あってのこと。

 答えるまで待ってくれた。焦らなくてもいいと直接言われたわけではないけれど。答えを引き出そうとしてくれていた。

 それがなにより嬉しかった。あの頃の私も、今の私も。

 気にかけてくれる人が居るということ。見守ってくれる人が居るという安心を心に刻んでいった。

 今瀬先生には本音というかなにか言えるようになった。

「どうせ死ぬのになんで勉強なんてしないといけないんですか」そんなことも言ったな、そういえば。体育の時間に言うものじゃない。

 まるで今実際に再度あの瞬間を体験しているみたいだ。

「死ぬまでの時間をどう使うかは君次第だよ」

 それなら、今瀬先生を死ぬまで愛そう。叶わない恋でも、好きを伝えることができなくても。私にとっての今瀬先生はどこまでも素敵な人だから。

 なんて思ったけど。叶ってしまったし四六時中好きと言ってるし。

 どうせ死ぬんだから死に急がなくたっていいんだよ。今ならそうこの子に伝えられる。

 食材の代わりに薬を買うようになった頃、今瀬先生の前で死にたいとか思ったこともあった。

 学校の屋上にもよく行っていた。本来なら開かずの扉であるはずだったのに。

 おかげで屋上の幽霊になった。髪を伸ばしっぱなしにしていたこともあって、結構お化けに似ていた。自慢。

 カッターを買ったと寒いダジャレを言ったときの先生の引きつった顔と言ったらそれはもう。

 持久走で早々にくたばった私を介抱してくれていたときだったっけ。

 余程寒かったんだろうな。冬なのに余計に寒くしちゃったなと思っていたら紙切れを手の中に押し込められた。

「なにかあったら相談するように」なんて、ああ。先生らしいな。

 相談は結局しなかった。なにを相談しろと言うんだ?先生のことが好きすぎて困ってますとでも言うのか。

 言えるわけがない。

 そこで一度関係が砕けるところだった。

 そっち側の人だって。そんなことはないんだけども。

 優しくされた後に突き落とされるのが怖かった。

 なにに困っているのかも私には分からなかったし。自分のことなんて分からない。今瀬先生のほうが知ってくれていたはずだ。

 いくら先生が好きといっても。ただ好きなわけじゃなかった。

 体育は嫌いだし筆記もダメダメだし。でも先生が好きだからその教科を嫌いになることもできない。でもとてつもなく苦手。

 成績には厳しいのに優しいから。だめだめなのに声をかけてくれるから。

 いつか頑張ったって言えるようになる、とも言ったけど。

 頑張ってるって言ってもらえることもあったけど。

 先生のほうが頑張ってるのになに言ってんだって思ってしまって。

 素直に受け取ればいいものを。

 夏が好きだと先生が言ってくれたときも思った。なにもかもが真逆過ぎる。

 だからこそ綾音様を好きになれた。違うからこそその人を知りたいと思える。

 嫌いだった夏もそれからは嫌いとは思わない。苦手だけど、苦ではない。

 なんか悔しいな。好きなものを私も好きで居たいなんて。

 一人で生きられると思っていたのに無理だって気付いた。

 今瀬先生のことを考えないと生きていけなくなっていた。

 殴られても蹴られても、焼かれても。包丁で脅されたって。

 ずっと今瀬先生のことを考えていた。

 先生がもし私の死骸を見つけてくれたときに、少しでも綺麗なままでありたかった。

 傷だらけでいいと思っていたのに。女の子みたいなことを思って。


 歩いても同じ道が続く。

 一体どこに迷い込んだのか。

 綾音様の誕生日をお祝いして、一緒に布団に入って。それで……。

「叶!」

 振り向いた途端に途切れた意識。

 重たい瞼を開けると、綾音様の顔が見えた。

 なにかを言おうとしても声が出ない。まるで海の中に沈んでいっているような。

 ああ、こうやって死ぬのか。ほう。走馬灯というかもうホームビデオでも見ている感覚だ。

 感慨に浸りながら愛しい人を抱きしめる。

 抱きしめ返してくれるんだ、優しいねやっぱり。

「もうちょっとだけ、寝かせてください」

「馬鹿言うな。無理にでも起きろ、起きて。叶」

 雨音が耳に入る。

 天気予報は晴れと言っていた気がするんだけどな。

 痛みともまた違うなにかから逃れるためにももう一度眠りに入る。もう少しだけ。あともうちょっと。

 というか綾音様の腕の中で寝れるとか最高じゃん。寝よ。

 でもなんでこんなに起きろなんて言うんだろう。不思議。

 まだ生きてるよ、先生。大丈夫。


 学校が嫌いでも卒業したくなかったな。今瀬先生に会えないとかこの世の終わりだった。

 これで本当に生きる意味がなくなる。存在価値もない。

 よかった、自分は先生にとって一生徒。だったら死のうが死なないが変わらない。

 悲しんでくれる必要なんてない。

 訃報はきっと届かないし。忘れてくれるのが一番。

 ただ、今瀬先生が私を生かしてくれたということだけは誇りにでも思ってほしい。

 一人の人間を生かしたんだと。ここまで生かした自分を誇ってほしい。

 本気でそう思っていた。今も思う。伝えたこともある。

 あなたが誇るべきなのは、あなた自身だと。

 伝わったかどうかは分からない。多分、違うものを誇ってくれている。それが私の愛した先生だ。

 どうしても手紙を書きたかった。書いたことなんてないのに。

 小学校の授業で書かされたものは全部想像で書き上げた。ありがとうを伝えたい人だとか。将来の夢とか。

 全部が架空の物語だった。

 心から本音を書く。そんなことをしたのは初めてだった。

 書きたい言葉、何なら単語を思いつく度にメモをして。それを下書きに組み立てて、清書して。

 大好きです。なんて書く予定はなかったのに書いてしまった。

 もう会えないのに、どうせ死ぬのに。見栄えを気にしていたって仕方ない。

 最後ならもう全部はっちゃけちゃえって。

 おこがましいこともたくさん書いたし。先生相手に書くものではなかったかもしれない。

 ありがとうでは足りないくらいありがとうございました。はいいとして。

 生かしてくれてありがとうございました。はまだ書くべきじゃなかったな。だってこうなるなんて思わないじゃないですか。ねえ。

 内容は本当に黒歴史。思い出したくもない。なのにあの人ときたらたまに読み返してにやにやしてたの。

 あと結構長い間持ち歩いていらっしゃった。もうそれに関しては心から怒りと恥が込み上げてきてしまって。恥が勝った。

 ゆっくりこういう幸せなものだけを思い出せるのはいいな。

 幸せなまま死ねそう。


 卒業してからはもうミイラみたいに過ごして。絶食を続けていた。

 夜は真っ暗闇で泣いて。会いたくて仕方なかったんだよな。こう見つめ直すとピュアすぎて笑う。でも会いたくなくて。あんな手紙を寄越した手前。

 なのによく生きたね。えらいえらい。

 生きる意味も理由も価値も見出だせないまま迎えた高校生活。

 そして人生最大の転機。

「先生、恋人になりませんか?!」

 忘れてしまいたくても忘れられない思い出。

 本音でした。だったんです。本気でした。

 いやほんと面白い。だって先生相手にこんな。一回り年上なのに。

 やってしまったならもうとことんやってしまえの精神。

 檸檬の皮みたいに苦くて、それでも離れられなかった恋。

 つい口から突拍子もなさすぎるものが出た。

 毎日どころか毎分毎秒好きだと思っていた。

 暇さえあれば今瀬先生のことを考えて思い返すくらいの勢い。

 今ならこう言う。恋人になりましょう、先生。

 今更拒否権なんてありませんよ。


「起きてったら叶」

「なつかしい夢くらいみさせて」

 まだ綾音様の腕の中で寝ていたらしい。じゃあお言葉に甘えてもう一眠り。

 死ぬ前くらい起きろって話だが。起きられるんだったら起きてますよ。

 多分眠る度に死を覚悟してくれてるだろうけどまだ生きてるからね綾音様。

「叶が必要なんだよ」

 ええ。なに告白ですか。変なの。

 私もあなたが必要だよ。

 だから生きてください。


 なぜか急に始まった今瀬先生との二人暮らし。三十年続くとは思ってもみなかった。

 恋のキューピッドもびっくり仰天だろうな。

 持続可能な恋でした。

 一年目は私の実家で過ごし。二年目からは綾音様の家で。私が教職に就く前に今の家に引っ越した。ずっと綾音様と二人暮らし。

 そう思うだけでにやにやしてしまう。

 初めて一緒に寝たときは一睡もできず。初めてキスをしたのは高校を卒業してからだったけどその日も寝られず。

 破壊力がすごいんですよねこの人。私の心臓がここまで持ち続けたことがすごいくらい。

 高校生活は家を飛び出して綾音様に捕まえられたり。あと一歩で死ぬところだった私を助けてくれた誰かのおかげで綾音様に泣かれたり。

 あのとき死んでたらどうなっていたんだろう。多分泣くどころかもう一回とどめを刺されそう。だって綾音様だから。

 薬もカッターも何度没収されたことか。

 あの頃はなんで邪魔するんだって思ってたけどそりゃ止めるよな。そうだよ。だって好きな人が自分で自分を傷付けるとか嫌じゃん。

 私だって止める。

 相手が誰であろうと。

 教職に就いてからは本当に止めたこともあった。

 心から止めた。これもきっと成長。

 先生にご飯を作っても自分は食べないことも多かった。

 食べてる姿見てるだけでお腹いっぱい、みたいな。うつつを抜かすなとデコピンされたりもした。

 先生みたいな先生になりたい。そう決意してからは大嫌いだった勉強をするようになった。

 数学二点とかザラに取っていたこの私が。頭のネジがもう一本外れたんだろうなきっと。

 家事も勉強も両立した。

 綾音様の帰りを待つのが寂しすぎて気を紛らわさないとどうにかなりそうだったのもあったかな。

 今日はいつ帰ってくるんだろう。なにが食べたいかな、疲れてるだろうからちゃんとしないと。

 なんて思っていた。

 忙しいのに私を気遣ってくれて。先生のほうが疲れてるのに。

 今日あったことも聞いてくれたし。またどっか行ってたなって怒られもしたし。

 水族園とか楽しかったな。

 一緒にクリスマスプレゼントを探しに行ったり。

 行事ごとは全力でやりすぎて。

 メイドにもなったし猫耳もつけたし。

 お風呂場に蜘蛛が出て二人で悲鳴を上げたりもして。

 セミの死骸も私が外に追いやったんだっけ。

 ああ見えてあの人は大の虫嫌いだから。


 特に綾音様の誕生日は全力を注いだ。

 大好きな人をお祝いするというのはこんなにも幸せな気持ちになるのか、と毎年実感していた。

 なにを作るか考えるのも、プレゼントを考えるのも楽しくて。

 何だったら喜んでくれるかな。どういうものがいいかな。

 年を重ねるに連れてなにをあげたらいいのか分からなくなってはいたけれど。

 必死に考えて悩んでいた。

 愛は尽きることがない。


 いつも祝ってもらうことなんてなかった私の誕生日。

 恋人になってくれとここでも要求した。そしたらこの人後悔しないからとか急じゃないとか言い出して。

 初めて人に祝ってもらった誕生日には婚約指輪をもらいました。全人類が驚愕するであろう出来事。

 お寿司もこのとき初めての域で食べて。美味しかったなあ。うれしかった。

 今年は私が居ないので。あと一ヶ月すれば歳を取るんだけど。

 無理そうですね、神様。

 家からよく飛び出していたらGPSを仕掛けられて。ペットカメラまで設置されて半ばドン引きしていたけどそれにも慣れて。

 一緒に居られる時間が限られていたからこそ大切にできた。

 かなり濃密な時間、ありえないくらい幸せな毎日で。

 先生が居てくれたからこそ頑張れた。もしいつか別れが来たとしても一生背中を追い続けようと思っていた。


 大学は教育学部に行った。行けたんだよななぜか。第一志望に。

 受かったと思えば実家が消滅した。

 綾音様には「ずっと一緒に居る」と約束された。

 嘘だと思っていた。いつか捨てられるって思ってた。こんなこと言ったらそれこそ怒号が飛びそうだけど。

 いつかいい人が見つかって、結婚して。幸せになって。なんて想像をして一人で泣いたりしていたバカがここに居ます。

 だって思うでしょ。こんなに素敵な人を無視する阿呆がどこに居るんだ。

 大学時代の一番の思い出はやっぱりフォトウエディングを撮ったこと。

 撮ってからもそんなバカなことを考えていたので生粋のバカです、私は。

 ドレスを着るとか嫌がるものだと思っていたのに。下見をしたときから子どものようにはしゃいでいて。

 こんな顔するんだ。えやばかわいい。と感心したりして。

 目の前に天使が降臨したときは泣いてしまった。白馬に乗ったお姫様すぎて。

 このシーンだけ本当に死ぬ前に見せてください神様。もう一度、いや何度でも見たい。

 これだけは一生忘れられない。死んだとしても。


 バイトは喫茶店でしていた。

 バイト先にまでペットカメラ置かれるところだったけど。いや待て置かれてたっけ。え、え?そんなバナナ。

 いつの間にかお客として来るようになった綾音様。

 ウィンドチャイムの音が耳に入って振り返ればそこに手を振る彼女が居て。

 マスターには「大切にしてあげなよ」と言われるし。不思議なことにマスターは私と綾音様との関係を見破り、雪里先生までも見破っていた。

 もし天国とかいうあるのかないのかも分からない場所で再会できたら聞いてみよう。

 なんで気付いても応援どころか背中を押してくれたのか、と。


「雷やだあ……」

「そこは起きるのか。大丈夫だよ、叶。大丈夫だから。生きてよ、叶えてよ」

 一瞬見えた表情はあまりにもかわいくて。

 困り眉のまま微笑んで安心させようとしてくれて。

 愛されてるな、自分。

 愛されてんじゃん。

 雷は幼い頃から苦手だ。

 雷の鳴る家に一人ぼっちだったのも怖かったし、雨に打たれながら放浪していたときに鳴り響いた轟音を今も覚えている。

 それでもここは暖かい家で、布団の中で。

 綾音様の腕の中で眠れて。

 なにも怖くない。


 ドタバタしながらの教師生活。

 毎日が怒涛。体調を崩してもエナジードリンクでしのいだりしていた時期もあった。

「はやせんはなんで先生になったの?」

「はやせんじゃなくて早瀬です。私は恩師に憧れて目指したんだよ。命を救ってくれた人でね」

 へー、と言いながら教卓に頬杖をつかれる。

 聞いておきながらその態度とは。別にいいんだけどな。

 この種の質問は嫌いじゃない。今瀬先生を布教できるから。

「じゃあ私ははやせんのこと見習って先生になろうかな」

 満面の笑みの中に満更でもない表情が混ざっている。

 もし本当にそうなれば私も嬉しいよ。

「先生のこと見習ってもあまり意味ないと思うよ?」

「出た、自己肯定感激低の先生」

 それにしても告白してくれたあの少女がまさか夢に出てくるとは。

 今はなにをしているんだろう。元気かな。

 もし本当に先生になっているなら褒めてあげないと。

 いなくても褒めてあげないと。

 よく頑張ったね、って言いたい。もちろんみんなにも。


 雪里先生が現れるようになったのもその頃からだった。

 ずっと前から気付いてはいたけど接触しないように気を付けていたんだとか。

 喫茶店になぜか綾音様と雪里先生が居てびっくりしたのを境に。

 一人暮らしなのに家出してきたり。綾音様が体調を崩したときに召喚したら大変なことになったり。

 体調が悪いくせして殺気立つ恋人は怖かった。怒らせたらやばい。

 たまに現れては綾音様にアタックしていた雪里先生だったけど。気付いてももらえず鬱陶しがられるだけというね。哀れでさえあった。

 それでも私を責めることはなくて。あいつがロリコンじゃなかったら、って言ってきて。

 この一年はかなり迷惑をかけて働かせてしまった。

 これからは、綾音様とゆっくり。しばらくはできないかもしれないけども。

 幸せに生きていってくださいね。雪里先生、綾音様。

 一人で泣いて苦しむことはできても、一人で笑うことはできませんから。

 無理に言葉を飲み込む必要もない。

 泣くのを我慢する必要だってない。


 ある日にはまた告白を受けたことがあった。

 それもまさかの同性の先生に。

 流石にあの子にされた告白よりもたじろいだ。

 綾音様には言っていないこと。墓場まで持っていくつもりで居たから半分忘れていたけど。

 倒れる前のことだった。

 階段を登っているときにぼそっと云われただけのこと。

「先生のこと、好きです」

 正気か疑った。すごく疲れていらっしゃるんだなあと思った。

 気付かなかったふりをして。倒れて。

 返事してないなそういえば。

 退く前に挨拶に行ったとき、感謝は伝えたけれど。

 告白の感謝ではなくただの感謝。

 なんか申し訳ないことをしたし、どこか罪悪感さえ残してしまったかもしれない。

 もっといい人を見つけてください、お願いします。

 でも、好きになってくれてありがとう。


 入院中は子どもたちと戯れる日もあった。

 勉強を教えることもあった。相談を受けることもあった。

 何でも屋さんに転身していた。

 その期間も短かったけど。

 元気ならいいな。元気になってくれていたらどれほどいいか。

 私は天寿を全うしたとでも言えるが。

 子どもたちにはまだまだ長い人生が待っている。


 先生みたいな人になりたいなんて夢のまた夢で。

 追いかけるには十分な人だった。

 永遠のロールモデル。

 追いつくことなんてできない。唯一無二の存在に追いつくなんてとんでもない。

 誇ってください。今瀬先生。一人の生徒をここまで生かして成長させたことを。

 生きてこられたのは紛れもなく綾音様のおかげ。

 背中を追い続けたいと思えたのはあなただけ。

 今瀬先生みたいな先生になることはできなかったけれど。

 綾音様みたいな人になることもできなかったけれど。

 自分らしく生きてこられたでしょうか。

 自分の殻を破ることも、逆境を生き抜くことも。キセキに感謝することも。

 全部先生に教えてもらったんだよ。

 願いを叶えることができたなら。なにか変わったのでしょうか。

 ねえ、今瀬先生。

 私は成長できましたか。


「叶、なにが食べたい?なんでもいいから言ってみて」

「あやねさま、とか」

 最後まで冗談をぬかして。本当に私ってやつは。

 もう食べる気力も残っていない。

 目を開けているのもしんどい。

 生きたい。

 生きていたい。

 綾音様の誕生日を祝えた。だからもういい。

 目標は達成できた。天寿を全うできた。

 雨脚が強まる音が聞こえる。

 すっかり外も暗くなってしまった。


 おぼろげに見える綾音様の顔。

 握られた手に落ちる涙。私の頬にまで落ちてくる。

 仕方ない人だな、全く。あなたには笑っていてほしいのに。

 何時間も綾音様の腕の中に居る。

 流石に腕も痺れてるだろうな。

 でももう少し。わがままに付き合ってほしい。

「ありがとう」

 どれだけ声が出にくかろうと、これだけは言っておかないといけない。罰が当たって地獄に落ちてしまう。

 困るなあ、そんな顔をされたら。未練が残ってしまう。

「そんな顔しないでください。大丈夫だから」

 なにも大丈夫じゃない。そう繰り返しているのが聞こえる。

 大丈夫。大丈夫だよ。綾音様は大丈夫。

 声にならない思いが綾音様に届くことはないだろう。なにも大丈夫じゃないはずだから。

 雨の音が薄暗い部屋を包む。

 間接照明の灯りさえどこか仄暗い。

 雨の降る夜。傘も差さずに先生みたいな先生になりたい、と私は言った。

 二人でびしょ濡れになって。

 果てしない夢は心に宿って。

 綾音様だけは幸せになってほしい。

 元気で居てほしいんだ。

 生きていてほしい。なにがあっても。

 五百歳くらい生きてね。なんて。

 想いは心に消えない星となって光る。

 綾音様のことをお星さまみたいだと思ったことがあった。

 星の形が好きだと聞いていたのもあったけど。星みたいに儚くて、気付いたら消えてしまいそうで。

 これからあなたは星月夜を見上げる度思い出してくれるのでしょう。

 三日月の夜になったら思い出してください。誇るべきなのはあなた自身だと。

「大好きだよ、あやねさま。……だから、生きて」

 痛みも苦しみも消える感覚というのは。

 綾音様の表情も見えなくなるというのは。

 こういうものなんですね、今瀬先生。

 桜見たかったな。綾音様と一緒に。

 ありがとう。

 心から感謝しています。

 だから泣かないで。

 先生、叶えてくれませんか。

 幸せに生きてくれませんか。


 最期に見えた景色は何度か来たことのある海だった。

 砂浜を歩き、水平線を眺める。

 嫌なくらいに輝いて見える月は海面に滲み、無数の星は希望へと変わっていく。

 空と海が交わらなくても。

 なにも叶わなくても。

 終わりというリボンがほどかれる日を迎えたとしても、最後の最期までは。

 たまにはアルバムでも開いてくださいね。何冊にも上る、数々の記憶たちを。


 軌跡が繋いだ奇跡。奇跡があったからこそ紡がれた軌跡。

 そんな私と綾音様の物語。

 ありがとう、綾音様。どうかお元気で。

 大好きだよ。



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