最終話:王妃道の贈り物
長く悪かった天候は、嘘のように晴れ渡っていた。
クライドと手を繋いで家の玄関を出ると、青い芝生に集まっていたたくさんの人たちから拍手が沸く。
「みんな……どうして」
いつの間に集まっていたのか、社交界の友人や、近所の顔見知りの姿がたくさんあった。
待ち構えていたメイドのドリーがセシリアの髪に美しいティアラを付けてくれる。
「おきれいですわ、セシリア様。とってもっ」
「ドリー、どうして……」
「アレックス様から、私たちは昨夜のうちに事情をお聞きしていたんです」
母親の病を治してくれた若き医師、アレックスが遠くでこちらに微笑みかける。
今日クライドが来ることを知らなかったのは、自分だけだったらしい。
だが、怒る気にはならない。
「別の方とお見合いをなさるとおっしゃるセシリア様が、もし陛下の求婚をお受けにならなかったらと、ヒヤヒヤしておりました」
「そうだったの……心配かけてごめんね」
「いいえっ。本当におめでとうございます、セシリア様」
涙ぐむドリーを、セシリアはギュッと抱きしめて「ありがとう」と礼を言った。
「きちんと三年間セシリア様を想ってくださっていたなんて、やはり陛下は思った通りの素晴らしい人格者でしたわね!」
いやいや、本当はただの変態なのっ、と教えてあげたかったが、今更彼の印象を変えてしまう必要も無いだろうと思った。
「セシリア、今まで苦労かけたね。綺麗だよ、おめでとう」
「お母様っ。そんな……苦労なんて……っ」
マイラの優しい抱擁に、セシリアは少しだけ子供に戻ったように甘えたように抱きついた。
「セシリア、手を」
クライドの差し出した手に自分の手を重ね、無表情で佇む伯父の元へと向かう。
「伯父様……」
伯父はいつもの陽気な雰囲気を一切消し去り、アディソン家の当主然として、射貫くような目でクライドを見据えていた。
それに少し、不安を覚える。
伯父はまだ、自分たちの結婚には反対なのだろうか。
そしてもし伯父が反対だと言えば、クライドも強引に押し切ることなく終わってしまうだろうか。
怖い。セシリアはそう思った。
「約束通り、セシリアさんを妃として迎えに参りました。彼女を……私にください」
いつも相手を見下すようだったクライドが、自分の伯父を前に緊張した面持ちで、毅然とした態度で自分との結婚の許しを請うている。
その光景が信じられなかったと同時に、とても胸が熱くなった。
握った手に一層力が込められる。
ざあっと温かな風が梢を撫で、伯父の頬が緩んだ。
「セシリアを、宜しくお願い致します……陛下」
深々と頭を垂れる伯父に、周囲からは再び温かな拍手が起こった。
「ありがとうございます」
「伯父様っ……ありがとう」
緊張から解放され晴れ晴れとしたクライドと見つめ合いながら、これ以上の幸せなど、この世にあるのだろうかとすら思えた。
六頭の白馬が引く豪華な金色の馬車へといざなわれる。
いつの間に知らされていたのか、沿道にはずらりと街の人々が一目この結婚パレードを見ようと大勢集まっていた。
たくさんの人々の熱い視線がセシリアに注がれる。
気恥ずかしくもあったが、それ以上に胸が躍った。
セシリアの肩を優しく抱くクライドに、馬車の上で幾度となくキスを迫られても、決して嫌な気にはならなかった。
「そなたの伯父は、きっと亡き父親の代わりにそなたを守りたかったのだろうな」
「え?」
唐突に切り出された伯父の話題に、セシリアは小首を傾げた。
「余はずっと民に嫌われていた。そんな王の元へ嫁げば、そなたをも民は共に嫌うだろう。そんな境遇に、そなたの身を置かせたくはなかったのだ」
あんなちゃらんぽらんな伯父が、本当にそんなことを考えていてくれたのだろうか。
セシリアは、遠ざかっていく屋敷を見やる。
少しばかりの寂しさに、胸の奥がキュッと痛んだ。
「それに家名だけであったアディソン家を、そなたの伯父はたった三年で復興させた。名実ともに、アディソン家は国内随一の貴族だ。これでもう、そなたが城で他の女どもにいじめられることもあるまい」
「……っ」
クライドの言葉に、セシリアは自然と涙が頬を伝った。
クライドとの結婚を反対する伯父を恨み、父親ぶらないでと罵った自分がいかに幼く、いかに浅はかだったろう。
身内から受ける無償の優しさに、胸が締め付けられた。
「見ろ、セシリア」
クライドの指さした河の方を見て、セシリアは息を呑んだ。
「……っ、すごい」
目の前のキリー河の真ん中に、お城まで続いているらしい、巨大な紅の“道”できあがっていた。
「バラの花弁を浮かべて河の上に道を作った。そなたを迎えるために」
「綺麗……」
「だろうな。これだけ用意するのに、どれだけ宮廷の敷地を使ったと思っている」
そう憎まれ口を叩きつつ、クライドはとても嬉しそうに彼女の髪を撫でた。
セシリアが心から喜んでくれたことに、大きな満足感を覚えたらしい。
「まさか、このために迎えがひと月も遅れたんですか」
「三年も待たせた詫びを、どうしても目に見える形で示したかった。それに民にも、そなたのことを、この国にとって何より大切なものだと分かってもらいたかった」
河の前では、大勢の人々が二人を祝福していた。
特にセシリアを見るその眼差しは、皆キラキラと輝く。
人々はクライドの隣に佇むセシリアを見て思っていた。
彼女こそが、この“花の道”を上ってゆくべき女性。王の心を癒やし、恐怖を国からぬぐい去ってくれた。
王妃道の贈り物であったのかと――
「だが河に道を作ろうにも、ずっと天気が良くなかったからな。余とてそなたに会える日を、どれだけ待ちわびたか」
「陛下……」
三年間、会えもしない相手をひたすらに想い続ける辛さに耐えていたのは、自分だけではなかった。
そのことがこれからの二人にとって、大きな絆となる気がした。
バラで飾られた豪華な小舟に揺られ、川上にある城へと向かう。
セシリアは再びこの河を上れることの幸福感に満たされていた。
髪を撫でる風を感じながら、掌でバラをすくい上げる。
「陛下は……」
「クライドでいい。これからは名で」
クライドに優しく微笑みかけられ、セシリアは一瞬恥ずかしさに俯いた。
「ク、クライド……は、私のどの辺がお気に召したんですか。あんな出会い方だったのに。やっぱりそこは、ちゃんと聞きたいです」
「先ほども“どうして私なんだ”などと言っていたが、そんなに具体的に好きな所を言って貰いたいんだな」
「そりゃだって……」
ヒールを顔にぶつけ、挙げ句彼の頬を張った。
あんな出会いのどこにロマンスがある。
「いいだろう、そなたがそこまで気にするのなら、この際正直に言ってやる。あの後、そなたを無理矢理に連れ込んで抱いた時、余は今までに無い高揚感と満足感を覚えた」
「……………………。え?」
まさかそんな話が出てくるとは思わず、セシリアは素っ頓狂な声を出した。
だが、クライドの表情は真剣そのものらしい。
「そなたが泣きながら余に従う様や、屈辱的に顔を歪める姿は最高に素晴らしい。最高に気持ちが高ぶる。他の女はダメだ。余が口づけを落としただけであっけなく腰を抜かす上に、余の命令に嬉々として従う。全くもって面白くない。その点そなたはあらゆる反応を見せてくれるからな」
クライドの話を聞くにつれ、セシリアの顔が強ばっていく。
「だから毎日そなたの元へ足を運んでは、そなたの嫌がるようなことをあえてさせながら抱いていた。どうやら余は、気の強い女をこの手で屈服させて支配することで興奮する性癖らしい。よって、そなたはまさに余の理想の女だ」
「……」
「……」
「やめます! やっぱりこの結婚やめまぁーすっ!」
この人絶対危ないんですけどっ!とセシリアは顔を真っ青にする。
舟から身を乗り出そうとするセシリアの肩を、クライドはがっちりと掴む。
「残念だがセシリア。そなたはもう永遠に余のものだ。これからも泣くほど激しく無理をさせるだろうが、余とこの国の民の為と思って堪えろ」
「全然この国の民関係ないでしょう!!? ただのあなたの性癖……ってどこ触ってるんですかっ」
「今宵こそ、あの時の宣言通り、そなたを孕ませてやるからな、セ・シ・リ・ア」
抱き寄せられ、パクリと耳を甘噛みされる。
「いいやああっ! 結構ですっ」と逃げようにも、退路はもう既に断たれてあるは彼の手があり得ないところまで入ってくるはで、もう八方塞がりだった。
「このド変態っっ――!」
そんなセシリアの“断末魔”が聞こえた。
その後、ローデルランド王国が新たな王妃を迎えて数ヶ月後、すぐに王妃様ご懐妊のニュースが流れ、この国はその後百年以上に渡って平和な時が流れ続けたという。
そして今も――
遠くお城を見つめていた河辺の小さなキツネが、嬉しそうに尾を一振りして消えた。
◇――完――◇
あとがき
最後まであんな感じ……という^^;
皆様、今までご愛読ありがとうございました!