第7話:交差点のノイズ
オフィスの片隅で突きつけられた「普通の幸せ」という名の格差。すり減った心を抱えた唯夏の前に現れたのは、計算ずくの婚活相手でも、金で割り切るパパ活の男でもない、思いがけない「別の風」だった――。
金曜日の夕方。
仕事を定時で無理やり切り上げた佐々木唯夏は、表参道の喧騒の中に立っていた。
今日は、婚活アプリで知り合った吉野との二度目のデートの約束がある。
前回の恵比寿のイタリアンより、もう少しカジュアルなカフェで軽くお茶をする予定だった。待ち合わせ場所に向かいながら、唯夏はスマホのマップを開こうと画面をスワイプした。
そのとき、不意に別のアイコンが視界の端で光った。
「おとなの出会い系アプリ」の通知――高見からのメッセージだった。
『今、表参道のオープンテラスのカフェにいるんだけど。近くにいるなら、これから1時間だけお茶でもどう? もちろん、お茶代くらいは出すよ』
思わず足を止める。
吉野との待ち合わせ時間まであと30分。
頭の中で、即座に損得とスケジュールが計算される。吉野との面倒な「条件査定」の前に、高見のところへ顔を出して短時間で終わらせれば、今月の美容代の足しになるかもしれない。そんな打算が、泥のように心の底から湧き上がってくる。
(無理か……私、何やってるんだろ)
こんなふうに、目の前の人間をすべて「数字」や「リスク」として測っている自分に、ふと耐えられなくなった。
スマホの画面を強く握りしめ、どちらの通知も開かないまま、その場から逃げるように裏通りへと足を踏み出す。
街を行き交う人波は、誰もが色鮮やかなトレンドの服を着て、楽しげに笑い合っている。
毎シーズンの服を買うことも諦め、去年のアウターを着回している自分とは、生きている世界線の空気が全く違うように見えた。自分がどこに向かっているのか、本当に分からなくなる。
「――おや、こんなところで何してるの?」
不意に声をかけられ、ハッと顔を上げる。
そこに立っていたのは、スーツをラフに着崩した高見だった。路面店のオープンテラスの席から、こちらの様子が目に入ったらしい。
「高見さん……」
「アプリのメッセージ、既読にもならなかったからさ。もしやと思って外を見たら、案の定迷子みたいな顔して突っ立ってるんだもん」
高見はねっとりと品定めするような視線を、唯夏のヒールから足のライン、そして身体の線へと這わせるように滑らせた。その瞳の奥には、露骨なまでの「性的な品定め」と、大人の余裕を装った下心が隠しきれない熱を帯びて光っている。
「いいから座って、1時間くらい付き合ってよ」
断ろうとしたが、高見は強引に唯夏の背中に手を添え、自分の席へと促す。その不意に触れられた背中から伝わる体温が生々しく、唯夏は身を縮こまらせた。
席に腰を下ろすと、高見はすぐに手を挙げて通りかかった店員を呼び止め、カフェラテを2つ無造作に注文した。
「ほら、温かいものでも飲んで落ち着きな。……で、そんな青白い顔して、どこに行く途中だったの?」
差し出された温かいカフェラテに指先を触れながら、高見は値踏みするような下卑た笑みを浮かべる。単なる人生の先輩面などではない。この男はいつでも、女が弱っている隙や、金に困っている綻びを見逃さず、自分のテリトリーに引きずり込もうとする「夜の論理」そのものだった。
その打算と性欲が入り混じった湿度の高い空気が、張り詰めていた唯夏の心の糸を逆にいやらしく揺さぶる。
――だが、その緊張も長くは続かない。
ふと視線を上げた先の交差点の向こうに、スーツ姿の男がキョロキョロと辺りを見回している姿が飛び込んできた。
手にスマホを持ち、不機嫌そうに画面をタップしている男――吉野だった。
(……嘘、もう時間……?)
血の気が引くのを感じながら、唯夏はカップを持つ手をわずかに震わせた。
サバイバルとしての婚活と、パパ活おやじのギラついた視線。
二つの世界が、今まさに、表参道の雑踏の中で音を立てて衝突しようとしていた。




