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第4話:もう一つの選択肢

婚活市場で「品定め」されるストレス。それは息抜きなどではなく、すり減っていく生活費や美容代を埋めるための、泥臭い生存戦略だった――。

 週末の夜、アパートのベッドに寝転がりながら、佐々木唯夏はスマホの画面をスクロールしていた。

婚活アプリのメッセージ画面には、大手メーカーの吉野から届いた「来週の金曜日、予約しておいたから」という事務的な連絡が残っている。返信の文字を打つ指が、なぜかひどく重かった。

年収、学歴、将来の安定。頭では「これが正解のルートだ」と分かっているのに、心の奥底では乾いた砂を噛むような違和感が消えない。


(……息抜き、なんて綺麗なもんじゃない。来月の美容代と奨学金の返済が消える焦りを埋めるための、ただの計算だ)


ふっと自嘲気味に呟きながら、画面をスワイプし、もう一つのアイコン――「おとなの出会い系アプリ」を開く。

メッセージの嵐の中から、先日の外資系ホテルとは違う、もう少しカジュアルなラウンジを指定してきた男のプロフィールに目が留まった。

名前は「高見」。年齢は40代半ば。IT企業の役員を名乗るその男は、メッセージのやり取りからして、これまでの相手とはどこか雰囲気が違っていた。


『かしこまったホテルより、美味しいお酒が飲めるバーがいいよね。もちろん、お手当はしっかり用意するよ』


いかにも慣れた大人の余裕。

どうせまた、若い女を値踏みして、高級な酒を奢りながら優越感に浸りたいだけの退屈な男なのだろう。そう思いながらも、今月のクレジットカードの明細と、右手の人差し指が剥げかけたセルフネイルの指先を脳裏で思い浮かべ、唯夏は短い返信を送った。


『木曜日、空いてます』


週が明け、木曜日の夜。

西麻布の裏路地にひっそりと佇む、看板のないバーの扉を開けた。

店内は薄暗く、ジャズの低いベース音が心地よく響いている。

カウンターの端に座っていたスーツ姿の男――高見は、唯夏が近づくと、値踏みするような視線を隠そうともせず、ただ静かにグラスを持ち上げて微笑んだ。

その視線は、首筋から鎖骨のライン、そして纏った服の質感に至るまで、生々しく体をなめ回すように這っていた。お金を払う側の、あるいは「若い肉体」を買う側の、剥き出しの観察眼がそこにある。


「いらっしゃい。佐々木さん、だね。写真より若いね、大学生?」


「……いえ、社会人です。派遣で事務をやっています」


隣の席に腰を下ろし、メニューを開くふりをしながら、肌を刺すような微かな熱を帯びた視線から逃げるように緊張を押し殺す。

高見はバーテンダーにウイスキーのロックを頼み、唯夏には「好きなもの飲んでいいよ」と言った。その言葉の裏で、グラスを持つ指の動きと同じリズムで、高見の瞳は唯夏の指先から微かに震える唇へと転がっていく。


「派遣か。東京は家賃も物価も高いし、一人暮らしは大変でしょ」


「……はい。まあ、美容代を削ったりして何とかやってますけど」


「何とか、ね。……その割には、目が死んでないな」


ふっと笑った高見の横顔を、唯夏はちらりと盗み見た。

綺麗な指先、落ち着いた声のトーン。そして何より、自分を「ただの商品」として品定めしながらも、どこか官能的な余裕を漂わせるフラットな距離感。


「怖くないの? こういうところで知らないおじさんとお酒飲むのって」


「……怖くないと言えば嘘になりますけど。でも、生きるために、綺麗でいるために必要なので」


迷いのない唯夏の言葉に、高見はグラスを止めて、じっと彼女の顔を見つめた。その黒目がちに揺れる瞳の奥を、品定めする熱が深く抉るように貫く。


「生きるため、ね。重い言葉だな」


それ以上、高見は根掘り葉掘り聞いてこなかった。

美味しい酒と、肌をなめ回すような視線が交差する程よい距離感の会話。そして、帰り際に渡された、白くて薄い封筒。

その中身を確かめなくても、今月の美容代とピンチを脱するには十分すぎる額だと、手のひらの感覚だけで分かった。


「また気が向いたら連絡してよ。愚痴くらいなら、いくらでも聞いてあげるからさ」


店を出て、夜風に吹かれながら最寄駅へ歩く帰り道。

唯夏はポケットの中で封筒の角を握りしめながら、ふと思った。

婚活アプリの吉野と一緒にいるときは、未来の「安定」と引き換えに、自分の心をすり減らしていた。

けれど、パパ活の高見と一緒にいるときは、その生々しい視線に肌を焼かれ、心の奥を覗かれない代わりに、現金な「安心感」と、「今月の支払の一部」が手に入った。


(――私は、どちらの男の隣にいるときが、本当の「私」なんだろう)


答えの出ない問いを飲み込みながら、唯夏は冷え切った夜の東京の街を足早に駆けていった。

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