第3話:条件と検品
アプリの向こうで品定めし合う「婚活」と、現金を稼ぐための「パパ活」。二つの世界を器用に渡り歩いているつもりが、それぞれの「リアル」は確実に唯夏の心をすり減らしていく――。
金曜日の夜。
恵比寿駅前の喧騒から少し離れた、落ち着いた雰囲気のカフェの店内。
佐々木唯夏は、メニューの端を見つめながら、目の前に座る男の言葉に愛想笑いを貼り付けていた。
名前は吉野。プロフィール通り、大手メーカーに勤める30代前半の男だ。スーツの着こなしも清潔感があり、年収の数字に嘘はなさそうだった。
「佐々木さんって、普段はどんなお仕事されてるんですか?」
「あ、私は派遣で事務を……。データ入力とか、一般的な総務のサポートがメインですね」
「へえ、そうなんだ。派遣かぁ……」
吉野の口調には、悪気のない、しかし確実に一段上から見下ろすようなニュアンスが混じっていた。
「うちの会社も派遣さんいるけど、やっぱり責任ある仕事は正社員がやるからさ。気楽でいいよね、定時で帰れるし」
(――気楽、ね)
唯夏は笑顔を絶やさず、心の中で小さく冷めた息を吐いた。
手取り20万円、家賃8万円、奨学金の返済に追われる毎日のどこが「気楽」なものか。明日も明後も、時給換算された労働の切り売りに怯えながら生きている人間に対して、この男は「安定した正社員」という城の上から、まるで珍しい生き物でも見るような目を向けている。
それでも、唯夏はカップのカフェラテにスプーンを添え、品よく微笑んだ。
「そうですね、お陰で自分の時間は作りやすいかもしれないです」
(いい人だけど、結婚相手としては……どうなんだろう)
頭の中では、電卓が激しく音を立てて弾き始めていた。
年収、学歴、長男かどうか、そして育ってきた環境。アプリのプロフィールに並んでいた「合格ライン」をこの男はクリアしている。だからこそ、ここで縁を切るのはもったいない。結婚という名のセーフティネット、いわば「人生の正社員枠」を手に入れるためには、この程度のマウントや価値観のズレくらい、愛想笑いでやり過ごさなければならないのだ。
恋愛感情なんて最初から期待していない。
これは就職活動の面接なのだから。
「じゃあさ、今度、もう少し落ち着いたところでディナーでもどう? 僕、美味しいお店知ってるんだよね」
「本当ですか? ぜひ、お願いしたいです」
デートの約束を取り付けた瞬間、吉野の表情に「釣れた」という余裕の色が浮かんだ。
その顔を見て、唯夏はなぜか、数日前に外資系ホテルのロビーで受け取った「白い封筒」の感触を思い出していた。
あちらの世界(パパ活)の男たちは、金を払う立場でありながら、どこか申し訳なさそうに低姿勢だった。
こちらの世界(婚活)の男たちは、金を払わなくていい代わりに、「選んでやってる」という特権意識を隠さない。
どちらの男も、唯夏の人間性や心になど興味はない。
パパ活の男は「若い身体と時間」を買い、婚活の男は「自分のステータスに釣り合う従順な女」を品定めしている。
(――結局、私はどこにいても、ただの「商品」なんだ)
ガラス張りの窓の外を通り過ぎる夜の街を眺めながら、手のひらが冷たくなっていることに気づく。
「どうしたの? 手、冷たくない?」
心配そうに覗き込んでくる吉野に、唯夏は「ううん、何でもないですよ」と、今日一番の作り物の笑顔を向けた。
生き残るために、心をどこに置いてきたのか。
その答えさえ、もう自分には分からなくなっていた。




