第14話:仮面舞踏会の夜
高見との関係がビジネスの裏側で複雑に絡み合う中、今度は「婚活」の本番――吉野との本格的なディナーの夜がやってくる。条件を満たす男との未来を選ぶのか、それとも別の何かに気づき始めるのか――。
金曜日の夜。
吉野の仕事の都合で急遽リスケジュールされ、今日という日にずれ込んでいた。
恵比寿の駅から少し歩いた隠れ家風のフレンチレストラン。その重厚な木の扉の前で、佐々木唯夏は深呼吸を一つした。
(あのとき、無理にスケジュールを合わせられていたら、私はそのままこのレールに乗せられていたのかも……)
前回挟まれたカジュアルなお茶の席から、ようやく今日という「本格的なディナーデート」へと進んだ。お互いの将来のライフプランや結婚観に踏み込む、いわば「最終査定」のステージだった。
「こっち、こっち、佐々木さん。寒かったろ?」
予約席で待っていた吉野は、きっちりと仕立てられたスーツに身を包み、余裕の笑みを浮かべて迎えてくれた。
「ううん、大丈夫です。素敵なところですね」
席につき、メニューを開く。
当たり障りのない笑みを貼り付けながら、唯夏はドレスの裾をかすかに引き締めた。
高見と過ごした料亭の個室の空気を思い出す。あの場にあったのは、年齢や属性の検品ではない。お互いの野心と知性が剥き出しになり、スレスレの緊張感の上で噛み合うという、大人の危険な共犯関係だった。あちら側が放つ圧倒的な熱量を知ってしまった肌には、吉野が差し出す「コンサバな安心感」があまりにも薄っぺらく、ぬるま湯のように退屈に感じられた。
「でさ、この前も少し話したけど、僕としてはやっぱり結婚後も無理のない範囲で共働きでいてほしいんだよね……」
吉野の唇が動くたび、耳障りのいい言葉の裏から「私の人生の安全装置として機能しろ」という無言の要求が染み出してくる。派遣という属性、手堅く扱える駒としての利便性。そのどれもが、男の保身を満たすためのアクセサリーにすぎない。
(……私は本当に、この男の隣に収まりたいの?)
脳裏の底で、冷えた鐘が鳴るような拒絶感が走った。
これまで「生き残るためのセーフティネット」として、目を背け、計算ずくで進んできたはずの婚活のゴール。だが、いざその桟敷席に座らされてみると、胸の奥を突き上げるのは強烈な窒息感だった。守られる代わりに、個としての尊厳をすり潰されていくような予感。
「……佐々木さん? どうかした? もしかして、料理、口に合わない?」
怪訝そうに顔を覗き込んできた吉野の、整えられた鼻筋と、そこに宿る微かな焦燥。その顔を見つめながら、唯夏はグラスのワインをそっと口に含んだ。渋みが舌の根を滑り、喉の奥を熱く焦がしていく。
愛でも恋でもない。ただの生存戦略。
そう言い聞かせてきたはずの歯車は、高見という、規格外の狂気と色気を持つ男に触れたことで、すでに元の位置には戻れなくなっていた。吉野の優しさに身を委ねることが、生温い死刑宣告のように感じられる。
店内の照明が、やけに白々と唯夏の素肌を照りつけていた。
「ううん、美味しいですよ」
作り笑いを浮かべた唇の端で、唯夏は密かに息を吐き出す。
安全な港に繋ぎ止められることの退屈さと、危険な荒野へ引き戻される甘美な疼き。その狭間で、彼女のなかの何かが確実に、音を立ててちぎれようとしていた。




