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第10話:密室の検品

派遣先のオフィスに現れた、パパ活の相手・高見。仕事とプライベートの境界線が音を立てて崩れ去る中、二人は誰もいない給湯室で真っ向から対峙することになる――。

「――それでは、詳細なデータは佐々木さんの方から共有させますので」


総務の社員の案内で、高見は完璧なビジネスマンの顔を崩さないまま、唯夏のデスクの数メートル手前で立ち止まった。

フロアの空気はいつもの殺伐とした日常のそれだったが、唯夏にとっては肺の酸素がすべて吸い尽くされたような、息をするのも苦しい極限状態だった。


「佐々木さん、こちら、今回の新規プロジェクトでシステム連携をお願いしている……」


「あ、はい……佐々木です。よろしくお願いいたします」


小刻みな震えを必死に指先で抑え込み、作り上げた硬いビジネス用の笑顔で、腰から深く頭を下げる。

高見は一歩前に歩み寄り、意味深な光を宿した瞳で唯夏を真正面から見据えながら、低い声でハッキリと言った。


「こちらこそ、正確な事務処理で評判の佐々木さんにお願いできて心強いよ。……これから、よろしく頼むよ」


その「よろしく」という声音には、プライベートの顔とパパ活の秘密を共有している者同士の、逃げ場のない独特の圧力が重く含まれていた。

総務の社員が「では、引き続きよろしくお願いいたします」と頭を下げて別の業務へ戻っていくと、その場には凍りついた冷たい空気と、冷や汗を流す唯夏だけが取り残された。


(どうしよう……。もしここで関係がバレたら、この会社にいられなくなる。私の生活基盤が、世間体が、一瞬で全部終わる……!)


パニックを起こしかけた頭を爪先で踏みつけるように必死に抑えつけ、マウスを握りしめる手が白く変色していく。

その時、オフィスの隅にある給湯室のドアが、わずかにスーッと開いた。その細い隙間から、上質なスーツの裾を覗かせた高見が、ちらりとこちらに視線を送り、音もなく中へと消えていった。


――「ちょっと、こっちに来い」と言外に告げるように。

周囲の社員たちがそれぞれのディスプレイに没頭している隙を突き、唯夏は足元をふらつかせながら、吸い込まれるように給湯室へと滑り込んだ。

ガチャリと、ドアの鍵が静かに閉まる。

コーヒーメーカーの微かな駆動音と換気扇の低い唸り声だけが響く、足の踏み場もないほど狭い給湯室。逃げ場のないその空間に、高見は逃げ水のように追い詰めていく。

壁に背中を押し付けられた唯夏の逃げ場は、もうどこにもなかった。


「お,願いします……。会社の人には、私たちのこと、絶対に……! 何でもしますから……」


震える唇で縋る唯夏の顔に、高見は容赦なく顔を寄せた。二人の距離はゼロになり、高見のスーツの胸元から漂う高価な香水と男の体温が、唯夏の呼吸を完全に奪っていく。


「何でも、ね」


高見の指先はもう、唯夏の頬をなぞるだけでは満足していなかった。

スルスルと顎を掴み、強制的に顔を上げさせると、そのまま冷淡だった瞳を欲望の色に染め上げていく。


「佐々木さん。君はいつも、そうやって必死に計算して、自分の身を守ろうとしている。……だがね、大人の世界はそんなに甘くないんだよ」


抵抗する間もなく、高見の大きな手が唯夏の背中を引き寄せ、もう片方の手がその細い腰をまさぐるように掴み上げる。スーツ越しであっても、その圧倒的な体格差と力関係が嫌というほど体に叩き込まれた。


「んっ……っ!」


声を上げる間すら与えず、高見はその唇を容赦なく奪い取った。

パパ活のアプリで見せていた余裕や、さっきまでのビジネスマンとしてのスマートな仮面など微塵もない。それは弱みを握った男が、従属する女のすべてを我が物顔で蹂躙するような、窒息しそうなくらい深い接吻だった。

開いた口内にねじ込まれる舌の熱さと、逃げられない恐怖に、唯夏の頭の中が真っ白にショートしていく。

――会社の人間がすぐ壁の向こうにいるかもしれない。この扉を開ければ、いつもの退屈な日常が続いている。その背徳感と、全人格を否定されるような屈辱が、奇妙な熱となって唯夏の身体の芯を焦がしていく。

唇を離した高見が、濡れた指先で唯夏の乱れた唇を軽く拭い、低く耳元に囁いた。


「会社にバラされたくなかったらさ、今度の週末、僕のすべてに付き合ってもらうよ。……拒否権なんて、最初から君にはないんだからね」


パパ活のアプリと婚活アプリ。そのどちらでもない、リアルな社会の権力と弱者の関係性が、今、オフィスの狭い給湯室で牙を剥いていた。

――逃げ場のないサバイバル・ロマンスの歯車が、音を立てて狂い始める。

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