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眞柴秀樹が春日亮太に抱いた第一印象は、やはりきれいな女性、であった。
知り合ったのは、まだほんの三ヶ月前のことだ。秀樹が友人たちと遊ぶ約束をしていた場所に、春日もいたのだ。秀樹は最初、春日の隣に立っている友人が恋人を連れてきたのだと考えた。男たちだけの遊びに彼女を連れてくるとはどういう神経をしているんだ、とさえ思った。
話を聞いてみると、その場に集まった秀樹たちの高校に通う後輩ということだった。
春日を連れてきた友人は、春日と家が近いということで幼いころから懇意にしていたのだという。それで、自分の友だちを春日に紹介しようと思った、とのことだった。
これは後々に知ったことなのだが、春日は同学年の中で馴染めていなかったらしい。そこで幼なじみに相談して、ひとつ学年の違う秀樹たちの輪の中に入ろうとした、ということだった。
その日は、そのまま連れ立ってファミレスに入った。
春日亮太のことを女性だと思ったのは、秀樹だけではなかったようだった。集合場所からファミレスに向かう道中で明かされたのだが、みなが驚嘆していた。表情も大同小異だった。
ファミレスでは得意な教科、好きな教師、担任の名前、学年の雰囲気――そういった学校の当たり障りのない会話をした。馴染めていないことは、まだ明かされていなかった。
初対面だったわけだが、秀樹は春日と打ち解けることができていた。
この日に味を占めたのか、友人はその後にも遊ぶときには春日を連れてくるようになった。そのときの秀樹はべつに苦を感じることはなかったし、誰も異を唱えることはなかった。やがて秀樹も含めて他の友人たちもが学年の壁を感じなくなってきたころに、連絡先を交換した。
ラインのQRコードを利用して交換したのだが、『春日亮太です。登録よろしくお願いします!』と春日は送ってきた。律儀なやつだな、と秀樹は思った。なんとなく『よろしく。眞柴秀樹で登録して』とだけメッセージを返した。
ただ、それだけだった。
なにかがおかしい、と秀樹が感じはじめたのは、それから少し経過してからだった。
『今日はカレーを食べました!』
『僕はこれから寝ます。秀樹さんおやすみなさい!』
『おはようございます! 今日はいい天気ですね。つい運動したくなっちゃいませんか?』
『今日は学校で秀樹さんを見かけました。つい声をかけたくなっちゃったんですけど、我慢しました。この気持ちを溜めて、次に会うときに発散したいです!』
『ああ、秀樹さんに会いたいです……』
一切の返信をしなくても、春日が一方的にメッセージを送ってくるようになったのだ。
それだけなら、まだよかったのかもしれない。
内容が最初のころこそ日常的なものだったにもかかわらず、段々と心情へと移行していった。秀樹が疑心暗鬼の陥穽に陥ったのも同じ時期だったかもしれない。
スマートフォンの液晶画面には、無機質な書体でメッセージが表示されている。ただそれだけのはずだ。それなのに春日のメッセージだけは、まるで耳元で囁かれているかのように、奇妙な不快感が背骨を駆け上がるのだった。
しばらくはそんな日々が続き、ときには複数人で遊びに出かけることもあった。
そのあいだにも春日の意味深なメッセージは続いた。その件数に比例するように、秀樹の胸中には形容しがたいわだかまりが積もっていった。
さらにしばらくして、秀樹と春日、そして春日と懇意にしている友人の三人で遊ぶことになった日があった。いつものように明確な目的はなく、三人であてもなく河川敷を歩いていた。友人がトイレに行きたいと言い出して、茂みに向かった。
春日とふたりきりになった途端、周囲は不気味に静まりかえった気がした。
きらきらと光る水面は不快になるくらいまぶしかった。川の向こう側には河川公園が広がり、野球ができるよう整備された地形が見られる。いまは誰も利用しておらず、閑散としていた。
秀樹は横目で春日を見た。
所在なげに足元の草を蹴っていた。到底男性の手とは思えない華奢で繊細な指先が、いまはなにをするでもなくポケットの入り口を弄んでいる。なにかに緊張しているように見えた。
秀樹は視線を空虚へ向けて、憂鬱な思案へと沈み込んだ。
春日亮太は、ほんとうに自分が好きなのだろうか――。
まるで他人事のように働く意識が、春日から受信されたメッセージの文面、出会ったときの態度から類推する。
春日は秀樹に気がある――やはり、そういう結論に至るしかなかった。
そうであった場合に予測される被害は、直接的なものはないように思われた。だが、友人との関係に軋轢のようなものが生まれる可能性は否定できない。ふたりは幼なじみなのだ。それだけは勘弁してほしかった。
いまでこそ春日から直接的なアプローチはないが、決して楽観していていい問題ではない。なによりも、日に日に悪化していくメッセージの内容が、なにかよからぬ事態を示唆しているように思えてならなかった。
「秀樹さん?」
「……ん?」
名を呼ばれたのが契機となって、取り留めもなく想念を追っていた意識が現実に引き戻された。秀樹は苦笑した。
「ごめん、聞いてなかった。なに?」
「いえ、べつに用があったわけじゃないんですけど、どうかしたんですか?」
「ちょっと考え事をしてた」
言いながら秀樹は、いまっていいチャンスじゃないだろうか、と考えた。ちょうどふたりきりだ。なによりも、胸中のわだかまりが我慢できないというように、言葉を押し出そうとしていた。それを意識した途端、言葉は無造作にせり上がってきた。
「もしかして春日くんって……アレなの?」
無意識のうちに、直接的な表現は避けていた。
「アレって?」
「うーん、ほら。なんて言ったらいいんだろうな……」
しばらく思考を巡らしてみたが適当な表現が思いつかず、核心に触れる言葉を使った。
「ホモとかゲイとかいうやつ」
「いえ、普通でしたよ」
問われたことを気にする様子もなく、春日はひょうひょうと答えた。
「そっか、よかった」
そう安堵した直後、秀樹は違和感に気づいた。
「……ちょっと待って」
いま春日は、なんて言っただろうか。気になる点はなかっただろうか。
――いえ、普通でしたよ。
春日はそう言ったのではなかったか。
内心の戦慄を秘め隠したまま、秀樹は動揺を抑えて春日に訊いた。
「普通でした、って、どういう意味?」
「好きなんです」
「それって、男性がってこと?」
「そうです。あ、いえ――」
さっきまでの明朗な態度が嘘のように春日は言い淀んだ。
「ひ……さんがです。好き、なんです」
一番重要な部分が濁されて不明瞭だった。ひ――そのあとに続く言葉は、いまの思考では自分の名前しか考えられなかった。いや、決めつけるのは早計というものだ。
「え、なんて?」
淡い希望を抱きつつ、秀樹はもう一度、問い尋ねた。
春日はすぐには答えず、次に発する言葉を印象づけさせるように、意図的に間を作っているようだった。やがて言った。
「秀樹さんのことが、好きです」
「…………」
明瞭だった。
最初は聞き間違いかと思った。
自分の耳がおかしくなったのかと思った。
違う――間違っていてほしいと思ったのだ。おかしくなったのであってほしいと思ったのだ。
それでいて、まるで女子から告白されたかのように心臓が早鐘を打ち鳴らし、澄ますでもなく耳に入る心音がたまらなく不愉快だった。頬を赤く染め、もじもじとしているのは男だ。春日亮太は男だ。眼前にいる女性にしか見えない中性的な春日亮太は男だ――気がつけば、そう自分に強く言い聞かせていた。
たしかにそうかもしれない、という疑念はあった。
だから秀樹は自意識過剰だと思われても構わないことを覚悟して訊いたのだ。
しかし、まさかほんとうにそうだとは思わなかった。
なんて答えればいい?
ありがとう、だろうか。
僕もだよ、だろうか。
まさか、冗談じゃない。冗談で済まされるような事柄ではない。
言葉を探す思考に、出口を見つけることができなかった。発声器官をどこかに落としてしまったんじゃないか。そんな荒唐無稽なことを考えるほどに、秀樹は狼狽した。
そんな秀樹に念を押すかのように、春日は言った。
「すいません、白状します。僕、秀樹さんが好きなんです」
それから破顔して、なぜか心底からうれしそうだった。
秀樹は今度こそ完全に絶句した。
春日の顔に浮かんでいる微笑みが恋心からくる恥じらいであることは明白だった。春日はまったく隠そうとしていない。同性である男を好きであることを隠そうとしていない。それはそうだ。春日はいま、言葉を使って秀樹に告白をしたのだから。
「――――ッ」
意思とは関係のない部分で喉が収縮する。このとき秀樹の胸中を駆け巡った感情の渦は、あまりにも複雑だった。無理やりに微笑み返そうとしたがうまくいかず、ただ滑稽に表情を引きつらせるのが精いっぱいだった。
しばらく喉元に小骨が刺さったような違和感をおぼえたあとで、秀樹は「そっか、ありがとう」と、口端から洩れ出るただの空気とも似つかない声量で言った。
「いやー、ごめんごめん。急に催しちゃってよ」
秀樹が曖昧な感謝を述べるのと同時に、友人が大声をあげて戻ってくるのが見えた。合流するまで、秀樹と春日は一言も発しなかった。
「もう、下品なこと言わないでくださいよー」
戻ってきた友人に、春日は何事もなかったかのように顔をほころばせ、完璧に応対した。
自分だけが緊張していることに嫌悪感が湧いた。一方的に想いを告げて平静な様子の春日は、秀樹の葛藤を逆撫でしているようで、不愉快でもあった。
用を足しているあいだに考えたのか、友人はボーリングに行こう、と言い出した。
その案を秀樹は了承したのだが、それを提案したとき、春日がこちらを見ていたのが気になった。その眼差しは、べつの玉を転がし、べつのピンを倒しかねない気がした。
目的地に向かうまでの時間を、秀樹はいまの状況を客観的に把握することに費やした。
後日、秀樹はどうして自分を好きになったのかと訊いた。自分以外にも一緒に遊んだ人物はいただろう、と。それに対する春日の答えは、秀樹の一人称が「僕」であることが、なぜか惹かれるきっかけだったらしい。
意味がわからなかった。
告白をされた日にきっぱり断らなかったのが悪かったのか、春日は勘違いをしていた。
なにをどう解釈すればそう帰着するのか、秀樹にも春日に気があると思っているのだ。その証拠に、好きだと明かされた翌日からのメッセージの内容が激化した。
告白をされたときに断らなかったのは、ただ想いを告げられただけだと思ったからだった。直接お付き合いをしたいという表現が、交際を申し込まれたという形ではなかったのだから仕方がないといえば仕方なかったはずだった。
その場で強く否定すれば、その後が面倒になる気がしていた。
秀樹はそのことを伝えた。そのうえで、気持ちに応えることはできないと明確に言った。
それなのにからかっているのだと春日が解釈するため、秀樹は困惑させられるのだった。
それからさらに数日が経過すると、春日の行動が逐一メッセージで送られてくるようになった。挙句には、春日と懇意にしていた友人から「おまえら付き合ってるの?」と問われる始末。連絡先を変えたい衝動にも駆られたが、大勢にそのことを知らせる過程に対する億劫さが勝った。
その後、遊びの約束は体調不良を理由に断るようになった。
学校では春日に会いそうな場所には出向かないよう気をつける日々がはじまった。
スマートフォンの着信音も、四六時中サイレントマナーに設定するようになった。
春日亮太――彼に関係することは忌避するようになっていた。
やがて、登校時に胃が締め付けられるようにキリキリと痛むようになったとき、嘔吐感が身体を支配したとき、秀樹はその段になってようやく限界を悟った。だからこそ春日亮太をお気に入りの喫茶店に呼び出して、友だちとしてなら構わない。それが嫌なら、かかわらないようにしてほしい、とお願いしたのだった。
◇ ◇ ◇
あれからスマートフォンへの連絡も止まり、秀樹は解放感に心が浮き立つようだった。もう少し平和的な終わり方はなかったのか、と考えないでもなかった。けれど、すべては結果論でしかない。少なくとも、あれだけ陰鬱だった一日がここまで変わったことに、救われていた。
廊下を闊歩して昇降口へ向かい、自分の靴箱に手を入れる。
違和感をおぼえた。這わせた指先にざらついた感覚が伝わってきた。
秀樹は靴の上に乗せた自分の手を仔細に眺めてみた。はたしてそこには、正四角形の無機質な白い封筒が入っていた。指先が感じ取ったざらついたものの正体が判明したとき、驚くのをとおり越して、意図しない乾いた息が秀樹の口から洩れた。
誰からだろう――。
はじめこそそう思った。胸が高鳴った。女子からのラブレターだと考えた。
予想だにしていなかったのだ。もうかかわらないと約束をしたのだから、想定していなかった。そのせいで、秀樹は手紙を出した主に気づくまで、数十秒を必要とした。
春日亮太だ。
見えないなにかが身体を這いずりまわる感覚が、指先から総身に広がっていく。
――わかりました。
ふいに秀樹の脳裏をよぎるのは、喫茶店で春日が発した言葉だった。
――メッセージも送らないし、電話もしません。
たしかに秀樹は指摘しなかった。言わなかった。だが、小学生までもがスマートフォンを所持するようになったこの時代に、こんなことをするとは微塵も思わなかった。
放課後、帰宅しようとした秀樹の下駄箱の中に、手紙が入っていたのだ。
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