5.厄介な人
がやがやと騒がしく人の行きかう教室は、朝の角度の低い日差しを受けて、一瞬、室内全体が目が眩みそうなほどやけ明るく見えた。全てのものが視線の的になってしまうような、そんな感慨を覚えてしまい、教室のドアをくぐる直前に、少しだけ足を止めてしまう。小さく息を吸って、呼吸を整えると、右手を握りしめながら、誰にも見られないようにと何ともないような素振りで教室の中へと入っていく。
ロッカーの中へと荷物を突っ込んでいるクラスメイト達の間をぬって、誰にも挨拶もせずに、すぐに窓際にある自分の席へと向かう。いつものようにと心がけながら進む足取りは、自分ではどこか妙な歩き方をしてしまっているような気がしながらも、結局誰からも話しかけられることもなく、席へと辿りつくことが出来た。
ほうっと、小さく吐息を溢れさせてしまいながら、椅子へと座る。
部活をしていない自分の登校時間は遅めで、登校してきている友達と話をしている人もいれば、既に部活を終えて教室の中で制汗剤を吹きかけている人もいて、今更必死に授業の宿題をやっているような人もいる。登校用の鞄を机の横にかけると、その中から今日使う分の教科書とノートを取り出して引き出しの中へと入れていく。
最後に、昨日買った本を取り出して、机の上へと置いた。
朝のホームルームが始まるまで読んでいようかと思いながら、なんとなくその本を見ていると昨日のことを思い出して、握りしめていた右手を宙へと出して大きく広げてみた。その指先の爪は、昨日と全く同じように淡く可愛いピンク色を呈していて、やっぱりパッと見にも目立って感じられてしまう。
「お風呂入っても、意外と取れないものなんだ。」
指先を揺らしながら、色んな方向から眺めていくと、マニキュアの光沢なのか、窓から入る朝の陽射しを受けて爪の先がキラッと輝いてみる。
一晩過ごしても、塗ってもらった時と変わらずにきらきらと光るマニキュアの様子に、なんとなく感心していると、ふと傍らに人が寄ってきたのを感じて慌てて顔を上げる。
「桐谷さん。それってマニキュア?」
声のした方へと視線を向けると、クラスメイトの柚木悠さんが、こちらの右手の爪先へと視線を向けていた。
なんとなく一番見られたくない相手に見られたような気がしてしまった。別に彼女は性格の悪い子ではないように思っていたけれど、話好きで、どちらかと言えばみんなの注目を集めたがるから、この爪をみられてしまって他の人に伝えられるのが嫌で、開いていた手をそれとなく握りしめて隠してしまう。
「う……うん。」
曖昧に頷いて、慌てて言い訳をしようと更に口を開く。
「マニキュアだけど、友達に塗られちゃって。」
「そうなんだ、良いな。可愛いね。」
可愛いと言う彼女の言葉に、思わず眉根を顰めてしまうと、その表情をすぐ柚木さんに見咎められてしまって、逆に彼女は訝し気にこちらの顔をのぞき込んできた。
「なんで、その顔?」
「いや、だって可愛いとか……。」
自分には似合わない言葉にしか思えなくて、唇を歪めてしまいながら視線を反らしていた。
「えー、可愛いよ。可愛いって褒めでしょ?」
僅かに声の大きな柚木さんの言葉に、誰かに聞かれやしないかと、周囲へと視線を巡らしながら首を振る。
「そんなことないよ……。」
「そんなことあるよー。」
改めて呑気な声でそう言ってくる柚木さんに、何とも言いようがなくなって、ぎゅっと右手を握りしめてしまう。こう言うのが嫌だから隠してきたのに、本当に不味い人に見られてしまった。そんなことを考えていると、私と柚木さんの会話に気が付いたのか、目の前の席に座っていた木槿さんが、ふいにこちらへと振り返ってきた。
「どうかしたの?」
不思議そうな顔をして尋ねてくる木槿さんに、何と答えようかと思っているうち、傍らにいた柚木さんがすぐに口を開く。
「桐谷さんが、マニキュアしてきてて。」
柚木さんの言葉に、木槿さんはへえっと興味深そうに声を挙げて、こちらの手へと視線を向けてくる。
「桐谷さんってマニキュアするんだ。」
「いや、自分で塗ったわけじゃなくて、友達に塗られただけ。」
慌ててそう言うと、木槿さんはむしろ興味深そうな表情を浮かべる。
「そうなんだ。私も見せてもらって良い?」
「……良いけど。」
彼女ならクラスメイトに向かって騒ぎ立てるようなこともないだろうと、そう考えて頷いた。
指の先を木槿さんの方へと伸ばしてみると、彼女はその爪を見て、再びへえっと声を漏らして、
「凄いね。」
と、呟いた。
「凄い……かな。」
やっぱり何か気恥ずかしくて顔を顰めてしまうと、木槿さんは「だって」と言葉を続ける。
「その友達が頑張って、こんな綺麗に塗ってくれたんでしょ。」
「まあ、それは……。」
言われてマニキュアを塗り終わったときの、ちょっと微笑んでいた楓の表情を思い出して、ふいに頬が緩んだ。
「なんで葵ちゃんに言われると、嬉しそうになるの?」
少し不満そうな口調でそう言ってくる柚木さんへと、慌てて首を振る。
「いや、別にそう言うわけじゃないよ。友達のこと思い出して。」
「仲良いんだね。その友達と。」
不満そうな柚木さんとは対照的に、何故だか終始にこやかな笑顔を見せてくる木槿さんの言葉に、ちょっとだけ迷いながら頷き返した。
「中学の頃は、ずっと一緒に居たかな。昨日、久しぶりに会って。」




