6.校則違反
「別の高校の人なの?」
木槿さんに問われて、咄嗟に曖昧なままに頷いた。
「うん。多分。そう言えばどこの高校だったっけ……。」
そこではたと、楓の学校がどこであるかを知らないことに気が付いて、何となく呆然としてしまう。
傍らで、そんなことを気にもしないように柚木さんは、顎に指を当てて口を開いた。
「マニキュア塗って大丈夫なのは聖林学園とかかな。あそこは、オシャレな子多いよね。」
思い出す様に呟いた柚木さんの言葉に、木槿さんも頷く。
「確かに、聖林は試合行った時もマニキュアとかメイクとか、綺麗な格好してる子が多かったかなあ。」
「え?葵ちゃん、聖林の中に行って来たの?」
羨ましそうに尋ねる柚木さんの表情を、木槿さんはちょっと不思議そうな表情で受け止めながらも、小さく頷く。
「一年の時にだけどね。また今度練習試合に行くし。」
「良いなあ。他の学校に行く時だけ部活って羨ましいと思う。」
柚木さんが呟くと、木槿さんはちょっと興味の湧いた表情を浮かべて彼女の顔を覗き込んだ。
「じゃあ柚木さんも、何かの部活に入ればいいのに。バスケ部もいつもマネージャーとかも募集してるよ。」
「んー、私は先生に指示されてやらされるのって苦手だから……。ほら、桐谷さんだって部活入ってないよね?」
勧誘を躱すように柚木さんは矛先をこちらへと変えて視線を向けてきた。木槿さんも一緒になって視線を向けてくるのに緊張しながら曖昧に頷く。
「私も部活は苦手かな。それに部活やる時間で本読んでいたいし。」
「えっと文芸部とかは?」
木槿さんは人差し指をくるくると回しながらどこか言葉を選ぶようにそう言った。
「文芸部はどっちかって言うと書く方だね。」
「そうなの?」
「美術部だって、絵を見に行く部活じゃなくて絵を書く部活でしょ?それと同じじゃない。」
「まあ、そっか。そう言うものなんだ。」
妙に感心したように木槿さんは頷いている。
「まあ、少なくとも部活行ってたら、さっき言った友達とは会えてなかったかな。」
言いながら右手へと視線を向けてみる。
どうにも可愛い爪の色なんて自分には似合わないと思うけれど、ムラもなく丁寧に塗られたピンクの綺麗なマニキュアに、楓が頑張って塗ってくれたのだろうことは理解できて、なんとなく嬉しい気はしてくる。ゆっくりと指を揺らして、ピンク色をした爪を眺めていると、不意に柚木さんが「あ」と小さく声をあげた。
「って、そう言えばさ、うちはマニキュア駄目だけど大丈夫?」
「え?そうなの?」
初めて聞くことに驚いてしまって柚木さんの方へと顔を向けると、彼女はむしろ意外そうな顔をしてこちらを見つめ返してくる。
「だって、みんなしてないでしょ?気にしないで化粧山盛りの子はたまにいるけどさ。」
言われてみれば確かにクラスでマニキュアをしている子は見かけたことがなかった。柚木さんの指先を見てみると、丁寧に爪が磨かれているようではあったけれど、色などは全く付けられていないことに気が付く。いつも可愛らしいものを身に着けてる彼女ですらそうなのだから、校則として、なあなあでは許されるようなものでもないのだろうと何となく察せられた。
「そうなんだ、全然気にしてなかった……。」
全くの本心でつぶやくと、柚木さんはどこか呆れたように私の方へと視線を向けてきた。
「そもそも興味がなかったと……。」
「うん。まあ……それで、どうしようかな。これ。」
一目見れば傍目にもマニキュアまみれと分かってしまう有様の自分の爪を眺めながら、どうすれば良いものかと思わずため息をついてしまう。
「削る?」
ぱっと出てきた柚木さんの言葉に、即座に「それは嫌」と首を振る。
「それならさ。」
木槿さんは、自分の鞄へと手をつっこむと、がさがさと教科書がノートの間を指先で選り分けながら、何かを探し始めた。
「あ、あった……じゃあ、手袋でも嵌めておく?」
こちらの表情を覗き込んでくるようにして木槿さんは鞄の中から一枚の手袋を取り出して机の上へと置いた。白くて薄手の布手袋で、たまにチョークが苦手な先生が嵌めているようなものだった。
「手袋……なんて良く持ってるね。」
「最近、機械とか触るようになったから、友達がくれたの。」
「これで誤魔化せるかな?」
机の上に置かれた手袋を手に取ってみると、傍らから柚木さんが顔を覗かせてくる。
「あー、桐谷さんなら、大丈夫じゃない?そう言う人って見えて気にしないかも。」
悪戯っぽい調子で柚木さんは軽く笑う。
「そう言う人って?」
「俺の右手が疼く……系の人。」
「私って、そんな風に見られてる?」
「冗談だって。」
軽い口調で言いながら、それでも柚木さんはこらえきれないようにくすっと笑う。思わずため息をついてしまうと、目の前で木槿さんはどちらかと言えば、少しだけ困ったように、はにかんでいた。
「木槿さんはどう思う?」
「え?あ……まあ、大丈夫だと思うよ。桐谷さん真面目だから。先生も信頼してると思うし。変なこと隠してるとか詮索しないんじゃないかな。」
「そうかな……。じゃあ。まあ、ちょっと借りてみる。」
「ん。」
木槿さんは小さく頷いた。
「あ、もう先生来たよ。」
ふいに柚木さんがそう言ったのにつられて、教室の入口へと顔を向けると、丁度担任の露口先生が入ってこようとしているのが見えた。
「あ、木槿さん、手袋ありがとう。」
慌てて木槿さんに礼を言うと、彼女は首を振りながら、「気にしないで。」と、黒板の方へと顔を向けた。
先生が教壇に立つ前に借りた手袋へと手を突っ込む。
少しだけ大きくて、ちょっとぶかぶかしている感じだったけれど、一度二度手を握ってみると、上手く手に馴染むような気がしてきた。布ごしに見えなくなったマニキュアを見つめるつもりで指先を眺めると、何となく楓ことを思い出す。ただちょっと、その記憶の記憶の中に出てくる楓の顔が朧なことに気が付いて、次に会った時に、ちゃんと彼女だと分かるだろうかと、少し不安になりながら、起立の号令に合わせて席を立った。




