2.再会
いつもどこか冷めているように見えた木槿さんに対して、私は勝手に共感のようなものを感じていたのかもしれない。
だから、学校で楽しそうにしている木槿さんを眺めながら、何となくクラスの中で自分一人だけが寂しい人間のような気がしてきたのだろうかと思えた。
そうまで考えてしまうと、それが何か嫌な気分になってきて、坂を下る勢いで勝手に回っていたペダルへと足を踏み込み、無理やりに漕ぎだして更に加速させる。勢いよく近づいてくる坂の分かれ道で、考えるよりも先に家へ向かうのとは別の方向へとハンドルを切っていた。
黒だの灰色だの色取り取りに屋根をした並びに協調性のない住宅街を走り抜けると、そのまま量販店の多く並ぶ市街地へと入っていく。近くにある駅の駐輪場へと自転車を止めてしまい、人混みを避けながら駅の構内をショップの少ない北出口へと抜けていく。栄えていて大型のチェーン店があって歩く人も多い南口とは違い、すぐ様に人通りの少なくなっていく北口の町並みを歩きながら、大きな通りのカツ丼屋のあった角を一本細い道へと曲がる。すると、小奇麗で落ち着いた店の立ち並ぶ一角に出た。
この通りにある本屋は品揃えが極端に文芸書に偏っているけれど、その分だけ自分の気に入るような本が見つけられる可能性が高くって、何か適当に本が買いたいという時に重宝していた。
小奇麗な店と店とに挟まれた通りを歩いていると、ふと本屋の手前、白いビルの壁際で妙なポーズをとっている一人の少女が居るのが目についた。
首を僅かに傾げながら笑顔を浮かべ、白く丸い帽子を被った茶髪の少女の服装は、まるでデパートで展示された服のように「綺麗にコーディネイトされて」いて、上下から靴から髪型まである種の美意識でもって揃えられているように感じられた。その格好は何となく眺めていても「完璧」と言うべきか、全て衣服や装飾が過不足なく整えられているかのように見えた。
「あんな人いるものなんだ……。」
妙に目に付いてしまい、歩きながらも、その姿をよくよく眺めていると、彼女の周囲にカメラを構えた男性が居て、その隣で目端の切れ上がったこれまた別の意味で美人の女性が居て、その女性がポーズをとっている少女へと「靴を持ってみよっか」とか「バッグを手前に持ってきて」等と指示しているのに気が付いた。
そこでようやく、彼女達が雑誌か何かのモデルとして写真を取っているのだろう事を理解した。
ファッションモデルならば、あれだけ綺麗でもあり得るのかもしれないとも思いながら、それでも何となく視線を外せず少女を眺めながらに歩いていると、ふいに足元が突っかかる感じがした。
そう思った次の瞬間には、歩道の段差につま先を突っかけていて、思い切りに体のバランスを前方へと崩していた。
「わわっ。」
咄嗟に躓いた足を近くの地面へと踏み直し、大仰に手をわたわたと振り乱しながら崩れたバランスを取りなおすと、なんとかかんとか体勢を取り戻すとたたらを踏む様にして、その場でたたたっと二三度足を踏みなおしていた。
ほうっと安堵の溜息を洩らしながら、ちょっと恥ずかしくて周囲を見回す。殆どの人は気にしていないようで、自分の方へと顔を向けてすらいなかったけれど、ただ一人だけ、壁の前でポーズをとっていたモデルらしき少女だけは、こちらへと視線を向けてきていて、目を丸くして大層に驚いた表情を見せてきていた。
ずっと眺めていた彼女に気付かれてしまったことが何故だか妙に恥ずかしくて、思わず顔を背けると本屋へと向かう足を速めていく。
ほんの一軒分離れた所にある本屋の入口へと駆けこむと、恐らくはあの少女から見えなくなっただろうと感じて、ふうっと吐息を漏らしながら肩の力を抜いた。店内にはまばらに人の居るぐらいで、それも各々に棚へと並べられている本を眺めているだけだった。至って静かでいつも通りの店の雰囲気に、心持ち平常心を取り戻すと、ブラウスの胸の布を僅かに握りながら、気持ちを落ち着けて店の奥へと進んでいく。
適当に棚の間を歩いていき、平台に置かれている本の表紙を見て回り、特に気になるものはないかなと感じながら店を一周してしまったところで、ふと文庫の新刊が置かれているコーナーに、気になる名前を見つけて足を止めた。
「紀本先生の新刊出てたんだ。」
新刊として目立つように台の立てかけられていた本を一つを手に取ると、ひっくり返して裏表紙に書かれているあらすじへと目を向ける。そこに書かれていたのは――遊牧民として生まれ、奴隷の剣闘士として活躍し果ては奴隷戦争を引き起こしたローマの剣闘士スパルタクスの波乱万丈な一生を描いた――と言うような内容だった。
「前に読んだ紀本先生の本は面白かったし。」
何となく興味も沸いて、これを買ってしまうことにした。
本を持ってレジへと向かうと、カウンターには緩い雰囲気の女性が佇んでいた。髪が長く、ゆったりとした服を着て俯き加減のその女性は、暗い雰囲気ながら整った顔立ちをしていて、ぱっと見にアフガンハウンドのような印象があった。一目に美人ではあったけれど、さっき見かけたモデルの少女ほどではないかなと考えた所で、どっちが美人だとしても自分には関係ないだろうけれどと苦笑いしながら持っていた本を差し出した。
会計を済ませて、紙のブックカバーをかけてもらった文庫本をポケットの中にそのまましまい込むと、店の外に出る。自分達の高校の、制服の大きめのポケットは見た目に少しダサかったけれど、文庫本がきっちり入るのは便利だと思ってしまう。
店から一歩外に出ると、目の前を物凄い勢いで自転車が駆け抜けていった。
思わず足を止めてと、
「遥香ちゃん?」
と、ふいに自分の名前が呼ばれた。
声のした方へと振り返ってみると、さっき白いビルの前で写真を撮られていたモデルの少女がそこには立っていて、なぜか酷く嬉しそうな笑顔で、こちらへと手を振っていた。
「え?」
もしかして自分の後ろに誰かいるのかと振り返るが、当然そこには誰も居なかった。何より自分の名前を読んでいたのだし、自分のことを呼んでいるのかと、恐る恐る少女の顔を見ると、彼女は真っすぐにこちらを見詰めてきていることに気が付く。
「遥香ちゃん……だよね?」
こちらが余りにも反応できずに呆然としているせいか、さっきまで笑顔を見せていた彼女は急に不安そうな顔になって、躊躇いがちに尋ねてきた。
「確かに遥香ですけど、えっと……貴女は?」
そう尋ねると、モデルの少女ははっとした表情を見せる。
「あ、ごめんね。分からないかな。私、楓だよ。中学の時に一緒だった紅葉谷楓。」
その名前には聞き覚えがあった。同じ中学校で三年間同じクラス、しかも良く一緒に話をしていた同級生だった。ただ、その少女は目の前に居るような華やかな格好をした子ではなく、おさげの似合う地味な少女のはずだった。
「え?楓?」
余りにも印象が違いすぎて、戸惑いながら指をさすと、少女は嬉しそうにコクコクと頷いた。
「うん。楓、楓だよ。」
彼女は綺麗な顔を満開の花のように綻ばせていた。




