話し合いの日
その日は雨だった。
私が店に着くよりも早く、康介と康介の両親が真由子と話をしていたことなど、私は露ほども知れず……ぼんやりと雨を見ていた。
その日、康介も康介の父も会社を休んでいた。
真由子も仕事は夜遅くにすることにし、会議は別の日にしていた。
「木元さん、今日は、わざわざ来て頂きありがとうございます。」
「いいえ、決めないといけないことですので当たり前です。」
「今日はお休みなさったとか……。」
「それも、当然のことです。息子のことですから……。」
「どうか、お気になさらずに……孫のことを決めるのですから……。」
「ありがとうございます。
ひろちゃんのことを決める前に、皆様にお伝えすることがあります。
その為に、杏に開始時間を1時間遅く伝えました。
杏は1時間後にやって参ります。」
「……そうですか。」
「何のお話しでございますか? ひろくんに何かあったのでしょうか?」
「ひろくんに何かあったのなら………。」
「ひろちゃんのお祖父様とお祖母様が心配して下さるのは有難いことです。
ですが、今からお話しするのは、ひろちゃんのことではございません。
杏のことでございます。」
「杏のこと! 何かあったのでしょうか?」
「康介さん………。
貴方はあの子がどんな風に康稀をお腹の中で育てて産んだのか………。
全く御存知ではありませんよね。」
「………はい。」
「これからお話しするのは、木元康介さんから婚約を解消された後の……。
その後の杏の姿です。
あの子がどんな精神状態だったのか、からお話しします。」
「……………教えて下さい。お願いします。」
「お伺い致します。」
「杏さん………ごめんなさい………。」
「………泣かずに伺いなさい。」
「はい、あなた………。失礼致しました。」
「いいえ…………では、お話致します。
杏はあの日、木元康介さんだけではなく実の親にも捨てられました。
あの子は、家を出て公園でぼんやりブランコに座っていたんです。
兄から呼び出されていた私は、その杏を見つけました。たまたま……。
その日から杏は、私の家で一緒に暮らし始めました。
その日以来、兄から杏を探すようなそぶりは全くありません。
連絡も一切ありませんでした。
今も兄夫婦から連絡はありません。
あの日、あの子は親からも捨てられて、婚約者からも捨てられたんです。
しかも、妊娠していました。
その日からあの子に少し変な様子が見られるようになりました。
一つは空白の時間が出来たことです。
時間が経っているのに、あの子にとって時間は経ってないのです。
もう一つは、常に泣いている状態になりました。
頑張らないといけない!と思った瞬間だけは、泣かずに過ごすのです。
仕事を探したりして……自分と生まれてくる子の為に頑張る時間。
その時間は泣かずに過ごしていました。
でも、ふと見ると、涙を流していました。
元気なそぶりを見せつつも、それは無理をしていたのでしょうね。
泣いている時間の方が多かったように思います。
睡眠も取れていない様子でした。
食事も……お腹の子の為に流し込むような状態が続きました。
杏がポツリと『生まれて来なければ良かった。』と言いました。
私は精神科を受診させました。
付いた病名が【抑うつ】でした。
鬱病との診断ではありませんが、近いのだとご理解頂きたいです。」
「抑うつ………。」
「はい。」
「うううっ………………。」
「杏は抗うつ薬を飲みながら妊娠期間を経て出産しました。
今も精神科には通っています。
誰からも大切にされなかった記憶が、あの子を苛みました。
子どもを育てる自信が他の人よりも少ないと思います。
愛されて育たなかったのに、正しい愛し方が出来るのだろうか。
そう悩み続けて居ます。
今も悩み続けて居ます。
今の悩みは、ひろちゃんの望み【お父さんとお母さんと暮らしたい】です。
その息子の願いを叶えてあげられないからです。簡単に………。
そして、いつか本当のことを伝えなければならないからです。
本当のことを知った時、息子がどんなに傷つくのか……が恐ろしいのです。
今回の話し合いは、ひろちゃんの今後を守る為です。
ですが、杏の心も私は守りたい。
どうかお考え下さい。二人を守れるような未来にしたいのです。」
「………良い案……全く浮かびません。済みません。
ですので、今は真実を告げる時が来るまでの間のことを考えました。
ひろくんに何時、どんな風に話すのかは難しいです。
ただ、ひろくんの耳に………万が一…………真実を………杏以外の誰か……。
いつか誰か他の人の口から聞くことが無いように手を打つ。
その必要はあります。
石谷直樹さんと百恵さんの口を塞ぐ必要があります。」
「随分な言いようをなさるのは、あの二人の真実の姿を知っているからですよね。
だから、義父母なのに………そのように言いきることが出来る。」
「もう義父母ではありません。」
「えっ?」
「姻族関係終了届を役所に提出して随分経ちます。」
「まぁ、それじゃあ……扶養義務も返上したのですね。」
「はい。全て梓の死後、三回忌の前に終了しましたから……。」
「伝えましたか?」
「はい。あの家を出る時に伝えました。」
「兄のことだから、激怒したでしょう。」
「ふふっ………はい。物が飛んできました。」
「お怪我は?」
「避けましたので……それに言いましたから。」
「何と?」
「怪我をしたら警察を呼びますと………。」
「まぁ! それは素敵なお言葉。
それでは、もう義父母ではないということですね。」
「はい。」
「兄夫婦のことは………あの二人の口を塞ぐのは、私にお任せ下さいませ。
私の伯父にお願いしますわ。
伯父は、ひろちゃんのことを可愛がっておりますのよ。
ただ体の具合が悪くて会いに来れないのです。
でも、伯父は何かにつけてお金を送ってくれています。
写真を送ると伯父は大層喜びますのよ。
写真で大喜びですもの……杏とひろちゃんが会いに行くと、それはもう……。
嬉しそうに目尻が下がりますのよ。
伯父には兄も、私に対するのとは態度が違いますから……。
お任せを!」
「お願いします。」
「それは心強い。」
「よろしくお願いします。」
「では、それ以外に今後について、何かいい案がありますか?」
「今は、取り敢えず、双方の家に交互に泊まる、しか無いように思います。
学校への送迎は僕がします。」
「それは良いのですけれども……問題なのが、杏の心です。
あの子が康介さんと同じ家で寝泊まり出来るのか……です。
その点はもう直ぐ来る杏に聞きましょう。」
「でも、その方法も長くは無理ですよね。
ひろくんは賢い子です。
もう何故苗字が違うのかは気になっていると思います。
ただ、聞けないだけで……。」
「それも話し合わないといけないでしょう。
どうか、お忘れないようにお願いしたいのです。」
「何でしょうか? 木元さん。」
「私ども夫婦は、孫のひろくんを誰よりも守りたいです。
出来得ることは何でもしてやりたい。
それは、ひろくんだけではありません。
杏さんも守りたいです。
杏さんへの償い、ひろくんへの償い、どちらもさせて頂きます。」
「ありがとうございます。
でも、杏への償いをするのは、木元さん御夫妻ではありません。」
「僕です。僕が償わないといけない。」
「ええ、それをどうかお忘れなく……。」
そんな話をしている人達の中に私が入ったのは、私が聞いていた開始時間の10分前だった。




