入学
康稀が小学校へ入学する前に嬉しい大騒動が起きた。
高校からの親友・佐藤梨華、会社の同期・三木絢音から康稀の入学祝いをしたいと連絡があった。
私は筆箱などの文房具を頼んだ。具体的には梨華には筆箱、絢音にはお道具箱を頼んだ。
社長夫婦、社長の妹夫婦、康介の両親、真由子、そして康介からも入学祝の連絡があった。
それが、なんとっ! 皆さん、揃ってランドセルを贈りたいと言って来たのだ。
私もランドセルを購入することを決めていた。
さて、どうするか……私は大いに悩んだ。
悩んだ結果、社長夫婦には電動の鉛筆削りを、社長の妹夫婦には鉛筆と色鉛筆をお願いした。
そして、ランドセルは康介の両親にお願いした。
真由子には防犯ブザーと傘を……そして、康介には電子メモとタブレットケースをお願いした。
私は給食袋、体操着袋、上履き入れを作り、そして、入学式の時の洋服を買った。
足りない物は、康介と康介の両親、それから真由子が相談して買ってくれた。
学習机は……1年生では要らないと思った私は、少し先で必要になった時に買うことにした。
**********
康稀の入学準備で忙しくなった頃、真由子が私にあることを提案した。
「杏、兄さんにひろちゃんのこと話さない?」
「えっ?」
「一応、ひろちゃんの祖父母だからね。
それに、杏が私の養女になった事も伝えた方がいいと思うのよ。」
「………知らせないと駄目?」
「杏……ケジメの為に知らせると考えて欲しいのよ。」
「ケジメ?」
「そうよ。」
「叔母ちゃん、今のお父さんもお母さんも梓を失ったことでイッパイいっぱいよ。
それに、あれから何年も経ったのに、私がどう暮らしているか知る気も無い。
知る気が無い人に話しても……変わらないわ。」
「でもね、ちゃんとお別れしてないでしょう?」
「お別れ?」
「そうよ。」
「叔母ちゃん、親子の縁を切るって言いに行くように……ってこと?」
「そうよ、その通り。
勇気が必要だって分かるわよ。でも、いつかは向き合わないとね。」
「ひろちゃんを連れて行かないわ。
何を言われるか分からないから……聞かせたくない。」
「勿論よ。」
「写真は見せるわ。」
「それでいいのよ。」
私はスマホの画面を見た。
どこにも、もう父の名前も母の名前も残していない。
全て削除した。
削除しても私のことをほんの僅かでも気に掛けてくれていたら、探したはずだ。
探せば直ぐに私の居所は分かるはず。
でも、父も母も動かなかった。
捨てられて忘れられた娘の私が、会いたいと言っても嫌がられるだけだと分かっている。
それでも、私は真由子が言うケジメが大切だと思った。
自分の心にもケジメをつけるのだ。
私は、真由子のスマホの中の父の電話番号を見た。
そして、その番号に私のスマホから電話を架けた。
きっと梓の葬儀に列席していなかったことを責められる。
どんな言葉を投げ付けられるか恐怖を感じた。
震える指で父に電話を架けた。
「お父さん?」
「杏! お前かっ! 今頃、連絡して来やがって!
梓の葬儀に来ずに! お前はそれでも姉かっ!」
「………お父さん、家に行きます。」
「やっと線香を上げに来る気になったか……。
今更だがな………良かろう。来なさい。
梓の仏前にちゃんとした物を供えるんだぞ、お前は姉なんだからな。」
「はい。今度の土曜日にお邪魔します。」
「分かった。何時に来るんだ?」
「13時頃に伺います。」
「13時頃だな。分かった。」
土曜日、私は午後からの勤務にして貰った。
そして、長い間潜れなかった実家の門を潜った。
「お邪魔します。」
「おう! 来たか。」
「杏、お供えは?」
「こちらです。」
私はお供えとして梓が好きだったメロンを買って来ていた。
そして【御香料】とメロンを渡した。
「あらっ、あんたにしては気が利くじゃないの。」
「お線香を上げさせて頂いても宜しいですか?」
「こっちだ。」
父と母の後ろを歩いていると、父と母の衰えがハッキリ分かった。
そして、空気が重く感じた。
家が暗くなったと感じた。
梓が亡くなってから、この家は……両親は太陽を失ったのだと思った。
梓は太陽だったのだ。この家の……両親の……太陽だったのだ。
仏壇の前に進んだ私は、元気だった頃の笑顔の梓の写真を見た。
その部屋は梓の写真が至る所に飾られている。壁にも、箪笥の上にも……。
そのどれもが愛らしく儚げな梓だ。
梓の部屋ではなく、リビングが仏間になっている。
私は……驚いて声も出なかった。
「梓……可愛いでしょう。」
「ええ………。」
「こんなに早く逝くなんて……うううっ……。」
「お前だったら良かったのに……どうして梓なんだ……。」
「………………そうですね。
お線香を上げさせて頂きますね。」
もう傷つかないと思っていた。
でも、それは………無理だった。
涙が零れそうになった。
線香を上げて、手を合わせて私は梓に話し掛けた。心の中で……。
⦅梓……幸せだった? お父さんとお母さんは悲しんでるよ。早過ぎるよ。⦆
合わせていた手をゆっくり下ろした私は、父と母に手をついて頭を下げた。
「ご愁傷さまでございました。」
父と母は梓を思って涙を流している。
その父と母に私は一枚の写真をそっと差し出した。
「何だ? この写真は?」
「私の子どもです。」
「お前……子どもを産んだのか?」
「はい。」
「結婚したの?」
「…………いいえ。」
「結婚しててないだと?
恥知らずがっ! 親に恥をかかせるのかっ!」
「あんた、こんなこと恥ずかしいじゃないの!」
「認めんからな! 孫だと!」
「この子は木元康介さんの子です。」
「何だとぉ―――っ!」
「婚約を解消された時には私のお腹の中に居ました。」
「えっ?」
「私は産みました。私の家族です。」
「あの時に身籠ってたのか?」
「本当なの?」
「本当です。この子は康介さんにソックリです。
この春に小学校に入学します。」
父は写真を手に取った。
母は父が手にした写真を覗き込んだ。
「男か………。」
「梓にちっとも似てないわ。」
「役立たずがっ! 産むなら梓に似た子を産んでいれば……。」
「梓に似た女の子が良かったわ。」
私はやっと【親の愛を乞う子ども】から変われると思った。
もう、この両親の「愛など要らない!」と言えそうだ。
「梓が産んだんじゃないから似てなくて当たり前です。」
「お前………。」
「それから、今日お邪魔させて頂いたのは、梓とお別れする為です。」
「何て言った?」
「お二人ともお別れします。
梓ともお別れします。
その挨拶に参りました。」
「何を言ってるんだ……?」
「私はお二人から愛された経験がございません。
愛された実感は一度としてありません。」
「何言ってるのよ。」
「だから、私はお二人の子ではないと思っています。」
「何を………。」
「あんたは私が産んだのよ。お腹を痛めて……。」
「もう私には母が居ます。」
「母は、お前の母は百恵だろう!」
「いいえ、私は加納真由子の養女になり、今は加納杏です。」
「え…………。」
「真由子の? 養女?」
「はい、もうお二人の子ではありません。
私の母は加納真由子只一人です。
今後、年を重ねましても………
私が心を込めて介護するのは母・真由子だけです。
そのことをお伝えしたくて参りました。」
「お前………親を捨てるというのかっ!」
「こんなこと許されないわ!」
「百恵さん、私はマッチが持てません。
どうしてか分かりますか?」
「それがどうしたのよ。マッチなんか使わないでしょう。」
「子どもの誕生日のケーキの蝋燭に火を点けられないのですよ。」
「それが、どうしたのよ。」
「貴女が私の手を掴んで離さなくて、火を点けて消した後の……
マッチを近づけたんですよ。
火は消されていても、怖かったのです。恐ろしかった。
火傷はしていません。でも、恐ろしかった。
叱る時、毎回……それからマッチが怖くて怖くて……。」
「そんなこと覚えてないわよ。」
「精神科医に言われました。
トラウマだと……虐待に当たるんですって………。」
「し……知らないわ……。」
「私が悪いかどうかなど無関係で、叩きましたよね。お二人は……。
だから、手が上がると怖くて頭を両手で抱え込むんです。」
「何を言うんだ。」
「何が原因か分からなかったけれども、何度も物干し台に括りつけましたよね。
押し入れに入れて出して貰えなかったり………。
外に出されて家に入れて貰えなかったり……。」
「そんなこと……してないわ。」
「そうだ!」
「だから、私は愛されていなかったんです。
愛されていなかった子どもが、愛さなかった大人の世話をするとでも?
そんなこと……私は無理です。
ですので、それをお伝えするために参りました。」
二人は怒りの余り身体を震わせていた。
「お伝えしたいことをお伝え出来ましたので、失礼します。
お元気で………。」
生まれて育った家を出た。
身体は震えていた。
私は声が震えていたかどうか分からなかった。
震えずに話せたら良かったけれども、こんなに身体が震えている。
多分、声も震えていただろう。
足がガクガクして電柱にしがみ付いた。
「杏!」
「……叔母ちゃん……。」
「杏……頑張ったわね。よく頑張ったわ。」
「………ありがとう……お養母さん……お養母さん、ありがとう。」
「杏……今……なんて………。」
「お養母さん、ありがとう。」
「お養母さん、って呼んでくれるの?」
「……お養母さん………今まで色々とありがとう。これからも傍に居てね。」
「杏……ありがとう……ありが…とう。」
真由子が運転する車に乗って私は私の家に帰った。
**********
そして、いよいよ康稀はピカピカの一年生になった。
祖父母からの贈り物のランドセルを背負って………。
入学式は康稀の父方の祖父母、母方の祖母(真由子)、そして両親である康介と私。
康介の両親と康介の3人に会うのは、あの初めて康稀と康介を合わせた日以来、二度目だった。
康稀は終始嬉しそうだった。瞳は輝いていた。
写真も一杯撮った。
康介が何気なく言った。
「桜が散りそうだな。
昔は入学式の頃に散りそうな桜じゃなかった。
温暖化かな?」
「写真、送信しますね。」
「ありがとう。杏さん。」
桜をバックにして撮った写真。
誰もが生涯大切にする写真になった。
全員で夕食を食べて、康稀が寝付くまで、傍に居てくれた。
康介が帰る時に杏に言った。
「今日は、本当にありがとう。
一生の大切な想い出だ。
来年は、皆で花見に行かないか?」
「お花見……ですか?」
「うん、ひろくんに綺麗な花見を……。
紅葉狩りにも連れて行きたいし、海水浴も……。
出来れば皆で……考えて貰えないだろうか?」
「……考えます。」
「ありがとう!」
車に両親を乗せて康介は帰って行った。
康介が運転する車で、私は何度もデートに行った。
家まで送ってくれて康介が帰って行く――その車を私は長い時間見送った。
若かりし頃の私の叶わなかった恋。
今も胸が痛む。
そして、今も忘れられない。
康介の姿を………。




