息子・康稀
私は無事に男の子を産んだ。
養母・真由子は泣いて喜んだ。
「私に娘と孫が出来るなんて……こんな幸せがやって来てくれるなんて……。
ありがとう、杏。」
私は息子の名前に父親である康介の名から一字取って名付けた。
加納康稀。
私はまだ康介を愛していたのだ。
子どもの名前に父親の名前から一字取るのは、私の康介への想いだった。
ただ、読みは変えた。
そして、誰が父親か話せないけれども、息子に父親が居ることを伝えたかったのかもしれない。
「貴方がお腹に来てくれた時は、お父さんとお母さんは愛し合ってたの。」
そう言いたいのかもしれない。
事実は違うけれども……。
不思議なことに誰も反対しなかった。
真由子も友人達も、誰も反対しなかった。
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私は花に関する勉強を懸命にした。
そして、フラワーアレンジメントも出来るようになった。
その頃、息子の康稀は2歳になっていた。もうすぐ3歳だ。
私のことを康稀は「お母さん」と呼べなくて「おちゃーちゃん」と呼ぶようになっている。
「おちゃーちゃん。」
「なぁに? ひろちゃん。」
「いっちょ みりゅ。」
「お母さんと一緒を見たいのね。」
「うん。」
テレビを点けると、もう康稀はテレビの前で音楽に合わせて踊ったり歌ったりしている。
その姿は愛らしくて、このひと時が私にはこよなく愛おしい。
見ると、いつの間にか真由子まで康稀と一緒に踊っている。
時々、そんな二人の様子を見ながら、私は夕食の支度をしていた。
今日は、【 fleuriste こもれび】の社長の家族がやって来る。
今や、社長の家族とは親族のような付き合いをしている。
社長の妹である店長は、婚約者を連れてくるようだ。
用意が出来た頃、社長の家族が到着した。
玄関を入るなり、社長も専務も康稀に夢中だ。
社長夫婦には子どもが居ない。
康稀をまるで甥のように可愛がってくれている。
社長に向かって駆け寄った康稀が嬉しそうに両手を社長に向けて差し出した。
「かちゃぐりゅま! かちゃぐりゅま!」と繰り返す。
もう、社長はメロメロになって「ひろちゃん、肩車か?」と言いながら、康稀を抱き上げて自分の肩に座らせる。
最近の康稀が一番喜ぶのが、この肩車である。
社長夫婦は大喜び、康稀は肩車して貰えて社長の肩の上でキャッキャッと声を上げて喜んでいる。
それを見ていると、私は父親に育てて貰えない息子が可哀想になる。
父親にも母親にもなると思ったが、父親らしいことをしてやれない場合もあるのだ。
⦅ひろちゃん、ごめんね。⦆と心の中で謝る。
社長の家族が来ると、社長は康稀をお風呂に入れると言って聞かない。
毎回、真由子と社長と専務とで康稀のお風呂争奪戦が繰り返される。
この争奪戦、いつも、社長が勝つのだ。
理由は簡単だ。社長が康司に教えたからだ。「男同士」という言葉を……。
「ひろちゃん、誰と入る?」
「おちょこ どうち!」
これで決着するのだ。毎回、あえなく敗れる専務は一瞬だけ夫婦仲が悪くなる。
「あなた! ずるいわ!」
「じゅるくないでちゅよね、ひろちゃん。」
満面の笑みで勝ち誇ったように康稀を抱いて社長は浴室へ行く。
それも康稀が大好きな肩車をして……社長は意気揚々と浴室へ行くのだ。
そんな穏やかで幸せな日々を杏は送っている。
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康稀が3歳になって暫くした頃、康稀を寝かしつけて、真由子と二人でお茶を飲んでいる時だった。
真由子のスマホが震えた。
気付いた真由子がスマホに出た。
真由子が声を失っている様子が目に入った。
「分かった。今から行くわ。」
「どうしたの? 叔母ちゃん。」
「杏……あのね……梓が交通事故で病院へ救急搬送されたのよ。
ひろちゃんが寝てるし、私一人で行ってくるわ。
待ってて、いいわね。」
「叔母ちゃん! 梓は? どんな怪我なの?
康ちゃん……あっ!………あの、康介さんも怪我したの?」
「何も分からないのよ。兎に角、行ってくるわね。」
「うん、お願いします。叔母ちゃんも気をつけて。」
「うん、行ってきます。」
杏は不安な時間を一人で過ごした。
康稀が寝ている部屋に行った。
スヤスヤと寝息を立てている康稀の柔らかい頬をそっと触れて、「ひろちゃん、お父さんの無事を祈ろうね。」と小さな声で話し掛けた。




