新しい道を生きる決意
私は加納杏になって、人生をやり直すと心に決めた。
慣れないのは、叔母である真由子が養母になったことだ。
養母に対して私は「叔母ちゃん!」と呼ぶことが出来ていない。
「お養母さん!」と呼ばないといけないが、まだ呼べない。
なんとなく恥ずかしいと思ってしまう。
それに母が居る。
「お母さん」は母だけなのだ。
そのことが私を「お養母さん」と呼ぶことについて葛藤させている。
ただ、家を出てから今まで一度も父も母も私を探そうとしていない。
元気かどうかを知ろうとも思っていないのだ。
どこで、どんな暮らしをしているのか知ろうともしないのだ。
親から愛させないということは、そういうことだ。
気にも留めて貰えないのだ。
私は見捨てられた娘なのだとハッキリ分かった。
この頃の私はまだ親の愛を乞うていたのかもしれない。
そして、康介の愛も……。
**********
私のお腹は大きくなっていった。
私は戌の日に腹帯を巻いた。
養母・真由子がとても張り切っていて可笑しかった。
近くの神社で安産祈願を受け、腹帯を持参してお祓いをして貰った。
母になるということが現実味を増してきた。
妊娠5ヶ月になると悪阻が治まった。
「叔母ちゃん」元い、「お養母さん」が言っていた通りだった。
私は仕事を探していた。
養母の真由子に養って貰う訳にはいかない。
子どもの母になるのだ。
働かねば育てられない。
私は好きなことを仕事にしたいと願うようになっていた。
好きな花に囲まれた暮らしに憧れていた。
なんとなく花に関わる仕事をしたいと思った。
養母・真由子は「いいんじゃないの? AIに奪われない仕事だわ。」と言った。
私はハローワークに行き、花に関する仕事を探した。
**********
康介と出逢ったあの会社は、既に仕事の引継ぎが終わり退職している。
悪阻で辛い妊娠3ヶ月の時だった。
退職を決意して上司に伝えた日、会社の同期で一番仲が良い曽我絢音が心配してくれた。
「ねぇ、もしかしたら……妊娠……してる?」
「誰にも言わないで!」
「分かった………このこと、あのクズ野郎は知ってるの?」
「言ってない。」
「そうか……あのさ、産むの?」
「うん、産むよ。」
「退職したのは、出産するから?」
「うん、それもあるけど、もう会うのが辛いから……。」
「そうだよね。あのクズ野郎、3年目に入るのに本社に異動してないもんね。
あ……もう異動するのか。」
「本社に異動しても、この会社に勤めている限りは何時か会うかもしれない。
会ったら辛いから……。」
「杏は被害者なんだよ。どうして被害者が辞めないといけないんだろう。
腹立つ! あのクズ野郎、不幸になっちまえ!」
「絢音、止めて。」
「どうしてよ。」
「私ね、まだ好きなのよ。彼が不幸になること……望んでない。
好きだから……望んでないの。諦めが悪いよね。」
「ううん、そんなことない。諦めが悪いのは当たり前だよ。
まだ日が浅いから……。
杏、私、もう言わないね。不幸になれ!って言わないよ。」
「ありがとう……絢音。」
「退職したから、生活は? 大丈夫なの?」
「うん、叔母の家で厄介になってるの。安心して。」
「そっか……良かった。
ねぇ、産まれたら教えてね。」
「勿論!」
「お祝い持って駆けつけるから!
………妊娠、おめでとう。」
「………ありがとう……ありがとう、絢音。」
私は泣いてしまった。
涙が次から次へと流れ落ちる。
止められなかった。
絢音は私の隣の椅子に座って、私の背を撫でてくれた。
**********
私には高校の頃からの親友が居る。
彼女は激怒した。私の妹に対して……。
森下梨華は憤懣遣るかたない表情で梓を罵った。
「高校の時も、杏の恋人を奪ったじゃない!
今度は、婚約者を奪い、式も披露宴も、新婚旅行さえも奪ったっていうの!
なんて奴なんだ!」
「梨華……私……。」
「あの父親と母親! 親じゃないわ!
普通は、姉を慰めるわよ。妹と縁を切るわよ。
それが何? 当然のように妹に譲れって?
縁を切るべきよ。杏、決意して欲しいな。
あんな親なんか要らないって思って欲しい。」
「…………私………。」
「少し教えて貰ったことがあるの。」
「何?」
「精神科医が言ってた。ネットで配信されたの。
親の虐待を受けたら、自分だけが我慢すればいいって思うんだって。
でもね、我慢しなくっていいからね。
親が悪いんだから……。」
「梨華、私、虐待なんかされてないよ。」
「杏! 親からされたこと全て虐待だよ。」
「でも、怪我してない。」
「怪我することだけが虐待じゃない。
ねぇ、よぉ~~く聞いて、杏。
インフルエンザで熱が出ても看病して貰ったこと無かったよね。
小学生からだった?」
「うん。」
「それ、立派な虐待だよ。」
「………でも、梓が大変だったから……。」
「それならそれで、誰かに……普通はだよ。普通は誰かに杏を看て貰うよ。
でも、なぁ~~んもしなかったのよね。」
「う…うん。」
「それ、立派な虐待ですから!
他にもあったよね。インフルエンザに罹ると叱られてたよね。
『梓にうつったらどうするんだ!』って納戸に閉じ込められたんでしょう。
そして、放置!
どう考えても、インフルエンザに関することだけでも虐待よ。
殴られたのも杏だけでしょう。妹は絶対に殴られない。」
「殴られてないよ。」
「じゃあ、なんて言えばいいの? 叩かれた?」
「うん、叩かれたけど……。」
「一度じゃないでしょう。
私の目の前でも妹が泣いたからって理由で殴りやがった。
あの馬鹿野郎が……。」
「それは……怖かったよね。ごめんね。」
「なんで……なんで杏が謝るのよ。杏、あの親から離れよう。
これを機会に、離れない限り幸せには成れないよ。
丁度、叔母さんの家に転がり込めたんだし、さ。
そのまま置いて貰っちゃえば?」
「そんな訳にはいかないよ。迷惑掛けないように早く出なくっちゃ。」
「杏はいっつも言うよね。迷惑掛けちゃ駄目って。
でもね、助けて貰った方がいい時もある。
その時にちゃんと『ありがとうございます』って感謝出来ればいいと思う。
そして、いつか…その人を助けてあげられたらいいんじゃない?
あっ! そうだ。私のことも忘れないでよ。
私に出来ることは、やるよ。友達じゃないの。遠慮しないでね。」
「………梨華……ありがとう。」
私の涙腺は、とても弱いみたいだ。
梨華の優しさに涙が止まらなかった。
そして、私は石谷杏から加納杏になったのだった。




