第6話 神様、社員を甘やかす
移転から数日。
最初は新しい事務所の広さに怯えていた社員たちも、それなりに馴染んできた。
ただ馴染みすぎてすぐに住み着こうとするのが問題だった。
甘やかして環境を整えすぎたかもしれない。
「そろそろ休憩にしましょう」
店長の声でそれぞれが作業の手を止める。
よほどの急ぎの仕事がない限り、全員揃って休憩を取るのがこの会社の決まりだった。
そうやって無理やりにでも休憩時間を入れないと、延々と仕事に熱中してしまうような奴ばかりなので、店長の提案で作られたルールだ。
もっとも、急ぎの仕事などこの会社には発生しないのだが。
作品が完成し、納得ができたら売る。
または良い物を仕入れられたら売る。
その辺はかなり緩い会社だった。
それぞれ飲み物を用意し、自分の席で思い思いにくつろぎ始める。
仕事の手さえ止めれば、どこで休もうと自由なのだが……誰も新しく設置された休憩スペースを使おうともしない。
「ここ、前の事務所より息子の学童に近いんです。車だと少しの差ですけど、迎えに行ってから家へ帰るまでがかなり楽になりましたよ」
「俺は奥さんから『帰りに買ってきて』って頼まれることが増えたかな」
事務員さんは仕事を終えると学童へ息子を迎えに行く。
子供が成長すると車が必要な場面が増えるようだ。
春日は車を持っていない。
(運転手でも雇うか?)
今はまだ必要ないが、理央が学校へ通うようになるまでに専属の運転手を育てておくのも手かもしれない。
「あのパン屋は反則だよね」
「焼きたての匂いにつられる」
「ああ」
事務員さんの提案で出店したパン屋も好評。
特に希望した時間に焼きたてのパンを用意してもらえる社員限定サービスが、全員の心を鷲掴みにしていた。
スーパーを誘致した春日の会社だからこそ受けられる特別サービスだ。
「休日前は絶対にパンを買ってきてって言われます」
「俺もだなぁ。『休みの日の朝ぐらい手抜きさせて』って、食べたいパンのリストを渡されるよ」
三バカがパン屋の誘惑について語る一方で、家庭持ちの二人もそれぞれ家族から注文を受けているらしい。
「パン屋の店員さん、可愛い人が多いと思うけど、お前らはそういう話しないよな」
「なんですか、突然」
「いや、独身が三人もいながらパン一直線なのかなって」
「俺らにパンを渡すの、大体いかついおっさんですね」
「それ、お前らが女の子に避けられてるの? それとも俺の社員だからサービスされてるの?」
前者なら普通に傷付く。
後者なら、そんなに気を遣わないで、となるやつである。
「胡散臭いからアルバイトの子たちに怖がられているんじゃないか?」
「ありそうですね」
店長の言葉に事務員さんが軽く頷く。
「お二人とも酷い! ここは社長から僕らを庇うところでしょう!」
「お外怖い」
「生きた人間は怖いな」
「そろそろ休憩は終わりですね」
店長の一声で各々が空になったカップを手に立ち上がる。
使ったものは自分で片付けるのもまたルールの一つ。
もちろん社長も例外ではない。
給湯室でカップを洗いながら、春日は小野寺の話を思い出す。
「そういえば、小野寺さんは送迎が楽になったんだろ? 今までどおりの時間で大丈夫?」
「はい。今までどおりなら問題ありません。ただ、少し余裕ができたので、その分だけ長く働けたらなって」
「勤務時間を増やしたいの?」
「事務作業が終わったあと、私もデザインに参加したいんです。でも、息子がまだ小学生なので……」
「無理しなくていいんじゃない?」
「理央君の小物とか! 遊び道具とか! そういうのを!!」
「お、おお」
長く働きたい理由が理央だった。
それなら仕方ない。
理央は創作意欲を高める天使だから。
「えっと、じゃあ子供を預かれる人でも雇おうか」
「社長がまた何か言い出した」
話を聞いていた店長は、カップを片付けて戸棚を閉めると、扉に額をつけたまま動かなくなってしまった。
「学童に迎えに行ってもらえるように手配してさ、それで宿題とかもここでやらせちゃえばよくないか?」
「そこまでしてもらっていいんですか?」
「いーよ、いーよ。迎えを頼む人が決まったら、一度、小野寺さんも一緒に学童へ行って顔合わせしてくれる? 知らない人が突然迎えに行ったら、学童の人も困るだろうし」
こうしてサクッと、事務員さんの勤務時間延長と、子供の送迎や見守りを担当するアルバイトの採用が決まった。
「これが頭痛が痛いというやつか……」
戸棚に額をつけたまま、店長が呟いた。




