守る者
――第六話『守る者』
地表では、一瞬の判断が生死を分ける。
突進してくるアバレント。
吹雪で削られる視界。
仲間の声。
武器の発振音。
その全ての中で、第七小隊は連携し、生き残るために戦っています。
今回の第六話では、新たに加入したグレンの初陣と、第七小隊それぞれの役割を意識して描きました。
誰か一人の強さではなく、“隊として戦う”空気を感じてもらえたら嬉しいです。
そして戦いの後、第七小隊は新たな違和感へ触れていきます。
それでは、第六話『守る者』よろしくお願いします。
第7小隊が地表接続区画を離れてから、30分ほどが経っていた。旧市街を北西へ延びる道路は積雪に半ば埋まり、崩れた舗装を突き破った木の根がところどころで白い地表を持ち上げている。キョウジは吹きつける雪を腕で払いながら先頭を進み、後ろではカイとリオが左右の建物へ視線を配り、ユーリが後方を警戒していた。最後尾を歩くグレンは大型盾を左腕へ固定したまま、雪に埋もれた車両や崩れかけた外壁の陰を一つずつ確かめている。
『E-17中心部まで残り3・7キロ。現在の進路上に敵性反応はありません』
「地中の反応は?」
『接続直後に確認された3体は現在捕捉できていません。磁気干渉による誤検知の可能性もありますが、断定はできません』
「消えたからいない、とは考えない方がよさそうですね」
カイが雪の下から突き出した標識を跨ぎながら端末を確認し、その横でリオが傾いた建物の窓へ顔を向ける。割れた窓の奥には雪が吹き込み、かつて室内だった場所から枯れた枝が道路まで伸びていた。
「こんなところから急に出てこられたら嫌だな」
「そういうこと言うと本当に出てくるぞ」
ユーリがハープーンへ手を添えたまま返すと、リオは前を向き直った。
「じゃあ今のなし」
「ミオ、記録から消しといてやれ」
『記録の改竄には応じられません』
「そこまで大事な話じゃないだろ」
キョウジが苦笑しながら進み、道路を塞いでいた大型車両の脇を抜ける。そこで先頭の足が少しだけ緩んだ。舗装の露出した場所に、雪では隠しきれない深い傷が残っている。幅の広い爪痕が道路を斜めに横切り、その先では放置車両の側面が大きく潰れていた。
キョウジがしゃがみ込むより先にグレンが横へ並び、盾の縁で積もった雪を払う。
「古くはないな」
「ああ。雪がほとんど入ってない」
『周辺を再走査します』
ミオの声に5人が散らずその場で周囲を見渡す。カイは道路左側の崩れた店舗群へ、リオは右手の車列へ視線を送り、ユーリも後方から歩いてきた道を確認していた。グレンが潰れた車両へ近づき、側面に残った傷へ大型盾の縁を寄せる。
「ハウラー級より大きい」
「傷をつけた奴が?」
「爪の幅だけならな。体格までは分からん」
『前方に生体反応を検知。距離180メートル』
キョウジが立ち上がる。
『6体。旧道路上を南東へ移動しています。このまま進行した場合、約2分で接触します』
「向こうから来てくれるなら探す手間が省けたな。ミオ、種類は?」
『反応強度から5体はハウラー級と推定。残る1体は大型です』
キョウジは潰れた車両へもう一度目を向け、腰のアークブレードを引き抜いた。
「傷の主かもしれないな。ここで迎えるぞ。グレンは正面、カイとユーリは左右を潰せ。リオは俺と抜けてきた奴を仕留める」
「了解しました」
「任せて」
「こっちも準備できてます」
グレンだけは返事の代わりに道路の中央寄りへ歩きながら大型盾を正面へ回し、背中のハルバートへ右手が届く位置を確かめる。キョウジたちもその左右へ広がりながら車両や倒れた街灯を避けて前へ出ると、吹雪の向こうから雪を蹴り上げる低い影が次々と現れた。
『ハウラー級5体を確認。大型反応は後方にいます』
「まず5体だ。来るぞ」
先頭のハウラー級が牙を剥き、長い前脚で雪を掻きながら一気に距離を詰めてくる。グレンは正面から受け止めようとはせず、飛びかかってきた前脚が届くところまで引きつけながら左足を退き、爪が触れた盾を外へ捻って巨体ごと右へ流した。
「リオ、右だ!」
「もらう!」
盾の脇を抜けたリオが低く潜り込み、流れてきた腹部へ右の刃を走らせながら反対側へ抜けると、振り向こうとした首筋へ左の光刃を重ねた。黒い体液を散らしてハウラー級が雪へ沈む傍らから2体目が飛び出すが、ユーリのハープーンが肩を貫き、伸びたワイヤーが巨体を道路中央へ引き戻す。
「悪いが、そっちには行かせられないな」
身体を振ってワイヤーを引きちぎろうとするハウラー級へグレンが横から盾をぶつけ、頭部を跳ね上げられて晒された喉をキョウジが駆け抜けざまに斬り裂く。その背後では残る3体が左右へ散り、1体が放置車両を踏み台にしてキョウジの頭上を越えようとした。
「上を落とします!」
街灯へ撃ち込んだワイヤーを巻き取ったカイが車両の屋根へ駆け上がり、空中へもう一方の発振線を放つ。前脚へ巻きついたワイヤーが横へ引かれ、跳躍の軌道を外されたハウラー級はグレンの前へ背中から落ちかけたが、そこへ盾は来なかった。
グレンは一歩踏み込みながら背中のハルバートを片手で引き抜くと青白い光刃が盾の脇から伸び、起き上がろうとした首元へ長い刃を振り下ろす。黒い体液が雪へ散る横をカイのワイヤーが引き抜かれ、そのまま次の個体へ向かった。
右から回り込んでいたハウラー級がユーリへ飛びかかる。
「ユーリ、伏せろ!」
キョウジの声にユーリが身体を沈め、頭上を越えた巨体の腹へリオの双剣が交差する。着地したハウラー級が振り返るより早くユーリも身を起こし、至近距離からハープーンを肩口へ撃ち込んだ。
「今度はそっちへ返す!」
ワイヤーを引きながら身体を回すと、引かれたハウラー級が雪面を滑ってグレンへ向かう。グレンはもう位置を変えており、盾を低く構えて巨体の頭部を受け止めると押し返すのではなく斜め上へ跳ね上げた。
浮いた喉へキョウジの刃が入る。
『ハウラー級、残り1体』
最後の1体は仲間へ向かわず、道路脇の建物へ逃げ込もうと雪を蹴った。カイが屋根から発振線を放つものの崩れた外壁が射線を遮り、ワイヤーの先端がコンクリートを削る。
「逃がすな!」
キョウジが追い、リオも並んで車列の隙間へ飛び込む。ハウラー級は横倒しになった車両を飛び越えたが、着地先にはすでにユーリのハープーンが伸びていた。道路脇の柱へ打ち込まれたワイヤーが低く張られ、前脚を取られた巨体が雪を巻き上げながら横転する。
「隊長!」
「ああ、そのまま押さえてろ!」
ユーリが両足を踏ん張ってワイヤーを張り、起き上がろうとするハウラー級の背後からリオが駆け込む。キョウジは反対側へ回り、逃げ道を塞がれた個体がどちらへ牙を向けるか迷ったところでリオの双剣が後脚を裂き、沈んだ首筋へキョウジの光刃が深く入った。
『ハウラー級5体、沈黙を確認』
「思ったより早かったですね」
カイが車両から飛び降りながらワイヤーを巻き戻す。
「初めてにしちゃ悪くない」
キョウジが刃を払ってグレンを見ると、ハルバートを背中へ戻しかけていた手が止まった。
「まだ終わっていないだろう」
「ああ。そうだったな」
雪煙の奥から、重い足音が聞こえてくる。
ハウラー級とは明らかに違う。
一歩ごとに積雪の下から舗装が軋み、白く霞んだ道路の先で放置車両が横へ押し退けられた。続いて現れた頭部は低く、左右へ大きく張り出した牙が口元から湾曲して伸び、その後ろには筋肉と厚い皮膚に覆われた巨体が続いている。
『大型個体を確認。ボアグ級です』
グレンは戻しかけたハルバートを再び握り直した。
「さっきの傷はこいつか」
「たぶんな。ミオ、データを」
『ボアグ級。突進時の推定重量負荷はハウラー級の約3・4倍。正面からの受け止めは推奨しません』
「だそうだぞ、グレン」
「聞こえている」
グレンは盾を構えたままボアグ級の脚運びを見ていた。左右へ張り出した牙は車両の外装を引っかけただけで鉄板を捲り上げ、鼻先から吐き出された白い息が雪へ流れている。
「止めるつもりじゃない。どちらへ流れるか確かめたい」
「無理だと思ったら捨てろ。盾も意地も後で拾える」
「そうさせてもらう」
キョウジが左右へ手を振ると、カイとユーリが距離を取り、リオも双剣を下げたままグレンの後方から外れる。ボアグ級は5人を見回すように鼻先を振ったあと、最も前にいるグレンへ向き直って前脚で雪を掻いた。
『来ます』
蹴り上げられた雪の向こうから巨体が迫り、グレンは真正面へ置いていた盾をわずかに右へ傾けながら腰を落とす。左右へ張り出した牙の片方が発振面へ触れ、金属を引き裂くような音とともに盾を押し込んできたが、グレンは踏ん張って止めるのではなく押された足を雪の上で滑らせ、身体を回しながら牙を外側へ逃がした。
ボアグ級の巨体がグレンの左を抜ける。
「カイ、後ろを取れ!」
すでに走っていたカイが倒れた街灯へワイヤーを打ち込み、巻き取りの勢いでボアグ級の側面を抜けると、もう一方を右後脚へ絡ませた。巨体が振り向こうとして張ったワイヤーに脚を取られ、その動きに合わせてユーリのハープーンが反対側の肩へ突き刺さる。
「引き倒すな、向きだけ変えろ!」
「了解!」
左右から張られたワイヤーにボアグ級が苛立ったように頭を振り、ユーリが引かれて雪を滑る前に自分から距離を詰める。緩んだ線を巻き直して再び張る間にリオが側面へ潜り込み、踏み出した前脚の内側へ双剣を続けて走らせた。
ボアグ級が吠え、牙を横へ振る。
リオは身体を反らして一本目をかわしたものの、続いて頭部ごと押し寄せる巨体から逃れるには間合いが足りない。
「リオ、下がれ!」
グレンが横から踏み込み、リオとの間へ滑らせた盾で牙の根元を受けながら外へ押し流す。開いた脇をリオが駆け抜け、背後へ抜けるのを待たずグレンも押し込まれる力から身体を外した。
「助かった!」
「次は入りすぎるな」
「分かってる、今のは欲張っただけ!」
「それを入りすぎたと言うんだ」
グレンが言い終えるより先にボアグ級が振り返り、再び雪を蹴った。
「来るぞ!」
今度はグレンへ向かわない。
進路の先にいるのはリオだった。
カイが後脚のワイヤーを引くが、巨体に引きずられてブーツが雪を削り、ユーリも肩へ刺さったハープーンを巻き取るものの勢いを殺しきれない。リオは横へ走りながら放置車両を回り込もうとしたが、ボアグ級は牙で車体を押し退けて進路ごと潰してくる。
そこへグレンが走り込んだ。
「リオ、そのまま左へ抜けろ!」
返事を待たず盾を斜めに差し込み、迫る牙を正面ではなく側面で受ける。衝撃に押されたグレンの足が雪を削り、盾の縁が大きく跳ね上がったが、その動きでボアグ級の頭部もわずかに右へ逸れた。
リオが空いた左側を駆け抜ける。
「今だ! 右へ引け!」
後脚へ絡んだワイヤーが張り、遅れてユーリも肩の線を逆側へ引く。頭部と後脚を別方向から取られたボアグ級が踏ん張ろうと右前脚へ体重を乗せたところへ、グレンが盾の下からハルバートを突き出した。
刃は脚を守る厚い皮膚を浅く裂くだけで止まる。
それでもボアグ級が嫌がるように脚を引いた。
「そこか」
キョウジが傷の位置を見て走り出す。
「前脚を狙え! 俺が頭を引く!」
「任せて!」
キョウジが正面から間合いへ入り、振り上げられた牙をぎりぎりでかわしながら鼻先へ光刃を走らせる。怒ったボアグ級が頭を追わせた背後からリオが入り、グレンのハルバートが刻んだ傷へ右の刃を差し込み、さらに左を重ねて一気に切り開いた。
右前脚が沈む。
ボアグ級は倒れず、残る3本の脚で強引に身体を支えながら頭部を振り回した。カイがワイヤーを外して距離を取り、ユーリもハープーンを引き抜いたところへ長い牙が薙ぎ払われ、5人はそれぞれ車両と倒木の間へ散る。
『右前脚の損傷を確認。歩行能力が低下しています』
「だったら次で崩すぞ。グレン、もう一度前へ出られるか?」
「行ける」
「カイとユーリはさっきと同じだ。ただし今度は引っ張り合うな。逃げる方だけ塞げ」
「分かりました」
「任せてください」
グレンが盾を前へ戻すと、ボアグ級は迷うことなく頭部を向けた。最初の突進を逸らされ、次も進路を阻まれた相手を敵として認識したのか、鼻先を低く落として雪を掻き、傷ついた右前脚を庇いながらも速度を上げて迫ってくる。
グレンは待った。
牙が盾へ触れるより先に右へ踏み込み、左腕を大きく開きながら発振面を牙の外側へ沿わせる。ボアグ級は傷ついた脚では曲がりきれず、そのままグレンの脇を抜けようとしたが、進行方向へカイのワイヤーが低く張られ、避けようと頭を返した側からユーリのハープーンが肩を引いた。
踏み替えた右前脚へリオが飛び込む。
双剣が先ほど開いた傷へ続けて入り、ボアグ級の巨体が右へ傾くと、グレンも流した盾をそのまま肩へ押し当てて体勢を崩しにかかった。
「隊長、首が開きます!」
カイの声が届く頃にはキョウジも走っていた。
前脚を失ったボアグ級が雪を抉りながら横倒しになり、起き上がろうと頭部を持ち上げたところへグレンの盾が上から重なる。牙が発振面を擦り、グレンの腕ごと押し返そうとするが、キョウジはその脇を抜けて首と肩の境目へ刃を差し込んだ。
硬い皮膚の下で発振光が弾ける。
ボアグ級が全身を捻り、グレンの盾を押し退けようと頭を振る。キョウジは刃を抜かず、暴れる巨体に合わせて足場を変えながら柄を押し込み、光刃をさらに奥へ走らせた。
「もう少し押さえられるか!」
「やれ。こっちは持たせる!」
グレンが盾の上へ肩まで入れ、立ち上がろうとする頭部を雪へ押し戻す。傷ついた前脚が何度も地面を掻き、カイのワイヤーが後脚へ絡んで伸びきると、反対側からユーリもハープーンを打ち込み、暴れる巨体をその場へ縫い止めた。
リオがキョウジの反対側へ回る。
「隊長、もう1本入れる!」
「首の下だ!」
双剣が外殻の薄い喉元へ入り、ボアグ級が大きく身体を反らしたところでキョウジは柄を握り直し、開いた傷のさらに奥へアークブレードを押し込んだ。
発振音が高まり、青白い光が黒い血の中から漏れる。
暴れていた前脚が雪を掻き損ね、そのまま地面へ落ちる。続いて後脚からも力が抜け、グレンの盾を押し返していた頭部の重みが一気に増した。
キョウジは数秒待ってから刃を抜いた。
『ボアグ級の生体反応消失。討伐を確認しました』
グレンが盾を退けると、ボアグ級の頭部が雪へ沈んだ。張りつめていたワイヤーをカイが外し、ユーリも肩へ刺さったハープーンを引き抜く。リオは双剣についた黒い体液を払って腰へ戻しながら、グレンの盾に残った長い擦過痕へ目を向けた。
「ずいぶん削られましたね」
「表面だけだ。発振部には届いていない」
「初日から修理行きにならなくてよかったですね」
今度に限ってユーリではなく、カイが横から覗き込んでいる。グレンは盾を傾けて傷を確かめ、指先で抉れた外装をなぞった。
「これくらいなら整備で済む」
「補助セルの消費は?」
「4割ほどだ」
「思ったより少ないな……あとでログを見せてもらってもいいですか?」
「構わない。俺もワイヤーの使い方を聞きたい。あれだけ大型を引けるとは思っていなかった」
「引く方向さえ作れれば、ですけどね。正面からなら俺ごと持っていかれますよ」
「それでも十分だ。盾だけでは作れない動きができる」
カイは少し意外そうにグレンを見たあと、嬉しそうに腰のワイヤーブレードを叩いた。
「そう言ってもらえると、こいつを使ってる甲斐がありますよ」
少し離れたところではリオがユーリのハープーンに残った黒い体液を見て眉を寄せていた。
「それ、帰ったらちゃんと掃除した方がいいよ。巻き取り口まで入ってる」
「見なかったことにしようと思ってたのに」
「詰まって次の任務で出なくなっても知らないから」
「はいはい、帰ったらやりますよ」
「その返事、絶対やらない人のやつ」
「やるって」
キョウジは4人のやり取りを聞きながらボアグ級の死骸へ目を戻した。初めて組んだ戦闘で、危うい場面がなかったわけではない。リオは一度深く入りすぎ、カイとユーリも大型を引く力を読み違えた。それでも誰かが崩れれば別の誰かが入り、グレンも自分のやり方を押し通すのではなく、第7小隊の動きに合わせて盾の向きを変えていた。
『周辺に新たな敵性反応はありません』
「なら記録を取ったら先へ進もう。まだE-17に入ったばかりだからな」
キョウジがアークブレードを収めて歩き出すと、カイも端末を閉じて後を追い、リオとユーリは互いの装備を確認しながら道路へ戻っていく。
グレンは最後にボアグ級の巨体を見下ろし、左腕の大型盾を背中へ戻そうとした。
雪の向こうには、崩れた旧市街がまだ遠くまで続いていた。
⸻
E-17での探索を終え、第7小隊がネオ・ヘイヴンへ戻った頃には、中層の人工の空はすでに夕刻へ切り替わっていた。地表装備の返却と任務記録の提出を済ませてGRID本部を出ると、地表の冷気がまだ身体の芯に残っているようで、キョウジは防寒服の襟を緩めながら大きく肩を回した。
「初日から随分歩かされたな」
「結局、予定してた経路のほとんど回りましたからね。隊長、昨日は全部回ることに拘らないって言ってませんでした?」
「行けそうだったから行ったんだよ。途中で切り上げる理由もなかっただろ」
「それで帰りは全員へとへとですけどね」
「無事に帰ってきたんだから上出来だよ」
カイが笑いながら首の後ろへ手を回し、少し前ではリオが両腕を上へ伸ばして固まった肩をほぐしている。ユーリも疲れているはずだが足取りは軽く、そのさらに前を歩くグレンは大型盾とハルバートを整備区画へ預けたため、地表にいた時より一回り小さく見えた。
キョウジは歩調を速めてグレンの横へ並ぶと、左肩を庇うように腕を回していることに気づいた。
「肩、痛むのか?」
「少し重いだけだ。盾を使えばいつものことだ」
「装備じゃなくて身体の方だよ。初日からあれだけ受けてただろ」
「そっちなら問題ない。寝れば戻る」
「ならいい。明日は待機だし、無理に動く必要もないさ」
グレンは頷き、そのまま歩調を変えず通路を進んでいく。戦い方を知らない者同士で出た最初の任務としては悪くなかったのだろうとキョウジが考えていると、後ろを歩いていたユーリが2人へ追いついた。
「せっかく明日休みなら、このまま帰るのも勿体なくないですか?」
「お前はあれだけ歩いてまだ元気なのか?」
「逆ですよ。疲れたから飲みたいんです」
「明日の朝に後悔しても知らないぞ」
「そこまで飲みませんって。多分」
「最後の一言で信用できなくなったな」
後ろから聞いていたカイはすでに乗り気らしく、リオも足を速めて並んでくる。
「私も行きたい。お腹空いた」
「俺もいいですよ。新しい隊員も入ったんだし、歓迎くらいしてもいいでしょう」
自然と3人の視線を受けたグレンは、自分まで含まれているとは思っていなかったのか僅かに眉を上げた。
「歓迎というのは俺のか?」
「他に誰がいるんです?」
ユーリが笑うと、グレンは少し考えてからキョウジを見る。
「こういうものなのか?」
「第7小隊では今日が初めてだよ」
「そうか」
「嫌なら無理にとは言わないけどな」
「いや、行こう。店は任せる」
「決まりですね。隊長も当然来ますよね?」
「俺だけ帰ったら歓迎にならないだろ」
そのまま5人は居住区へ向かう分岐を通り過ぎ、中層の繁華区へ続く通路へ入っていった。
中層の外れにある酒場へ着く頃には、人工の空から夕暮れの色がほとんど消えていた。仕事を終えた作業員やGRIDの隊員で店内の半分ほどが埋まり、古い換気装置の音に低い音楽と話し声が混じっている。壁際の照明は薄暗く、カウンターへ並んだ酒瓶や使い込まれたテーブルの縁だけが琥珀色の光を拾っていた。
奥のテーブルへ腰を下ろすと、リオは端末に表示されたメニューを開き、料理の欄を上から順に眺めていく。
「何か食べたい。地表にいる間ずっとお腹空いてた」
「携行食を食べてただろ」
「あれで足りると思う?」
「俺は足りませんでしたね。帰ってくる頃には腹減ってましたよ」
向かいからメニューを覗き込んだユーリが、リオの選んだ料理に気づいて顔をしかめる。
「それ、かなり辛いやつじゃないですか?」
「前に食べたけど美味しかったよ」
「一口もらおうと思ったけど、やめとこうかな」
「自分で別の頼めばいいでしょ」
「一皿食べるほどじゃないんですよね」
「じゃあ私の見てれば?」
「それはそれで寂しいな」
リオはもう相手にせず注文を送り、カイも酒と料理を選び始める。キョウジはいつもの酒を入力してから横を見ると、グレンだけが酒の一覧を開いたまま指を止めていた。
「普段は何を飲むんだ?」
「決まったものはない。店で飲むこと自体があまりないからな」
「だったら俺と同じのでどうだ? 少し強いけど」
キョウジが注文した酒を表示すると、グレンはしばらく眺めてから同じものを選んだ。
「これにする」
「明日休みだからって飛ばすなよ」
「そこまで弱くはない」
「なら心配なさそうだな」
注文を送って間もなく人数分のグラスが運ばれ、ユーリが自分のものを持ち上げる。
「じゃあ、グレンさんの第7小隊加入と、初任務を無事に終えたことに」
「お前が仕切るのか?」
「誰も始めないからですよ。隊長、後はお願いします」
「一番大事なところだけ渡すなよ」
キョウジもグラスを持ち上げ、向かいに座るグレンを見る。
「まあ、改めてよろしくな。今日は助かったよ」
「ああ。こちらこそよろしく頼む」
5つのグラスがテーブルの中央で軽く触れ、それぞれが酒へ口をつけた。
料理が運ばれてくる頃には、話題も自然と今日の任務へ戻っていた。カイはボアグ級を受け流した時の盾の角度が気になっていたらしく、グレンの左腕を指しながら何度か動きを確認している。
「正面から止めてたように見えましたけど、実際は少し逃がしてたんですね」
「全部受ければ肩が先に壊れる。止める必要がないなら流した方がいい」
「なるほどな。だから俺がワイヤーを掛けた時も動かせたのか」
「あの引き方は助かった。後脚が浮いたおかげで盾へ掛かる力がかなり減ったよ」
「次からはもう少し早く入れます」
「無理に急ぐ必要はない。あの距離なら十分だった」
2人の話を聞いていたリオも料理を口へ運びながら加わる。
「私は盾の横が思ったより広くて動きやすかった。ガンツの時とは全然違う」
「使う人間が違えばそうなるだろう。お前はかなり近くまで入るんだな」
「双剣だからね。離れたら何もできない」
「なら、次からはお前が抜ける側も見ておく」
「助かる。今日は1回ぶつかったから」
「ぶつかった?」
グレンが首を傾げる。
「盾の端に」
「気づかなかったな」
「なら次はもっと上手くやる」
リオはそう言って料理へ戻り、グレンも何か納得したように酒を飲む。初めて同じ戦場へ出た者同士が、今日起きたことを一つずつ次へ持っていこうとしているのを見ながら、キョウジはグラスを傾けた。
最初の1杯がなくなり、料理の皿もいくつか空になる。2杯目に入ったあたりから任務以外の話も混ざり始め、グレンも聞かれたことに答えるだけではなくなっていた。口数そのものは多くないものの、GRIDへ入った頃の失敗をカイに聞かれて盾の扱いに慣れるまで何度も転んだことを話し、リオから本当に3日間腰を痛めていたのか確認されると、あれは二度と経験したくないと真顔で答えている。
3杯目を頼んだのはグレン自身だった。
「結構いけるんだな」
「飲む機会が少ないだけで、嫌いではない」
「なら今日は歓迎した甲斐があったな」
キョウジが笑って自分のグラスへ残った酒を飲む。カイも同じものを追加し、リオは酒から温かい飲み物へ切り替えていた。
新しいグラスが届き、しばらく今日のボアグ級について話していたところで、カイがグレンの盾に残った傷の話から以前の装備へ話題を移した。
「第13小隊にいた頃も、ずっとあの盾だったんですか?」
グレンは口へ運びかけたグラスを少し下げた。
「今の盾になったのは3年ほど前だ。それ以前は一回り小さいものを使っていた」
「大型に替えた理由は?」
「守れる範囲を広げたかった」
そこまでは先ほどと変わらない調子だったが、グレンは酒を一口飲んでもグラスを置かず、手の中でゆっくり傾けていた。
「第13では、俺が前を受け持つことが多かったからな」
カイはそれ以上装備について尋ねず、残っていた料理へ箸を伸ばす。グレンも話を終えるのかと思われたが、少し経ってから自分で続きを口にした。
「4人だった。俺を入れてな」
キョウジはグラスを置き、向かいに座るグレンへ目を向けた。
「長く組んでたのか?」
「ああ。随分長かったよ」
グレンの視線が手元へ落ちる。
「最後に出たのは、管理区域の外だった」
リオが料理を取ろうとしていた手を皿の手前で止め、ユーリもグラスから口を離した。
「境界に近い場所で、人間が残した可能性のある痕跡が見つかった。足跡や、物を運んだような跡があったらしい。第13小隊はそれを確認するために出た」
「サベージの調査か?」
キョウジが尋ねる。
「可能性の一つとしてはな。人間と接触した場合は身元を確認し、サベージと判断できれば可能な限り捕縛する。無理なら情報を持ち帰る。それが任務だった」
「実際に見つけたんですか?」
ユーリの問いに、グレンは少し間を置いて頷いた。
「いたよ」
テーブルの上で溶けた氷が鳴る。
「最初は足跡だけだった。それを追って、かなり遠くまで行った。管理区域を出てからも痕跡が続いていたからな。そこで引き返していれば、結果は違ったのかもしれん」
グレンはグラスを置き、両手を膝の上へ下ろした。
「見つけた時には、向こうもこちらに気づいていた。GRIDの装備じゃない。だが間違いなく人間だった」
「話はできなかった?」
「無理だった。向こうは俺たちを敵と見たらしい。こちらも捕縛命令を受けている。結局、戦闘になった」
グレンの目が僅かに細くなる。
「妙な武器を使っていたよ。少なくとも、俺がそれまで地表で見たことのあるものじゃなかった。こっちも随分消耗させられたが、向こうも無傷じゃない。最後は逃げられた」
「追わなかったのか?」
「追える状態じゃなかった。目的地へ着くまでに俺たちもかなり消耗していたからな。帰還を優先した」
そこでグレンは新しい酒へ口をつけた。誰も先を急かさず、店内を流れる音楽や周囲の話し声が、途切れた会話の間へ入り込んでくる。
「帰りにアバレントと遭遇した」
グレンはグラスを置いたまま、指先でその縁に触れていた。
「ネオ・ヘイヴンの近くじゃ見たこともない奴だった。戦わずに済ませたかったが、1人が脚をやられた。置いて逃げるという選択はなかったよ」
キョウジは何も言わず続きを待つ。
「コード4を送った」
「応答は?」
「なかった」
グレンは小さく首を振った。
「後で分かった。中継局に不具合が出ていたらしい。それだけなら別の局が拾った可能性もあったが、俺たちは遠くへ行きすぎていた」
先ほどまで料理をつまんでいたリオは手を膝へ戻し、ユーリも飲みかけのグラスをテーブルへ置いていた。カイはグレンを見たまま何も尋ねず、キョウジの前でも氷がゆっくり溶けている。周囲の席から笑い声が聞こえるたび、5人の間に残った沈黙がかえって深く感じられた。
「何度送っても返事はなかった。最初の1人が倒れて、それから……1人ずつ減った」
グレンの左手が膝から離れ、自分の前腕を掴む。地表ではそこに大型盾の固定具があった。
「俺は前にいた。いつも通り盾を持って、後ろへ行かせないつもりだった」
前腕を掴んだ指に力が入り、グレンはしばらくそこを見ていた。
「俺の後ろにいれば大丈夫だと、あいつらはよく言ってたんだがな」
酒で少し掠れた声が、店のざわめきへ紛れる。
「最後まで盾を持っていたのに、守れたのは俺だけだった」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
グレンは自分で話し始めたことを今になって意識したのか、前腕から手を離してグラスを取った。
「……随分喋ったな」
「珍しいんですか?」
リオが尋ねる。
「こんな話をするのはな」
「じゃあ、お酒のせいかも」
「そういうことにしておこう」
グレンは残っていた酒を一口飲み、息を吐いた。
「第7小隊に来ると決まった時は、正直あまり気が進まなかった」
今度は4人がグレンを見る。
「また小隊に入って地表へ出るのが、少し怖かったんだろうな。自分でも今日まで認めたくなかったが」
グレンはそこで一度キョウジを見て、それからカイ、リオ、ユーリへ順に視線を移した。
「だが、今日一緒に戦ってみて安心したよ。お前たちは周りをよく見ている。それに――」
続けようとして、グレンは少し考える。
「いい奴らだな」
ユーリが僅かに目を見開き、リオも意外そうにグレンを見た。
「……なんか、すみません。そういう話の後に言われると、どう返せばいいのか」
「無理に返さなくていい」
「じゃあ、ありがとうございます」
「ああ」
カイはグラスへ手を伸ばしながらグレンを見る。
「俺も、今日一緒にやれてよかったですよ。まだ盾の使い方で聞きたいこともありますし」
「それは酒が抜けてからにしてくれ。今聞かれても忘れる」
「それだけ飲んでたらそうでしょうね」
リオも温かい飲み物を両手で持ちながら口を開く。
「私も次はもっと合わせられると思う。今日分かったこともあるから」
「俺もそう思う」
最後にユーリへ視線が集まり、本人は困ったように周りを見る。
「俺も何か言わなきゃ駄目ですか?」
「別に誰も強制してないよ」
「じゃあ普通に言いますけど、俺もグレンさんが来てくれてよかったですよ。前にあの盾があると安心できるし」
グレンはその言葉を聞いて少し黙り、自分の左腕へ目を落とした。
「……そうか」
今度はそれ以上何も続けず、残っていた酒へ口をつけた。
しばらくすると冷めかけていた料理へ再び手が伸び始め、カイは明日の整備でグレンの補助セルを見せてもらう約束を取りつけ、リオは追加の料理を選び始めた。ユーリも次の酒を頼もうとしてキョウジに止められ、渋々水へ切り替えている。
グレンが第13小隊について話したのは、そこまでだった。
仲間の名前も、そのアバレントがどんな姿をしていたのかも話さなかった。キョウジも聞かなかった。
グレンの前には3杯目のグラスがまだ少し残っている。
それを飲み終えて席を立つまで、第13小隊の話が再び出ることはなかった。
第六話『守る者』を読んでいただきありがとうございました。
今回はグレンが第7小隊へ加わって初めての地表任務、そして彼が以前所属していた第13小隊についてのお話でした。
大きな盾を持ち、仲間を守ることを優先するグレンが、なぜそういう戦い方をするのか。その理由の一端をようやく描くことができました。
第13小隊について普段のグレンなら自分から話すことはなかったと思います。
初めて第7小隊と地表へ出て、無事に帰ってきて、一緒に酒を飲んだ。その時間の中で少し警戒が解け、酒の力も借りて、ずっと胸の内にしまっていたものが零れたのだと思います。
そして今回出てきた「サベージ」という存在。
グレンたち第13小隊が管理区域の外で出会った人間たちは、いったい何者だったのか。
その話は、もう少し先で。
次回もよろしくお願いします。




