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偽りの空

第4話「偽りの空」を全面的にリメイクしました。


旧版のテーマや残したかった場面はそのままに、構成から大きく見直しています。


第7小隊が地表から帰還した後、ネオ・ヘイヴンで何を見るのか。

改めてお楽しみいただければ幸いです。

ネオ・ヘイヴン外周ゲートが閉じ始めると、それまで背後から吹き込んでいた風が徐々に細くなっていった。装甲へ当たる雪の音が遠ざかり、最後に巨大な隔壁同士が噛み合う重い音が響く。吹雪はそこで完全に途切れ、代わって換気設備の低い駆動音が帰還区画を満たした。

『外周ゲート閉鎖を確認。帰還者4名を認証しました。除染を開始します』

 天井から噴き出した白いミストが4人の装甲服と、その中央に置かれた搬送台を包んだ。

 キョウジはヘルメットの表面を流れ落ちる水滴の向こうに、搬送台へ横たわるセナを見ていた。地表で付着した雪や血はある程度拭われていたが、大きく裂けた防護装備まではどうにもならない。胸の前へ揃えられた両手も、濡れた髪の間から覗く顔も、眠っているように見ようと思えば見えた。

 だがもう、その胸が上下することはない。

 隣ではカイが右脇腹を庇うように立ち、その向こうでリオが双剣の柄に残った黒い体液を見下ろしている。ユーリは搬送台の脇から離れず、地表ゲートをくぐってから一度も口を開いていなかった。

 除染液に溶けた雪が床へ落ち、排水溝へ流れていく。血も、泥も、アバレントの体液も混じり合い、どれが誰のものだったのか分からなくなって消えていった。

『除染完了。第7小隊は装備返却後、帰還手続きを行ってください。小隊長キョウジ・キサラギは帰還報告のため、第3報告室へ出頭してください』

 前方の扉が開くと、青白い照明に照らされた帰還用通路から搬送班が2人入ってきた。

 キョウジたちではなく、真っ先にセナの搬送台へ向かう。

「第7小隊所属、セナ・アルディス隊員で間違いありませんか」

「ああ」

 担当者が認識情報を照合し、搬送台の表示を切り替えた。

「死亡確認記録を受領しています。このままリターンチャンバーへ搬送します。保存処置終了後の手続きについてはGRID管理部から連絡があります」

 それまで黙っていたユーリが顔を上げた。

「もう連れていくんですか」

「保存処置を遅らせることはできません」

 事務的ではあったが、突き放すような言い方ではなかった。

 ユーリは何か続けようとして口を開いたものの、結局言葉にできずに搬送台へ目を戻した。

 リオが一歩近づき、除染液で頬へ貼りついたセナの髪を指先でそっと払った。

「セナ、行ってらっしゃい」

 返事を待つように少しだけそこへ留まり、それから手を離す。

 ユーリも搬送台の横へ立った。

「辛い店の話、まだ終わってないからな」

 地表で聞かせていた声よりずっと掠れていた。

「勝手に終わりにすんなよ」

 搬送班は2人を急かさず、ユーリが下がってから台を動かした。

 帰還通路の途中で一般動線から分かれた専用搬送路へ入り、セナの姿はその奥へ消えていく。

 リターンチャンバーが何のための施設なのかは、GRIDの隊員なら誰でも知っている。地表で死亡し、回収することのできた隊員を保存し、その後の手続きを待つ場所だ。

 セナは帰ってこられた。

 その事実を目の前で確認したことで、そこにいないもう1人の存在がかえって大きくなった。

 ガンツはまだ地表にいる。

「行こう」

 キョウジが声を掛けると、4人はようやく通路へ足を向けた。

 冷え切った頬へ空調の風が触れ、装甲服の内側まで染み込んでいた寒さが少しずつ薄れていく。何度も通ってきた帰還用通路だったが、今日は妙に長く見えた。

 装備返却区画と医療区画へ続く分岐が近づいたところで、カイの歩幅が一度だけ狭くなる。すぐ元へ戻したものの、横を歩いていたキョウジは見逃さなかった。

「脇腹、医療班に見せてこい」

「この程度なら――」

「地表でもそう言ってただろ。戻ってきたんだから診てもらえ」

 カイは反論しかけた口を閉じ、右脇腹へ手を当てた。

「……了解しました」

「リオとユーリも今日は上がれ。戦闘ログは明日でいい」

 リオは頷いたが、ユーリはその場から動こうとしない。

「俺らも報告に行った方がいいんじゃないですか」

「4人並んで同じ話してどうするんだよ。必要なら呼ばれる」

「でも、ガンツさんとセナのこともあるでしょう」

「だから俺が話してくる。ガンツの回収のこともな」

 ユーリがキョウジを見る。

「迎えに行けますよね」

「そのつもりで話す」

 答えを聞いても表情は晴れなかったが、カイに肩を押されてようやく分岐へ身体を向けた。

「隊長も報告終わったらちゃんと休んでくださいよ」

「ああ、分かってる」

「それ、絶対分かってない時の返事じゃないですか」

「だったら見張ってろ」

「今日は上がれって言ったの隊長でしょ」

「じゃあ大人しく帰れよ」

 ユーリの背中を手で追い払い、分岐通路で3人と別れた。カイは医療区画へ向かい、リオとユーリは装備返却区画へ歩いていく。角を曲がる直前、ユーリが一度だけこちらを振り返ったが、キョウジは何も言わず手だけ上げた。

 GRID本部へ入る頃には装甲服の表面に残っていた水分もほとんど乾いていた。行き交う職員が端末を抱えて通路を横切り、壁面モニターでは複数小隊の現在地と任務進行状況が更新されている。帰還した小隊もいれば、これから地表へ向かう小隊もいる。整備区画へ武器を運ぶ者がキョウジの前を通り、その向こうでは任務を終えたらしい隊員が認識バンドを端末へかざしていた。

 第3報告室の前まで来ると認識バンドが読み取られ、扉脇の表示が赤から青へ切り替わる。

『第7小隊長、キョウジ・キサラギ。入室してください』

 室内には報告官が2人、中央の記録用端末を挟んで座っていた。壁面モニターにはC-12地区周辺の地図が表示され、今回使用した経路が青い線で残されている。旧高速道路から地下鉄へ入り、Cラインを進んだ線は途中から本来の巡回経路を外れ、地下商業区画を経て地表へ戻っていた。

「第7小隊、C-12地区巡回任務より帰還しました」

「確認しています。人的損耗を報告してください」

「ガンツ・ベルグ、戦死。セナ・アルディス、戦死。セナの遺体は回収し、先ほどリターンチャンバーへ搬送されました。ガンツは撤退支援中に死亡し、遺体は現地に残しています」

「記録しました。負傷者は」

「その前に1つ」

 入力を続けようとしていた報告官の手が止まる。

「ガンツを回収しに行きたい。大型個体への対処が済み次第、第7小隊をC-12へ戻してくれ」

「遺体回収については任務管制側で判断されます」

「場所は分かってる。道路管理施設までの経路も全部残ってるし、あの周辺を実際に通ったのは俺たちだ」

「現在のC-12地区には未分類の大型アバレントが残存している可能性があります。また、第7小隊は人的損耗を伴う任務から帰還した直後です。現時点で再出動を許可することはできません」

「今すぐ行かせろとは言ってない。危険が排除されたら、俺たちで迎えに行く」

「要望として記録します」

 キョウジは報告官から視線を外さなかった。

「要望じゃない。あいつは第7小隊の隊員だ」

「承知しています。ただし、この場で遺体回収任務を承認する権限はありません。回収が可能と判断された場合には、別途管制から通達されます」

 正しい手続きなのだろう。

 それでも「可能と判断された場合」という言葉が気に入らなかった。

「必ず上へ回してくれ」

「記録します」

 それ以上ここで同じやり取りを続けても結果が変わらないことは分かっていた。

「負傷者はカイ・ヴェルナー。右脇腹。本人は軽傷だと言ってますが、医療班へ行かせました」

 報告官が入力すると、壁面モニターの経路上へ新しい情報が重なった。

 セナが倒れた地点には遺体回収済みを示す記号が付き、ガンツの死亡地点には未回収の表示が残される。

 地表ではあれほど大きかった2人の死が、ここでは同じ大きさの記号へ置き換えられていた。

「続いて、遭遇したアバレントについて報告してください」

「既知の個体とは形態の違う大型個体と、それに似た小型個体を複数確認した。大型は地下から地表まで俺たちを追ってきた。小型もただ襲ってきたって動きじゃない。進路を塞ぐ個体と追い込む個体に分かれてた」

「大型個体が周囲を統率していたと判断していますか」

「可能性はある。偶然にしちゃ動きが揃いすぎてる」

「戦闘記録を確認します」

 報告官が操作すると、モニターの一部へキョウジの戦闘ログから切り出された映像が表示された。黒く硬化した外皮を持つ巨体と、その周囲を動く複数の小型個体が映っている。

 映像が数秒進み、別方向から回り込んだ個体が進路を変えたところで停止した。

「既存種との差異を照合します。現時点では未分類個体として記録します」

「地下商業区画では未登録の経路も見つけた」

「記録を提出してください」

 キョウジが認識バンドを端末へ近づけると、転送された移動ログが壁面地図へ重なり、公式構造図には存在しない線が途中から浮かび上がった。

「この辺りだ。崩落区画の奥から旧搬送路へ繋がってた。誘導灯が生きていて、隔壁とシャッターも動いた」

「自動設備である可能性は」

「最初はそう思った。ただ、俺たちの移動に合わせて動いてるように見えた」

「設備以外に確認したものは?」

「整備に使ったと思われる工具と作業台。携帯用の容器もあった。少なくとも長い間放置されてた物には見えなかった」

「人間を直接確認しましたか」

「してない」

「生体反応は」

「地下じゃ通信が不安定だった。ミオの走査でも確認できてない」

「では、人間が存在したとの断定はできません」

「断定はしてない。ただ、あそこに誰かがいたと考えれば説明のつくものがいくつもあった」

 報告官は答えず、提出された移動ログと映像記録を順番に処理していく。

「提出された戦闘記録、移動ログおよび未登録経路に関する情報を調査資料として受領しました。追加確認が必要な場合はこちらから連絡します」

「廃棄地区に人間がいるかもしれないんだぞ。調査するんだろうな」

「可能性については記録されています。現時点で以後の対応について回答することはできません」

「分かったよ」

「第7小隊は帰還後24時間の待機状態へ移行します。補充人員および次回任務については別途通達します」

 踵を返しかけたところで、N-LINKの視界端に小さな通知が現れた。


【C-12/未登録経路 アクセス権限が変更されました】


 キョウジが足を止めて表示を開くと、先ほど自分で提出したばかりのデータはすでに権限不足となっていた。

「ミオ、確認してくれ」

『確認します』

 報告官が端末で作業を続けている間に、視界端の情報が更新される。

『提出されたC-12地区の追加記録が上位管理へ移行しました。現在、第7小隊の権限では該当データを参照できません』

「今出したばかりだぞ」

「提出資料は所定の管理規定に従って処理されます」

「俺の戦闘ログまで見られなくなるのか?」

「原本は閲覧可能です。未登録経路に関連する抽出データのみ管理対象となります」

「なるほどね」

 今度こそ扉へ向かい、認識バンドを近づけるとロックが解除された。

 報告室を出てもGRID本部の様子は何ひとつ変わっていない。職員が行き交い、壁面モニターでは次の地表任務に向けた情報が更新され、別小隊の隊員たちが装備を抱えて昇降区画へ向かっている。

『キョウジ』

「どうした?」

『未登録経路のデータについて、私からも現在アクセスできません』

「お前も駄目か」

『はい。ただし、帰還までに取得した私の記録とあなたの原本データとの照合は可能です。解析を継続しますか?』

「できるなら頼むよ」

『アクセス権限外へ移行した情報そのものは参照できませんが、私がすでに取得している映像、環境情報、位置記録は残っています』

「それで十分だ。何か拾えたら教えてくれ」

『了解しました』

 キョウジは通路を進み、向かいから来た職員を避けて壁際へ寄った。その横を地表任務へ向かう隊員たちが通り過ぎ、少し先にある昇降区画への案内表示に従って角を曲がっていく。

 セナは今頃リターンチャンバーにいる。

 ガンツはまだ白い地表に残されている。

 それでも壁面モニターには次の任務情報が追加され、職員はいつもと変わらない速度で通路を歩いていた。反対側から戻ってきた別小隊へ道を空け、キョウジもそのまま歩き続ける。

 都市は何事もなかったように動いていた。


 GRID本部を出て中層へ向かう連絡通路を進むうち、周囲を歩く人々の服装が制服から作業着や普段着へ変わっていった。夕刻の商業区画には仕事を終えた市民が増え、配給所の前には列ができている。通路沿いの飲食店から調理油の匂いが流れてきて、空腹を覚えたキョウジは、そういえば朝から携行食しか口にしていなかったことを思い出した。

『C-12地区の記録照合を開始しました』

「もう始めたのか」

『まだ開始したばかりですよ』

「分かってる。何か拾えそうか?」

『未登録経路に関連する抽出データを除き、帰還までに取得した記録は残っています。照合には少し時間が必要です』

「急がなくていい。こっちは24時間待機だ」

『では、結果が出るまで休息してください』

「そうだな。腹も減ったしな」

『帰宅後の行動を予測しました』

「何を予測した?」

『食事を省略して飲酒を開始する可能性が高いと判断しました』

「俺を何だと思ってるんだ」

『過去の行動記録に基づく予測です』

「余計に悪いよ」

 ミオの返事を聞きながら商業区画を抜けると、通路の先に中層中央部の吹き抜けが見えてきた。夕刻を迎えた街には店の看板や広告灯が点き始め、その光に頭上から差す橙色が混じっている。

 連絡橋を大勢の市民が渡り、そのさらに上では薄い雲が流れていた。天井を覆う巨大スクリーンと投影設備によって作られた人工の空は、地表から戻ってきたキョウジにとっても見慣れたネオ・ヘイヴンの景色だった。

 橋へ足を踏み入れたところで何となく頭上を見ると、夕焼けが吹き抜けの上層まで広がり、流れていく雲の縁を淡く染めている。

「地表から帰ってきたばかりだからかな」

『何がですか?』

「空が妙に綺麗に見える」

『本日の投影設定に変更はありません』

「じゃあ気のせいか」

『その可能性もあります』

「そこは否定してくれないか?」

 C-12で見上げた空は厚い雲に覆われ、雪が横殴りに流れていた。あの灰色を見続けた後だからこそ、いつもの夕焼けが目につくのかもしれない。

『先ほどの発言について訂正します』

「いつのだ?」

『投影設定に変更はありませんが、地表任務前と現在ではあなたの視覚順応に差があります。その影響で色彩を強く感じている可能性があります』

「なるほど。それなら納得できるが……」

『気のせいではなかった可能性があります』

「そこは律儀に訂正しなくていい」

『ですが、誤った情報をそのままにすることは推奨できません』

「分かったよ」

 連絡橋を渡り終える頃、夕刻の終了を知らせる案内音が吹き抜けに響き、建物の窓に映っていた橙色もゆっくり薄くなっていった。

『それと、先ほどの飲酒についてですが』

「まだ言うのか?」

『食事を済ませてからにしてください』

「善処するよ」

『その返答は信用できません』

「だったら聞くなよ」

 ミオが何か言い返してくるのを聞きながら、キョウジは居住区へ続く通路へ曲がった。


 そのまま帰るつもりだったが、居住区との分岐で足が止まった。正面へ進めば自宅まで20分もかからない。右へ曲がればGRIDの隊員区画へ戻る。

『そちらは居住区ではありません』

「分かってるよ」

『忘れ物ですか?』

「いや、ちょっと寄ってくる」

 夕刻を過ぎた隊員区画は昼間より人が少なく、任務中の小隊も多いため、並んだ待機室のいくつかは照明が落ちていた。

 第7小隊の待機室へ戻ると、カイが1人残っていた。医療区画で処置を受けたらしく、すでに普段の制服へ着替え、机に広げた端末で帰還後の報告書を整理している。壁際には隊員ごとの装備ラックが並び、ガンツが補修に使っていたシールド用の樹脂板と、セナの工具ケースも出発前と同じ場所に残されていた。

「まだいたのか」

「隊長こそ。報告室はどうでした?」

 キョウジは自分の机へ向かい、認識バンドを端末へ接続した。

「ガンツとセナの死亡報告、大型の未分類個体、それから未登録経路。戦闘記録と移動ログも全部出してきた」

「ガンツの回収については?」

「頼んだ。ただ、この場じゃ決められないそうだ。危険が残ってる以上、俺たちをすぐ戻すこともできないってさ」

 カイは一度ガンツのラックを見た。

「妥当ではありますね」

「ああ。分かってるよ」

「納得はしていない?」

「それとこれとは別だ」

「でしょうね」

 カイもそれ以上は言わなかった。

「未登録経路の方は?」

「調査資料として受領する。それだけだ。人がいた可能性についても話した。工具も作業台も使われた形跡があったし、誘導灯や隔壁が俺たちの移動に合わせて動いていたこともな」

「直接確認していない以上、認めるとは言わなかった?」

「まあ、そうなるな。ただ、それより気になることがある。提出した直後に未登録経路に関係するデータだけ上位管理へ移された。今は俺たちの権限じゃ見られない」

「ミオでも?」

「移されたデータそのものは無理らしい。ただ、帰還までに取った映像や環境情報、位置記録は残ってる。今、その辺を照合してもらってる」

「何か見つかるといいですね」

「始めたばかりだからな。そこはミオに任せるよ」

 認識バンドから帰還記録を転送している間に、キョウジは机に残っていた通知へ目を通した。24時間の待機命令はすでに予定へ反映され、その下には装備管理から届いた連絡がある。

 ガンツとセナへ支給されていた装備の整理予定だった。

「2人の装備、明日には回収されるのか」

「ええ。支給品と私物を分けるので、そのままにしておいてほしいそうです」

「ずいぶん早いな」

「GRIDでは珍しくありません」

「……そうだったな」

 セナ本人はリターンチャンバーへ移されているのに、工具ケースはまだここにある。

 ガンツ本人は地表に残ったままなのに、補修用の樹脂板だけはいつもの棚へ収まっていた。

 人間だけがいなくなり、物だけが出発前と同じ場所に残っている。

 転送が終わるとキョウジは認識バンドを外し、カイも作業途中だった報告書を保存した。

「今日はもういいだろ。明日また脇腹痛めたら待機が延びるぞ」

「それは困りますね」

「だったら帰れ」

「隊長も帰るんですか?」

「ああ、そのつもりだ」

「それなら俺だけ残る理由もありませんね。では、お先に失礼します」

「おう。また明日な」

 カイが出ていったあと、キョウジはもう一度だけ室内を見渡した。

 翌朝には装備管理が来る。

 ガンツの補修材もセナの工具ケースも、支給品と私物へ分けられてここから消えるのだろう。

 照明を落として廊下へ出ると、隣の待機室では別の小隊が任務記録を確認しており、その前を地表装備を載せた整備班の台車が通り過ぎていった。

「ミオ、いるか?」

『はい』

「照合は任せる。何か見つかったら教えてくれ」

『了解しました。完了まで時間がかかる見込みです』

「構わないよ。俺も今日は帰る」

『それを聞いて安心しました』

「俺が帰らないと思ってたのか?」

『帰宅することと休息することは別です』

「……ずいぶん分かってるじゃないか」

『過去の行動記録がありますので』

「そこまで覚えてなくていいんだよ」

『オペレーターですから』

「便利な言葉だな、それ」

 ミオの返事を聞きながら、キョウジはGRID本部を後にした。


翌日、待機命令中の第7小隊待機室には、いつもより長い沈黙が流れていた。

 カイは自分の席で前日の戦闘記録を整理し、リオはソファに座ったまま端末を眺めている。キョウジが入ってきても、誰もすぐには声を上げなかった。

 使われていない2つの席だけが、昨日までと同じ場所に残っている。

 ガンツの装備ラックはすでに管理部によって整理され、セナが使っていた工具ケースもなくなっていた。何も置かれていない棚の方が、そこに誰かいたことをかえって強く思い出させる。

 キョウジが自分の席へ認識バンドをかざしていると、しばらく黙っていたユーリが口を開いた。

「カイさん」

「どうした」

「昨日のあいつなんですけど……やっぱり俺、こっちの動きを読んでたと思うんですよ」

 カイは端末から顔を上げた。

「大型のことか」

「はい。地下からずっと、逃げる方へ回り込んできたでしょう。小さい奴らも、ただ襲ってきてた感じじゃなかった」

「俺もそう思ってる」

「じゃあ、やっぱりあいつが動かしてたんですかね」

「そこまではまだ分からない。記録を見ないと何とも言えないな」

 ユーリは小さく頷いたものの、納得したというより考え込んでいるようだった。

「……ガンツさん、あいつ相手に最後まで残ったんですよね」

 カイの手が端末の上で止まった。

「ああ」

「どれくらい持たせたんだろう」

「正確には分からない」

「俺たちが外まで出られるくらいには、止めてくれた」

 リオが端末から目を上げた。

「だから、今ここにいるんだと思う」

 ユーリはしばらく何も言わず、空になったガンツの席へ目を向けた。

「……ちゃんと迎えに行きたいですね」

「昨日、隊長が申請してる」

 カイが答える。

「すぐには許可されないだろうけどな」

「分かってます」

 ユーリはそう言ったものの、声には納得しきれないものが残っていた。

「分かってるんですけど……あそこにいると思うと、なんか嫌なんですよ」

 誰も否定しなかった。

 キョウジも端末を起動したまま、少しだけ手を止めた。

「俺も嫌だよ」

 ユーリがこちらを見る。

「だから迎えに行けるようになったら行く。それまでは、昨日の記録をちゃんと残すしかない」

「……はい」

 再び静かになった待機室へ、端末を操作する小さな音だけが戻ってくる。

 しばらくして、リオがぽつりと呟いた。

「セナも、もうリターンチャンバーなんだよね」

「ああ」

「昨日までそこにいたのにね」

 視線の先には、セナが使っていた空席がある。

 ユーリもそちらを見たが、今度は何も言わなかった。

 キョウジは前日の任務記録を端末へ呼び出す。

 4人で同じ部屋にいる。

 それでも、第7小隊がもう昨日までの6人ではないことだけは、誰も口にしなくても分かっていた。

 その沈黙を破ったのはN-LINKから届いたミオの声だった。

『キョウジ、依頼されていた記録照合が一部完了しました』

「ちょうどいい。何か分かったか?」

『大型個体の戦闘記録を、過去3年間にC-12地区および周辺区域で確認された既知のアバレントと照合しました。形態、体格、行動速度のいずれにも大きな差異があります』

 端末へ送られてきた映像には、地下区画で大型個体と小型個体が第7小隊を追う様子が残されていた。

「問題は見た目だけじゃないんだろ?」

『はい。交戦中、小型個体の移動方向に明確な偏りが確認されています』

 映像が簡略化された区画図へ切り替わり、第7小隊を示す青い点の周囲を複数の赤い点が動く。ある個体が進路を塞ぐ一方、別の個体は後方から距離を詰め、その後も第7小隊の移動に合わせて配置を変えていた。

「やっぱり俺たちを誘導してるじゃないですか」

 ユーリが身を乗り出す。

『その可能性はあります。ただし、大型個体から小型個体への明確な伝達手段は確認できませんでした』

「命令してるところは見つからないのに、動きだけ揃ってるってことか」

『はい』

 図面を見ていたリオも僅かに眉を寄せた。

「地上に出てからも同じだったよね。通りたい方に先回りしてた」

「ああ。地下で退路を残されていた時から繋がってたのかもしれない」

 キョウジは交戦記録を巻き戻し、第7小隊が進路を変えた直後の動きを確認する。

「俺たちが予定と違う方向へ行こうとした途端、小さい方の動きが変わってる。全部が偶然同じ判断をしたとは考えにくいな」

「だったら、やっぱり大型が動かしてたんじゃないですか?」

 今度はカイもユーリを否定しなかった。

『もう1点、既存種との形態照合率は23%に留まりました。個体差として説明できる範囲を超えています』

「23%か。そりゃ低いな」

「じゃあ、あいつら何なんです?」

『現時点では判断できません』

「戦ってる時はそんなこと考えてる余裕なかったけど、こうして見ると分からないことだらけですね」

 ユーリの声から、先ほどまでの軽さが少し薄れた。

『キョウジ、照合結果を未分類個体に関する追加報告として提出しますか?』

「ああ。大型と小型の行動記録をまとめて付けておいてくれ」

『了解しました』

 映像が消えるとC-12地区の地図へ戻り、前日に提出した未登録経路には管理権限外を示す表示が重なっている。

「そっちはまだ見られないんですか?」

「ああ。昨日話した通りだ。上位管理へ移された」

「ミオでも?」

「移された分はな。ただ、こっちに残ってる記録との照合は続けてもらってる」

「何か残ってるといいですね」

「そこはミオに任せよう」

『可能な範囲で継続します』

 その直後、端末上部へ新しい通知が入り、第7小隊全員に任務管制室への出頭を求める表示が現れた。

「ほら、こういう時だけ仕事が早いんだよな」

「昨日は遅いって文句言ってなかったか?」

「ちょうどよくやってほしいんですよ、こっちとしては」

「全く注文が多い奴だな」

 カイに呆れられながらユーリが立ち上がり、キョウジも端末を閉じてジャケットを手に取った。

「ここで文句言ってても呼び出しは消えないぞ。行こう」


 任務管制室へ入ると、壁面モニターにはC-12地区を中心とした旧ハルシオン市街地が映し出され、第7小隊が前日に通った経路も青い線で残されていた。

 担当官は4人の認証を済ませ、今回遭遇した大型個体の静止映像を表示する。

「先ほど提出された追加報告を含め、戦闘記録の解析結果が更新された。第7小隊が遭遇した大型個体と周辺個体には、既知のアバレントから大きく逸脱した形態と、複数個体が連携している可能性が認められる。正式な分類には追加記録が必要だが、大型個体については現時点をもって暫定的に変異指揮種として扱う」

「変異指揮種か……」

 ユーリが名称を確かめるように呟いた。

「今後、同様の個体を確認した場合は既知種とは分けて報告せよ」

「了解です」

「続いて、地下商業区画で発見された未登録経路についてだ」

 画面がC-12の構造図へ戻り、地下商業区画から旧搬送路へ続く経路が拡大される。

「当該経路の調査は第2小隊へ引き継ぐことが決定した。以降、第7小隊はこの調査から外れる」

「待ってくれ」

 キョウジは担当官が次へ進む前に口を挟んだ。

「ガンツの遺体がまだC-12に残ってる。昨日、俺たちで回収に行かせてくれと申請したはずだ」

「申請は確認している」

「未登録経路の調査を第2小隊に任せることには異論はない。だが俺たちはガンツを迎えに行く」

「許可できない」

 迷いのない返答だった。

「理由は?」

「変異指揮種の生存が確認されている。また、C-12周辺のアバレント分布も再調査が必要な状態にある。人的損耗を受けた第7小隊を遺体回収目的で同区域へ再投入する判断は認められない」

「場所は分かってる。道路管理施設まで行って戻るだけだ」

「昨日、その区域で2名を失っている」

 担当官の口調は変わらない。

「その事実があるからこそ、同じ小隊を再投入することはできない」

「じゃあガンツはどうなる」

「区域の安全が確保され、回収可能と判断された段階で対応する」

「回収可能なら?」

 ユーリが口を挟んだ。

「ガンツさんをそのままにする可能性もあるってことですか?」

「そういう意味ではない。現時点で回収を実施することができないという意味だ」

「だったら第2小隊に頼めないんですか。どうせC-12へ行くんでしょう?」

 担当官はユーリではなくキョウジへ視線を戻した。

「第2小隊の任務目的は未登録経路の調査だ。ガンツ・ベルグ隊員の死亡地点とは区域も異なる。遺体回収を目的とした経路変更を指示する予定はない」

「現場の状況次第で近づけるなら?」

「第2小隊長の判断で安全に実施可能と判断された場合まで禁じるものではない。ただし、回収を命令することはない」

「ずいぶん割り切るんだな」

 キョウジの言葉に、担当官は表情を変えなかった。

「地表で死亡した隊員を可能な限り回収する方針に変わりはない。しかし、遺体を回収するために新たな死者を出すことは認められない」

 正しい。

 キョウジにもそれは分かっている。

 もし立場が逆なら、自分でも同じ判断をするかもしれない。

 だからこそ、簡単に反論できなかった。

「……ガンツは第7小隊の隊員だ」

「承知している」

「回収が可能になったら、必ず俺たちにも知らせてくれ」

「その要請は記録する」

 隣でユーリがまだ何か言いたそうにしていたが、カイが小さく首を横へ振った。

 担当官が端末を操作すると表示範囲がC-12から旧ハルシオン市街地北西部まで一気に広がった。

「第7小隊には別の任務が割り当てられる。48時間後、この区域の広域探索へ出てもらう。目的はアバレントの分布調査、および変異指揮種と同様の個体が他区域にも存在するかの確認。地表設備についても異常を発見した場合は記録しろ」

「つまり、未登録経路には近づくなということでしょうか」

 カイの問いに担当官が頷く。

「そう理解して構わない」

「出発時刻と経路は?」

「詳細は明日までに送る。それまでは待機を継続し、装備と身体を休ませておけ」


 管制室を出て中層へ続く通路へ入ったところで、それまで我慢していたユーリがキョウジの隣へ寄ってきた。

「隊長、あれ納得してます?」

「どっちだ。第2小隊への引き継ぎか、ガンツのことか」

「……両方です」

「正直でいいな」

「俺たちが見つけた経路ですよ。あそこには誰かいたかもしれない。それにガンツさんだって、まだあそこにいるのに」

「分かってる」

「だったら――」

「分かってるから、俺も回収に行くって言ったんだよ」

 ユーリはそこで口を閉じた。

 代わりにカイを見る。

「カイさんは納得できるんですか」

「できるかどうかと、判断が正しいかどうかは別だ」

「またそうやって……」

「俺だって迎えに行きたいよ」

 普段より少し低いカイの声に、ユーリが言葉を止める。

「でも昨日の俺たちを見ただろ。あそこへ戻って、もう1人死んだらガンツが何のために残ったのか分からなくなる」

「それは……そうですけど」

「だから今は待つしかない」

 ユーリはまだ納得していない顔のまま、今度はリオを見る。

「リオは?」

「私もガンツさんには帰ってきてほしいよ」

 リオは少し考えてから続けた。

「でも、ガンツさんなら私たちが迎えに行ってまた怪我したら怒ると思う」

「……怒るかな」

「怒らないかも。でも困った顔はする」

 ユーリの口元が僅かに緩んだ。

「それはしそう」

「でしょう?」

 ほんの一瞬だけ空気が和らいだが、ユーリはすぐ前へ向き直った。

「俺もそのうち、こういうの割り切れるようになるんですかね」

「お前もそのうち慣れるさ」

「慣れたくはないですけどね」

「それならそのままでいるんだな。ただ、その方が慣れるよりよほど難しい」

「……隊長って、たまに妙なこと言いますよね」

「なんだよ、妙って」

「褒めたつもりなんですけど」

「だったらもう少し分かりやすく褒めてくれよ」

 今度はリオが笑い、カイも口元を緩めた。

 居住区とGRID本部へ向かう通路の分岐が近づいたところで、キョウジは3人へ向き直る。

「今日はもういいだろ。せっかく48時間あるんだ、各自休んでおいてくれ」

「隊長はどうするんですか?」

「俺も帰るよ。昨日からミオに休め休めと言われ続けてるからな」

『正確には3回ですね』

「なんだ、数えてたのか?」

『しっかり記録しています』

「じゃあ4回目も言ってもらった方がいいんじゃないですか?」

 先ほどまで不満をこぼしていたユーリが、少しだけいつもの調子を取り戻す。

『必要であればいつでも』

「いらないに決まってるだろ」

「じゃ、お疲れさまでした。俺はちゃんと休みますからね」

「それが普通なんだよ」

 それぞれが別の通路へ向かい、キョウジも居住区へ戻る人の流れに混ざった。


 自室へ戻った頃には中層の空もすでに夜へ切り替わっていた。ジャケットを脱いで窓際の観葉植物へ水をやり、ソファへ腰を下ろす。

 身体を休ませても、頭まですぐに切り替わるわけではない。

 セナを載せた搬送台がリターンチャンバーへ消えていく光景と、管制室の地図に残されていたガンツの死亡地点が何度も頭へ浮かんだ。

 しばらく何をするでもなく過ごしてから、まだ記録照合を続けているはずのミオへ声を掛ける。

「ミオ、C-12の記録はまだ調べてるか?」

『はい。現在も照合を継続しています』

「無理に急がなくていいから、何か見つかったら教えてくれ」

『了解しました』

 返事を聞いて窓の外へ目を向けると、中層には建物の明かりが並び、その上に人工の空が広がっていた。夕刻の雲は消え、今は深い青が街を覆っている。

 夕方、連絡橋から見上げた時には、地表帰りの目に色が強く映っているだけだと納得したはずだった。それでも何となく視線が向いたままになる。

 やがて窓から離れようとした時、夜空の一部を上から下へ黒い帯が走った。

「……なんだ?」

 すぐに青へ戻ったものの、今度は雲のない場所へ白い光が滲み、夜空そのものが横へずれる。キョウジは窓へ近づきながらN-LINKを繋いだ。

「ミオ、今の見えてるか?」

『確認しています』

 人工の空が再び揺れ、深い青の一部が大きく途切れた。その向こうに現れたのは黒い天井と、投影設備を支える無数の骨組みだった。普段は空として見えている場所の裏側が、その数秒だけ剥き出しになる。

 やがて映像が重なったものの、通路を歩いていた市民の中にも異変へ気づいた者がいたらしく、何人かが足を止めて頭上を見ている。

『人工の空の投影設備に異常を確認しました。現在、管理システムが復旧処理を行っています』

「こういうことはよくあるのか?」

『いいえ。少なくとも私が参照できる運用記録では、頻発する事象ではありません』

 夜空にもう一度だけ細いノイズが走り、青を裂いた白い光が消えるのと入れ替わるように、途切れていた雲の映像が繋がっていく。

『復旧を確認しました』

「原因は分かるか?」

『現時点では特定されていません。管理システムは正常に復帰しています』

「……直ると早いものだな」

『はい』

 黒い天井も、投影設備の骨組みも、もうどこにも見えない。

 キョウジは窓際に立ったまま、先ほどまで映像が途切れていた辺りをしばらく見上げていた。

 やがて深い青の中を、1つの雲がゆっくりと通り過ぎていった。

最後までお読みいただきありがとうございます。


今回のリメイクでは、旧版にあった出来事をそのまま書き直すのではなく、必要なものを残し、不要なものを思い切って削るところから始めました。


特に描きたかったのは、地表から帰還したキョウジたちの日常と、その中に少しずつ混じり始める違和感です。


そして第7小隊が遭遇した大型個体にも、ようやく「変異指揮種」という名前が与えられました。


未登録経路の調査は第2小隊へ。

第7小隊には48時間後の広域探索任務が命じられます。


人工の空に起きた異変も含め、この先へ繋がっていくものをいくつか置いた第4話になりました。


次回もよろしくお願いします。

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