廃棄地区3
非常階段から地表へ出た第7小隊は、旧物流地区の北寄りに位置する街区を南東へ進んだ。地下で使った経路からは1キロほど外れているものの、正規の帰還ルートへ戻るだけなら大きな遠回りにはならない。問題は、地下に残した大型個体の反応が消えていないことだった。
『大型生体反応は地下約30メートル付近を移動しています。速度は低下した状態を維持しています』
「こっちを追ってるか分かるか?」
『現在の位置情報だけでは判定できません』
「なら気にしすぎても仕方ないな。地上経路で昇降機へ戻る」
キョウジは速度を落とさず、地下から出た地点を記録だけ残して先へ進んだ。周囲は低い建物が多く、高層区画ほど崩落は激しくないものの、屋根を失った店舗や住宅の残骸が雪に埋もれ、路地の何本かは倒れた外壁で完全に塞がれている。ミオの地図には旧道路が残っていても、実際に通れるかどうかは現地で確かめるしかなかった。
「隊長、右の雪面」
カイの声で足を止める必要はなかった。進行方向と並行する細い溝が建物の陰から伸び、途中で何度か瓦礫の向こうへ消えながら、小隊と同じ南東方向へ続いている。
「引きずった跡みたいですね」
ユーリが後方を歩きながら距離を取って確認した。
「さっきの大型?」
「幅が合わない。もっと小さいです」
カイは歩いたまま近い部分を端末へ収めた。
「ただ、動き方は似てるかもしれませんね。脚で踏んだ跡より、身体を低くして擦った跡の方が目立つ」
「地下にいた奴の仲間とか?」
セナが聞く。
「そこまで言うには早いよ。別種が似た移動をしてるだけかもしれない」
雪面の溝は前方の建物で途切れたが、その少し先に新しい死骸があった。ハウラー級より小さい四足獣で、腹部を大きく裂かれたまま雪へ半分沈んでいる。食い荒らされた様子よりも、何かに強く押さえ込まれた跡の方が目立ち、周囲には細い擦過痕が複数残っていた。
「大型の食べ残しじゃなさそうだな」
ガンツが言う。
「うん。傷の幅が小さい」
リオは近づきすぎず、死骸の周囲だけを確かめた。
『半径80メートル以内に複数の小型生体反応を検出しました。個体数は3から5、遮蔽物の影響で確定できません』
「位置は?」
『前方右側および左後方。移動しています』
キョウジが止まるより先に、カイが隊列の右へ寄り、ガンツも少し後ろへ位置を下げた。セナとリオは中央を開け、ユーリは建物の角を跨いで射線を取れる位置へ移る。
最初の1体は右側の路地から出てきた。
体高は人間より少し低いが、全長はそれを上回る。細長い胴体に6本の肢がつき、黒く硬化した外皮が背から側面まで覆っている。頭部の正面には地下の大型個体とよく似た縦長の裂け目があり、目に見える器官は見当たらない。
「似てるどころじゃないですね」
ユーリが呟いた時には、別の1体が左後方の瓦礫から出ていた。
「同系統と考える。囲ませるな」
キョウジが言えるのはそこまでだった。
右の個体が先に踏み込み、長い前肢を横薙ぎに振った。カイは受け止めず蛇腹剣を開いて肢の外側へ沿わせ、刃節を滑らせるようにして振り抜く方向をずらす。空いた胴の下へリオが入ったが、双剣は黒い外皮に弾かれ、浅い傷を残しただけで抜けた。
「表面は硬いよ!」
「継ぎ目を探して!」
セナは頭部を狙わず、前肢が伸びた際に露出した付け根へソードを差し込んだ。刃は外皮の境目から深く入り、個体が身体を捻ったことで傷口がさらに開く。
後方では別の1体がガンツの盾へ正面からぶつかったが、ハウラー級ほど体重はなく、押し切れないと分かるとすぐ横へ回ろうとした。その進路へユーリのアンカーが刺さり、巻き取られた身体が雪上で斜めに崩れる。
「関節なら入る!」
カイの声に返答する余裕はなかったものの、全員の狙いが変わった。
黒い装甲を破ろうとせず、肢の付け根や腹側へ刃を通す。最初の個体が前肢を失って傾いたところへキョウジが回り込み、首と胴を繋ぐ薄い境目へアークブレードを深く差し込んだ。後方の1体もアンカーから逃れようと身体を捻ったことで腹側が露出し、ガンツが盾で押さえている間にリオとセナがそれぞれ別の関節を切断する。
3体目は攻撃へ入らなかった。
建物の屋根が崩れた位置から小隊を追うように移動し、2体が倒れた直後に瓦礫の向こうへ消える。
「逃げた?」
「追わない」
キョウジは倒した個体の確認をカイへ任せ、周囲の路地が開けているうちに隊列を戻した。
『残る反応は南東へ移動しています。第7小隊の帰還方向と重なります』
「偶然ならありがたくないな」
カイが1体の外皮から採取した小片を収納する。
「こいつら、地下の大型と形が同じです。サイズ差だけで別種とは考えにくいですね」
「そういう判断は帰ってから分析班にさせる。今は動きだけ覚えとけ」
再び南東へ進み始めてから、黒い個体はすぐには襲ってこなかった。
ただ、姿を消したわけでもない。
路地の先を横切る影が見えたと思えば、次の街区では別の個体が建物の上から並走し、その少し先では2体が道路中央へ出ていた。距離を詰めれば退き、別の道へ入ろうとすると先回りする。直接ぶつかってくるのは、小隊が一定方向から外れようとした時だけだった。
「これ、俺たちを追ってるっていうより……」
ユーリが前方の2体を見たまま言葉を選ぶ。
「行く方を決めてません?」
「俺もそう見える」
カイが地図を開くと、黒い個体が空けている道路は南東ではなく、東側へ緩く曲がっていた。
「こっちを通れば帰還経路から外れますね」
「だったらそっちへは行かない」
キョウジは南へ続く広い道路を選んだ。正面には1体が残っていたが、その背後は開けており、左右から挟まれる場所でもない。
「突破する。止まって相手する必要はない」
前へ出たガンツが盾で進路を作り、黒い個体が横へ逃げようとした側へカイの蛇腹剣が伸びる。刃節が前肢へ沿って動きを制限した隙に、6人は倒し切ることを優先せず脇を抜けた。追いすがった個体へユーリがアンカーを打ち込み、数秒だけ足を止めたところで距離が開く。
そこからは走った。
『残存する小型反応、左右に分散しています』
「数は?」
『少なくとも4。さらに地下から大型反応が上昇しています』
キョウジの足が一瞬だけ緩んだ。
「位置は」
『北西約420メートル。深度が急速に浅くなっています』
背後の街区で何かが崩れた。
地下で聞いたものと同じ、障害物を避けるより壊して進む音だった。
「階段から出てきた?」
『経路は確認できません。大型反応は現在地表付近へ到達しています』
「まずいな」
カイが進行方向の地図を拡大する。
「この先の旧幹線道路まで出れば遮蔽物が減ります。昇降機方面へも戻しやすい」
「そこまで行くぞ」
小型個体の動きも変わった。今まで距離を保っていた影が左右から寄り始め、広い道路へ出る前に小隊を止めようとする。
ガンツが先頭へ出たところへ1体が斜めから飛び込み、盾にぶつかった反動で横へ流れた。別の1体は後列へ回り込もうとしたが、セナとリオが並んで進路を塞ぎ、関節だけを狙って近づかせない。
「倒すな、道だけ開けろ!」
キョウジ自身も中央へ入ってきた1体の前肢を払い、身体が逸れた隙に先へ抜ける。
幹線道路まで残り100メートルほどになったところで、背後の建物が内側から膨らんだ。
外壁が崩れ、大型個体の黒い前肢が瓦礫を掻き分けて現れる。
非常階段で見た時より外殻の一部が傷つき、身体には折れた金属材が何本か刺さったままだったが、動きは止まっていない。縦に裂けた口が開き、低い振動が道路面を伝った。
「走れ!」
今度は指示が必要だった。
小型個体も一斉に動き出した。
大型から逃げるのではなく、小隊の側面へ回り込む。
「やっぱり繋がってるだろ、こいつら!」
ユーリが後方へアンカーを放ち、道路へ出ようとした1体を引き倒す。
「帰ってから好きなだけ考えろ!」
カイの蛇腹剣が反対側の1体を建物脇へ押し戻し、その間にリオとセナが幹線道路へ出た。
ガンツ、ユーリ、カイも続く。
最後尾へ回っていたセナの足元へ、倒したはずの小型個体が瓦礫の陰から飛び出した。
「セナ、左!」
リオの声でセナは身体を反らし、伸びてきた前肢をソードで受け流した。まともには食らわなかったものの、回避した先の足場が崩れ、片膝をつく。
それだけなら立て直せた。
背後から追いついた大型個体の肢が、建物の外壁ごと道路際を薙いだ。
キョウジが駆け戻るより早く、黒い肢の先端がセナの右側へ入った。
身体が横へ飛び、雪の上を数メートル滑って止まる。
「セナ!」
リオが駆け寄り、ユーリも戻る。ガンツが大型との間へ盾を入れ、カイは蛇腹剣を伸ばして前肢の軌道を道路外へ逸らした。
キョウジはセナの脇へ滑り込んだ。
「起きてるよ……」
声は出ている。
「だったら目を開けとけ」
「それ、何か意味あるの?」
「俺が安心する」
「じゃあ……開けとく」
右脚は膝下からほとんど動かず、腰から脇腹にかけて防護服が裂けている。外から見える出血だけでも多い。
『セナの生体情報に急激な低下を確認。右下肢損傷および腹部損傷の可能性があります』
「処置はあとだ。ここじゃ無理だ」
キョウジはセナを抱き上げた。
「隊長、俺が持ちます」
ユーリが手を出したが、キョウジはそのまま立つ。
「お前はアンカーを使え。後ろを遅らせろ」
それ以上のやり取りはなかった。
大型の前ではガンツが盾を支え、カイが正面へ入らせないよう蛇腹剣で進路を狭めている。倒すためではなく、離脱する時間を作るための動きだった。
「南へ300メートル、旧道路管理施設があります」
カイが地図を確認する。
「壁が残ってます。入口も狭い。応急処置するならそこが一番近い」
「そこへ行く」
大型を盾で押し返したガンツが最後に下がり、6人は道路管理施設へ向かった。
キョウジの腕の中でセナが浅く息をした。
「重くない?」
「喋る元気があるなら黙って運ばれろ」
「それ、どっちなの」
「どっちでもいい」
数歩遅れて走っていたユーリが割り込む。
「セナ、帰ったら前に言ってた辛い店行こうぜ」
「何それ……」
「駅前の。どっちが辛いの食えるか勝負しよう」
「そんな勝負、したことないじゃん」
「じゃあ今決めた」
「勝手だなあ……」
「そういうのは元気になってから文句言え」
「じゃあ、言う……」
会話はそこで途切れたが、セナの目はまだ開いていた。
旧道路管理施設は幹線道路脇へ半分埋まるように残っていた。1階部分の外壁は大きく欠けているものの、奥にある管理室は厚いコンクリートに囲まれ、出入口も人が2人並べる程度しかない。
先に入ったリオが床の瓦礫を払い、キョウジは防寒シートを敷いた上へセナを降ろした。
「ミオ、処置を出してくれ」
『止血を最優先してください。腹部右側の損傷範囲を確認し、圧迫可能な出血点――』
「長い説明はいらない。今やることだけくれ」
『了解しました。防護服を損傷部周辺まで開放し、止血材を使用してください。カイ副隊長は循環状態を確認してください』
カイがすぐ脇へ入り、リオが医療キットを開いた。
ユーリは一度だけセナの方を見てから入口へ戻った。外ではガンツが大型シールドを立て、施設へ近づく黒い影を確認している。
「小さいのが2体。大型はまだ道路上です」
「ここまで来そうか?」
「来る」
答えとほぼ同時に、外壁の向こうで重いものが瓦礫を踏み砕いた。
「なら入口を使わせるな。ガンツとユーリで持たせろ。俺も処置が終わったら出る」
「隊長はそこにいてください」
ガンツの声が外から返る。
「今はそっちの人数の方が要る」
キョウジは返事をせず、カイが開いた防護服の内側を見た。
裂傷は脇腹だけでは終わっていなかった。右側面へ強い衝撃を受けたらしく、止血材を押し当てても血がすぐに染み出してくる。
『圧迫を維持してください。心拍低下。血圧推定値も下降しています』
「ミオ」
「処置だけでいい」
『……追加の止血材を重ねてください。取り替えないでください』
キョウジが押さえ、カイが次の止血材を差し込む。
「痛い?」
リオが聞くと、セナは少し間を置いてから答えた。
「うん。でも……さっきより分かんない」
カイの手が止まりかけたが、すぐ圧迫へ戻った。
「それは良くない方だよ。寝ないで話してて」
「何話すの?」
「何でもいい」
「じゃあ……ユーリの店の話、聞きたい」
入口の外まで声が届いたらしい。
「店ならちゃんとあるからな! 俺が今決めた店じゃないぞ!」
「そこ疑ってない……」
セナの声に少しだけ息が混じった。
「辛いの、リオも来る?」
「行くよ。私あんまり辛いの得意じゃないけど」
「じゃあ私が勝てるかも」
「勝負になってるんだ」
「ユーリが勝手に……」
外で大型個体が施設前の瓦礫へぶつかり、床が揺れた。
ガンツの盾が衝撃を受ける音が続き、ユーリのアンカーが射出される。
中にいる4人はそちらへ行けなかった。
止血材の下から血が滲む速度が落ちない。
「カイ」
「分かってます」
声が普段より低い。
「……血圧、下がり続けてます」
『循環維持が困難です』
キョウジはセナの身体を起こしかけた。
「担いで戻る。ここから昇降機までなら――」
「駄目です」
カイが手を止めずに言った。
「今動かしたらもっと出る。ここで止められないなら、運んでも持ちません」
「じゃあ止めろ」
「やってます」
「だったらもう1回やれ」
「隊長」
「いいからやれ」
カイはそれ以上何も言わず、別の止血材を開いた。
セナの手がキョウジの腕へ触れた。
「隊長……」
「喋らなくていい」
「さっき、喋れって……」
「今はいい」
「変なの」
指先の力は弱かった。
「私、これ……帰れない感じ?」
「帰る」
「そうじゃなくて」
「同じだ」
「隊長、こういう時……話聞かないね」
「知ってるだろ」
「うん」
目を閉じかけたため、キョウジは肩を軽く揺らした。
「目、開けとけ」
「安心するから?」
「ああ」
「しょうがないな……」
薄く開いた目がキョウジの方へ戻った。
「ミオ、いる?」
『います』
「隊長、あとでミオに怒られるよ」
「こいつは怒れない」
『怒る機能はありません』
「ほら」
「……ほんとだ」
セナは息だけで笑ったように見えたが、次に呼吸を吸い込むまでの間が長くなった。
「セナ?」
リオが呼ぶ。
「うん……いるよ」
「じゃあ、そのままいて」
「それ難しいかも」
「難しくてもいてよ」
「リオ、無茶言うなあ……」
外でまた衝撃が響いた。
今度はガンツの盾が床を擦り、入口側へ数センチ押し込まれた。
セナはそちらへ顔を向けようとしたが、ほとんど動かなかった。
「ガンツさん、大丈夫?」
「そっちは気にするな」
外から聞こえた声に、セナは小さく返した。
「うん……」
その一言のあと、呼吸が途切れた。
キョウジは数秒待った。
「セナ」
返事はない。
リオが手首へ触れ、カイは首元へ指を当てたまま動かなかった。
『セナのニューラルリンクから生体情報を取得できません』
ミオの声だけが室内へ届く。
キョウジは止血材を押さえていた手を離さなかった。
外では大型個体がまだ入口を壊そうとしており、ガンツとユーリがそれを押し止めている。
カイが先に立った。
「隊長、ここを出ないと全員帰れなくなります」
キョウジはしばらくセナの顔を見てから、閉じきらなかった瞼へ手を添えた。
「……連れて帰るぞ」
「はい」
リオは答えると、血のついた医療キットを片づけ始めた。
入口で重い破砕音が響き、ガンツのシールド表面から金属片が飛んだ。
「隊長! そろそろ持ちません!」
キョウジはセナの身体を防寒シートで包み、抱き上げた。
「待たせた。出るぞ」
施設の外では大型個体が入口いっぱいに黒い肢を差し込み、ガンツの盾を少しずつ内側へ押し込んでいた。シールドには中央から大きな亀裂が走り、その向こうで縦長の口が開いている。
ガンツは一度だけ背後を確かめると、盾へ体重を戻した。
「隊長、先に行ってください。ここは俺が押さえます」




