帰り道
ハルを回収し、ようやくB-17保守班5人全員が揃った。
しかし第8小隊の任務は、まだ終わっていません。
負傷した4人と、帰ることのできなかった1人。
全員を連れて、第2地表昇降口まで戻らなければなりません。
長い帰り道が始まります。
第2地表昇降口へ向かって進み始めてからしばらく、デルヴァは追いついてこなかった。
背後へ遠ざかる建物の周辺では、ガレスが残した振動へ引き寄せられたいくつもの隆起がまだ入り乱れている。そのうち何本かはすでに方向を変え、第8小隊が残していく足音を探し始めていたが、距離はまだ十分にあった。
雪は膝まで沈むほど深くない。それでも負傷者を連れた隊列では、普段なら気にも留めない起伏ひとつが歩みを遅らせる。
ヴァルカは背中のケンを揺らさないよう歩幅を抑え、その後ろでは右脚をほとんど使えない班長をルネが支えている。ガレスの背には腹部を負傷したミラがおり、ジードも左腕を固定したロイへ肩を貸していた。
ハルの遺体を載せた救助シートは空いている手で交代しながら運んでいるため、戦闘時のように自由に動ける者は1人もいない。
「すまないな。ずっと足を引っ張ってる」
「今さら気にしなくていいですよ。ここまで来たんですから、一緒に帰りましょう」
「槍まで持ってるのに悪い」
「これは私の武器ですから。班長は自分の脚だけ気にしてください」
ルネは右手で十文字槍を扱いながら、左肩へ掛かる班長の体重を受けていた。長柄武器を普段と同じようには使えないが、右脚が雪へ取られそうになるたび身体を寄せ、歩調が乱れないよう支えている。
少し後ろでは、ロイが何度か呼吸を整えてから周囲を見回した。
「第8小隊って、4人なんですね」
「今さら気づいたのか」
「いや……もっと大勢いるのかと思ってました」
「人数が多けりゃ強いってわけでもない。うちは隊長だけで騒がしさ5人分くらいあるしな」
「ジード、聞こえてるよ」
かなり前から返事が来たため、ロイが目を丸くした。
「本当に聞こえてる……」
「悪口には敏感なんだ」
「続けるなら帰ってから聞いてあげるよ」
「ほらな」
ロイが笑い、その直後に胸元を押さえた。
ジードは支えている身体を少し持ち上げる。
「傷か?」
「違います。今のは笑ったせいです」
「だったら笑うな」
「そっちが笑わせたんでしょう」
「苦情は隊長へ」
「何であたしなんだよ」
今度は背中のケンまで笑い、ヴァルカの肩へ回した腕が揺れた。
「ケンまで笑うな。落ちたら拾わないよ」
「それは困ります」
「だったらちゃんと掴まってて」
「はい」
腕へ少し力が加わったのを感じながら、ヴァルカは同じ歩幅を維持した。
『建物周辺に4体。うち2体が第8小隊の移動方向へ進路を変えています』
「距離は?」
『約310メートル。現在の速度差では、3分以内に接触する可能性があります』
「この人数じゃ走れないな」
ジードの言葉に、ヴァルカは前方の地形を探った。
「走らない。このまま行く。追いつかれた時だけ止めるよ」
「ケンさんを背負ったままですか?」
ルネに聞かれ、ヴァルカは周囲の地形を改めて確認した。
右手には雪へ半ば埋没した車両の残骸が並び、その向こうに旧道路の中央分離帯が続いている。風で積雪を削られた一帯には、ひび割れた舗装面も広く露出していた。
ジードも同じ場所に気づいた。
「あそこを使いましょう。負傷者を壁際へ寄せて、俺たちは手を空ける。舗装面なら雪中よりデルヴァの動きも制限できるはずです」
「完全に止められるわけじゃないけど、今よりはましだね。あそこまで行ってから迎える」
第8小隊は隊列を崩さず中央分離帯へ寄った。
予想どおり積雪は薄く、壁沿いには黒い舗装面が数メートル四方に露出している。
ジードがロイを座らせ、ルネも班長をその隣へ移した。ガレスはミラを慎重に下ろし、保温材や止血材にずれがないことを確認する。
ハルの救助シートも4人のそばへ収めた。
「ケンも下ろすよ」
「今回は素直ですね」
「背負ったまま戦ってほしかった?」
「絶対嫌です」
「じゃあ最初からそう言えばいいの」
「今言いました」
「生意気になってきたね」
左脚を地面へぶつけないよう壁際へ下ろすと、ケンは少しだけ身体をずらして楽な姿勢を取った。
「痛みは?」
「さっきと変わりません」
「なら無理に動かないで」
「はい」
4人が救助者の前へ出る頃には、それぞれの配置を細かく決める必要はなかった。
ジードは舗装面の左側、ルネは右側から長い間合いを使える場所へ入り、ガレスは中央分離帯と救助者の間を押さえた。
ヴァルカは3人よりわずかに前へ出る。
『接触まで約40秒。2体はほぼ並行して接近しています』
白い雪面に2本の隆起が現れた。
「同じ場所から出させない方がやりやすいな」
ジードは露出した舗装へ二刀の柄尻を強く当て、短い振動を作った。
右側の隆起がわずかに進路を変える。
「片方こっちへ来ます」
「なら右は任せるよ」
ガレスも雪の下に残る路面へ一度だけ重い衝撃を与える。
正面のデルヴァがそちらへ加速した。
ヴァルカは飛び出して迎えず、隆起が舗装面の手前へ届くのを待った。
雪が内側から崩れ、首との境目がほとんどない灰白色の頭部が飛び出す。
円形の口を正面から外しながらハンドアクスを側面へ落とすと、青白い刃が外皮を裂き、潜行の勢いを横へ逸らした。
デルヴァが雪へ戻ろうと身体を捻る。
「戻らせません」
ルネの十文字槍が胴の下へ入り、十字の刃が外皮へ掛かった。
長い柄が大きく撓む。
「重い……けど、こっちへは戻せます!」
「十分。そのまま雪へ入れないで」
反対側からガレスのグレートソードが広い刀身を胴へ当てた。
「こちらも押さえます」
雪上へ横倒しになった身体が激しくくねるが、2方向から押さえられたことで潜行する角度を作れない。
ヴァルカは暴れる頭部の動きが狭くなったところへ踏み込み、先ほど開いた傷へもう一度ハンドアクスを沈めた。
長い身体が雪を叩き、その力が弱くなるまでガレスもルネも位置を変えない。
最後に外殻が深く割れ、デルヴァの動きが止まった。
『1体、反応消失』
その頃にはジード側の個体も地表へ引き出されていた。
真正面から斬り合わず、デルヴァが雪へ戻ろうとするたび二刀で進行方向だけを塞ぎ、積雪の薄い舗装面へ少しずつ追い込んでいる。
「右へ抜けようとしてます」
ルネが間合いを広げながらそちらへ回った。
「雪側だけ塞いでください。このまま舗装へ残します」
「はい」
十文字槍の穂先が頭部の前へ入り、潜行できる雪へ向かう軌道を外へ押す。
反対側にはガレスがグレートソードの広い刀身を置き、逃げ場をさらに狭めた。
雪へ戻れなくなったデルヴァは、一番近いジードへ向かって口を開いた。
噛みつきが届く前にジードが半身をずらし、頭部の側面へ右刃を滑らせる。
その動きで腹側がヴァルカへ晒された。
ハンドアクスが下から入り、灰白色の外皮を長く裂く。
反転しようとした頭部を二刀がもう一度押し戻し、そこへ十文字槍が正面から差し込まれた。
デルヴァは尾で舗装面を何度か叩いたが、やがて長い身体から力が抜けた。
『2体目も反応消失。近距離に新たな反応はありません』
「なら、ここで休まず進もう」
救助者のところへ戻ると、ケンが舗装面に横たわる2体を見ていた。
「……あれを2体倒して、そのまま歩くんですか?」
「帰ってから休めばいいでしょ」
「隊長の体力ってどうなってるんです?」
「普通だよ」
「その普通がだんだん信用できません」
「今考えることじゃない。ほら、乗って」
ケンの前へ背を向ける。
「また背負ってくれるんですね」
「その脚で2キロ以上歩かれる方が困る」
「隊長なりに気を遣ってるんですよ」
ジードの余計な説明が入った。
「そういうの言わなくていいから」
「本人に伝わってなさそうだったんで」
「伝わらなくても困らない」
「じゃあ、お言葉に甘えます」
「最初からそうしな」
ケンを背負い、ガレスもミラを背中へ戻す。ルネとジードが残る2人を支え、ハルの救助シートを再び持てる状態へ整えると、第8小隊は帰還経路へ戻った。
戦闘で数分止まっただけでも身体は冷え始めていた。
歩けばすぐに汗が戻る一方、外套へ付着した雪は体温で溶け、首元から冷たい水が入り込んでくる。
『第2地表昇降口まで約2.7キロです』
「まだそんなに……」
背中からケンの声が聞こえる。
「さっき3.9キロだったんだから、ちゃんと減ってるよ」
「背負われてる私が言うのもなんですけど、重くないですか?」
「軽い」
「ガレスさんにも言われました」
「じゃあ本当に軽いんじゃない? 帰ったらちゃんと食べな」
「ほら」
ルネが班長を支えながら言った。
「何?」
「絶対そう言うと思ってました」
「最近みんな、あたしのこと分かったみたいに言うよね」
「長く一緒にいれば、多少は分かりますよ」
「そんなに単純じゃないから」
「はい。そういうことにしておきます」
「ルネまでジードみたいになってない?」
「それ、褒めてます?」
「褒めてない」
「なら安心しました」
「何でだよ」
班長まで笑いかけたが、右脚へ響いたらしく途中で呼吸が止まる。
ルネはすぐ支える位置を変えた。
「痛み、さっきより強いですか?」
「少しだけだ。まだいける」
「“まだ”って言えてるうちに教えてください。限界まで黙るのは駄目です」
「ああ。そうする」
「素直ですね」
「ここまで世話になって、まだ強がるほど若くない」
「それなら助かります」
しばらくは、その程度の会話を続けながら進めた。
デルヴァの反応は遠ざかり、エルドから新しい警告も来ない。警戒そのものは解いていないが、雪面が少し崩れるたび全員が武器へ手を掛けるほどの張り詰め方でもなくなっている。
やがて後方からガレスの声がした。
「少し止まってください。ミラさんの呼吸が浅くなっています」
隊列が足を止める。
ガレスの背でミラの頭は先ほどより深く肩へ傾き、呼吸に伴う動きも小さい。
「エルド、状態は?」
『心拍数が上昇しています。体温は再び低下傾向です。出血量の急激な増加は確認できませんが、低体温と負傷による消耗が進んでいます』
「このまま歩かせ続けるのは?」
『一度、風を避けられる場所で保温した方がいいでしょう』
「近くに使えそうな建物は?」
『指定経路上、約430メートル先に旧交通管理施設があります。南側区画には外壁と屋根が残っています』
「そこまで行く。内部を確認して使えそうなら休ませよう」
班長がルネの肩越しから声を出した。
「俺たちはここで待てる。ミラだけ先に――」
「分かれないよ」
「でも、この速度じゃ」
「430メートルのために戦力を分けて、残った方へデルヴァが来たら誰か戻ることになる。それなら最初から一緒に行く」
班長は少し考えたあと頷いた。
「……その方がいいな」
「でしょ。じゃあ行こう」
旧交通管理施設は、雪原を横切る旧道の脇へ低く沈むように残っていた。
屋上から伸びていたアンテナ塔は途中で折れ、北側外壁の多くも崩れているが、南側には屋根まで形を保った区画がある。
近づくにつれて足元の積雪が薄くなり、やがてブーツの下へ硬い舗装路の感触が戻った。
「雪が浅いだけでありがたいな」
「エルド。この路面の下は?」
『細い配管は残っていますが、デルヴァが移動できる規模ではありません。施設入口までは舗装路上を進む方が安全です』
「今日はそれが一番ありがたい情報かもしれない」
「隊長でも足元気にしてたんですね」
ルネが言う。
「何度も下から口が出てきたんだよ。気にするに決まってるでしょ」
「もっと平気なのかと思ってました」
「あたしを何だと思ってるの」
「その質問、今日は結構聞きましたね」
「そこまで覚えなくていい」
施設まで100メートルを切っても、舗装路の下には反応が出ない。
全員で歪んだ自動扉まで辿り着くと、ヴァルカは背中のケンを一度下ろした。
「あたしが中を見る。ここで待ってて」
「俺も行きます」
ジードが続こうとしたため、ヴァルカは入口の広さを確認した。
「じゃあ入口まで。中が狭かったら戻って」
「了解です」
半開きの扉から入ると、入口付近には雪が吹き込んでいたが、数歩進むだけで量は減った。倒れた受付台や表示パネルの残骸が補助照明へ浮かび、さらに奥の管理室へ続く床には厚いコンクリートが残っている。
天井にも亀裂はあるものの、大きく垂れ下がっている箇所は見当たらない。
『内部に大型生体反応なし。床下にも移動反応はありません。北側は崩落が進んでいますが、南側管理室なら短時間の待避に使用できます』
「十分だね」
ヴァルカとジードはすぐ入口へ戻った。
「入って。南側なら風もほとんど来ない」
ガレスがミラを背負ったまま先に入り、ルネと班長、ロイ、ケンが続く。最後にハルの救助シートも管理室へ運び込んだ。
歪んだ扉を可能な範囲で戻すと、外で鳴り続けていた風の音が急に遠くなる。壊れた窓枠から細い冷気は入ってくるが、雪原を歩き続けた身体にはそれだけでもかなり違った。
「まずミラさんをお願い」
『保温を優先してください。腹部の止血材は現状維持。今は交換しない方が安全です』
ガレスが緊急保温シートを取り出し、ミラの身体へ重ねた。
「……ロイ」
閉じていた目が僅かに開く。
「いるぞ」
「みんな……?」
「全員いる。ケンも班長も戻った」
「ハルは……」
ロイは一度だけ言葉に詰まった。
「ハルもいる」
ミラはその意味まで理解したらしく、それ以上聞かなかった。
「……そっか」
「今は寝てろ」
「寝てない……休んでるだけ」
「どっちでもいい」
声に力はないが、先ほどより受け答えはできている。
班長が手伝おうと身体を起こすと、ルネが肩を支えた。
「班長も座っててください。右脚、ここまで使いっぱなしです」
「片手くらい動く」
「その片手を使う前に休んでください」
「……はいはい」
「素直で助かります」
「もう逆らう元気もないよ」
負傷者が落ち着いたところで、ケンがヴァルカを見上げた。
「隊長も座らないんですか?」
「まだ――」
言い終える前に、ジードが管理室の奥から古い椅子を運んできた。
錆びた脚へ一度体重を掛け、壊れないことを確かめてからヴァルカの前へ置く。
「座ってください」
「まだ何も言ってないんだけど」
「これから『疲れてない』って言うところでしょう」
「言わないよ」
「なら座れますね」
「……最近ほんと口が強くなったな」
結局、ヴァルカは発振を切ったハンドアクスを手の届く位置へ置き、椅子へ腰を下ろした。
脚へ溜まっていた重さが思った以上に抜ける。
「ちゃんと疲れてるんですね」
ルネが言った。
「当たり前でしょ。これだけ歩いて戦えば疲れるよ」
「ちょっと安心しました」
「何で?」
「隊長だけ疲労の仕組みが違ったらどうしようかと思って」
「どういう生き物だと思ってんの」
ジードが水分補給用のパックを差し出した。
「保守班には配ってあります。こっちは第8の分です」
「仕事早いね」
「誰かさんがじっとしてくれてる間にできることはやっておこうかと」
「今は座ってるでしょ」
「だから飲んでください」
「はいはい」
受け取ったパックへ口をつける。
ガレスもミラの状態を確認してから壁際へ腰を下ろし、ルネも十文字槍へすぐ手を伸ばせる位置を選んだ。
第8小隊が全員同じ部屋へ収まり、ようやく保守班側の呼吸も少しずつ落ち着いてくる。
「GRIDって、もっと堅苦しい連中だと思ってた」
班長が言った。
「期待外れだった?」
「いや。こんな状況なのに、少し気が楽になった」
「それなら良かったです」
ルネが答える。
「隊長に遠慮する必要もありませんし」
「そこは少し遠慮して」
「敬意はありますよ」
「本当かなぁ」
「なかったら、こんなに口出ししません」
ジードも水を飲みながら言った。
「どうでもいい相手なら好きにさせますよ」
「その言い方、怒りにくいんだよね」
「狙ってます」
「やっぱり悪質だな」
ケンとロイが笑い、班長も声を立てかけたが、少し離れた救助シートへ気づくと表情が変わった。
ハルの身体がそこにある。
「……本当に連れてきてくれたんだな」
「ああ」
「見つけた時には、もう駄目だった?」
「間に合わなかった」
班長はハルから目を離さなかった。
「俺がもっと早く建物へ連れていけてたら……」
「そこまで背負わなくていいよ」
ヴァルカは椅子から立たずに答えた。
「あんたは残った4人を地下まで逃がして、脚をやられてからもケンを先へ行かせた。その結果、4人は生きてる」
「でもハルは」
「ハルのことを忘れろって言ってるんじゃない」
班長の横にはケンがいる。少し離れたところではロイがミラの保温シートを直していた。
「あんたが今ちゃんと見なきゃいけない奴も、まだいるでしょ」
班長は隣の仲間たちを見回した。
「……そうだな」
「ハルも一緒に帰る。それでいいよ」
「ああ」
外では風が壁へ雪を吹きつけ続けている。
ガレスがミラの状態を確認した。
「エルド、どうです?」
『心拍数は先ほどより低下し、体温も僅かですが戻っています。悪化傾向は止まっています』
「あとどれくらい休ませる?」
『10分程度を目安にして、その後再評価します』
「じゃあ10分。水飲んで、脚の状態も確認して。それまでは休もう」
「隊長、それ休む人がすることですか?」
「最低限しか言ってないよ」
「その最低限が多いんですよ」
「隊長なんだから仕方ないでしょ」
「はいはい」
「その返事ほんと腹立つな」
そこからしばらく、誰も急いで何かをする必要のない時間が続いた。
風は壁の外で鳴り、冷気は壊れた窓枠から細く流れ込む。ガレスはミラの保温シートを時折確認し、ルネは班長の負傷した脚を休ませ、ジードは装備記録をまとめていた。
ヴァルカが2本目の水分パックへ手を伸ばした頃、入口側から小さな金属音が届いた。
「今の何?」
ジードも記録から顔を上げる。
「風で何か転がった音ですかね」
『音源を確認しています』
数秒後、今度は低い駆動音が扉の外から聞こえた。
生き物の足音ではない。
小さな回転機構が一定の間隔で回っているような音だった。
「デルヴァじゃなさそうですね」
「生体反応は?」
『施設周辺に大型反応はありません』
ルネが十文字槍へ手を伸ばし、ヴァルカも椅子から立った。
『外部通信を受信しました』
「誰から?」
『識別中です。認証コードの一部がGRID規格と一致しています』
「GRIDの機体?」
『現行装備一覧には該当する識別情報がありません』
ジードは入口と保守班の間へ位置を取り、ガレスもミラの前から動かない。
歪んだ扉の下から青白い光が入り、床をゆっくり横切った。
「攻撃反応は?」
『確認できません』
「なら、こっちからも触らない。まず正体を確認しよう」
光は一度止まり、そのまま消えた。
直後に軽い着地音が雪の上から届き、駆動音も途切れる。
「入口だけ見る。ジードは後ろ頼む」
「一緒に行きます」
「じゃあ扉より前へ出ないで」
「それなら」
2人で歪んだ扉の隙間まで近づいた。
外にいたのは、人間の胴ほどの大きさの小型ドローンだった。
黒い外装は何箇所も剥がれ、3本ある支持脚のうち1本が途中で折れている。浮遊用と思われる回転機構には錆と雪がこびりつき、機体そのものも長期間地表へ晒されてきたことが分かるほど傷んでいた。
それでも中央の認識灯だけは生きており、弱い青白い光を一定間隔で繰り返している。
「よくこれで動いてるね」
『電力反応は極めて微弱です』
「こいつが通信を?」
『はい』
「環境整備局やGRIDの現行機じゃない?」
『登録情報にはありません。また、現行GRID保有機の型式にも一致しません』
「なのにGRIDのコードを持ってる」
『正確には、通信規格の一部が一致しています』
ドローンの認識灯が一度消えた。
再び点灯した時には明滅の間隔が変わっていた。
短く1回。
間を置いて2回。
『新たな通信を受信しました。ただしデータ破損が大きく、内容の大部分は復元できません』
「残ってるところだけ拾える?」
『送信元識別コード、任務番号、日時情報は破損しています。復元可能なのは旧式GRID通信規格のヘッダ情報だけです』
「旧式って?」
『現在の規格へ更新される以前のものです。ただし、この機体そのものに対応する製造記録は確認できません』
「つまり、今ここで考えても答えは出ないってことか」
『はい』
「なら位置だけ記録して。今はこっちの任務を優先する」
『記録しました』
「持って帰らないんですか?」
「ジード、この人数見てそれ言ってる?」
「確認しただけです」
「こんなボロボロの機械まで増やせないよ。調べるなら後で正式な班を出せばいい」
管理室へ戻ろうとしたところで、ドローンの回転機構が僅かに動いた。
浮上するほどの力はなく、雪を薄く巻き上げただけだったが、機体上部がゆっくりヴァルカたちへ向く。
認識灯が一度だけ強く光る。
「通信は?」
『ありません』
数秒後には元の弱い明滅へ戻った。
「……行こう。今はこれ以上分からない」
ヴァルカはそのまま管理室へ戻った。
「休憩、あと何分?」
『約4分です』
「まだ4分あるのか」
「自分で10分って決めたでしょう」
「途中で変なの来たから休んだ気がしない」
「それでも座ってください」
「はいはい」
椅子へ戻ると、ジードから新しい水分補給パックが差し出された。
「さっきのまだあるよ」
「ほとんど飲んでません」
「細かいね」
「見てますから」
「そういうところだけほんと副隊長っぽい」
「褒め言葉として受け取ります」
「好きにして」
今度は言われる前にしっかり飲んだ。
班長がその様子を眺めている。
「いい部下持ったな」
「うるさい部下の間違いでしょ」
「心配されてるんだろ」
「それ今日もう何回も聞いた」
「何回言われても認めないからじゃないか?」
「班長までそっちに入るの?」
「ここまで世話になったからな。少しくらいは」
「元気になってきたねぇ」
「おかげさまで」
それ以上ヴァルカを囲んで弄る流れにはならず、班長は自分の脚へ戻り、ジードも装備記録を再開した。
やがてエルドから休息終了まで1分と告げられる頃には、第8小隊もそれぞれ次の移動に必要な準備へ入っていた。
ルネは十文字槍の伸縮部と班長を支える側の装備を確認し、ガレスは自分の右脚へ体重を掛けて異常がないことを確かめる。ジードは救助シートの固定を点検した。
「班長、右脚どうです?」
「休んだ分は楽になった。まだ痛むが、さっきよりましだ」
「きつくなったら早めに言ってください」
「ああ。今度はちゃんと言うよ」
「それなら大丈夫そうですね」
ガレスがミラの前へしゃがむ。
「ミラさん、背負いますよ」
「……お願いします」
「痛みが増えたらすぐ言ってください」
「分かりました」
ケンも立とうとしたが、ヴァルカが先に前へしゃがんだ。
「お前はこっち」
「もう決定なんですね」
「左脚はまだ使わせない」
「はい」
「素直でよろしい」
班長にはルネが予備の伸縮支持棒を渡した。
「こっち使ってください。さっきの作業棒よりは信用できます」
「助かる」
長さを合わせて数歩試すと、右脚への負担も少し減った。
『休息開始から10分。ミラさんの心拍と体温は安定しています』
「昇降口までは?」
『約2.26キロです』
「じゃあ今度こそ帰ろう」
管理室を出ると、扉へ近づくにつれて冷気が濃くなった。
少し温まった身体には、外気が入ってきた時よりも鋭く感じられる。
「外出たくなくなりますね……」
背中のケンが言った。
「昇降口まで行けばもっと暖かいよ」
「それを楽しみにします」
歪んだ扉を抜けると、外は相変わらず白かった。
休んでいる間にも細かな雪が積もり、舗装路へ残していた足跡の輪郭は少しずつ薄れている。
例のドローンはまだ施設の脇にいた。
黒い機体を半ば雪へ沈めたまま動かず、弱い認識灯だけを明滅させている。
『電力反応に変化はありません』
「記録は取った。あとは戻ってから考えよう」
ヴァルカはそこで立ち止まらず、帰還経路へ入った。
後ろではガレスがミラを背負い、ルネが班長を支え、ジードとロイも同じ速度で続いてくる。
ハルも一緒だった。
ドローンが何なのかは、まだ分からない。
分からないものを全部その場で解決する必要もない。
今の第8小隊には、先に地下へ連れて帰るべき人間がいる。
「エルド、デルヴァは?」
『現在、最短反応でも約460メートルです』
「なら今のうちに距離稼ごう」
第8小隊は白い旧道を再び歩き始めた。
休息した分だけ少し戻った足取りで、今度こそ第2地表昇降口を目指して。
第30話をお読みいただき、ありがとうございます。
負傷者を抱えて進む帰り道の途中、第8小隊と保守班はようやく短い休息を取ることができました。
命を預け合ってここまで来たからこそ、最初は他人同士だった両者の間にも、少しずつ遠慮のない会話が生まれています。
そして旧交通管理施設に現れた、GRIDの旧式通信規格を持つ正体不明のドローン。
今はまだ、その正体を追う時ではありません。
第8小隊には、連れて帰るべき5人がいます。
次話、ヴァルカ編もいよいよ帰還へ向かいます。




