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消えた足跡

雪の中へ消えた保守班の足跡を追い、崩れた建物へ踏み込んだジードとルネ。


外ではヴァルカとガレスがデルヴァを引きつける中、2人は地下へ残された痕跡を辿っていきます。


行方不明となった5人に何が起きたのか。

捜索は、建物のさらに奥へと続きます。

建物の入口から入り込む光は数メートル先までしか届かず、その向こうには崩れた壁や天井材の輪郭が重なっていた。床には外から吹き込んだ雪が厚く積もり、奥へ行くにつれて量を減らしているものの、ところどころに自然な吹き溜まりとは違う盛り上がりが残っている。

 ジードが先へ入り、ルネも十文字槍の長い間合いを取れる位置から入口の奥を探った。

「今の音、聞こえましたよね?」

「ああ。人間ならありがたいんだが」

『認識バンドの反応は変わっていません。現在地から約27メートル、地表面より3.2メートル下です』

「地下階が残ってるってことか」

『旧市街地の建築記録を照合しました。この建物は地上4階、地下1階の商業施設です。ただし地下部分の詳細図面は一部欠損しています』

 瓦礫の外には、先ほど見つけた保守員の腕が残っている。回収できる状態か確かめたいところだったが、作動している認識バンドはさらに奥にあり、デルヴァが通ったと思われる亀裂も建物内部へ続いていた。

「先に生存者の可能性がある方を確認する。戻ってからこの人も回収しよう」

「はい。そうしましょう」

 入口を抜けると風の音が遠のき、自分たちの靴が雪を踏む音や、崩れかけた建材が荷重を受けて軋む音まで聞こえるようになった。かつては店舗が並んでいたらしい通路の左右には金属製のシャッターが残り、潰れた看板や陳列棚が吹き込んだ雪に半ば埋まっている。

「外より静かな方が嫌ですね」

「さっきまで隊長が騒いでたから余計にな」

「それ、あとで本人にも言ってくださいよ」

「嫌だね。俺だって長生きしたい」

「私に押しつけないでください」

 声を抑えたまま進んでいたルネが歩調を落とした。

「ジード、この床」

 雪が薄くなった場所に複数の靴跡が残り、同じ方向へ続いている。壁際には血の付いた手袋で身体を支えたらしく、黒い擦れ跡まで点々と残されていた。

「何人かは建物まで逃げ込めたみたいですね」

「血は出てるが、ここではまだ自力で動いてる」

「だったら、この先にも生きてる人がいるかもしれない」

「ああ。そう思って進もう」

 足跡は通路の奥で右へ曲がり、崩れた階段へ続いていた。上階へ向かう部分は天井ごと潰れているが、地下へ下りる階段は途中まで形を保っている。

『反応まで18メートル。高低差もほぼ一致しました。階段を下りた先にいる可能性があります』

「じゃあ下ですね」

 ルネが階段へ入ろうとしたが、中央の積雪には人間の歩幅ではできない太い溝が走り、階段の縁を削りながら地下へ消えていた。

「……デルヴァも通ってますね」

「少なくとも1体は入ってる。外ほど自由に潜れないならこっちにも利点はあるが、逃げ道が少ないのは同じだ」

『後者を重く見てください』

「エルドは本当に慎重ですね」

『慎重であることを否定する理由がありません』

「そういうところ、隊長とは正反対ですよね」

『比較対象として適切ではありません』

『聞こえてるよ、ルネ』

 ヴァルカの声が突然回線へ入り、ルネの歩みが一瞬だけ鈍った。

「……隊長、そっちは大丈夫なんですか?」

『人の悪口を拾えるくらいにはね』

 通信の向こうで何かが雪を突き破り、続いてガレスの声が入る。

『隊長、右側へ2体回っています』

『ガレス、そっちは頼む。あたしは正面を外さない』

 発振音と雪が砕ける音が続いたため、ルネは入口側へ戻る代わりに階段の奥へ身体を向けた。

「……本当に2人で大丈夫かな」

「だから俺たちは早くこっちを終わらせるんだ」

「はい」

 地下へ下りるにつれて地上からの光は弱まり、バイザーの補助照明が壁や床を白く浮かび上がらせた。途中には壊れた手すりが斜めに倒れ、階段の端には保守班が落としたらしい携帯工具が転がっている。

「ここまで来てますね」

「拾う余裕もなかったんだろうな」

 階段を下りきった先には幅の広い地下通路が残っていた。天井の一部は崩れているものの完全には塞がっておらず、左手には旧設備室、右手には搬入口を示す色褪せた表示が残っている。

『認識バンド反応は右方向、約11メートルです』

「ルネ、正面を頼む。俺は床と壁の痕跡も拾う」

「はい」

 2人が右手の通路へ入ると血痕は次第に増え、壁へ手をついて歩いた跡も途中から少しずつ低くなっていた。負傷した人間を誰かが支えたらしく、靴跡も2人分が重なるようになる。

「少なくともここまでは2人一緒です」

「残りはまだ決められない。まずこの先だ」

 通路の角を曲がったところで、搬入口へ続く防火扉が半分閉じた状態で止まっていた。その前には保守員用の作業バッグが2つ落ち、開いた片方から応急処置用の止血材や薬剤が散らばっている。

 ジードは人が通れるほど残った隙間の手前から内部へ声を通した。

「誰かいるか! GRIDだ!」

 返事はなかった。

「聞こえるなら何でもいい、音を返してくれ! 助けに来た!」

 しばらくして、奥で硬いものが床を擦った。

「いる」

「開けましょう」

 歪んだ防火扉へ2人で力を掛けると、レールが金属音を響かせながら少しずつ動き、人1人が身体を通せる程度まで隙間が広がった。

 先に入ったジードの補助照明が壁際を照らす。

 保守員の男がそこへ座り込み、壁に背中を預けていた。片脚を投げ出し、左腕には応急処置用の固定具が巻かれ、胸元まで血で汚れている。それでも光が顔へ当たると目を細め、こちらを確かめようとした。

「……GRID……?」

「ああ。迎えに来た」

 男が長く息を吐いた。

「遅かったな……」

「悪かったな。帰ったら正式に苦情を受け付ける」

 認識情報には弱いものの安定した心拍が返り、低体温も進んでいるが、今すぐ生命が途切れる数値ではない。

 その横には女性保守員が仰向けに倒れていた。腹部へ厚く巻かれた止血材から作業服まで血が滲んでいるものの、こちらにも生体情報が残っている。

「こっちも生きてます。意識はないけど呼吸はあります」

『2名の生体情報を確認しました。救助対象として登録します』

「よかった……」

 ルネが女性の状態を確かめていると、壁際の男が震える手を上げた。

「まだ……いる」

「他にも生存者がいるのか?」

「1人は……外でやられた。雪の中へ……持っていかれた」

 ジードは建物の外で見つけた腕について告げず、続きを待った。

「残りは?」

「奥だ……班長が……あいつを引きつけて……俺たちをここへ……」

 男の指が、防火扉とは反対側へ伸びる暗い搬入口を示した。

「班長が残ったのか」

「止めたんだ……でも、あいつ……戻れって……」

 咳とともに口元へ血が滲んだため、ルネが身体を支えて横になれる位置へ戻した。

「もう喋らなくていいです。班長のことは私たちが確認します」

「頼む……」

「はい」

 ルネはすぐに搬入口へ向かいかけたが、ジードは先に2人の周囲を確認した。

「奥へ行く前に、この2人を守れる状態にする」

「でも班長はまだ向こうにいます」

「だから急いで片づける。この2人をここへ置いたままデルヴァに入られたら、救助したことにならない」

 ルネは意識のない女性と壁際の男を確かめ、すぐに頷いた。

「分かりました。安全な場所へ移しましょう」

『ヴァルカ隊長へ状況を共有します』

「頼む。ガレスを回せるようなら、こっちへ頼みたい」

『確認します』

 防火扉は完全には閉じられないものの、外側から瓦礫を噛ませれば隙間をかなり狭められる。さらに部屋の中央には亀裂の少ないコンクリート床が残り、雪や土砂へ潜るデルヴァが直接入り込める箇所も限られていた。

「ルネ、この中央へ移そう。床の亀裂から離す」

「はい」

 2人で女性保守員を移し、壁際の男にも肩を貸して同じ場所へ運んだ頃、エルドから返答が届いた。

『ガレスをそちらへ向かわせます。到着まで約3分。ヴァルカ隊長は地上に残り、デルヴァの群れを引きつけます』

「隊長1人で?」

『本人の判断です』

「止めました?」

『単独継続は危険だと伝えました』

「で、聞きました?」

『いいえ』

「……ですよね」

 ルネは困ったように言ったが、搬入口へ残る痕跡を確かめると表情を引き締めた。

「ガレスが来たら、この2人を任せて班長を探しましょう」

「ああ。その間に入口ももう少し固める」

 外側へ噛ませる瓦礫を選ぼうとしたところで、部屋の外から長く重い音が届いた。

 雪を押し退ける音ではない。金属かコンクリートのような硬いものが、何かに擦られている。

 2人が搬入口側へ位置を移すと、暗闇の奥から金属片が押し出され、床を転がってきた。

「デルヴァじゃないのか?」

『新たな生体反応は捕捉できていません』

「じゃあ、あの音は……」

 ルネが言い終える前に、奥からかすれた人の声が届いた。

「……誰か、いるのか……?」

 壁際の保守員が上半身を起こそうとした。

「班長……!」

 今度はジードも止めなかった。

「行くぞ。ただし急ぎすぎるな。デルヴァがいないとは限らない」

「はい」

 搬入口の奥へ進むにつれて床の雪はほとんどなくなり、代わりに崩れた天井材や錆びた金属片が増えていった。バイザーの照明も数メートル先までしか届かず、その先では通路が暗闇へ溶けている。

「班長! GRIDです! 聞こえますか!」

 ルネの声から少し遅れて、右手側から返答が来た。

「……いる……ここだ」

 半ば潰れた搬送用通路へ入ると、横倒しになった運搬台車の向こうに保守員の男が座り込んでいた。右脚は膝下から血に濡れ、破れた作業服の上には応急処置用の固定材が巻かれている。左手には短い作業用バーを握ったままで、その先端にはデルヴァのものと思われる黒い体液がこびりついていた。

「GRIDだ。迎えに来た」

 張り詰めていた男の息がようやく抜ける。

「遅かったな」

「今日それ2人目なんだよ。苦情窓口が混みそうだ」

「生きて帰れたらな」

「そのために来てる」

 出血は多いものの止血はできており、体温は低下しているが意識もしっかりしている。

「右脚は使えるか?」

「無理だ。引きずれば何とかなる」

「それは使えるとは言わないな」

 ルネが肩を貸そうとしたところで班長が手を上げた。

「待て。もう1人いる」

「どこです?」

「この先だ。ケンって若い奴がいる。俺と一緒に残った」

「さっき助けた人は、外で1人持っていかれたって言ってたぞ」

「そいつはハルだ。俺も見た。ケンは別だ」

 班長は暗い通路のさらに奥を示した。

「最初にハルがやられて、みんなでここへ逃げ込んだ。地下なら追ってこないと思ったんだが……甘かった」

「デルヴァも入ってきた?」

「ああ。雪だけじゃない。床下の配管スペースや、崩れて土が出てる場所も使ってくる。潜れる隙間があればどこでも来る」

 古いコンクリート床にはいくつも亀裂が走り、その下から配管や土砂が覗いている。

「ケンはこの先のどこです?」

「機械室だ。俺がここで足止めして、先に行かせた」

 ルネは黒い体液の付いた作業用バーを見た。

「これでデルヴァを止めてたんですか?」

「他に何がある」

「無茶しますね……」

「GRIDに言われたくない」

「それは、まあ……そうですけど」

「エルド、機械室までどれくらい?」

『旧図面では約40メートルです。ただし途中に崩落があります。認識バンドは現在、先ほどの2名とここにいる班長の3件を確認しています』

「ケンのは?」

『走査範囲を拡張しています』

 数秒後、新しい表示が視界端へ加わった。

『微弱ですが、もう1つ応答があります』

 班長にはエルドの通信も聞こえているため、表示を見たジードより先に問い返した。

「ケンか?」

「可能性は高い。認識バンドがまだ動いてる」

 ルネの身体がすぐ奥へ向きかけたが、ジードは班長の右脚とここまでの距離を確認した。

「まず班長を2人のところまで戻す。ガレスが来れば、そのまま奥へ行ける」

「俺は置いてけ。ここならまだ――」

「またデルヴァに引きずられたら、救助人数が減るだけだ」

「班長、諦めてください。こういう時のGRID、結構しつこいんですよ」

「お前らが言うと説得力があるな」

 ルネとジードが両側から身体を支えると、班長は右脚を浮かせたまま立ち上がった。

「お前ら、名前は?」

「ジード」

「ルネです」

「覚えとくよ。帰れたらな」

「だから帰しますって」

 来た道へ戻り始めたところで、床の下から鈍い振動が足裏へ届いた。

 班長の身体が強張る。

「……来るぞ」

 数メートル先で床の亀裂から砂埃が漏れ、古いコンクリートが内側から持ち上がった。

「ルネ、班長を少し後ろへ」

「はい。班長、こっちです」

 ルネが男を支えて後退する間に、ジードは隆起から距離を取った。

 床が割れ、デルヴァの頭部がコンクリート片を押し退けて飛び出す。

 雪原で遭遇した個体より動きは鈍く、狭い床下を進んできたためか灰色の外皮には擦れた傷が何本も走っていたが、開いた口はそのままジードを捉えようと伸びてきた。

「ここなら、お前も好きには動けないだろ」

 噛みつきを横へ外し、右のソードを口の付け根へ滑り込ませる。外皮を滑った刃が柔らかい部分へ入ったことでデルヴァが首を捻り、反対側から左の一刀を重ねると黒い体液が床へ散った。

 頭を引いて床下へ戻ろうとしたところへ、ルネの十文字槍が伸びる。

「ここまで来たなら、逃がしませんよ」

 十文字の刃が首元へ掛かり、ルネが柄を捻って潜行を止める。

「ジード、ここ開けます!」

「そのまま頼む」

 引き伸ばされた傷へ二刀を左右から差し込み、頭部を深く裂く。デルヴァは床下へ戻る力を失い、そのまま穴の中へ身体を落とした。

『対象の生体反応が消失しました。近距離に同種反応はありません』

 班長は壁に身体を預けながら、壊れた床と2人を交互に見た。

「……あんたら、強いな」

「褒めるのは地上へ戻ってからにしてくれ」

 黒い体液が残る床を避け、2人は再び班長へ肩を貸した。

 救助対象2人を休ませた部屋へ戻る頃には、入口側から重い足音が近づいていた。

「ジード」

 現れたガレスのグレートソードには黒い体液が付き、右肩の装甲にも新しい傷が走っている。

「待ってた。ずいぶんかかったな」

「隊長から引き受けた個体が、なかなか雪の上へ出てきてくれなくてね」

「ヴァルカは?」

「まだ外だ。私が離れるまでに2体倒している」

「……本当に1人で大丈夫なんですか?」

 ルネに聞かれ、ガレスは外の戦況を思い返すように少し間を置いた。

「安心できる状況ではない。ただ、今のところ余裕は残っていた」

「だったら急ぎましょう」

 ジードは班長をガレスへ預けた。

「この3人を頼む。奥にもう1人いる」

「分かった。こちらは任せてくれ」

「床下からデルヴァが来る。亀裂が少ない場所から動かさない方がいい」

「承知した」

 班長もガレスへ身体を預けながら、ジードたちを呼び止めた。

「機械室の手前に広い搬送路がある。そこまでは俺とケンで逃げた。ただ、その先で床が崩れた」

「ケンだけ向こうへ渡ったんですね?」

「ああ。俺は脚をやられて戻れなくなった。最後に見た時はまだ動いてた」

「なら行ってきます」

「必ず連れてきてくれ」

「そのためにここまで来たんです」

 ジードとルネは再び搬入口へ入り、先ほどより足早に奥へ向かった。床の亀裂は進むほど増え、壁にはデルヴァの外皮が擦れたような黒い体液が残っている。何度か抵抗したらしく、折れた作業工具も通路に転がっていた。

「武器もないのに、よくここまで持たせましたね」

「あの班長がいたからだろうな」

「だから余計に、最後の1人も連れて帰らないと」

「ああ」

 広い搬送路へ入ると天井が高くなり、左右の壁には大型荷物を運んでいたらしい錆びたレールが残っていた。床の中央には大きな亀裂が走り、その先の大型扉との間で路面が崩れ落ちている。

『認識バンド反応、残り17メートルです』

 崩落部の下には暗い空洞が広がっていた。

「端なら渡れそうですね」

『崩落深度は約4.6メートル。下層は旧配管区画です』

「デルヴァには都合がいい場所だな」

「そういうこと言わないでくださいよ」

 ルネは十文字槍を壁側へ寄せ、残っている床へ一歩ずつ体重を移した。

 半分ほど渡ったところで、大型扉の向こうから金属を叩く音が3回響き、少し間を置いて再び3回続いた。

「ケン! GRIDです!」

 返事の代わりに金属音が強くなる。

「生きてます」

「ああ。だから足元を崩すなよ」

 ジードも残った床へ入ったところで、下の配管区画から何かが動いた。

『崩落部の下に生体反応。上昇しています』

「ルネ、そのまま扉まで行け!」

「はい!」

 暗闇からデルヴァの胴体が配管の間を縫って立ち上がり、壁を擦りながら一気に高度を上げてくる。

 ルネが先に大型扉の内側へ入り、続いたジードも身体を滑り込ませた直後、背後の床が砕け、デルヴァの頭部が突き上がった。

「扉を使うぞ!」

 2人で大型扉へ体重を掛けると、錆びたレールが軋みながら動き、隙間へ入り込んだデルヴァの頭部を挟み始めた。それでも身体を捻って押し返そうとする力は強い。

「槍を噛ませます。このまま押してください!」

 ルネが十文字槍の柄を扉と壁の間へ差し込み、梃子にして押し込む。デルヴァの外皮が金属に擦れ、隙間から黒い体液が流れた。

「あと少しだ。そのまま押してくれ」

 ジードも空いた角度から一刀を頭部へ突き入れ、デルヴァが大きく暴れた反動で扉が一気に閉まった。

 重い衝突音が搬送路へ響き、向こう側から何度か身体をぶつける音が続いたが、厚い扉が押し戻されることはなかった。

「これで、しばらくは来られませんよね?」

『この扉を突破しない限りは』

「今はそれだけ聞ければ十分です」

 機械室には壊れた制御盤や大型配管設備が並び、その奥で若い保守員が金属棒を握ったまま座り込んでいた。顔と腕には擦り傷があり、左脚には自分で巻いたらしい止血材が何重にも重なっている。

 2人を認めた若者の目が大きく開いた。

「GRID……本当に来た……」

「迎えに来ました。立てますか?」

「何とか……」

 ルネが近づいて肩を貸した。

「班長も生きてます。先に安全なところまで戻しました」

「班長が……?」

「ええ。あなたを連れて帰れって、そればっかりでしたよ」

 ケンは目を閉じ、こらえていた息を長く吐いた。

「よかった……」

「エルド、4人目を確保。意識あり」

『生体情報を確認しました。これでB-17保守班5名の所在がすべて判明しました』

 5人のうち1人は死亡。残る4人は生存している。

「4人は帰せますね」

「ああ。まずケンをみんなのところまで戻そう」

 機械室の入口へ向かいかけたところで、大型扉が大きく震えた。さらに2度、向こう側から衝撃が加わる。

「まだ諦めてませんね」

「向こうからすれば、獲物が扉の向こうへ逃げただけだからな」

『地上側の個体にも動きがあります。ヴァルカ隊長が引きつけていた群れのうち、少なくとも4体がこの建物へ向かっています』

「こっちの振動を拾ったか」

「このまま来た道を戻ったら挟まれますね」

「ああ。別の出口を使おう」

『旧図面では機械室北側に非常搬出口があります。短いスロープで地上へ接続していますが、現在使用可能かは確認できません』

「確認する。塞がってたらその時考える」

 ジードが北側通路へ入り、ルネもケンを支えて続いた。

「エルド、隊長には4人目確保、北側から地上へ出るって伝えてくれ」

『共有します』

 すぐにヴァルカの声が入った。

『見つかった?』

「ああ。生きてる。今から北側へ出る」

『なら、あたしもそっちへ――』

「今は群れを引いててくれ。出口まで先回りされた方が困る」

『でも2人だけで――』

「隊長、ここは俺たちにやらせてくれ。地上へ出たらすぐ知らせる」

 ヴァルカはすぐには返さなかったが、通信の向こうでは戦闘音が途切れていない。

『……分かった。絶対連れて出てきなよ』

「ああ。それまでそっちも無茶するな」

『それは約束できない』

「でしょうね」

 通信を終え、3人は非常搬出口へ向かった。その背後では、大型扉がまた大きく軋んでいた。

 通路は機械室の奥でさらに細くなり、壁際には太い配管が何本も走っている。固定具の外れた一部は床近くまで垂れ下がり、ケンを支えたまま進むにはたびたび身体の向きを変える必要があった。

「扉、まだ耐えてますね」

「耐えてるうちに出たいな」

『非常搬出口まで約34メートルです。その先に地表へ上がる短いスロープがあります』

「塞がってないことを祈るか」

「こういう時だけ神頼みですか?」

「使えるものは何でも使う」

 角を曲がると、通路の先から冷たい外気が流れ込んできた。

「風が来てます。出口、生きてるかもしれません」

 ルネの歩調がわずかに上がったが、肩を借りているケンの左脚が遅れ、顔が痛みに歪んだ。

「ごめんなさい、急ぎすぎました」

「いや……大丈夫です。歩けます」

「その顔で言われても信じませんよ。止まりはしないけど、無理に速くもしません」

 ルネは肩へ回された腕を支える位置を変え、ケンが右脚へ体重を逃がせるよう歩幅を合わせた。

 前を進むジードも2人との距離が開かない速度へ落とす。

 やがて斜めに傾いた金属扉が現れた。上半分は外側から積雪に押され、わずかな隙間だけが白く光っている。

『非常搬出口です』

「開けられるか試す。ケンはここで待っててくれ」

「お願いします」

 ジードが扉へ力を掛けてもほとんど動かず、ルネも加わったが、歪んだフレームと外側の雪が抵抗している。

「上が引っ掛かってますね。槍を入れます」

 十文字槍の石突きを隙間へ差し込み、ルネが梃子の要領で持ち上げると、金属が軋みながら数センチ浮き、外側から雪が崩れ込んできた。

「その角度を保てる?」

「はい。このままなら押せます」

 ジードが両手で扉を押すと、錆びた蝶番が雪の重さへ抗いながら開き始め、最後には外側の積雪を押し崩して人1人が通れる隙間ができた。

「俺が先に外を確認する。問題なければケンを出そう」

 建物北側は崩れた外壁が風除けになっており、その先に開けた雪原が続いていた。遠くではヴァルカのハンドアクスが青白い軌跡を引き、少し離れて重い衝撃が何度も雪面へ響いている。

『地表側を再走査。ヴァルカ隊長周辺に6体、建物へ接近している個体が4体です』

「まだ4体こっちへ来てる。急ごう」

 ルネがケンを外へ引き上げ、最後に自分も扉を抜けた。地下から大きな衝撃が伝わり、直後に何かが壊れる音が続く。

「扉、長くはもたなそうですね」

「なら建物から離れる」

 ケンを挟んで移動を始めると、右手の雪面に隆起が走った。

 ルネはすぐにケンを崩れた外壁の陰へ移した。

「ここで待っててください。私たちより前には出ないで」

「はい……」

 近づく隆起は1本ではなく、少し離れた位置から2本目が合流し、建物の裏でもさらに雪が盛り上がった。

『地表から3体接近。残る1体は建物内部へ入っています』

「建物の中にも1体いるのか」

「今はこの3体をケンへ近づけないことだけ考えましょう」

 ジードが左側へ回り、ルネはケンとの間へ立つ。

 最初の1体が正面から距離を詰め、隆起が足元近くで消えたところからデルヴァの頭部が飛び出した。

 ルネは半歩下がって噛みつきを外し、その口元へ十文字槍を斜めに差し込む。刃が横側へ掛かったまま柄を押すと、デルヴァの頭部がケンとは反対側へ流れた。

「こっちは止めます。首が出てます!」

 側面から入ったジードの右刃が露出した首元を裂く。

 デルヴァが潜ろうと身体を引いたところを十文字の刃が押さえ、外皮の裂け目へ左の一刀まで加わった。

「潜らせません。このまま押さえます!」

「そのままでいい」

 頭部を雪上へ引き出されたデルヴァが激しく身体をくねらせる中、別方向から2体目の隆起がケンへ向きを変えた。

「もう1体、ケンへ行きます!」

「そっちは俺が取る。今のを離すな」

 ジードは1体目から外れ、ケンへ向かう隆起と並走した。雪面が爆ぜて口が現れる直前に外側へ入り、左右の刃を頭部へ当てて勢いごと進路を逸らす。

「悪いな。そいつは連れて帰るんだ」

 デルヴァはケンの横を大きく外れて雪へ突っ込み、すぐに潜行し直した。

 残る3体目が背後から距離を詰めてきたところで、遠くから重い衝撃が雪原を走った。

 迫っていた隆起が途中で向きを変える。

『ヴァルカ隊長が意図的に振動を発生させています。建物側へ向かった個体の注意がそちらへ移りました』

「こっちが地上へ出たって、もう伝えたんですか?」

『共有済みです』

「やっぱり気にしてたんですね」

 さらに大きな衝撃が続き、雪煙の向こうからヴァルカが走ってくるのが見えた。ハンドアクスを片手に、あえて雪面へ強く踏み込みながら進み、その後ろを複数の隆起が追っている。さらに距離を置いて、ガレスもこちらへ戻ってきていた。

「ジード、ルネ! 見つけたんだな!」

「ああ。生きてる!」

「なら、もうやることは1つだね」

 ヴァルカは救助組へ直接寄らず外側へ進路を取り、追尾しているデルヴァもそれにつられて建物から離れていく。

「隊長、こっちへ寄せすぎないでください! ケンは走れません!」

「だから外へ引いてるんでしょ。ルネはそいつから離れないで!」

 足元へ迫ったデルヴァが雪から飛び出すと、ヴァルカは突進の正面から外れ、頭部の側面へハンドアクスを叩き込んだ。青白い刃が外皮を深く裂き、その勢いを利用してさらに外側へ抜けることで群れの進路まで救助組から引き離していく。

 もう1体がガレス側へ回ったが、大剣の一撃が隆起の先を抉り、黒い体液が雪の中から噴き上がった。動きが鈍った個体へヴァルカも無理に追撃せず、ケンとの間に距離を残したまま戻る。

「隊長、今日はちゃんと目的を忘れてませんね」

「今その確認いる?」

「いえ。ちょっと安心しました」

「あとで話そうか、ルネ」

「今は救助が先ですよ、隊長」

「言うようになったなぁ」

 ジードは2人のやり取りを聞きながらケンへ戻った。

「少しなら動けるか?」

「何とか……」

「ならガレスが来るまでそれでいい。無理には歩かせない」

 合流したガレスがケンの状態を一度確かめる。

「私が運びましょう」

「頼めるか?」

「もちろん」

 ガレスはグレートソードを移動の邪魔にならない位置へ固定し、ケンの前へ背を向けて膝を落とした。

「背中へどうぞ」

「いや、でも……」

「遠慮している間にも敵は待ってくれません」

 ケンが腕を回すと、ガレスは負傷した左脚へ負担が掛からないよう位置を調整してから立ち上がった。

「重くないですか?」

「この程度なら問題ありません」

「それなら……お願いします」

「任せてください」

 少し離れた雪面では、まだ複数のデルヴァが第8小隊との距離を探るように移動している。

「隊長、このまま討つ?」

「戻るよ。ここで全部倒してる理由がない」

 ルネが少しだけ驚いた様子を見せたものの、すぐに笑った。

「何?」

「いえ。ちゃんと隊長だなって思って」

「あたし、ずっと隊長なんだけど」

「知ってますよ」

「じゃあ言うなよ」

 ヴァルカは建物内に残した3人との位置関係を確認した。

「エルド、ガレスが置いてきた3人は?」

『現在地から南西へ約76メートル。3名とも生体情報は安定しています』

「なら先に合流する。ケンもそこへ連れていこう」

 ジードとルネが進行方向の左右を受け持ち、ガレスはケンを背負って中央へ入る。ヴァルカは最後尾へ回ったが、細かい配置まで口にする必要はなく、3人もすでにそれぞれの場所へ動いていた。

『後方から3体が追尾しています。最短で約24メートル』

「その距離なら十分。追いつかれた時だけ止めるよ」

 雪面の隆起は一定の距離を保って第8小隊を追ってくる。

 ヴァルカは無理に迎えに行かず、救助対象を運ぶ3人の速度に合わせて進みながら、近づく個体だけをいつでも迎えられる位置を保った。

「今度はあたしたちが、全員連れて帰る番だからね」

 第8小隊はデルヴァを後方へ引きつけたまま、残る3人が待つ建物の正面側へ向かった。

28話をお読みいただき、ありがとうございます。


消えた足跡を追った先で、ようやく保守班5人全員の所在が明らかになりました。


4人は生存。

そして1人は、地表に残されたまま。


ケンを確保したことで捜索そのものは終わりましたが、第8小隊の任務はまだ終わっていません。

見つけた彼らを、今度はネオ・ヘイヴンまで連れて帰らなければなりません。


次話も第8小隊の地表任務が続きます。

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