廃棄地区1
第3話「廃棄地区」です。
今回はネオ・ヘイヴンの管理域を離れ、第7小隊がこれまでより遠い地表へ向かいます。
彼らが暮らす地下都市の外には、かつて人々が当たり前のように生活していた世界が、今もその姿を残しています。
白い地表の向こうに何があるのか。
第7小隊と一緒に、少し遠くまで歩いていただければと思います。
壁面に投影された旧市街図では、ネオ・ヘイヴン北西部から地表へ伸びる巡回経路が青い線で表示され、その先でC-12地区の輪郭が灰色の市街地へ重なっていた。旧高速道路を北西へ進み、ハルシオン物流地区南部から地下へ入ったあと、旧地下鉄Cラインを徒歩で約3キロ。今回の任務で確認する保守区画は、その途中にある。
『第7小隊の主目的はCラインの巡回、セーフハウス候補地点の状態確認、および旧電力ラインの残存状況の調査です。環境整備局では、今後この区画を地表作業の中継地点として利用することを検討しています』
ミオの説明に合わせて地下構造が重なり、閉鎖可能な保守区画と電力設備の位置が表示される。キョウジは自分の端末へ転送された経路から崩落地点と過去のアバレント遭遇記録を拾った。直近30日ではハウラー級の痕跡報告が増えているものの、大規模な群れとの遭遇例はなく、地下で通信精度が落ちることも事前情報に含まれている。
「予定通りなら、今日中には戻れそうですね」
向かい側でカイが端末を閉じた。
「予定通りならな」
「復帰初日に泊まり込みは避けたいところです」
「地表で宿を探す趣味ができたなら止めないぞ」
「それはもう少し歳を取ってからにします」
数週間ぶりに任務へ戻った副隊長の声は以前と変わらず、右脇腹を傷めていたことも防護服の上からでは分からない。復帰審査を通過している以上、キョウジから改めて問い詰めることはなかったが、ユーリは違った。
「副隊長、本当に平気なんです?」
「その話、装備室でもしただろ」
「しましたけど、あの時は『問題ない』しか言わなかったじゃないですか」
「じゃあ今はもう少し長く言うよ。問題ないからここにいる」
「長くなっただけで内容一緒ですよ」
「そういう質問だからな」
リオが端末から顔を上げた。
「カイ、痛くなったら言ってね。帰ってから聞かされるのは嫌だから」
「分かった。そこまで信用されてないとは思わなかったよ」
「信用してるから言ってるの」
返しに詰まったカイへ、隣で装備を確認していたセナが笑う。
「副隊長、休んでる間に心配性が増えましたね」
「俺がいない間に何があったんだ」
「色々です」
「そこを濁されると余計気になるな」
壁際ではガンツが大型シールドの固定具を確かめていた。外装には何度も補修を重ねた跡が残り、新しい補修材と古い傷が層になっている。内部機構は整備済みでも、盾そのものは替えなかったらしい。
「またそれを持っていくのか」
キョウジが聞くと、ガンツは肩の固定具を締め直した。
「慣れてる。中身は直した」
「整備班は嫌がっただろ」
「かなり」
「そりゃそうだ」
卓の周囲にはキョウジを含めて6人が揃っていたが、以前なら埋まっていた席が1つだけ余っていた。ユウトが初任務で死んでから誰かが意図して空けているわけではなく、人数が減ったぶん椅子が余っただけなのだろう。それでもブリーフィングのたびに同じ場所が残るようになり、報告書で事情を知っているカイもそこへ触れないまま、地下構造図の方へ意識を戻している。
キョウジはC-12の経路を拡大した。
「ハウラーの痕跡が増えてるのは気になるが、俺たちの仕事は巣探しじゃない。セーフハウス候補と電力ラインを確認して、予定地点まで巡回する。任務範囲の外へは出ないし、逃げた個体も追わない。見つけたものを持ち帰れば、それで十分だ」
各自が必要な情報を端末へ落とし始めたところへ、ミオが所要時間を追加する。
『地表昇降機からC-12までは実移動距離約9キロです。積雪を考慮した到達予測は約3時間です』
「地下へ入るまでで3時間か……」
「帰りもあるよ」
セナが言うと、ユーリは少し考えてから首を振った。
「今のは聞かなかったことにする」
「じゃあ私も言わなかったことにする」
「助かる」
「忘れるのは距離だけにしろよ。30分後に昇降機前だ」
キョウジが立ち上がると、残りの5人も準備へ移った。
昇降機から地表へ出た直後は、まだネオ・ヘイヴンの存在を周囲に感じられた。積雪の間隔を縫うように誘導灯が続き、その先には酸素供給用ダクトの保守設備や通信中継器が点在している。管理域を離れて1時間も歩けば、それらは背後の白さへ紛れ、代わりに旧ハルシオンの残骸が雪原から少しずつ立ち上がってきた。
外壁を失った高層建築の骨組みが途中階から上を欠き、倒れた建物が別の建物へ寄り掛かったまま巨大な瓦礫の山を作っている。経路はその間を抜け、途中から旧高速道路の高架へ上がっていた。
崩れた傾斜を登りきると、雪に覆われた舗装面が一気に広がった。片側だけでもネオ・ヘイヴンの一般街路より遥かに幅があり、中央の分離帯を挟んだ向こうにも同じ規模の道路が伸びている。
「広いな」
ガンツが言うと、ユーリも高架の先を確かめた。
「これ全部、道路なんですよね」
その上には錆びた金属の骨格が何列にも並び、高架の向こうまで同じ方向へ続いていた。長い年月に外板を失い、車軸やフレームだけを雪から突き出しているものが大半だが、人が乗って移動するための機械だった形は辛うじて残っている。
「毎日こんな数が走ってたのかな」
セナが歩きながら言う。
「たぶん、これでも足りなかったんじゃない?」
リオが道路の反対側まで見渡し、ユーリも車列の長さを追った。
「地上だけでこれだけ人が動いてたんだな」
「駅も道路も必要になるわけですね」
カイは足を止めず、腐食した車体の間を抜けていった。
キョウジも先頭を保ったまま防護壁沿いを確認していたため、右側に残る新しい傷を見落とさなかった。風雪で丸く削られた古い亀裂に混じり、4本の深い筋だけがまだ角を保っている。
「カイ、ここを見てくれ」
列を外れた副隊長が照明を当て、傷の深さと間隔を端末へ記録する。
「爪だと思います。新しいですね。大型のハウラーでもつけられそうですが、これだけでは何とも言えません」
「下まで追えるか?」
「雪が崩れてます。途中から瓦礫ですね」
「なら位置だけ残す。降りる必要はない」
「同意です」
調査を切り上げてそのまま高架を進み、昼を過ぎた頃には経路上の休憩地点へ着いた。壁と屋根の一部だけを残した旧施設にはGRIDの安全確認済みを示す標識が取り付けられ、風を避けられる内側で20分だけ装備を下ろすことになった。
ユーリは携行食を取り出す前に、壁際へ残っていた古い椅子へ近づいた。脚は錆で細くなっているものの、背もたれまで形を残している。
「これ、まだ座れるかな」
「やめといた方がいいと思う」
リオに言われた時には、背もたれへ掛けた手の重みだけで金属が根元から折れた。
「……触っただけなんだけど」
「だからやめた方がいいって言ったの」
「こういう時の『触っただけ』って何の言い訳にもならないよ」
セナまで加わり、ユーリは折れた部品を持ったまま困っていた。
「戻しとけば分からないかな」
「戻らないでしょ、それ」
「だよなあ」
近くへ来たガンツが手を出した。
「貸せ」
「直せます?」
「無理だ」
折れた背もたれと脚をまとめて通路脇へ運び、壁際の窪みへ寄せる。
「帰りに踏むかもしれない」
「ああ……ありがとうございます」
ガンツは返事の代わりに片手を上げ、自分の荷物へ戻った。
古い椅子を惜しんだわけでも、後から来る誰かのために片づけたわけでもない。帰りに自分たちが踏めば危ないからどかした。それだけのことを説明せずにやるのが、ガンツらしかった。
休憩を終えて高速道路から物流地区へ降りると、周囲の建物は目に見えて低くなり、広い倉庫の残骸や搬送設備、大型車両の骨格が雪に埋もれながら並び始めた。地下鉄入口はGRIDの識別標識がなければ瓦礫の一部として通り過ぎてもおかしくないほど崩れていたが、その手前には人間以外の足跡が残っている。
四肢を大きく開いた跡が建物の陰から伸び、階段を横切っていた。新しいものと古いものが重なり、一部は地下へ向かい、別のものは地表側へ戻っている。
「ここを普通に使ってるみたいですね」
カイは足跡の向きを追いながら言った。
「頭数までは分からない?」
「同じ個体が何度も通ってる可能性があります。数を出すには材料が足りません」
『現在確認可能な範囲に大型生体反応はありません』
「予定通り入る。中では間隔を詰めるぞ」
地下へ続く階段を降りるにつれ、地表の風音は背後へ遠ざかり、水滴が床を叩く音へ置き換わった。地表ほど風化していないため、地下には旧世界の形が比較的よく残っている。壁際には閉鎖された小部屋が並び、天井から垂れた案内板には色褪せた文字や図形が残っていた。金属柵の先には棚の骨組みも並んでいる。
「ここ、店があったのかな」
『旧施設図では商業区画として登録されています』
セナは歩きながら左右の区画を眺めた。
「駅まで来て、ここで何か買ってから列車に乗ってたんだ」
「帰りにも寄れたんだろうね」
リオが崩れた棚の脇を抜ける。
「仕事の帰りに買い物して、そのまま家まで帰れたなら便利そう」
「毎日地上にいたなら、こういう場所も普通だったんだろうな」
ユーリが床へ散らばった金属片を避け、4人の声はそのまま通路の奥へ流れていった。
Cラインのホームまで下りると、天井から落ちる水が線路の間に細い流れを作っていた。ホーム前方は一部が崩れており、そこから軌道へ降りる経路が示されている。
『目的の保守区画までは2.84キロです』
「細かいなあ」
「ミオに距離を聞くと毎回そうなるぞ」
カイが先に線路へ降りる。
「2.8で十分じゃないです?」
『実測値は2.84キロです』
「まあ、そう言うよね」
ユーリも後へ続き、最後にガンツが降りると他の隊員より重い音が水面へ響いた。
そこから十数分ほどは、足元へ溜まった水を避けながら暗い軌道を進むだけだった。左右の壁には保守用の横穴が点在し、崩れた設備の影が照明の外へ続いている。
『通信状態に軽度の遅延を確認しています』
「声は届いてる。そのままでいい」
索敵範囲の表示が僅かに縮小したが、事前に聞いていた範囲内だった。
最初の爪跡は線路脇の泥に残っていた。3本の筋が斜めに走り、その少し先には四肢の形が分かる足跡もある。数十メートル進む間に別の跡が重なり始め、さらに保守通路から線路を横切るものまで混じってきた。
「巡回報告より多そうですね」
カイは位置だけを記録し、小隊を止めずに進む。
「同じ個体が往復してる可能性はあります。ただ、かなり使われてるのは間違いないです」
「ここに住んでるのかな」
セナが壁際の低い位置へ残る引っ掻き傷を確かめる。
「巣なのか通り道なのかは、まだ分からないよ。どっちでもこのくらいは残る」
カイが言い終える頃、最後尾の方で水が鳴った。
ガンツは足を止めたまま後方を押さえ、もう1度返ってきた水音を聞いてから低く言った。
「俺じゃない」
来た道には動くものが見えない。ただし数メートル後ろの横穴から線路まで、まだ水の光を残す足跡が続いていた。通過した時にはなかった跡だった。
キョウジがアークブレードを抜く間に、カイの蛇腹剣も刃節の間へ青白い発振光を通し、リオとセナは互いの動きを邪魔しない距離へ開いた。ガンツが横穴側をシールドの範囲へ収めたことで、ユーリは線路奥へアークアンカーの射線を確保する。
暗闇の先から低い唸りが届き、最初のハウラー級が照明へ入った。灰褐色の身体を床すれすれまで落とし、長い前肢で水を掻きながら距離を詰め、その後ろにも2つの影が続いている。
先頭の個体が跳躍へ移るより早く、カイの蛇腹剣が横へ伸びた。開いた刃節が前肢の外側へ触れて着地点を壁側へずらし、そこへセナのソードが首筋へ入る。浅く残った身体が反転しようとしたところでキョウジが脇から踏み込み、刃を深く通して動きを止めた。
続いた2体のうち1体はガンツへ突っ込んだが、大型シールドを真正面から押し返さず斜めに受けられたことで身体が線路側へ流れ、開いた脇腹へリオの双剣が入る。もう1体にはユーリのアークアンカーが肩口へ食い込み、巻き取りに引かれた前肢が滑ったため、カイがその進路へ蛇腹剣を差し込んで横穴側への逃げ道を塞いだ。
「正面へ寄せます」
ユーリがワイヤーを引き、獣が向きを変えたところへセナが入る。攻撃を急がず前肢の振りを外へ流したことで首元が開き、今度はリオが一方の双剣で頭部を押さえ、もう一方を外皮の薄い脇へ通した。
保守通路から4体目が飛び出した頃には、ガンツが横穴側へ身体を移していた。シールドへ爪を掛けて上から越えようとする力へ逆らわず、盾の角度を落として頭部を前へ出させる。そこへカイの蛇腹剣が横から入り、伸びた刃が首の向きを逸らしたところへキョウジが踏み込んだ。
さらに奥から5体目が現れたが、小隊の中央へ食い込ませる前にユーリのアンカーが脚元を掬い、崩れた個体をガンツが進路ごと押さえる。倒し切ることへこだわらず動ける場所だけを奪ったことで、セナとリオが左右へ回る余地が生まれ、最後は2本の刃が異なる角度から首と脇腹へ入った。
5体目が線路へ倒れる頃には新しい影は現れなくなり、戦闘で跳ねた水だけが壁際へ広がっていった。遠くから爪が床を擦る音は残っているが、すぐ近くまで向かってくる気配はない。
「怪我してる奴は?」
全員の返答を待つ必要はなく、それぞれが装備と身体を確かめた様子で問題がないことは分かった。ガンツのシールドには新しい傷が増え、ユーリもアンカーの射出部へ付着した血を拭っている。
カイは倒れた個体を数えるより、戦闘で踏み荒らされていない壁際の泥へ寄った。
「隊長、これだけ確認してください」
泥には成体のものと思われる足跡が幾つも残り、その中に明らかに一回り小さい跡が混じっている。指の数も爪の形もハウラー級に近いものの、倒した5体の脚と比べれば幅が合わない。
リオも死骸と泥を見比べた。
「この大きさの個体、今はいなかったね」
「少なくとも今の5体にはいません。それに、足跡の数もこれだけじゃない」
カイが端末へ記録を残す間も、大小の爪痕は線路の奥へ続いていた。
「今ので全部だとは思わない方がいいですね」
「ああ。ミオ、ここまでの痕跡と交戦記録をまとめておいてくれ」
『記録しています』
「セーフハウス候補までは?」
『現在地から約1.6キロです』
予定を中断するほどの損害も、明確な危険情報もまだない。キョウジは先へ進む経路を確認し、横穴だけでなく天井側にも警戒を広げるよう伝えた。
「足跡を数えるために止まらなくていい。何か出ても追わず、予定地点まで進むぞ」
6人が再び歩き始めると、血の混じった水を踏む音が戦闘跡から少しずつ離れていった。線路脇には倒した個体より多くの爪痕が残り、その大小も揃わないまま、Cラインの奥へ長く続いていた。




