受け継ぐ者
第7小隊が辿り着き、第9小隊から引き継いだ戦いは最後の局面へ。
群牙型、そして鎧顎型。
傷ついた仲間を守りながら、それぞれが残したものを繋いでいきます。
第22話から続いた地表任務、その決着です。
「遅くなった。あとは任せろ」
キョウジが傷だらけのシオンの前へ出ると、木々の間に残っていた赤い眼光が一斉に第7小隊へ向き、胴を断たれて雪へ沈んだ仲間を避けながら群牙型が左右へ広がり始めた。第9小隊が交戦を始めた時より数は減っているものの、背後には意識を失ったノエルと、その止血を続けるセラがいる。少し離れた場所ではフィルを覆った群れもまだ完全には散っておらず、こちらから退路を選べる状況ではなかった。
『第7小隊と第9小隊のニューラルリンクを共有します』
ミオの声とともにキョウジたちの視界へ第9小隊の位置情報が加わり、群牙型の反応に混じってひときわ大きな鎧顎型の反応が表示される。短いノイズのあと、それまで別回線にいたアイラの声も共有通信へ入った。
『第9小隊オペレーター、アイラです。第7小隊との接続を確認しました』
『第7小隊オペレーター、ミオ。索敵情報を共有します』
『こちらからは第9小隊の交戦記録を送ります。鎧顎型については確認できている損傷箇所も記録されています』
「それは助かる。まずはこいつらを何とかしよう」
正面から飛び込んだ群牙型の顎が閉じるより早く、キョウジのアークブレードが下顎から首筋へ抜けた。
倒れた個体を避けた2体目が右へ回り込もうとしたところでは、カイの蛇腹剣がすでに伸び、節ごとに分かれた刃が大きくしなりながら前脚へ巻きついている。走っていた勢いを横へ逃がされた身体は後続の1体まで巻き込みながら雪を転がり、そのまま立ち上がる前にキョウジの刃が首を断った。
「随分減らしてくれたじゃないか」
背後から聞こえたシオンの声には疲労が混じっていた。右腕を押さえた指の間から血が滲み、鎧顎型に弾き飛ばされた脇腹を庇うせいで呼吸も浅いが、意識だけはまだ戦場から離れていない。
「残りは引き受ける。今は休んでろ」
「簡単に言ってくれるわね」
「休むのが苦手なのは知ってるさ」
「いつからそんなに詳しくなったのよ」
キョウジは答える代わりに、木々の間から低く走ってきた群牙型へ刃を向けた。
ノエルの傍らでは、セラが左肩の傷口へ止血材を押し当て続けている。何重にも巻かれた圧迫帯は赤黒く染まり、その上から押さえる両手まで血に濡れていた。
「セラ、少し代わるよ。状態を教えて」
リオは双剣の片方を収めて2人のそばへ膝をつき、圧を急に抜かないよう止血材へ手を重ねた。
「左腕は肩近くから欠損。圧迫を続けてるけど完全には止まってない。左側頭部にも傷がある。でも呼吸はある」
「分かった。ゆっくり手を緩めて。私が同じ場所を押さえるから」
セラから圧を引き継いでいる間にも群牙型の1体が外側から回り込もうとしたが、カイの蛇腹剣が木の幹を回り込むように伸びて進路を塞ぎ、刃を避けて内側へ跳ねた個体をグレンのシールドが正面から受け止める。開いた顎を押し上げたまま右手のハルバートを片手で振り抜くと、長い刃が腹へ食い込み、黒い体液を撒いた身体が雪へ転がった。
「こっちは任せろ。そっちは怪我人を見てやってくれ」
「お願い」
リオは戦場へ戻らず、そのままノエルの処置に集中した。
群牙型が押し返され始めた向こうでは、鎧顎型がゆっくりと第7小隊へ身体を向けていた。呼吸のたびに巨大な胸部が膨らみ、外殻の隙間から白い蒸気が漏れている。腹部と後脚には第9小隊や群牙型が残した傷があるものの、頭部から背中へ重なる岩盤のような外殻はほとんど損なわれていない。
『鎧顎型が第7小隊へ接近しています』
「グレン、正面を頼めるか」
「あのデカブツをどこまで止められるかは分からんが、やってみよう」
グレンは右手のハルバートを雪へ深く突き立て、空いた手まで大型シールドへ添えると、両脚を大きく開いて腰を落とした。
鎧顎型が雪を蹴り上げながら一気に距離を詰め、巨大な頭部が発振面へ激突すると、押し潰された雪がグレンの足元から四方へ弾けた。両脚が地面へ沈み、シールド越しに伝わった衝撃で肩から背中までの装甲が軋む。
「……こいつは、きついな」
踏み込んだ脚がさらに雪へ沈み、鎧顎型は大顎ごとシールドを押し潰す勢いで前へ出てくる。
「長くは持たん。行け!」
キョウジは鎧顎型の頭がグレンへ向いたままのうちに側面へ入り、第9小隊が傷をつけていた腹部へ刃を走らせた。青白い発振光が肉へ食い込むと、鎧顎型は苦痛に身体を捻り、正面のシールドから頭を外して横へ逃れようとする。押し合う力が消えた途端、グレンはシールドを引くのと同時に雪へ突き立てていたハルバートを右手で抜き、離れていく巨体を追うように長い刃を振り抜いた。
群牙型に何度も噛みつかれていた右後脚へ刃が食い込み、裂けた傷口から黒い血が新たに噴き出す。鎧顎型は低い咆哮を上げて脚を振り、グレンを遠ざけようとしたが、その動きで空いた側面にはカイの蛇腹剣が伸びていた。
節刃は硬い外殻へ無理に食い込まず、巨体の進路を横切って踏み出す位置を狭める。避けて方向を変えた鎧顎型が傷ついた右後脚へ体重を乗せると、腰が僅かに沈んだ。
『右後脚の動作に遅延を確認しています』
「第9が残してくれた傷が効いてるな」
カイは蛇腹剣を縮めながら群牙型の顎を剣身で外へ流し、伸ばし直した先端を別の個体の前脚へ絡ませて進路を変える。
正面でキョウジが群れを減らし、グレンが鎧顎型を牽制することで、第9小隊の周囲には少しずつ動ける空間が戻り始めていた。
その様子を後方から追いながら、シオンは腰の救急包帯を引き出した。右腕へ巻こうとしても片手では十分に締められず、端を歯で咥えて引いていると、ノエルの止血を続けるセラがこちらを向かないまま口を開く。
「動かないでよ」
「右腕を巻いてるだけ」
「脇腹もやってるでしょ」
「見て分かるの?」
「分かるよ。さっきから息が浅いし」
シオンは返事をせず、包帯をもう一度強く引いた。
『ねぇ、シオン、今は休んで』
『第7小隊が押し返してる。もうあなたが前へ出る必要はないよ』
「第9小隊の任務なのよ」
『もう共有任務になった』
「でも、あたしたちが――」
『シオン』
普段より強い声に遮られた。
『ノエルまで失いたいの?』
包帯を締めていた手から力が抜ける。すぐ横ではセラが血に濡れた手を一度も止めず、リオとともにノエルの止血を続けていた。フィルを失い、ノエルまで倒れたこの場所で、自分だけが槍を置いて戦いを見ていることに耐え難いものはあったが、ここで再び無理をすれば、今度は誰かが自分のために手を取られる。
シオンは槍へ伸びかけた手を膝へ戻した。
前方では鎧顎型が再び突進に入り、ハルバートを地面へ突き立てたグレンが空いた右手までシールドへ添えて腰を落とす。先ほどより深く押し込まれ、発振面の中央を走る青白い光が乱れ始めた。
「これ以上は盾が持たん、早めに頼む!」
キョウジが腹部へ回り込むまで正面を譲らず、傷口へ刃が入ったところでシールドを斜めへ逃がした。鎧顎型の勢いが横へ流れた直後、内部から甲高い破砕音が響き、発振面の一部が砕けて回路片が雪へ散る。
鎧顎型との距離が開くと、グレンは壊れたシールドを一度確かめた。
「使えるか?」
「発振は死んだが、板としてならまだ使える」
左腕へ残したままハルバートを引き抜き、今度は真正面から突進を受けず、壊れたシールドで大顎の軌道を逸らしながら右手の長い刃を後脚へ届かせる。受け止める時間を短くしたぶん攻撃へ回せる間が増え、群牙型から受けた傷は少しずつ広がっていった。
『第9小隊の交戦記録を共有します』
『有効な損傷は腹部、左脇腹、右後脚に集中しています。頭部と背部の外殻には、こちらの攻撃では十分な損傷を与えられていません』
『現在の動作と照合します』
ミオが過去の記録と現在の動きを重ねる間にも、カイは蛇腹剣の長い間合いを使って鎧顎型の右側へ圧力を掛け続けた。節刃が地表近くを横切るたび、巨体は踏み出す位置を変えざるを得ず、そのたびに傷ついた右後脚へ体重が乗って動きが僅かに遅れる。
「右がかなり嫌そうだな」
「もう少しこっちへ回せるか?」
「やってみる価値はある」
カイが蛇腹剣を大きくしならせて右側の進路を削ると、鎧顎型は避けるように左へ身体を回し、そこでグレンのハルバートが後脚の傷へ入った。グレンへ注意が移ればキョウジが腹部を狙い、キョウジへ頭が向けばカイが再び横から間合いを狭める。攻防が続くほど右後脚を庇う動きは大きくなり、鎧顎型は前脚へ体重を預けて身体を支える時間が増えていった。
大顎がキョウジを捉えようと横へ振られ、避けられた勢いで頭部が右へ流れた時、首の付け根で重なっていた外殻が僅かに開いた。
「ミオ、今のところを調べられるか?」
『確認します』
キョウジは解析を待つ間も群牙型を外へ押し返し、カイも鎧顎型を同じ方向へ回らせるよう蛇腹剣の軌道を変えていく。2度目に首元が開いたところで共有視界へ青白い補助表示が重なった。
『頭部と背部の外殻は別々に形成されています。右へ大きく傾いた際、首の付け根で重なりが浅くなります』
『そこなら攻撃が通りますか?』
『表面の完全切断は困難ですが、継ぎ目からアークブレードの発振を内部へ伝達できる可能性があります。ただし現在の高さでは、有効な深度まで刃を入れることができません』
「もっと頭を下げさせればいいのね」
後方から入ったシオンの声にセラが横を見ると、すでに右手は槍の柄へ伸びていた。
「私がいく」
「駄目」
『駄目!』
セラとアイラの声がほとんど重なった。
「首を下げたいなら前脚を潰すのが早い。槍なら関節を狙えるわ」
「今の隊長じゃ、そこへ行くまでに倒れるよ」
「あたしの状態はあたしが一番分かってる」
『分かってないから止めてるの!』
アイラの声が震えた。
『フィルの反応が消えたあとも止まらなかったじゃない。ノエルを抱えたまま鎧顎型の前に立ってた。もう十分戦ったよ』
シオンは槍を握ったまま黙っていたが、セラもノエルから手を離さずに続けた。
「まだ入口が見えただけだよ。前脚を潰せば本当に倒れるのかも、倒れたところで首まで届くのかも分かってない」
「……」
「行くなら、全部揃ってからにして」
しばらく柄を握っていた指が、やがて緩んだ。
「分かったわ」
「その顔、全然分かってないけど」
「分かったって言ってるでしょ」
セラはそれ以上言わず、ノエルの止血へ意識を戻した。
第7小隊はその間にも鎧顎型の右側を削り続け、リオもセラと圧迫帯の状態を確認してから双剣を手に戦線へ戻った。無理に外殻を斬ろうとはせず、キョウジと反対側から前へ出て注意を散らし、鎧顎型が向きを変えればカイが踏み込める位置を狭め、そこへグレンのハルバートが傷んだ後脚を狙う。
何度かその動きを重ねるうちに、鎧顎型は右後脚を庇うため前脚へ体重を預ける時間が明らかに長くなった。
『解析結果を更新します』
ミオの表示が右前脚の関節へ移る。
『右前脚への荷重が増加しています。右後脚へ十分な力を掛けられない状態で前脚の支持を失わせれば、右側へ大きく体勢を崩す可能性が高いと判断します』
『その状態なら首の付け根まで下がりますか?』
『キョウジ隊長の攻撃範囲内へ入ると推定します』
「今度は全部揃ったわね」
シオンが槍を掴んでも、今度はセラはすぐには止めなかった。
『シオン』
「大丈夫なんて言わないわよ」
アイラは少し黙ったあと、声を落とした。
『……ちゃんと戻ってきて』
「約束する」
槍を支えに身体を起こすと脇腹に痛みが走り、一度だけ息が詰まった。それでも姿勢を整え、穂先を鎧顎型へ向けたシオンを見て、キョウジが戦闘の合間に声を飛ばす。
「まだ戦えるか?」
「当たり前じゃない!」
槍を握る右手に力が戻り、シオンは痛む脇腹を庇いながら一歩前へ出た。
「誰に言ってるのよ?」
「なら右前脚を頼む。体重が乗ったところで関節を潰してくれ」
「言われなくても!」
右腕の包帯にはすでに新しい血が滲んでいたが、先ほどまで戦場へ戻れずにいた時とは違い、シオンの意識は自分が狙う1点へ定まっていた。
『第7小隊及び第9小隊へ戦術情報を更新します』
ミオが右前脚と首の付け根を共有表示へ追加し、アイラも第9小隊が記録した踏み込みの周期を重ねる。
『右へ踏み直す際、前脚への荷重が最も大きくなっています』
『シオン、狙うならそこ』
「一度で十分よ」
「同感だ」
鎧顎型がキョウジへ向かって頭を下げた。正面から受ければグレンの壊れたシールドでは持たないため、キョウジは大顎が届く直前まで位置を変えず、踏み込みに合わせて左へ抜ける。追って身体を捻ろうとした巨体の右側へリオが回り、双剣を外殻へ滑らせて注意を引いた。
さらに向きを変えようとした右前脚の前へ、カイの蛇腹剣が地表近くを横切る。脚そのものを絡め取るのではなく踏み込める範囲だけを削られた鎧顎型は、残された狭い位置へ右前脚を置き、傷ついた後脚で支えきれない巨体の重みを前へ預けた。
「ヤツのバランスが崩れた!」
グレンの声が届いた時には、シオンはもう走り出していた。大顎の外側へ身体を滑り込ませ、痛む右腕ごと槍の柄へ体重を預ける。
「沈めッ!」
穂先が右前脚の関節へ入り、青白い刃が外殻の継ぎ目を押し広げながら深く沈んだ。鎧顎型が咆哮を上げて脚を引こうとするものの、右後脚もすでに傷んでいる。
巨体が支えを取り戻すより早く、グレンは壊れたシールドをその場の雪へ深く突き立てて両手を空け、ハルバートの長い柄を握り直した。全身を使って振り下ろされた刃が右後脚の傷へ食い込み、残っていた支えまで奪う。
鎧顎型の身体が右側へ大きく傾き、頭部が雪面近くまで落ちると、首の付け根で重なっていた外殻の継ぎ目が大きく開いた。キョウジは逃さず間合いを詰めると、アークブレードの発振を一気に引き上げて刃をその隙間へ滑り込ませた。
青白い光が首の奥へ沈むにつれて鎧顎型の巨体が激しく震え、周囲へ響いていた咆哮も途中から掠れた音へ変わった。さらに刃を押し込まれると前脚から力が抜け、右へ傾いた巨体は何本もの木を巻き込みながら横倒しになった。大量の雪が枝から落ち、黒い外殻を半ば覆っても鎧顎型はもう起き上がらない。
残っていた群牙型も大型個体が動かなくなると距離を取り始め、木々の奥へ赤い眼光が散っていった。
『群牙型の反応が戦闘区域から離脱しています』
「追わない。負傷者を連れて帰る」
キョウジの判断に誰も異を唱えず、カイは伸ばしていた蛇腹剣を通常の長さへ戻し、リオもすぐノエルのところへ引き返した。グレンもハルバートの発振を落とし、壊れたシールドを雪から引き抜く。
戦場から青白い光がひとつずつ消えるにつれて、それまで咆哮と刃の音に埋もれていた雪の森が本来の静けさを取り戻していった。
シオンも槍を支えに立っていたが、もう次に狙う場所を探す必要はない。戦っている間だけ意識の外へ追いやっていた光景が戻り、群牙型の死骸が幾重にも重なる向こうから、雪に埋もれた細いワイヤーが目に入った。
その先にフィルがいた。
グレンは壊れたシールドを雪へ置き、ハルバートもその場へ突き立てて両手を空けると、重なった群牙型の死骸を1体ずつ退かしていった。硬い外殻の下からワイヤーブレードが現れ、拾い上げた発振部は砕け、細いワイヤーには黒い体液と血が絡みついている。
さらに奥の死骸を退かしたところでグレンの手が止まり、大柄な背中に遮られたシオンたちの位置からは、その先に横たわるフィルの姿は見えなかった。
しばらくそこにしゃがんでいたグレンは、自分の防寒外套を脱いで前へ広げると、何も言わず身体へ掛け、そのまま外套ごと両腕ですくい上げた。
グレンの腕の中では、フィルの身体があまりにも小さく見えた。
「シオン隊長」
リオの声に意識を戻すと、ノエルの呼吸と脈を確かめていた彼女が頷いた。
「まだ生きてる。出血も今は押さえられてるから、急いで戻れば助かるよ」
セラも張り詰めていた息をようやく吐き、血に濡れた手をノエルの肩から離さないまま目を閉じた。
シオンは意識を失ったノエルを見たあと、グレンに抱き上げられたフィルへもう一度顔を向け、それからネオ・ヘイヴンへ続く森の帰路へ身体を向けた。
「……帰ろう」
◇
数時間後、中層の外れにある酒場には空いた席が目立っていた。古い換気装置の低い音に店内の音楽が混じり、暗い照明はカウンターに並んだ瓶の輪郭だけを琥珀色に浮かび上がらせている。
シオンは戦闘服を脱いで黒い上着を羽織り、カウンターの端へ座っていた。右腕には新しい包帯が巻かれ、脇腹にも固定具が当てられている。
隣にはヴァルカがいた。
普段なら何かしら話している彼女も、今日はグラスを手元へ置いたまま、シオンから言葉が出てくるのを待っていた。
店主が新しいグラスをシオンの前へ置き、大きな氷の周りを満たした琥珀色の酒が暗い照明を揺らして返した。ヴァルカはそのグラスを指先でシオンの方へ寄せる。
「……飲みな」
シオンは小さく頷いて両手でグラスを包んだものの、口元まで持ち上げることはできなかった。氷がゆっくり回り、内側へ触れて小さな音を立てる。
どれくらいそうしていたのか分からなくなった頃、ヴァルカが静かに口を開いた。
「あんまり自分を責めるな。あんたはよくやったさ」
グラスを包むシオンの指先へ力が入った。
戦場では次に何をすればいいのかだけを考えていればよかった。けれど今は槍を向ける相手も、守るために動き続ける理由もなく、フィルを守れなかったことも、アイラの言葉をもっと早く受け入れていればという思いも、治療を受けているノエルの姿も、何ひとつ意識の外へ追い出すことができなかった。
俯いたシオンの頬へ長い髪が落ち、両手で包んだグラスの液面が僅かに揺れた。氷が縁へ触れて広がった波紋が消える前にもう一度酒が揺れ、やがて震えは肩まで伝わっていく。
ヴァルカは隣でそれに気づいても、慰めるように手を伸ばすことはしなかった。
ただ席を立たず、シオンのグラスに広がっては消える小さな波紋を横に、自分の酒を静かに傾けていた。
第9小隊がつけた傷を、第7小隊が受け取り、最後はシオン自身も戦線へ戻って鎧顎型を倒しました。
誰か1人が強かったから勝てたのではなく、フィルやノエルを含め、それまで積み重なっていたものが全部繋がって辿り着いた決着です。
そして戦いが終われば、シオンにもようやく立ち止まる時間がやってきます。
フィルを失ったことも、ノエルが傷ついたことも、すぐに整理できるものではありません。
だから最後は、ヴァルカに何かを解決してもらうのではなく、ただ隣にいてもらいました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




