吹雪の防衛戦
地表は、人類の世界ではない。
吹雪は視界を奪い、冷気は命を削る。
そして白い地平のどこかには、常にアバレントが潜んでいる。
それでも。
ネオ・ヘイヴンで人々が生きていくためには、地表へ出なければならない者達がいる。
武器を握る者。
工具を握る者。
守る者。
支える者。
それぞれの覚悟を抱え、第8小隊と第9小隊は白い地表へ降り立つ。
吹雪の中。
生命線を守る戦いが始まる。
白い地表を、灰白色の影が駆け抜けていた。雪を蹴る4本の脚が地面を深く抉り、巻き上がった雪煙の中から赤い眼光が次々と現れる。狼型アバレント、ガルム。かつて地表に生息していた狼の面影を残しながら、その身体は人間の腰を優に越えるまで肥大し、異様に発達した前脚と灰白色の外殻に覆われている。裂けた口から白い息を漏らして雪原を駆ける群れは20体を下らなかった。
その正面へ踏み込んだのは、GRID第8小隊長ヴァルカだった。180cmを超える長身に鍛えられた身体を持ち、背中へ流れる長い金髪を大きなリボンでまとめている。華やかな外見とは対照的に、右手で握るのは無骨なハンドアクス型アークブレード。女傑という言葉をそのまま形にしたような女が、真正面から飛びかかったガルムへ半歩踏み込み、青白く発振した刃を振り抜いた。
「邪魔だ!」
刃が外殻へ食い込み、そのまま胴を断ち抜く。黒い体液を撒き散らして転がった個体を踏み越えたところへ左右から2体が迫り、ヴァルカは右から来た1体の胸を蹴り返す勢いで身体を捻ると、反対側の個体へ斧刃を叩き込んだ。
『隊長、右から6体追加です。そちらを処理したら少し下がってください。前へ出すぎています』
専属オペレーター、エルドの落ち着いた声がニューラルリンクへ届く。
「あと少しで崩せる。ここを割ったら戻る!」
『先ほどから戻る距離より進む距離の方が長いですよ』
「細かい男だね!」
ヴァルカが口角を上げたところへ群れが一斉に雪を蹴り、右側から迫る3体へ赤毛の女が十文字槍型アークブレードを差し込んだ。
「隊長、右です!」
第8小隊のルネ。細身の長身を翻し、横薙ぎに振った槍で2体の進路をまとめて押し返すと、柄を返して残る1体の喉へ穂先を突き込む。
「こっちは押さえます。隊長はそのまま前を!」
「任せた!」
ヴァルカが切り開いた前方へ走り、ルネは追わずにその死角へ入ろうとする個体を槍で牽制した。小隊長が前へ出るなら、その背中を守る。ヴァルカを慕う彼女にとって、それは言葉にするまでもない役目になっていた。
雪原の反対側では、巨大なグレートソード型アークブレードが群れへ食い込んだ。第8小隊最年長のガレスは厚い胸板と広い肩を持つ大柄な男で、灰色の混じり始めた長い黒髪を束ねることなく背へ流している。迫ったガルムへ重い刀身を振り下ろし、正面から押し潰したところへもう1体が脇を抜けようとしたが、その前脚を2本の青白い刃が交差して切り落とした。
副隊長ジードはヴァルカやガレスとは対照的な細身の体格で、色黒の肌に彫りの深い顔立ちを持ち、黒髪を後ろで束ねている。雪へ崩れたガルムの首をもう一方のミドルソード型アークブレードで断ち、そのままヴァルカへ視線を向けた。
「隊長、そろそろ本当に戻ってください。ルネまで随分前に出てますよ」
「ちゃんと戻ってるじゃないか!」
「それ、戻ってるんじゃなくて群れを押してるだけです」
隣で聞いていたルネの口元が緩み、それを見たヴァルカが眉を寄せる。
「ルネ、あんたはどっちの味方だ」
「もちろん隊長です」
「だったらそこで笑うんじゃないよ」
「すみません。でも今のはジード副隊長が正しいです」
「ほら、裏切ってるじゃないか!」
言葉を交わす4人の間へ次のガルムが飛び込み、ヴァルカが正面を崩した脇をルネの槍が塞ぎ、抜けた個体をジードが拾う。その外側ではガレスの大剣が群れそのものを押し返していく。荒々しい戦い方でありながら、互いの間合いを侵さず、それぞれが空いた場所へ自然に入っていくのが第8小隊の積み重ねてきた形だった。
『前方7。右へ回ろうとしている2体はジードの方へ向かっています』
「聞こえましたね?」
「ああ。だったら残り7だ」
ヴァルカはハンドアクスを握り直し、迫る群れへ向き直った。
「片付けて帰るよ!」
第8小隊が再び雪を蹴った。
最後のガルムが倒れても4人はすぐに武器を収めず、ヴァルカが雪煙の向こうを確認する間にルネは槍を構えたまま呼吸を整え、ジードは二刀についた黒い体液を払い落とす。少し離れた場所ではガレスが大剣を肩へ戻し、死骸の並ぶさらに先へ目を凝らしていた。
『新しい反応はありません。今度こそ終わりです』
エルドの報告を聞き、ヴァルカはようやく肩の力を抜く。
「思ったより少なかったね」
『20体以上と交戦して、その感想が出てくるのは隊長くらいでしょう』
「全員立ってるんだから上出来じゃないか」
「そこは同意しますけどね」
ジードが二刀の発振を止める。
「だからって毎回、先頭から消える勢いで突っ込まないでください」
「消えちゃいないだろ」
「今日はルネまで一緒に消えかけてましたよ」
ヴァルカが横を見ると、ルネは槍へ付着した体液を拭いながら顔を上げた。
「私は隊長について行けますから」
「ほら見ろ」
「そこを誇らしげにしないでください」
ガレスが声を立てて笑った。
「まあ全員無傷だ。帰って温かいものでも腹へ入れればいい」
「ガレスはそればっかりだね」
「地表帰りの楽しみなんぞ、それくらいで十分だろう」
『私もガレスに賛成です。規定帰投時刻も過ぎていますし、そろそろ戻っていただけると助かります』
「ほら来た」
『隊長が予定にない群れまで追った結果ですよ』
「近くにいたんだから放っておくよりいいだろ?」
『その話は帰投してから聞きます』
「……帰るよ、第8小隊!」
「今、逃げました?」
ジードに聞かれたヴァルカは答えず歩き始め、ルネとガレスの笑い声がその後を追った。
ネオ・ヘイヴン中層のGRID整備区画では、第9小隊長シオンが長いスピア型アークブレードを持ち上げていた。長い髪を背へ流し、黒を基調に赤いチェックを取り入れた装備を身につけた細身の女が穂先を発振させると、青白い光が整備灯の下へ伸びていく。足元を確かめながら軽く1度だけ振り、柄を通して伝わる振動を確認してから発振を落とした。
「悪くないわね」
『先週より立ち上がりが少し良くなってる。整備班、今回は頑張ったみたいね』
専属オペレーターのアイラはシオンと年齢も近く、任務外では友人同士のように話すことも多い女性だった。シオンが穂先を眺めていると、通信越しの声が続く。
「あなたが珍しく褒めてる」
『私だって褒める時くらいあるわよ。それより、また髪そのままで行くの?』
「今まで邪魔になったことはないでしょう?」
『毎回そう言うんだから。どこかに引っかけても私は地表まで取りに行けないからね』
「その時は考えるわ」
『絶対しないと思う』
シオンの口元が僅かに緩む。
「そこまで言うなら帰ってきてから聞いてあげる」
『はいはい、覚えてたらね』
2人のやり取りへ、金色の長い髪を揺らしたノエルが近づいてきた。腰には細身の刺突型アークブレードを下げ、軽い口調とは裏腹に戦闘では相手の急所だけを正確に穿つ剣士だった。
「隊長、セラがまた寝てますよ。あれ起こすの私なんですか?」
「見つけた人が起こしてあげればいいでしょう」
「起こした後の機嫌まで面倒見てもらえるなら」
「いいじゃない、そんな細かいことは」
「他人事だから言えるんですよねぇ」
その横を、腰に発振ワイヤー用のリールを収めたフィルが静かな足取りで通り過ぎる。
「もう起きてるよ」
「本当?」
「1回起きて、また目を閉じたけど」
「それ起きてないじゃない」
「勝手なこと言わないで」
少し離れた椅子から声が返り、セラが眠たげな目を開いた。第9小隊で最も口数が少ない彼女の足元には折り畳み式の弓型アークブレードがあり、遠距離から敵の急所を射抜く役目を担っている。
『はい、全員起きたなら仕事の話するよ』
アイラの声が少しだけ仕事用の調子へ変わった。
『旧高架沿いでレイス級4体。さっきからかなり速い動きをしてるから、シオン達向きだと思う』
「場所は?」
『今送った。雪は弱いけど、高架の上は死角が多そう。ちょっと気をつけて』
「了解。行きましょう」
ノエルが腰の武器を確かめ、フィルがワイヤーリールへ手を添え、セラも椅子から立ち上がると、シオンを先頭に第9小隊は整備区画を後にした。
旧高架地区へ出た第9小隊は、崩れた道路が雪原から斜めに突き出す下を進んでいた。そこへ高架上を走る白い影をシオンが捉えるのと、アイラからの通信はほぼ同時だった。
『前。4体とも動き始めたよ』
「左右に分かれるわ。距離を取りすぎないで」
「了解」
フィルの返事が届いた直後、高架から白銀の個体が飛び降りた。豹を思わせる細身の胴に異様に長い四肢を持つレイス級は、雪へ着地するとほとんど間を置かず加速してノエルの脇を白い残像のように抜ける。
「相変わらず速いですねぇ」
ノエルが身体を返す間に、もう1体がシオンへ一直線に迫っていた。シオンは大きく振り回すことなく槍を引き、爪が届く寸前で半歩だけ身体を外してすれ違う喉元へ穂先を差し込むと、発振光が白銀の外殻を貫き、その勢いを利用するように柄を送る。レイス級はシオンの脇を抜け、数m先で雪へ転がった。
「まず1体。残りはそのまま追わなくていいわ」
『右から2体回るよ!』
ノエルが振り向くと細身のブレードが閃き、最初の突きが飛び込んできた個体の眼窩へ吸い込まれる。黒い体液を避けて身体をずらした横から、もう1体がフィルへ狙いを変えた。
「右をお願い!」
「取るよ」
フィルが射出した発振ワイヤーは雪面すれすれを走り、前脚へ絡みついたところで身体ごと後ろへ引かれる。疾走していたレイス級が横転し、その頭部へセラの放った青白い矢が飛び込んで外殻を貫いた。
「残り1。高架?」
『そう。シオンの上で狙ってる』
「なら降りてきてもらいましょう」
高架の縁を走っていた最後のレイス級がそのままシオン目掛けて飛び、長い槍が下から跳ね上がる。爪と穂先が交差する直前に軸足を入れ替えたシオンは、身体の横を通した長柄を旋回させ、落下してくる胴へ青白い刃を走らせた。レイス級は着地できないまま雪へ落ち、シオンが付着した体液を払う頃には周囲の反応も消えていた。
『全部消えたよ。今日は随分綺麗に終わったじゃない』
「今日は、は余計じゃない?」
『前回よりは間違いなく綺麗だったもの』
「その話、帰ってから聞くわ」
『その頃には忘れてると思うけどね』
ノエルが笑いながら武器を収める。
「本当に仲いいですよねぇ」
「アイラが好き勝手言ってるだけよ」
『シオンも大概だけどね。それより、もう1つ仕事が来たよ』
シオンが槍を収めながら眉を上げる。
『エアダクトの整備護衛。第8小隊との合同だって』
「ヴァルカさん達と?」
『そう。さっきまでより声が明るいけど?』
「久しぶりに一緒に戦うなら、悪くないでしょう」
『それならそういうことにしておくわ』
「アイラまでその言い方するの?」
『じゃあ、嬉しいってことで』
フィルが横で笑い、ノエルも肩を揺らす。
「今日は随分賑やかな任務になりそうですねぇ」
「第8小隊と一緒なら、静かには終わらないでしょうね」
シオンは否定することなく、送られてきた次の任務地点へ目を通した。
中層管理区画の大型搬入口では地表へ送る資材の積み込みが進み、整備員の間を栗色のショートヘアにゴーグルを載せた小柄な女性が工具ケースを抱えて駆け回っていた。エアダクト管理局所属のエンジニア、エリス。地表設備の教育課程を終えたばかりで、今回が初めての地表メンテナンスになる。
「それ、3番コンテナです! こっちじゃありません!」
向きを間違えた整備員へ声を飛ばし、自分の工具ケースへ戻ったところで年配の主任が近づいてきた。
「エリス。本当にお前が行くのか?」
「そのつもりで準備してます」
「地表は訓練区画とは違うぞ。図面通りにいかないことなんていくらでもある」
「分かってます」
「分かってないから心配してるんだ」
エリスは工具ケースを床へ置き、主任を見上げた。
「誰かが行かなきゃいけないんですよね?」
主任は答えない。
「だったら、初めてだからって逃げてたら次も初めてのままです。怖くないわけじゃないですけど、GRIDも護衛についてくれるんでしょう? 私も自分の仕事を覚えたいんです」
主任はしばらく黙っていたが、エリスの襟元に僅かな隙間を見つけると指で示した。
「そこ締めろ。地下じゃ平気でも地表では洒落にならん」
「あ……はい」
「工具を手放すな。何か起きたら、自分でどうにかしようとする前にGRIDを頼れ。直して帰ってくるところまでが仕事だからな」
留め具を締め直したエリスは頷く。
「じゃあ、帰ってきたら褒めてください」
「無事に帰ってきたらな」
「行ってきます」
「ああ。行ってこい」
地表作業車のハッチが開き、エリスは工具ケースを抱えて乗り込んだ。
地表へ到着して作業車から降りたエリスの頬を、吹き付けた雪粒が容赦なく叩いた。
「うわっ、さ、寒っ……!」
顔を庇いながら身体を縮め、吸い込んだ空気が鼻の奥へ刺さる痛みに眉を寄せる。地下で地表の低温について何度も教えられたが、数値で知る寒さと身体で受けるものはまるで違った。
「お前が今回のエンジニアか?」
顔を上げると、金髪を大きなリボンでまとめた長身の女がこちらへ歩いてくる。
「は、はい! エアダクト管理局所属、エリスです!」
「第8小隊長のヴァルカだ。今日は私らがついてるから、作業で必要なことがあったら遠慮なく言いな」
「よろしくお願いします!」
「そんなに固くならなくていいよ」
ヴァルカが笑った横から赤毛のルネがエリスと工具ケースを見比べる。
「工具ケースの方が大きく見えますね」
「……それ、私が小さいって言ってます?」
「あ」
「ルネ」
「すみません、悪気はなかったんです」
「それは分かりますけど」
少しむくれたエリスを見てジードが笑い、その向こうから第9小隊が近づいてきた。
「到着早々、もう賑やかですね」
「おお、シオン。久しぶりだな」
「ついこの間会ったでしょう?」
「地表で一緒になるのは久しぶりじゃないか」
「それなら、まあ久しぶりということにしておきましょうか」
「素直じゃないね」
「ヴァルカさんほど分かりやすくないだけです」
ノエルがそのやり取りに口元を緩め、シオンは気づいても何も言わなかった。エリスが2人を交互に見ていると、先ほどまで強張っていた肩から少し力が抜けていった。
目的のエアダクト施設は、エリスが地下で見ていた図面から想像するより遥かに巨大だった。円筒状の外壁は半分近くが雪へ埋まり、そこから伸びる太い配管群にも霜が分厚く張り付いている。それでも内部からは低い駆動音が絶えず響き、足元へ僅かな振動を伝えていた。
「……こんなに大きいんだ」
「見物は帰りにしな。何を直せばいい?」
ヴァルカに促され、エリスは端末を取り出す。
「熱循環系の圧力低下です。まず制御弁を確認します。それと、この辺りには冷却配管が通ってるので、強い衝撃は入れないでください」
「どの程度まで?」
「アークブレードを地面へ叩きつけるのは絶対駄目です」
エリスがヴァルカのハンドアクスを見る。
「……私を見て言ったね?」
「一番やりそうなので」
ジードが顔を横へ向け、ヴァルカが睨む。
「笑ってるだろ」
「合理的だなと思っただけです」
シオンまで僅かに口元を緩めたところで、アイラの声がニューラルリンクへ入った。
『シオン、右奥に動いてるのがいる。こっちへ近づいてるよ』
ほぼ同時にエルドからも報告が届く。
『隊長、ガルムです。15体以上。さらに後方にも反応があります』
ヴァルカがハンドアクスを抜いた。
「エリス、作業を続けな。こっちは私らで止める」
「でも――」
「そのための護衛よ」
シオンも槍を構え、エリスへ視線を向ける。
「施設から離れる時だけ必ず言って。あとは作業に集中して」
「……はい!」
吹雪の奥に赤い光が次々と浮かび、最初のガルムが高架残骸から飛び降りる。ルネの十文字槍が胸元へ入り、落下軌道を横へ変えたところをジードの双剣が仕留める。その脇からさらに2体が入り、ガレスが大剣を振り上げた。
「ガレスさん、そこは駄目です!」
エリスの声にガレスは刃を振り下ろす直前で身体を捻り、足元への直撃を避けてガルムの肩口へ刀身を当て、配管から離れる方向へ押し流した。
「これは思った以上に気を使うな!」
「最初から護衛任務ですから」
シオンが槍で別の個体を押し返しながら答える。
「こりゃ窮屈な仕事だね」
ヴァルカは大きく振りかぶる代わりに斧刃を短く返し、迫った個体の顎を下から打ち抜いた。倒れた身体を蹴って施設から遠ざけてから仕留める。
「隊長、右を詰めます」
「頼んだよ」
ルネが槍の長さを利用して群れを設備へ寄せず、ヴァルカの脇を抜けた個体をジードが処理する。左側ではシオンの槍が突進の軌道を変え、そこへフィルのワイヤーが絡み、動きを崩したところへノエルの刺突が入る。さらに遠い個体にはセラの矢が突き刺さり、2つの小隊が異なる戦い方のまま施設を囲んでいた。
「左側、1体抜けます!」
ルネの声にシオンが槍を伸ばし、施設へ駆け込もうとするガルムの肩を貫いて身体を横へ崩したが、勢いを殺し切れないまま雪を滑った先には制御盤へ向かうエリスがいる。
「エリス、下がって!」
赤い眼を見たエリスの脚が強張る間にもシオンは槍を深く捻って進路をずらし、ヴァルカがその開いた側面へ踏み込んだ。
「そっちは任せな!」
ハンドアクスがガルムの首元へ食い込み、配管から離れる方向へ巨体を倒す。ヴァルカは黒い体液を払ってエリスを見る。
「怪我は?」
「だ、大丈夫です」
「なら仕事に戻りな。こっちはまだ余裕あるから」
エリスは震えかけた指へ力を戻し、工具を握った。
「はい!」
その返事を聞いたヴァルカはすぐに群れへ向き直った。
『シオン、高架側から増えたよ。8体……その後ろにもまだいる』
「第9小隊は高架側を抑えるわ。施設へ寄せないで」
『隊長、第8小隊はその位置を維持してください。右から来る群れを通すとエリスが囲まれます』
「こっちを空けるつもりはないよ!」
ヴァルカがハンドアクスを返し、飛び込んできたガルムへ叩き込む。
「思いっきり振れないのだけは気に入らないけどね!」
「帰ったら好きなだけ訓練場で振ってください」
「相手が動かないとつまらないんだよ!」
「それは知ってます」
ジードの横へルネが入り、2人の前へ槍を突き出した。
「隊長、また来ます!」
「よし。設備から離して仕留めるよ!」
群れの勢いが増していくその中心で、エリスは凍結した制御弁と格闘していた。工具を差し込み、体重をかけるも、うまく動かない。
「お願い……少しでいいから……!」
背後からは発振音と雪を蹴る音が絶えず聞こえてくる。何度も振り返りたくなるのを堪え、エリスは工具へ両手を掛け直してさらに体重を乗せた。
『大型2体、来ます! 通常個体より外殻が厚い!』
エルドの声にヴァルカが顔を上げると、吹雪を押し分けるように一回り大きなガルムが2体現れた。片方はガレスへ向かい、もう1体がその横を抜けてエリスへ進路を変える。
「伏せな、エリス!」
反射的に身を屈めたエリスの頭上を巨体が通り過ぎる直前、シオンの槍が前脚へ深く入り、身体を配管から外側へ弾いた。
「ヴァルカさん、そちらへ流します!」
「そのまま寄越しな!」
ヴァルカが踏み込み、起き上がろうとする大型個体の首筋へハンドアクスを叩き込む。厚い外殻に刃を止められると片足を踏み込んでさらに押し込み、暴れた前脚を避けながら一度引き抜いた刃を同じ亀裂へ続けて振り下ろした。外殻が割れ、そのまま深く入った刃が首を断つと、大型個体は黒い体液を雪へ撒きながら崩れた。
「ずいぶん丈夫だったね」
『もう1体はガレス達が抑えています。そちらへ行く必要はありません』
「分かったよ。ここを守ればいいんだろ?」
『ええ、それでお願いします』
ヴァルカが不満そうに息を吐く一方、エリスの工具を通じて手元へ僅かな感触が返った。
「動いた……!」
もう一度体重をかけると制御弁がゆっくり回り始め、最後まで押し切ったところで巨大なダクトの奥から低い振動が返ってきた。止まりかけていた熱循環が再び動き始め、外壁を覆っていた霜に亀裂が走る。継ぎ目から白い蒸気が噴き出し、周囲へ重い駆動音が広がった。
「復旧しました!」
『熱循環、正常値まで戻ってきてるよ!』
アイラの報告にシオンが槍を引き戻す。
「それなら撤退しましょう」
「待ってたよ!」
ヴァルカが目の前のガルムを斬り伏せる。
「第8、第9小隊、エリスを中央へ入れて帰るよ!」
両小隊は敵を倒すために広げていた位置から自然に距離を詰め、第8小隊が後方、第9小隊が左右を固める間へエリスが入った。
来た時より強まった吹雪に足を取られながら、エリスは工具ケースを抱えて走る。GRID隊員と同じ速度を保てるはずもなく、深い雪を越えるたびに息が上がっていった。
「はっ……はぁ……!」
隣を走っていたシオンが工具ケースへ手を伸ばす。
「それ貸して」
「大丈夫です、自分で持てます……!」
「持てるかどうかじゃなくて、今は走れる方を優先して」
シオンは返事を待たずケースを受け取る。
「す、すみません……」
「帰ってから聞くわ」
後方ではガレスとルネが追ってくるガルムを牽制し、フィルのワイヤーで足を取られた個体をジードとノエルが仕留めていく。セラの矢がさらに遠い位置から迫る個体の進路を変え、ヴァルカは最後尾近くで何度も後方を確認していた。
『帰還ゲートまで700m。今の進路でそのまま行けます』
エルドの声を聞きながら、エリスはシオンの横を必死に走る。何度か雪へ足を取られ、吹雪の奥から響く唸り声に振り返りそうになるたび、シオンが前を向いたまま声をかけた。
「後ろはみんなが見てるから、あなたは前だけ見て」
「……はい」
エリスは乱れた呼吸を整える余裕もないまま、シオンの背中を追った。
「置いていかないでくださいね……」
「置いていくわけないでしょ」
歩幅を僅かに合わせたシオンの横で、エリスはもう一度雪を蹴った。
その先の吹雪をサーチライトの強い光が横切り、白い雪煙の向こうからネオ・ヘイヴンの巨大な防衛隔壁が次第に輪郭を現した。
『帰還ゲート開放。あと400mです』
「出口が見えたよ! そのまま走りな!」
最後尾からヴァルカの声が飛び、ルネ、ジード、ガレスがゲートへ入ったあとに第9小隊がエリスを送り込んでいく。最後まで外側に残ったヴァルカへシオンが振り返った。
「ヴァルカさん、閉まりますよ!」
「あと1体だけ追いついてきた!」
迫ったガルムへハンドアクスを振り抜き、その勢いのままヴァルカが隔壁の内側へ飛び込むと、巨大なゲートが閉まり始めた。
狭まっていく隙間の向こうに複数の赤い眼光が並んでいたが、ガルム達は防衛設備の射程へ入ることなく足を止めている。
重い金属音とともに地表の白が細くなり、最後の隙間まで閉ざされると、吹雪も唸り声も分厚い隔壁の向こうへ消えた。
それを確かめるように閉じたゲートを見ていたエリスの手から、ようやく力が抜ける。工具ケースを床へ下ろし、すぐそばの壁へ背中を預けると、そのまま支えきれなくなった身体がずるずると床まで沈んでいった。
「はぁ……っ、はぁ……」
握り続けていた指が震え、手袋越しでもすぐには力が抜けない。シオンが受け取っていた工具ケースを隣へ置くと、エリスはそれを見てようやく少し笑った。
「初地表であれだけやれたなら上出来だよ」
ヴァルカが近づき、大きな手を伸ばしかけたところでシオンがその腕を見る。
「ヴァルカさん、加減してくださいね」
「まだ何もしてないじゃないか」
「これまでを知ってますから」
「失礼だね」
「自覚がない方が問題です」
ジードまで頷き、ルネが口元を押さえる。
「ルネ、あんたまで笑うんじゃないよ」
「隊長の味方ですけど、そこだけはシオン隊長に賛成です」
「さっきと同じこと言ってないか?」
ガレスの太い笑い声が加わり、ノエルやフィルも表情を緩める。セラまで僅かに口元を上げる中、エリスは震えの残る手を膝へ置いたまま閉ざされた隔壁を見上げた。
「……帰ってこれた」
「ああ」
今度こそ力を加減したヴァルカの手が、エリスの頭へ軽く置かれる。
「初地表、生還だ。よくやったね」
その言葉にエリスは工具ケースへ目を向けた。主任に手放すなと言われた工具は最後まで仕事を終え、そのまま自分と一緒に地下へ戻ってきている。
「これなら……褒めてもらえますかね」
「誰に?」
「こっちの話です」
小さく笑ったエリスは、まだ震えの残る脚へ手を置いてゆっくり立ち上がった。隔壁の向こうでは吹雪が荒れ続けているはずなのに、今はもうその音も届かない。代わりに聞こえてくる第8小隊と第9小隊の声を背に、エリスは自分の工具ケースをもう一度持ち上げた。
8話でした。
今回は第8小隊、第9小隊、そしてエリスを中心に、「守る任務」を描いてみました。
第7小隊とはまた違う空気感を出したかったので、ヴァルカ達の勢い、第9小隊の流れるような連携、その両方が同時に存在する戦場を意識しています。
特にシオンとヴァルカの関係性は書いていて楽しかったですね。
ただ仲が良いだけではなく、互いに信頼しているからこそ自然に噛み合う――そんな二人になってくれていたら嬉しいです。
そしてエリス。
戦えない側の人間でありながら、それでも危険な地表へ出る覚悟を持った彼女は、今回の話の中心でもありました。
「怖い。でも行かなきゃいけない」
それはきっと、GRIDの隊員達とも少し似ているのかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。




