第8話 お抱え運転手
朝、玄関で靴を履く絢音の背中に声をかけた。
「今日は当直だからな。戸締まり、ちゃんとしとけよ」
「はーい。いってきまーす」
なにが『いってきまーす』だ。完全に同居人じゃねぇか──
……いや、自分のセリフも同居人のそれだ。
吐いた毒が自分に返ってきただけだった。
だが、こちらもこのままというわけにはいかない。何も事件を起こしていない以上──いや、改正銃刀法違反の疑いはあるが──捜査というわけにはいかないが、あれから少し調べてみた。
佐伯絢音──四ツ葉女学院、高等部、二年三組。父親は海外赴任中、母は某ベンチャー企業の社長。
なぜか、あの少女は嘘をついていなかった。嘘をつく必要がないほど自分の力に自信があるのか、それとも何も考えていないのか。どちらにせよ、ただの野良猫というわけではなかった。
だからこそ、押しかけてきた目的、そしておそらく違法な指輪を持つ理由が今ひとつ分からなかった。
親にあたってみるかとも考えたが、そんなことをしたらあの猫はすぐにでも牙を剥きそうで危なっかしい。もう少し泳がせる必要がありそうだった。
◇ ◇ ◇
捜査は難航していた。殺人そのものよりも、今は例の指輪を追っていた。あの指輪を半グレグループがどこから手に入れていたのか──手がかりは簡単には見つからなかった。
夜、自席でパソコンを叩く。捜査の歩みは遅いが、書類が溜まるのはトンデモなく速い。隣では波木が昇任試験の勉強をしていた。
テキストとにらめっこしていた波木は軽くため息をつき、大きく背伸びした。
「それにしても主任、29歳で警部補って、エグくないですか? 今年からですよね?」
「いやまあ、ここだけの話、四特に限っていうと、初任科で全員が受けさせられる〈観念動力適性検査〉の結果が大きいんじゃないかと思ってる」
「ああ、あれですね。脳波とられたり、画面に色々映したやつ。主任、あれ、判定何でした?」
「……〈S〉だ」
波木のペンが床に落ちた。
「はっ!? 〈S〉? 冗談でしょ?」
「当時A+までしかなくて、俺は〈測定不能〉って出てな。機器を入れ替えるはめになったらしい。それで再検査だ」
「マジかよ……ということは、〈能力〉最優先で判断ってことですかね?」
「断定できんが、うちのボスのことだ。組織強化のためなら何でもアリかもしれん」
「……たしかにそうっすね。あの人の方が、よっぽど魔女だ」
カツン、と聞き慣れたヒールの音が聞こえた。
「誰が魔女ですって?」
「ひぃっ……!」
波木が音にならない悲鳴を上げ、テキストで顔を隠したまま硬直した。
七瀬はそんな波木を一瞥もしない。彼女にとって、下っ端の陰口などBGMにもならないらしい。
七瀬は赤い唇を吊り上げ、顎で奥のミーティングルームの方をしゃくった。こんな時に限って、口元の艶めかしいホクロがイヤでも目に入る。
「来なさい。係長も待ってるわ」
大神は硬直する波木の肩をポンと叩き、七瀬の背中を追った。
ミーティングルームに入ると、そこには眉間に皺を寄せた魚住と、モニターを睨みつける猫田がいた。狭い室内には煮詰まったコーヒーのような匂いが充満している。
「どうした、猫田」
「あ、大神主任。高峰のスマホ、解析が終わったんですが……気になる点がありまして」
猫田がキーを叩くと、壁の大型モニターに地図ソフトが表示された。
「通信会社に照会して、GPSと基地局から位置情報を解析しました」
地図に赤い線が細かく描画された。
「おそらく、これが高峰の直近の移動履歴です。やり取り自体は秘匿性の高い通信アプリを使ってて、相手は不明なんですが──」
モニターを見ながらキーボードをポンと叩くと、ある地点への移動が浮かび上がった。
「死亡数日前に、このあたりを訪れています」
猫田が指差した地図の一点。そこに表示された名称を見て、大神は息を呑んだ。
『四ツ葉女学院』
今朝、「いってきまーす」と元気に家を出て行った少女の顔が脳裏をよぎる。
まさか──いや、偶然だ。偶然に決まっている。大神は自分にそう言い聞かせた。
「お嬢様学校か……半グレとは一番遠い場所だな」
魚住が怪訝そうに呟くと、七瀬が面白そうに目を細めた。
「でも、ログは嘘をつかないわ。それに、最近この学校の周辺で、補導される生徒が増えているという所轄からの情報もある。内容は些細な万引きや夜遊びだけど……お嬢様の仮面の下に秘密アリ、ってところね」
「それで、俺たちにお鉢が回ってきたと?」
大神が問うと、七瀬は満足そうに頷いた。
「大神、明日行ってらっしゃい」
「……俺ですか? ここは二班に任せては? というか、年の近い猫田が適任でしょう?」
「まあ、そうなんだけど。ネコちゃんにはもう少し解析を頑張ってもらいたいから」
「俺が行っても警戒されますよ?」
「何言ってるの。まだ二十代でしょ」
反論しようとしたが、紅い弧を描いた七瀬の口元は「拒否権はない」と語っていた。
「……分かりました。あくまで、参考としての聞き込みということで」
「ええ、頼んだわよ。学校側には話を通しておくから」
大神はため息を押し殺しながら、上着のポケットを探った。空になった煙草の箱の感触だけが指先に触れる。
──嫌な予感がする。
『お嬢様の仮面の下に秘密アリ』
七瀬の言葉がやけに耳に残っている。
仮眠室でも、なかなか寝付けなかった。
◇ ◇ ◇
明け方、変な時間にスマホが鳴った。目をこすりながら見ると絢音からだった。どくん、と心臓が波打つ。
唾を飲み込み、電話に出た。
「……どうした」
「オジサン! 助けて!」
ベッドから飛び起きた。何が起きた──もしや、今日の聞き込みの件か。まさか、この短時間で情報が漏れたのか。嫌な可能性ばかりが頭の中を駆け巡るが、まずは一息吸った。
「落ち着け」
「定期が……ないの!」
「は?」
思わず首をかしげた。
「昨日までは、たしかにあったのに」
「現金で行けよ」
「イヤよ。オジサン、送って」
「何言ってる。今、当直だ」
電話の向こうから唸り声が聞こえる。
「むぅ〜、分かったわ。110番して、パトカーで行ってやる!」
「なっ!?」
「オジサンちまで、来てもらうからね!」
「バカ言え。そんなことしたら、お前は教室、俺は取調室だ!」
ふ〜っと息を吐く。
本当にいいのか……いや、仕方ない。定期一枚で社会的に抹殺されるわけにはいかない。それに、これも情報を掴むためだ。
……どんどん後戻りができなくなっている気がするが、そう思うことにする。
「分かった。待ってろ」
「さっすが〜、イケてる刑事は頼りになるぅ」
二段ベッドの下で、頭上で発生した緊急事案も知らず、間抜けなツラで寝ているバディの頭を叩いた。
「おい、波木。出発だ」
「ふぇっ!? もうですか?」
「予定変更だ」
説明するのが面倒だ。かといって単独行動の方がよっぽど不自然だ。寝ぼけまなこで困惑する波木を半ば強引に助手席に押し込み、覆面を走らせた。
「主任、そっちは四ツ葉の方向じゃないですよ」
「いいんだ」
「主任の家の方ですよね」
「いいんだ」
波木の疑問に適当な相槌を打つうちに、自宅に到着した。
エンジン音に気づいたのか、絢音が玄関から勢いよく飛び出してきた。
……猫か。
絢音は二階の共用廊下から全力でこちらに手を振る。しかも満面の笑みだ。
「オジサーン!」
波木が信じられないという表情を見せた。
「主任……やっちまいましたね。問題になる前に辞表の準備をオススメしますよ。ワンチャン、諭旨解雇でイケます」
「バカ言うな。あれは……その、遠縁の子だ」
「はぁ、初耳ですね」
「……うるさい」
スクールバッグを引っさげて、絢音が後部座席に飛び込んできた。
「オジサン、ありがとう〜。あ、佐伯絢音といいます。オジサンがいつもお世話になってます」
どっちがお世話してると──いや、飯は作ってもらってる。掃除もわりと。
……これじゃ同棲カップルのセリフだ。
助手席を向くと、波木の顔がデレっと溶けていた。
「俺、波木っていいます。……可愛いね。何年生?」
「おいっ!」
「イヤだ〜、もう! 高二ですぅ」
なんだ、その猫なで声は──ため息が出た。
絢音に話しかけたそうにしている波木を横目で睨みながら車を走らせると、やがて四ツ葉女学院の校門が角の向こうに見えた。
「あ、ここで大丈夫。ありがと、オジサン」
「絢音」
「ん、何?」
「……いや、何でもない」
「じゃあ、いってきまーす」
朝からドッと疲れた気がする。
「主任。絢音ちゃん……〈四ツ葉〉だったんですね」
「ああ」
「っていうか、乗せちゃってマズくないですか?」
「お前もデレっとしてただろ」
「そんな……」
俺は巻き込まれただけだ、と言いたげな表情で、波木は大きなため息をついた。
「……で、これからどうします?」
「このまま張り込もう。どんなやつが入るか確認したい。係長に連絡してくれ」
「主任、そういう性癖だったんですね。守備範囲とリスクは反比例ですよ」
「黙れ。……それと波木」
「はい?」
「絢音のことは誰にも言うな。係長にも、もちろん管理官にもだ」
「え、なんでですか? ……まさか本当にマズい関係なんじゃ」
「違う! ……複雑な子なんだ」
謎の指輪をはめた神出鬼没のJKは十分〈複雑な子〉だろう。
「なるほど……児相事案ですね」
「おい!」
「冗談ですよ。で、ホントにどうするんですか?」
「だから、張り込みを──」
波木が遮った。
「〈魔女〉なんでしょ。絢音ちゃん」
一瞬、息が止まった。
恐る恐る助手席を向くと、波木の顔は先ほどとは一変して険しい表情だった。
「波木……」
「なにやってんスか。マジでマズいでしょ」
「お前、分かってたのか……」
「当たり前でしょ。とはいっても制服だし、髪形もツインテールじゃなかったし、最初は分かりませんでしたけど。……まさか、俺がホントにデレてたと思ったんスか?」
「どうして分かった……?」
波木の表情がほんのわずかに緩む。
「〈オジサン〉で確信しました。声でピンときたんですよ」
ここでも〈オジサン〉か。どこまでつきまとうんだ──力なく額に手を当てた。
「……いろいろあってな。だが、四ツ葉だったことは偶然だ」
波木は大きなため息をついた。
「いや、そこじゃないっス。マジで懲戒モンですよ。まあ、管理官に報告することをオススメしますがね。あの人ことだ。もしかしたら面白がって黙認しそうだ」
「……ああ、いずれな」
「とにかく、しっかりしてください」
「分かった」
「いや、分かってないっスよ」
波木は顔の前で手を振った。
「上手くやんないと、絢音ちゃん、ウチの魔女の駒にされますよ」
「──っ!」
たしかに。あの魔女は使えるものなら未成年だろうが何だろうがお構いなしに違いない。
「まあ、俺に火の粉が振りかからない程度には見逃してあげます」
「……ああ、すまない」
スマホが鳴った。七瀬からだった。
監視でもしているのか──ドキリと心臓が跳ねる。
「大神。アポ、午前十時ね」
「……了解」
「どうしたの? 当直、疲れたの? 珍しいわね」
「いえ、大丈夫です」
電話を切り、登校してくる生徒を不自然にならないように横目で観察する。だが、波木の方は向けなかった。
──さすがミッション系のお嬢様学校だ。らしい生徒ばかりに見える。だが、七瀬が示した補導件数の増加が、この学校に潜むわずかな歪みを示しているかもしれない。
と、別の思考で、脳裏に焼き付いた絢音の件を塗りつぶす。
当直明けなのに、すっかり目は冴えてしまった。




