第6話 危険な野良猫
ソファで寝ていた大神が目覚めると、日はすでに高かった。
──昨夜は悪い夢を見た気がする。きっと久々に居酒屋で飲んだせいか。それとも、温いビールを飲んだせいか。
テーブルに目をやると、そこには独身男の部屋には場違いなトーストとハムエッグが用意されていた。ハムエッグの脇にはミニトマトまで添えられている。殺風景な部屋を彩る赤色が逆に腹立たしい。
皿の側にはメモが置かれていた。
『学校へ行ってきます。合鍵準備しておいてね♡』
現実は悪夢よりタチが悪かった。「くそっ」と吐き捨てるとメモを乱暴に丸め、ごみ箱へ投げ入れた。せっかくの公休の朝──もう昼だが、すっかり台無しだ。
『お前はそっちを使え。俺はソファで寝る!』
『リョーカイ。話が早くて助かるぅ』
昨夜のことが脳裏に浮かんだ。
半ばヤケクソ気味に生活範囲を分け、ルールを決めた。勢い余ってゴミの日まで教える始末だ。普段から帰って寝るだけの部屋だ。野良猫が住みついたと思うことにする。
……まあ、油断ならない危険な野良猫だが。
引っ掻かれないように気をつけながら、正体と目的を調べ、指輪のネタを掴まなければならない。だが、家に帰っても仕事だと思うと正直ため息が出る。
やめてしばらく経つが、無性に煙草が吸いたくなった。近所のコンビニにでも行くか、とスウェット姿のままサンダルを履く。
玄関の鍵をかけようとして、ふと手が止まった。
もし、出ている間に絢音が帰ってきたら──玄関の前に座り込む制服姿の女子高生の景色が脳裏をよぎり、背中にジワッと嫌な汗が浮いた。そもそも、わざわざ自分から刑事の家へ乗り込んでくるくらいだ。玄関の前でとんでもないことをやりかねない。
刑事が戸締まりもせずに外出だなんてどうかしてる──そんなことを考えながらも、結局鍵をかけずに階段を降りた。
道すがら、ふと疑問が湧き上がった。
──待てよ。じゃあ昨夜、あいつはどうやって入り込んだ?
指輪ははめてなかった。だが、あいつは指輪がなくとも〈力〉が使えるような口ぶりだった。もし本当にそうだったら鍵など意味はない。
昨夜の衝撃的な出来事。あの時そこまで考えが回らなかったことを自省しながらコンビニの自動ドアをくぐった。
コンビニを出て灰皿を探すが、今や都内のコンビニの大半は灰皿がないことを思い出した。こんな時に限って、禁煙などおかまいなしに吸っている管理官の横顔がチラつき、思わず苛ついてしまう。
煙草の箱を握り潰すようにポケットへ突っ込み、鍵屋のある商店街へと足を向けた。
鍵屋の前で、なんで言われるがままに合鍵を作りに来てるんだ、と無性に腹が立ってきた。しかもJKに合鍵を渡すなんて社会的自殺行為だ。
今回はなぜか建造物損壊を伴う住居侵入ではなかった。だが、次もそうとは限らない。もっとも、合鍵を渡さなかったら、あの調子だと今度は「逮捕・監禁罪だ!」などと言いかねない。自分で侵入してきたくせに。
ひとまず、大人しく従うことにした──不本意ではあるが。
合鍵が出来上がるのを待つ間、向かいの小さな喫茶店にふらりと吸い込まれるように入った。
扉を押すと「カラン」と軽快な鐘の音が鳴る。
ブラックを注文して灰皿を訊ねるが、禁煙だと言われた。『健康増進法』の条文が頭をよぎり、やっぱりかとさらに気持ちが沈む。
そろそろ鍵が出来る頃だ──ブラックにしては薄く、アメリカンにしては濃い。そんな中途半端な香りを一気に飲み干し、覚悟を決めて席を立った。
◇ ◇ ◇
自宅に戻り、ガチャリと玄関を開けるやいなや、
「どこに行ってたのー!」
リビングから絢音の弾けた声が飛んできた。
「休みくらい好きにさせろ」
そう毒づきながらリビングに入る。
「せっかく朝ご飯作ったのに食べてないし。っていうか、鍵もかけずに不用心よ」
どの口が言ってるんだ、という言葉を喉元で飲み込んだ。
「ほら」
テーブルに合鍵を放り投げた。チャリン、と乾いた音が響く。
「わぁ、ありがとー」
「いいか、貸すだけだぞ。あと、他の部屋の人に聞かれたら〈親戚の娘〉とでも言え。分かったな!」
「ええー!? 説明が雑じゃない?」
たしかに〈親戚の娘〉は説明が雑すぎるか──いや、何を納得しているんだ、俺は。
「……じゃあ、何て言うんだ?」
「そうねぇ……父は海外赴任、母は社長業で不在なんで、親戚であるオジサンの所にしばらくご厄介になります、って感じかな」
「それは、ちょっとワザとらしくないか?」
「いーの。〈親戚の娘〉だけじゃディテールが足りないでしょ」
なるほど……って、また俺は納得しているのか──いや、まずは緊急避難だ。
機嫌を損ねていきなりアパートを吹き飛ばされでもしたら大惨事だし、そもそもこんな状況が公になっては非常にマズい。とにかく波風を立ててはいけない。
そっと丸め込み、ネタを吐かせる。そして──確保だ。
「……じゃあ、それで」
絢音は「ハイハイ」と適当に相槌を打ちながら、合鍵をキーホルダーにつけた。
その態度はどういうことだ? ──と、またもや怒りが湧いてくるが、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
「それはそうと、学校、やけに早いな」
「来週テストだから、午前で終わり」
「勉強くらい家でやれ」
「なんでよ、ここでいいじゃない」
絢音はスクールバッグから勉強道具を引っ張り出した。
「学校では、それなりにちゃんとしている子、だしね」
「学校、どこなんだ?」
「やだぁ、つける気? ストーカー?」
「ふざけるな」
「冗談よ。〈四ツ葉〉よ」
「……四ツ葉女学院?」
資産家や会社経営者、開業医に、はたまた政治家──ハイクラスな家の娘ばかりが通う、都内でも屈指のお嬢様学校だ。
「なんだ、お嬢様設定は嘘じゃないのか?」
「どうかな」
絢音はパラパラと教科書をめくる。
「お嬢様学校の生徒が、なんだってあんなマネを?」
「……今は勉強中。また今度ね」
それ以上聞くな、と言われた気がした。
「……ちっ」
人の生活を引っ掻き回しておいて、どうしてこっちが気を遣わなきゃならないのか。
「戸締まりはやっとけよ!」
思わず吐き捨て、アパートを飛び出した。やっぱり一服せずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
──さて、今後どうするか。
まずは絢音が持つ指輪だ。あきらかに官品とは違う性能。かといって、よくある模造品のようでもない。いったいどこへ隠しているのか。
バッグの中か。いや、そんな単純な所へは隠さないだろう。だったら身体検査? それはマズい。女子高生への身体検査なんて男性警察官がやれるはずがない。女性警察官へ依頼しなければ。だが、そのためには上へ報告する必要がある──それはもっとマズい。「同棲してます。合鍵も貰ってます♡」なんて言われた日には目も当てられない。もっとも、素直に「いいよ」なんて言わないだろう。
(クソッ、あいつに直接あたる案はバツだな)
路地へ入ると、クシャクシャになった煙草に、やけくそ気味に火をつけた。久々の感覚が喉から肺へと落ちていく。ゆっくりと紫煙を吐いた。
表通りを女子高生の集団が歩いていた。ケラケラという笑い声がここまで響いてくる。
──今時の女子高生の生態なんて、この齢の男に分かるわけがない。だが、四ツ葉女学院の生徒となれば話は別だ。絢音の家はかなりのランクにあるはずだ。案外、本当に「海外赴任の父と、社長業の母」なのかもしれない。
それなのに、絢音は指輪事案に首を突っ込んでいる。どうにも腑に落ちない。
だが、それなりにツテはある。ひとまず家族や学校関係から洗うことにする。もちろん、管理官にはバレないようにしないといけない。
(それにしても、同じ高校生でもこうも違うとはな……ジェネレーションギャップってやつか)
先ほどの笑い声がまだ耳に残っている。
内心でため息をついた。
そこへ突然、スマホの呼び出し音が鳴り響いた。




